5歳の娘へ30年目の手記 それでも書けなかった、大震災前夜のこと

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島脇健史
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 阪神・淡路大震災神戸市灘区の自宅が全壊し、長女の希(のぞみ)さん(当時5)を亡くした小西真希子さん(65)が、「30年目の手記」をつづった。震災直後、10年、20年にも手記を執筆・公開してきた。今は悲しみの形が徐々に変化し、震災の経験を子ども世代に伝えたいとの思いが芽生えてきたことを記した。

 1995年1月17日の震災直後は、希さんが亡くなった現実が受け入れられなかった。「住民票や保険証からも希の名前が消えていく。希が本当に消えてしまう」

 そんなとき、神戸市の出版企画会社の男性が立ち上げた「阪神大震災を記録しつづける会」が、被災者の手記を募っていると新聞で知った。「手記集の片隅にでも、希のことを残してもらえたら」。どうやって亡くなったか、その時どう感じたか、事実を書こう。

 泣きながら、何日もかけて絞り出すように手記をつづった。振り返れば、それは希さんの死を受け入れるための作業だったのだと思う。

 《「お母さん、幼稚園でハートの凧(たこ)を作ったの。明日凧上げするの、おやすみなさい」

 五歳の娘、希はそういって床につきました。

 「ドン」という衝撃で目が覚めました。いつもつけて寝ている豆球が消え、真っ暗になりました。同時に体中が左右に激しく揺さぶられ、上から物が落ちてきました。(中略)

 私は動けず、どうにか自由になる手を伸ばして希を探りました。そこに希の手がありました。

 「希」「希」…

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この記事を書いた人
島脇健史
神戸総局|選挙・震災担当
専門・関心分野
地方行政・選挙、気象・災害、地域医療
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    杉田菜穂
    (俳人・大阪公立大学教授=社会政策)
    2025年1月17日17時46分 投稿
    【視点】

    2025年1月17日の今日は、阪神・淡路大震災から30年の節目になる。 「震災当時を思い出すと、今も涙があふれる。しかし、当時のような全てがつらく感じる『激情的な悲しみ』ではない。30年の年月をかけて悲しみがわき出る波のようなものが少しず

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