朝日新聞社「吉田調書」報道
報道と人権委員会(PRC)の見解全文(1)

 東京電力福島第一原発事故をめぐる今年5月20日付「吉田調書」報道に関して、朝日新聞社の第三者機関である「報道と人権委員会」は12日、見解をまとめ、朝日側に通知した。見解の全文は以下の通り。

■第1 当委員会の調査の経緯と見解の要旨

 1 調査の経緯


長谷部恭男(はせべやすお)氏(58)
早稲田大学教授
 学習院大教授を経て、1995年に東大法学部教授就任、今春から現職。専門は憲法学。現在、内閣府地方制度調査会委員。2005年4月からPRC委員。

 本年5月20日付朝刊掲載の「吉田調書」入手に関する報道について、朝日新聞社の編集部門から9月11日、当委員会に対し、記事作成過程や報道内容などについて見解を示すよう求める申し立てがあった。当委員会は同日、持ち回り方式の委員会で受理することとし、その旨を朝日新聞社に通知した。

 当委員会はただちに調査を開始し、吉田調書、東京電力内部資料、政府・国会・東電・民間の各事故調査報告書の関連部分をはじめ約60点の収集資料を精査し、本件報道を担当した取材記者、担当次長、特別報道部長その他編集部門を中心に延べ26人から直接聴き取り、37人から報告書の提出を受け、本件報道を検証した。そして、9回にわたって委員会を開催して審議し、東京本社最終版をもとに以下の通り本件見解をまとめた。なお、吉田調書からの引用部分は原文のままである。

 2 見解の要旨


宮川光治(みやかわこうじ)氏(72)
 元最高裁判事
 1968年に弁護士登録。司法研修所教官、日本弁護士連合会懲戒委員会委員長を経て、2008年9月に最高裁判事(~12年2月)。12年3月からPRC委員。

 (1)政府が福島第一原子力発電所の所長であった吉田昌郎(まさお)氏(2013年死去)の調書をはじめ772人の聴取結果書を一切公開しないという状況の中で、吉田調書を入手し、その内容を記事とし、政府に公開を迫るという報道は高く評価できるものであった。また、原子力発電所の過酷事故への人的対処に課題があることを明らかにしたことは、意義ある問題提起でもあった。

 しかし、報道内容には次に指摘するような重大な誤りがあった。その上、本件報道についての批判や疑問が拡大したにもかかわらず、危機感がないまま、適切迅速に対応しなかった。結果的に記事の取消しに至り、朝日新聞社は社外の信頼を失う結果になった。

 (2)第1に、1面記事は「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しと、「福島第一 所員の9割」の縦見出しにあるように、所長命令に違反して所員の9割が撤退したとの部分を根幹としており、前文はそれに沿う内容となっているところ、「所長命令に違反」したと評価できるような事実は存在しない。裏付け取材もなされていない。


今井義典(いまいよしのり)氏(69)
 元NHK副会長
 1968年にNHK入局。米国特派員やキャスターなどを経て、2008年にNHK副会長(~11年)、現在は立命館大客員教授。今年4月からPRC委員。

 第2に、「撤退」という言葉が通常意味するところの行動もない。「命令違反」に「撤退」を重ねた見出しは、否定的印象を強めている。

 第3に、吉田調書にある「伝言ゲーム」などの吉田氏の発言部分や「よく考えれば2F(福島第二原子力発電所)に行った方がはるかに正しいと思った」という発言部分は掲載すべきであったのに割愛されており、読者に公正で正確な情報を提供する使命にもとる。

 第4に、2面記事にも問題がある。「葬られた命令違反」の横見出しの下における吉田氏の判断(「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待て」という指示の前提となった判断)に関するストーリー仕立ての記述は、取材記者の推測にすぎず、吉田氏が調書で述べている内容と相違している。読者に誤解を招く内容となっている。

 以上を総合すると、当委員会は、朝日新聞社が9月11日、当該記事について「多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」措置は妥当であったと判断する。

 (3)次に、取材過程から記事掲載までにおいては、秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのが直前まで2人の取材記者にとどまっており、編集部門内でもその内容は共有されず、記事組み込み日当日の紙面最終責任者すら関連部分を読んでいなかったという問題点、組み込み日前日から当日にかけて、記事を出稿した特別報道部内や東京本社の他部、東京本社内の見出しを付ける編集センター、校閲センター、大阪本社から、見出しや前文等に対し疑問がいくつも出されていたのに、修正されなかったという問題点、紙面全般の最終責任を負うゼネラルエディター(以下「GE」)、担当部長が取材チームを過度に信頼し各自の役割を的確に遂行しなかったという問題点などが存在する。

 (4)さらに、本件報道後の対応については、ネットメディアも含めた社外からの批判と疑問への軽視、過信による行き過ぎた抗議、危機感の希薄さ、危機管理の著しい遅れなどを指摘でき、編集部門と広報部門の在り方について見直すべき点がある。

