「2人のおかげで命ある」津波にのまれたパトカー、警察官の捜索続く
東日本大震災から14年経っても、なお2520人が行方不明(警察庁調べ)のままだ。福島県浪江町の請戸海岸では11日、県警や消防が一斉捜索を実施した。県内では196人が行方不明で、殉職した県警の警察官も含まれている。
行方不明者のうち1人は、この地域を管轄する双葉署の佐藤雄太警部補(当時24)=巡査から2階級特進=。増子洋一警視(当時41)=警部補から2階級特進=と、海岸近くの住民らをパトカーで避難誘導中、津波にのまれたとみられる。増子さんの遺体は、震災の1カ月後に30キロ沖合で発見された。
震災の当日、2人は非番だったが、人事異動の内示を受けに署を訪れていた。激しい揺れに襲われた直後、2人はパトカーで署を飛び出した。
パトカーの呼びかけに助けられたという人がいる。当時JR富岡駅長を務めていた寺崎秀一さん(70)。午後2時46分の大きな揺れのあと、すべての電源が落ち、情報が入らなくなっていた。
避難を呼びかけながら駅前を通って海の方へ向かうパトカーに、迫りつつある危険を知らされた。
2カ所の待合室にいた10人弱の利用客に避難を呼びかけ、近所の人たちとともに高台へ走った。
午後3時34分ごろ。海岸沿いの住宅地の上に、白い波しぶきが上がるのが見えた。海岸から300メートルほどの距離にあった駅は波にのまれた。パトカーに「警告」されてから10分も経っていなかった。
双葉署がある富岡町の博物館「とみおかアーカイブ・ミュージアム」には、このパトカーの車体が展示されている。
車体は激しく損傷し、運転席はむき出しになっているが、保存のために防さび加工などが施され、白いボディーの名残をとどめている。
野ざらしで廃棄処分にされかけていたパトカーは、町民の有志の声をきっかけに保存が決まった。
当初から保存に携わった町教育委員会生涯学習課業務係長の門馬健さん(41)は「現物には100人が見たら100通り以上に受け取れる情報量がある。こんな時、自分ならどう動くだろうか、とか。将来に伝える意義は大きい」と話す。
あのパトカーの警告がなければいったいどうなっていただろう、と寺崎さん。「警察の方にはあの2人のおかげで自分たちの命はありますと、いつも感謝の気持ちを伝えています」
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