説得力があり、肯けます。非常に面白い。もう少し早く読めばよかったと思います。
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中島敦「山月記伝説」の真実 (文春新書 720) 新書 – 2009/10/20
島内 景二
(著)
傑作「山月記」の原案「人虎伝」は実は当時よく知られた話だった。なぜ「山月記」だけが生き残ったのか? 隠された友情を読み解く
- 本の長さ223ページ
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2009/10/20
- ISBN-104166607200
- ISBN-13978-4166607204
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登録情報
- 出版社 : 文藝春秋 (2009/10/20)
- 発売日 : 2009/10/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 223ページ
- ISBN-10 : 4166607200
- ISBN-13 : 978-4166607204
- Amazon 売れ筋ランキング: - 471,308位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 947位文春新書
- - 91,562位ノンフィクション (本)
- - 138,727位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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上位レビュー、対象国: 日本
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- 2010年1月20日に日本でレビュー済みAmazonで購入まあ私としては仕事の必要上買いました。『文豪の古典力』などハッタリの多い著者ですが、宣伝文とか帯文句は著者の責任ではない。「山月記」本文が収録されているというのも見方を変えれば水増しだし、原典「人虎記」は当時知られていたといっても、佐藤春夫が支那古典訳の中に訳出した(しかしこれは「山月記」よりだいぶ前)のと今東光がやはり訳したということで、これでは当時有名だったことの証明にはなっていないのである。
で帯の「悲しい秘密」なんてものは全然なくて、ただ夭折した中島のために友人らが全集を編纂したという、それだけの話である。それに、李徴=中島敦だと思っていた人は、なーんだそんなに友達がいたのかと思うかもしれない。事実、けっこう遊び人だったみたいだし。
- 2009年10月19日に日本でレビュー済み文庫でもレビューしていますが、私のバイブル「山月記」。
(ついでに、森見版も批評しています。)
その裏話といいますか、秘話を明かしています。
書店で見つけて即購入しました。
丹念な調査と中島敦への愛情を感じました。
生誕100年は、太宰治だけではありません。
7歳の息子も、山月記は、中学生で必須本の指定予定です。
今は、お風呂用の本を湯船で読んで聞かせています。
教科書で読んで衝撃を受けたことが今でも覚えています。
そうだったんだ。本当に袁さんがいたんですね。
高校生になったら、副読本として、この本も読ませます。
山月記は、己の生き方を考えるために読ませ、
この本で、友情の尊さをわかってもらえるとうれしいです。
釘本氏がお酒を飲んで言った言葉。胸がいっぱいになります。
素晴らしいお仕事をされた新書です。
- 2009年11月11日に日本でレビュー済みぶ厚いメガネと漢文調の文章、教科書に載り続ける山月記。33歳、喘息での逝去。
こういう情報から世間がイメージするのは、病弱な体に鞭打って、中国古典の教養を生かした漢文調の小説を書いた夭折の天才、ということになるだろう。
梶井や太宰に対してそうであるように、私たち凡人は"夭折の天才"を認識するフレームワークを持たず、
理解できる範囲で理解しやすいように、天才を型にはめるような愚を冒しがちである。
本書ではじめて知ったが、中島敦もやはり世間のイメージとは違い、豪快さと繊細さをあわせ持つ不思議な人間であった。
エゴイストであり、中村光男や佐藤春夫を見下した発言をする自信家でありながら、
臆病で鬱屈した精神をもつやや面倒なタイプの人間とも読めるし、
女性問題から逃れるようにパラオに向かっただらしない人間のようでもあり、
中国のみならず欧米の文学にも通じた勤勉なインテリでもある。
山月記の袁さんのモデルとなった二人の友人、もちろん李徴自身である中島。
彼らの人生を辿りながら、なぜ中島が山月記を書き、友人は懸命に作品の魅力を後世に伝えようとしたのか、
著者自身も中島の友人の系譜に連なるように愛情を持って語る。
才能と体力の限界を超えようと闘い続けた33年はあまりに短く、同時代の理解者もいない。その孤独感は私たちの想像を超える。
しかし、遠い場所からただ一度の交錯を経て中島にエールを送った吉田健一の存在は本書の中で輝いてみえる。
吉田にしかわからない中島が、確かにあったのだと本書は記録している。
- 2010年4月25日に日本でレビュー済み筆者は古典文学のプロパーであるのに、この安易な論の運びはどうだろう?
「ではないか」「かもしれない」と論証抜きでどんどん話を進めていきながら、結論は書名や帯にあるような「真実」、「悲しい秘密」などとたいそうに言うほどのことではない。
中島敦の短く悲劇的な文学的生涯に便乗した作文でしかない。
学生の卒論だって、もう少し論証しようとするだろう。
本屋での立ち読みに止めておくのがよいと思います。
- 2009年12月30日に日本でレビュー済み「山月記」という作品について、これまでの読まれ方を紹介したり、著者の新しい作品解釈を提示した本ではありません。おもに、中島敦を李徴に、彼の友人たちを袁'に見立てて、交友関係を中心に中島敦の生涯をたどった、といった感じの本です。
とにかく、文章がすごく読みにくかったので、気になったところを具体的に挙げてみます。
《祖父は、敦を引き取った直前に亡くなったが、敦は物心がついてから小学校に入学するまでの幼年期を、この祖父の家で過ごした。そして、中島敦の心の知的な側面、つまり「明・光」の領域が拡大していった。》(p28)とあります。祖父は「敦を引き取った直前に亡くなった」て、すっきりしません、「敦を引き取った直後に亡くなった」ならわかる。おいらなら、祖父は「敦を引き取る直前に亡くなった」と書くのだが…、これ、細かいことですか? その後の「そして」の接続詞の使い方もどこかおかしな気がするのだけれども、次、《「心の知的な側面」》を《つまり「明・光」》と簡単に読み換えていますが、はたしてそれは可能なのでしょうかねぇ。ここでそれらしい論証はないから、著者としては全体を読めば納得するはずだというヨミなのかも、しかし、いきなりこう書かれると、語句の定義の問題もあって、わけわからんのですよ。なにしろ「明・光」ということばはここで初めて登場するのですから。
次は、《中島敦が最初の喘息の発作を起こしたのは、十九歳の頃で、それが命取りになった。》(p52)を取り上げます。実際に、中島敦の死因は喘息の発作ですが、彼が亡くなったのは三十三歳のこと。それにしても、こう書かれると十九歳の頃の最初の喘息の発作が直接の死因になったように読めてしまうでしょ、そんなわけはないわな。
文体が難解というのではなく、文法的な問題として文意がとりづらい、つまり文がおそろしく下手なのですよ。「知性は虎を必要としており、虎は知性を欲している」(p39)なんて、美文を意識して書いたところもたまにあるのですが、学術的な記述というには論証が不足、評論としての切れもない、「わざわざそんな書き方せんでも」みたいな、ちょっとスベった感がただよっている。
この本は、文章の些細な欠陥など気にせず、さあーと読み飛ばすのがよろしいかと。