 (5)基本的には、読者の視点への想像力と、公正で正確な報道を目指す姿勢に欠ける点があった。見解本文に示したいくつかの視点をも参考に、ジャーナリズムに携わる組織の在り方についての検討が必要である。

 なお、最後に、本件記事を出稿した特別報道部について付言する。これまで調査報道で優れた成果を上げてきた本件取材チームには過信があり、謙虚さを欠いたことは疑いない。また、本件取材チームに対する過度の信頼があり、そのことが、相互批判が醸成されない一因となった。したがって、特別報道部における取材チーム編成の在り方、部内外からの指摘を受け止める仕組み、その他検討すべき点がある。調査報道は、新聞ジャーナリズムの柱の一つであり、その重要性は今後いっそう増していく。改革は、より組織的に調査報道を展開することを可能とする方向でなされるべきである。

■第2 本件記事の内容と見出しについて

 1 本件記事とその影響

 朝日新聞の5月20日付朝刊は、2011年3月当時、福島第一原発所長だった吉田氏が政府事故調査・検証委員会の長時間の聴取に答えた内容を記録した非公開の文書を入手したことを報じた。1面記事は、縦見出しで「政府事故調の『吉田調書』入手」と特ダネ記事であることを示した上で、横見出しで大きく「所長命令に違反 原発撤退」とうたい、もう一本の縦見出しは「福島第一 所員の9割」としていた。2面記事も横見出しで「葬られた命令違反」と展開し、1、2面を合わせ、本件記事の内容は、読者に「所長命令に違反」し、「所員の9割」が「撤退」したことを根幹部分として伝えるニュースであるとの印象を与えた。後述の朝日新聞総合英語ニュースサイトの5月20日付記事(同日夕方発信)の英文見出しを通じて、海外にも所員が命令を無視して逃げたという誤解が生まれた。

 以下、まず、所員の9割に「所長命令に違反 原発撤退」と表現する事実が、吉田調書や取材記者らの取材で裏付けられていたかについて検討する。(文中の肩書は断りのない場合は5月時点)

 2 「所長命令に違反」はあったのか

 (1)1面記事には次のとおり記載されている。

 「(2011年3月15日の)午前6時42分、吉田氏は前夜に想定した『第二原発への撤退』ではなく、『高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第一原発構内での待機』を社内のテレビ会議で命令した。『構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう』」

 「待機場所は『南側でも北側でも線量が落ち着いているところ』と調書には記録されている」「吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に『第二原発に行け』と指示し、午前7時ごろに出発したという」「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第一の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんです」

 (2)この事実を「所長命令に違反」ととらえた理由について、取材記者たち、特別報道部長及び担当次長は概略、以下のように説明している。

 吉田氏は3月15日午前6時42分、緊急時は第二原発に退避するとの前夜からの計画を変えて、第一原発近辺にとどまるように所長としてテレビ会議で指示した。

 これは、東電の内部資料や広報文書と合致している。第一原発の最高責任者としての発言であり、「命令」にあたる。テレビ会議の映像には、所員を指揮するはずのGM(グループマネジャー)とよばれる部課長級の幹部社員も何人か映っており、命令を聞いていたことは間違いない。9割の所員が第二原発に行ったことについて、記事では慎重に「命令に背いた」「逃げた」という表現を用いないという配慮をした。しかし、指示したこととは違う結果になったのだから、「違反」という言葉を選択することは許されると考えた。

 (3)吉田氏は調書で「福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもり」と述べているが、それは〈1〉東京電力柏崎刈羽原子力発電所の所員がテレビ会議を見ながら発言を分単位で記録した時系列メモ(柏崎刈羽メモ)が、6時42分の欄に「構内の線量の低いエリアで退避すること。その後本部で異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう」との吉田氏の発言を記録していること〈2〉東電本店が午前8時35分の記者会見で「一時的に福島第一原子力発電所の安全な場所などへ移動開始しました」と発表していることなどから、「近辺」か「構内」かの相違はあるが、裏付けられる。

 しかし、吉田調書を検討すると、〈1〉吉田氏の指示は所員に的確に伝わっていなかったのではないか、そもそも「第一原発近辺にとどまれ」との指示を発した態様には問題があるのではないか、さらには〈2〉そうした指示が妥当であったのか、という疑問が生ずる。

 第一原発では当時、3月12日の1号機原子炉建屋の爆発、14日の3号機爆発の後、2号機格納容器の圧力も14日夜から異常上昇していた。吉田氏は、チャイナシンドロームのような状況も想定していた。14日夜には、操作や復旧作業のために最低限、必要な人員を残して、他は第二原発に退避させることを考えた。まず、協力企業の社員に帰るよう指示し、さらに作業に関係がない人員数、バスの台数と運転手を確認し、すぐに発進できるよう準備することなどを指示している。

