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創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書) 新書 – 2010/10/15

4.3 5つ星のうち4.3 91個の評価

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第33回(2011年) サントリー学芸賞・芸術・文学部門受賞

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商品の説明

出版社からのコメント

◎美空ひばりは、「演歌」歌手だったのか?

◎気鋭の音楽学者が、膨大な資料と具体例をもとに「演歌」=「日本の心」神話成立の謎を解き明かす。"伝統"はいかに創られるのか?

◎「演歌は日本の心」と聞いて、疑問に思う人は少ないだろう。落語や歌舞伎同様、近代化以前から受け継がれてきたものと認識されているかもしれない。ところが、それがたかだか四〇年程度の歴史しかない、ごく新しいものだとしたら?
本書では、明治の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退した「演歌」----当時は「歌による演説」を意味していた----が、一九六〇年後半に別な文脈で復興し、やがて「真正な日本の文化」とみなされるようになった過程と意味を、膨大な資料と具体例によって論じる。
いったい誰が、どういう目的で、「演歌」を創ったのか?

【本文より抜粋】
美空ひばりは現在、公的なメディアや知識人によって「昭和を代表する偉大な芸術家」として権威付けられ、彼女が歌う「演歌」は、はるかな過去から脈々と受け継がれる「日本の心」と結びつけられ、称揚されています。しかし、この評価は、敗戦直後のデビューから一九七〇年代前半まで、当時の知識人が彼女に与えてきた否定的な評価とは正反対のものです。

【著者紹介】
輪島裕介(わじまゆうすけ)
一九七四年金沢生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科(美学芸術学)博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員を経て、現在国立音楽大学、明治大学他非常勤講師。専攻はポピュラー音楽研究・民族音楽学・大衆文化史。共著に『クラシック音楽の政治学』(青弓社)、『事典 世界音楽の本』(岩波書店)、『拡散する音楽文化をどうとらえるか』(勁草書房)。論文に「『はっぴいえんど神話』の構築」(『ユリイカ』青土社、二〇〇四年九月号)、「音楽のグローバライゼーションと『ローカル』なエージェンシー」(東京大学学術機関リポジトリからアクセス可)ほか。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 光文社 (2010/10/15)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2010/10/15
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 358ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4334035906
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334035907
  • カスタマーレビュー:
    4.3 5つ星のうち4.3 91個の評価

著者について

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輪島, 裕介
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上位レビュー、対象国: 日本

  • 2024年2月25日に日本でレビュー済み
    本書は、「演歌」がどのように作られ、どう理解されてきた音楽なのか、ということを解き明かす本である。
    軽い雰囲気ではあるが、著者の博士論文が下敷きになっている本であり、(やや列挙の面もあるものの)情報は多く、350p超となかなか中身の重い本である。

    レコード歌謡(複製メディアを通じた大規模流通を前提として企業が作る娯楽歌謡)は昭和に入って始まったものである。本書では、レコード歌謡=近代日本大衆音楽史を三つに分ける。
    第一はレコード会社専属期・一曲一歌手持ち歌の頃で、レコードは基本的に舶来のイメージであった。今では演歌と見られる古賀政男もラテン風と見られており、「影を慕いて」はクラシックギター奏法でモダンであった。レコード歌謡はカフェーやパチンコ屋、酒場などの盛り場で流れる不健全なものというイメージがあった(中流以上家庭向けのラジオ放送と対比)。
    第二期は昭和40年代から、専属体制が崩れ、グループサウンズ全盛期となる時代である(阿久悠が代表)。当時は邦楽部の歌謡曲と洋楽部のポピュラーに分かれていたが、GSはポピュラー(洋楽部)から販売された。ただし逆に「英米ロックが古い専属体制を打破した」という見方にも著者は否定的である(阿久悠などは戦後ロック世代より5~15歳ほど上で、クラシックやジャズの世代)。ポストGS期には、テレビの拡大とそれに伴うアイドルの誕生、70年代のフォーク/ロック系へとつながる。
    その後の第三期のJ-POP期については、「カラオケで歌える曲」という大きな特徴を挙げている。
    この文脈において、「演歌」という語が今のような意味で用いられるのは、第二期の初め頃である。しかし一方、演歌が指している楽曲は、廃れていく第一期の専属時代の特徴を持つ曲であった。ここに演歌の捉えにくさとねじれがある。(さらには、第二期には演歌と対比的に用いられていた「歌謡曲」が、演歌と一緒くたにされて「演歌・歌謡曲」と呼ばれることも少なくない)
    (なお、演歌は演説歌の略で、明治期の政治社会風刺などを歌に乗せて、流しで演歌師が歌うものが始まりだが、現在の演歌とは大きく異なる。演歌師はレコード普及とともに廃れていった)

