シリア刑務所から大勢を解放、子どもの姿も 

扉が開いた監房から出てくる小さな子ども

画像提供, ADMSP

画像説明, 扉が開いた監房から出てくる小さな子ども

アレックス・フィリップス、セバスチャン・アッシャー、BBCニュース

シリアを全国的に掌握した反政府勢力が、各地の刑務所で収容者を解放している。首都ダマスカスにある悪名高い「サイドナヤ刑務所」では、小さい子どもと母親も自由の身となり、その映像が出回っている。地下の監房にも、大勢が閉じ込められているとの情報も出ている。

この動画は、トルコを拠点とする「サイドナヤ刑務所拘束者・行方不明者協会(ADMSP)」がインターネットに投稿した。解放される女性たちと一緒に、小さな子ども1人が映っている。

「彼(バッシャール・アル・アサド大統領)は倒れた。怖がらないで」と、女性たちにもう安全だと伝えている様子の声も入っている。

同刑務所をめぐっては、別の動画もいくつか浮上している。

AFP通信が本物だと確認した映像では、同刑務所から出てきた人々に向かって、自分の親族がいないか確認しようと人々が駆け寄っている。

ロイター通信が取り上げた動画には、同刑務所の門の鍵や監房に続くドアを、反政府勢力の戦闘員らが銃撃して開ける様子が映っている。廊下に男性らがあふれ出てきている。

サイドナヤ刑務所については、内戦が始まってから「事実上、死の収容所になった」とADMSPが2022年の報告書で指摘していた

アサド政権下の2011~2018年に、収容者3万人以上が処刑されたか、拷問、医療欠如、飢餓が原因で死亡したとADMSPは推定。2018~2021年にはさらに少なくとも500人の収容者が処刑されたと、解放された数少ない人々の話を基に記していた。

国際人権団体アムネスティー・インターナショナルも2017年、サイドナヤ刑務所で5年間に最大1万3000人が秘密裏に絞首によって処刑されたとする報告書発表していた

シリア政府はこのアムネスティの主張を「根拠がない」、「真実ではない」と否定。シリアにおける処刑はすべて正当な手続きを経ていると反論していた。

地下を捜索

ダマスカスの当局は、刑務所地下の電子ドアを開けるための暗証コードを反政府勢力側に提供するよう、アサド政権の元兵士や刑務所職員らに呼びかけている。

当局によると、電子ドアが開けられないため、「監視モニターに映っている10万人以上の拘束者」を解放できずにいるという。

サイドナヤ刑務所をめぐっては、地下には隠し監房もあり、収容されている人がいるとの話が、収容されていた人々から出ている。

これを受け、「ホワイト・ヘルメット」の名称で知られるシリアの市民防衛団体は、調査を進めているとソーシャルメディア「X」で発表。五つの「特別緊急チーム」を刑務所に派遣したとした。

インターネットやアルジャジーラなどの報道機関には、大勢が刑務所の低層部に到達しようとしている様子とみられる動画が出回っている。その動画では、男性が支柱のようなものを使って壁の下部を壊しており、向こう側に暗い空間が見えている。

動画説明, サイドナヤ刑務所の内部に駆け込み、家族らを探す人たち

拷問や処刑が常態化か

シリアでは2011年に内戦が始まって以降、13万人以上が政府軍によって、さまざまな拘束施設に収容されてきたとされる。そこでは拷問が常態化していたと、人権団体は指摘している。

そうしたなか、反政府勢力「ハヤト・タハリール・アル・シャーム(HTS、「シャーム解放機構」の意味)」は今月7日に中部ホムスを掌握し、軍刑務所から3500人以上を解放したと発表した。

その数時間後の8日未明には、HTSは首都に入り、「サイドナヤ刑務所における暴虐時代の終わり」を宣言した。

サイドナヤ刑務所から解放された女性

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画像説明, サイドナヤ刑務所から解放された女性

「サイドナヤ」は長く、アサド政権の最もおぞましい虐待を象徴する言葉だった。

無数の人がこの刑務所で、拷問、性暴力、集団処刑の対象にされた。その多くは消息不明となり、家族は長年、生死すら分からないままでいた。

10代のときに3年間、この刑務所に収容され、試練を生き延びたオマール・アル・ショグレさんは8日、「私は痛みを知っている。孤独と絶望も知っている。苦しんでいるときに、世界は何もしてくれなかった」とBBCに話した。

また、「(刑務所当局は)大好きだったいとこに、無理やり私を拷問させ、私にも無理やり彼を拷問させた。従わなければ二人とも処刑されていた」と話した。

動画説明, シリア反政府勢力が勝利宣言……数時間後にダマスカス入りしたBBC記者が見た喜びと不安

シリアでは、恐怖によって国民を服従させるため、こうした大規模な拷問や死、屈辱のメカニズムが構築されていた。国民の間で長年、アサド政権(父と息子の両方)に対する深い憎しみが水面下でくすぶり続けたのも、この恐怖による支配への怒りが大きな要因だった。

それだけに、アサド政権を倒した反体制派は全土を一気に掌握していくなかで、各都市の主要刑務所を必ず訪れ、各地で数千、数万の収容者を解放し続けた。

人によっては何十年も閉じ込められていた。その暗闇から光の中へ、大勢が次々と姿を見せる光景は、アサド王朝崩壊を決定的に印象付けるイメージの一つとして残るだろう。