 15日午前6時12分ごろには構内で衝撃音と振動が発生するとともに(後に4号機建屋の爆発と判明)、2号機の圧力が低下したとの報告が入り、2号機格納容器の破損が疑われ、吉田氏がテレビ会議で「メルト(炉心溶融)の可能性」と発言するなど、緊迫した局面だった。そして、退避のためのチャコールマスクが準備され、6時27分には退避手続きの説明がテレビ会議で流れ、6時32分には清水正孝氏(当時社長)が「最低限の人間を除き退避すること」、33分には吉田氏が「必要な人間は班長が指名すること」と発言した。この時点までは、吉田氏は最低限必要な人員以外は第二原発に退避させることを考えており、それに基づいていくつもの指示を重ねていたとみることができる。ところが、6時42分、吉田氏はテレビ会議で、これまでと異なる内容の指示を発した。その時点では、すでに退避に向けた行動が始まっており、免震重要棟の緊急時対策室は騒然としていたと見られる一方、吉田氏は、周囲に対し、これまでの命令を撤回し、新たな指示に従うようにとの言動をした形跡は認められない。

 まず〈1〉に関して取材記者たちは、本件記事の当事者である所員から、吉田氏の指示を直接・間接に聞いたとの証言を得ていない。吉田氏は調書で、15日朝を振り返り「本当は私、2F(第二原発)に行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しようがないなと」と話している。部下にうまく情報伝達されなかった理由を「伝言ゲーム」とも言っている。吉田氏の指示が所員の多くに的確に伝わっていた事実は認めることができない。

 また、すでに第二原発への退避行動が進行している最中における重大な計画変更であるから、通常は計画の変更を確実に伝えるため、何らかの積極的な言動があるべきであると思われるが、そのような事実も認められない。

 〈2〉については、吉田氏は調書の中で「2号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。(多くの所員が詰めていた)免震重要棟はその近くですから、ここから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思ったわけです」と述べている。所員が2Fに行ったことを肯定しており、第一原発やその近辺への退避指示は適切ではなかったことを認めている。

 そもそも、所員は免震重要棟に退避していた。鉄筋コンクリート造で気密性があり、高性能フィルター付きの換気装置を装備している免震重要棟以外に、より安全な場所を見いだすことは不可能だった。そして、さらに高い放射線を警戒して、「2Fまで退避させようとバスを手配した」状況なのに、第一原発構内やその近辺で、免震重要棟以外に、多くの所員が退避できるような「比較的線量の低い場所」があった可能性は低い。屋外では放射線被曝(ひばく)のリスクが格段に高まることを考慮するなら、合理性に乏しい指示だったともいえ、少なくとも極めてあいまいな指示が出たことになる。こうした指示を聞いた所員がいるとしても、彼らはこれまでの第二原発への退避命令が撤回され新たな指示が出されたとは理解できなかったであろう。線量の低い状況が当面は続くと見込まれる安全な場所がなければ、第二原発に退避する、指示をそう理解するのが自然な状況であった。

 命令とは「上位の者が下位の者に言いつけること。また、その内容」(「広辞苑」第6版)をいう。以上のように、吉田氏の指示は的確に所員に伝わっていなかったとみるべきである(裏付け取材もなされていない)。さらに極めて趣旨があいまいであり、所員が第二原発への退避をも含む命令と理解することが自然であった。したがって、実質的には、「命令」と評することができるまでの指示があったと認めることはできず、所員らの9割が第二原発に移動したことをとらえて「命令違反」と言うことはできない。本件記事の見出しは誤っており、見出しに対応する一部記事の内容にも問題がある。



<報道と人権委員会(PRC)>

 2001年に発足した朝日新聞社常設の第三者機関で、外部の有識者3人で構成する。朝日新聞や朝日新聞出版の記事に関する取材や報道で、名誉毀損(きそん)などの人権侵害、信用毀損、記者倫理に触れる行為があったとして寄せられた苦情のうち、解決が難しいケースについて調査・審理する。朝日側は調査に協力する義務がある。苦情申立人のほか、朝日側から審理を申し立てることもできる。PRCは結果を見解としてまとめ、公表することができ、取材・報道をめぐる問題全般についても、意見を述べることができる。
 PRCの運営規則には、朝日側は「見解を尊重し、それを踏まえた措置を講ずるよう努める」と定めている。
 最近では、「ロス疑惑」をめぐる名誉毀損訴訟の判決報道に関して、今年6月に判断。訴訟自体は朝日新聞側が勝訴したが、PRCの見解は、判決で朝日側の主張が認められなかった部分も含めて、「正確に報道することが公正な態度」との考え方を示した。朝日側は、見解を反映させた記事を再掲載した。これまでに、公表した見解は14件ある。

見解全文(2)へ続く>

(朝日新聞 2014年11月13日 朝刊特設A面 東京本社)