    演歌は日本的と見られるが、演歌には舶来の要素が多く含まれている。専属時代はジャズソングが舶来であり、それがフォロワーによって次第に変容して日本風になっていった(ディック・ミネ、灰田勝彦は本場的である)。また、第一期において「日本調」と言われていたものは、現在「演歌」と呼ばれるものではなかった。
    昭和20年代までの日本調は芸者歌手を指した(藤本二三吉から五月みどりなどまで)。これはお座敷文化、三味線伴奏で、おちょぼ口(ちりめんビブラート)で歌うものであり、声を高く張り上げる民謡のうたい方ではなく、ましてこぶし。唸りなどは存在しなかった(こうした歌い方はお座敷では下品とみなされる)。内容も享楽的であり、演歌のような暗さはなかった。お座敷では、「三味線ブギウギ」など和洋折衷も積極的に取り入れられた。
    演歌に近いものとしては東海林太郎などの股旅物が挙げられる。しかし直立不動で洋装で歌う姿勢は西洋声楽のものが背後に有り、クラシックを受け継ぐと意識していた。東海林や藤山一郎、淡谷のり子などは後の西洋歌唱技法に則らない演歌歌手を音楽技術不足と厳しく批判することでも知られる。股旅物は当時の大衆小説から発しており、三味線と洋楽器の混交は無声映画のチャンバラ劇伴から出てきている新しいものである。
    昭和20年代末~30年代にかけて、春日八郎のような田舎調が現れる。作曲面では船村徹が顕著である。彼の曲は地方古臭さゆえに衝撃を与えた(対比される都会調は米軍基地などから発したジャズ系である)。そして昭和30年代に入って最後に、村田英雄(王将)などの浪曲師がレコードに転向してきて、こぶしや唸りが持ち込まれる。巫女姿の畠山みどりがこぶしを回して唸るのは、斬新かつ珍奇であった。

    流しからの不遇下積み時代というストーリーも好まれたが、流しは演歌とは大きく異なる場合もあった(小林旭「ギターを持った渡り鳥」のウエスタン風)。むしろ流しは「何でも歌う人」であった。昭和30年代において、流しはヤクザやアウトローと結び付けられて理解されていた。流し時代の艶歌と現代の演歌をつなぐ接点にいるのが、デビュー当時はアウトローイメージを前面に出していた北島三郎(ギター仁義、兄弟仁義)である。
    一つ注意点として、昭和30年代の歌手は「流行したものはどんなジャンルも歌う」という風潮だった点が挙げられている。美空ひばりのレパートリーの広さはよく言われるが、そもそもレパは広くないといけなかったのである。「柔」「悲しい酒」は、美空・古賀の典型ではなく、その時はやっていた「古臭さがむしろ新規さとして入って来る時代」に合わせただけだという。

    昭和30年代後半は、ヨーロッパ風のムード歌謡、無国籍歌謡(ウナ・セラ・ディ東京など)、作者不明歌謡などが広がり、専属・持ち歌体制を揺るがす。昭和40年代の「懐メロ」ブームはこれに繋がり、このあたりで演歌カテゴリが作られる。同じ時代に、「柳ヶ瀬ブルース」からのご当地ソングも流行する。(地方)盛り場向け有線放送がここでは重要な役割を果たしている。洋風盛り場イメージにあうのは、夜の女の官能(艶歌の要素)を歌う青江三奈と森進一である。
    「恍惚のブルース」と「バラが咲いた」と「夕陽が泣いている」が同じ人物により1966年に作られているということは、日本風演歌と西洋ポップスが分けられないことを示唆する

    演歌の位置づけには、左翼系の言説が案外重要である。進歩的知識人は長らくレコード歌謡を「俗悪文化」として嫌ってきた。流行歌批判や放送禁止歌は共産党などが主導していた。「横須賀タマラン節」批判は国会でも見られた。「健全な歌声/みだらで退廃的な酒場の流し」という二項対立は実際にはかなり怪しいものであったが、こうした理解がなされていた。
    しかし新左翼系の動きでは、エリート的な進歩派が批判され、土着で低い地位の庶民(真正下層プロレタリアート)にこそ民族の真正のものがあるとされた。社会から弾かれたアウトローが称賛され、その文脈で流しの演歌が肯定され、孤絶と暗さが評価された。
    その後、五木寛之によって演歌イメージが固定され、そのイメージを体現するような不幸な生い立ちの藤圭子が演歌のイメージを形作る。既成秩序へのアウトサイダー性が求められたのは、こうした左派的文脈が背後にあった。
    (ちなみに演歌と軍歌は同じタイミングでリバイバルしているという)
    演歌と日本の接続もこうしたバックグラウンドによるものであり、実際のところは、上記の青江・森や前川清はジャズの歌唱法だし、曲調は藤圭子含めて和製ブルース→都会調である。

    1970年代以降、こうしたアウトロー要素が抜き取られて「健全化」していくとともに、古き良き日本へと重ね合わされていく(小柳ルミ子の清純派)。(70年代後半「北の宿から」「津軽海峡冬景色」など以降、演歌に「暗く寒く貧しい北」のイメージが重ねられ、島や南というテーマが後退する)
    そして、NHKののど自慢や歌謡コンサート、紅白と演歌が結合することで「日本のスタンダード」化が完成する。(「与作」は「民謡音階をとりあえず使ってみた」軽さが受けた。もとの田舎調の田舎の辛さはそこにはない)。またカラオケが念頭に置かれることによる曲の平板化とともに、かつてのカラオケの歌われ方(男のサラリーマンがスナックの女と歌う)から夫婦を念頭に置くような歌(行きずりの恋ではなく健全な家庭の女性が歌われる)になる変化もある。

    演歌のたどってきた道を解きほぐしていく労作である。
    演歌をよく聴く人は、いろいろとピンとくるところの多い作品ではないかと思う。
    2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2021年11月28日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    そもそも〇×が何であれ「〇×は日本の心」という観念に難があるのだが、そのことは置いておくとして評者も演歌についての違和感はあり、それは「ラジオでかかる歌謡曲のいくつかに惹かれるが特に演歌ばかり聞こえてくるわけでもないのに、NHK紅白歌合戦の後半は演歌のオンパレードとなり面白くないし何かおかしくないか?」という小学生くらいの時の原体験から始まっているようだ。ここで音楽のジャンル間の優劣を言うつもりはないしそれは著者も同じであろう。しかし「演歌は日本人の心」とか「日本人なら演歌!」という胡散臭い話は検証対象だ。そういった観点から読んでみた。

     できるだけ実証的に書こうと努めておりただ信念を述べるのではなく具体的な人名や事実を上げて構成してある。“演歌”についての経緯はよくわかるが、終盤に向けて演歌と歌謡曲全般の話の境界が曖昧となり拡散気味となる。創られた「日本の心」神話というタイトルなのに、目的は演歌なる観念形成の経緯を明らかにすることであり「演歌は日本の心」かの判断は読者にゆだねる...というスタンスで終わるので、結局「資料であって主張でない」ことになり、インパクトに欠ける結果になっている。

     とはいえいろいろ解釈は可能だ。本書の内容を総合すると、基底には「比較的新しく伝統的ではないものが時代遅れになると実は伝統的で本質的だと自己規定して生き残る」性質がある。演歌の場合には更に反米的な“左翼ナショナリズム”→昨今の日本会議的右派と“支持者”を変えながら残っていく面もあると。音楽的に言えば、日本の伝統音楽ではなく欧米の音楽の影響下に成立しているにもかかわらず、更にモダンな欧米の音楽が入ってくると「これこそは日本の...」となる倒錯がある..とも読めるが、端的にはアメリカに対するアンビバレントな感情のなせる技とも言えようし(この感情は日本語ロック論争にも関係しているかも)、また一億総我慢大会的な心性と無縁ではないかもしれない。

     評者は以上のように解釈したが、資料に徹するならそれもよし、何か主張することが主眼ならどのような理論に沿って自説を論証するかまず述べて具体的な“証拠”を提示していくもいいが、後になって実はこういう理論がありまして..... というようになっていて、ちょっと論が弱いと思う。内容的にはとても参考になったし、著者が主張したい(らしき)ことには賛同できる。
    7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2016年3月20日に日本でレビュー済み
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    自民、民主、公明など超党派の有志議員が、演歌や歌謡曲を支援する議員連盟を結成したという。産経新聞が「日本の伝統文化の演歌を絶やすな! 超党派『演歌議連』発足へ」という見出しで報じた。

    しかし、伝統が「ある集団・社会において、歴史的に形成・蓄積され、世代をこえて受け継がれた精神的・文化的遺産や慣習」(大辞林)だとすれば、演歌を日本の伝統文化と呼ぶのは正しくない。本書はその事実を詳しい調査に基づき明らかにする。

    たしかに、演歌という言葉そのものは、明治時代に生まれた古いものである。しかし本書によれば、本来の演歌とは自由民権運動の流れをくむ「歌による演説」であり、社会批判と風刺を旨とする「語り芸」だった。現在のように、演歌という言葉を「日本的」「伝統的」なレコード歌謡を指すために用いるようになったのは、昭和40年代(1960年代半ば)以降にすぎないという。

    また本書によれば、演歌は「日本的」な要素のみで成り立っているものではない。森進一のしわがれ声はジャズの大御所ルイ・アームストロングを意識したものだし、都はるみの「唸り節」は驚くことに、ポップスの女王と呼ばれた弘田三枝子の歌唱法に由来するという。

    もちろん、だから演歌はダメだと言いたいわけではない。考えるに、重要なのは、ある文化を守るという大義名分のために、誤った事実に基づく権威づけをしないことである。それは守ろうとしている文化そのものに対する誤解を広めることになる。

    もう一つ大切なのは、日本文化を守るという名目で、外国文化の流入を妨げないことである。日本文化は私たちが想像する以上に、さまざまな外国文化を取り入れて豊かに実っている。偏狭なナショナリズムにとらわれて外国文化を排除すれば、日本文化はやがてやせ衰えてしまうだろう。

    本書は、そうした示唆を与えてくれる好著である。
    38人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2020年5月18日に日本でレビュー済み
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    「演歌は日本の心か?」という研究の端緒といった感じの本。以前から演歌に胡散臭さを感じていた身としては、しっかり演歌の批判に至ると思っていたら、概論で終わってしまい、肩透かしな気分。著者の趣味的なところはまあ愛嬌かな、網羅的にされると研究も進まなそうなので、日本歌謡史研究の継続を気長に待ちたい。
    3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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  • 2014年8月30日に日本でレビュー済み
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    最近放送された、あるテレビ番組でのことです。今や演歌の大御所となった八代亜紀が、こう呟くように語るコーナーがありました。「私達は、ある日いきなり演歌歌手と呼ばれるようになった」と。

    この、輪島氏による「演歌という言葉を巡る変転と変化の物語」のルポは、本来ごく最近、60年代後半から70年代初期にかけて単なる商業歌謡曲のジャンル分けとして生まれた演歌という言葉はいかにしてひとり歩きしていったか。その指し示される歌達はいかにして扱いを変えられていったかを豊富な資料と当時の文化人などの言説を丹念に追いかけて見せてくれます。
    近代社会、現代社会において流通する、たった100年ほどの流行歌謡曲という、明らかに音源もビジュアルも文献も形を残すものですら、これ程の現実との乖離を見せることへの驚きは新鮮です。その意図はとても作為的で後付の嘘にまみれている。人は誰しもが、自分の言いたい今のことを歴史という言葉に変えて伝えようする、信じこむ、信じこませようと働きかけるのだ。

    歴史というもの、私達が相互に確認しあう関係性というものについて、とても大きな一石を投じてくれます。
    この本は私に、今こそ広く社会全体に問われる、歴史を見直すという行為へ正しい視座を与えてくれる必読の書となりました。
    22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
    レポート
  • 2016年5月21日に日本でレビュー済み
    Amazonで購入
    演歌とは、それまでさまざまに呼ばれていた
    歌たちを、レコード産業の販売戦略として、
    S40年ごろ演歌」となずけたものらしい、
    現在、NHKが一番熱心に放送しており、他の
    BS局も定期番組をもっている、
    それに重要なことは、日本の心」を歌うものと
    、日本の伝統的な抒情を表現するなどと持ち上
    げられることだいう、
    しばらく前までは、演歌は低俗音楽の代表とされ
    ていたのに
    ひばりだって、紅白からしめ出されていたので
    ある、

    こういう具合に、日本の心や伝統は、昔から
    本当にあったのではなく、いつか、誰かによって、
    作られたものなのだ、ということが書かれている
    ようだ、
    桜の花だって、明治までは、ほかの花と並ぶ
    普通の花だったように、
    明治の政府が、桜を、新生軍事国家日本の
    象徴と定め、桜を大いに宣伝したために、
    日本人が桜好きになったというのが事実のようだ、
    演歌もそうである、
    8人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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