90年代後半から現在まで続く出版不況に翻弄される「本」に関連する業界を描いたノンフィクション。
下巻も読んでこれを書いているが、誰が殺す(した)かは結局よくわからない。
出版や取次ぎの制度、体質の古臭さ、問題点が事細かに書かれていてわかりやすかった。この体制がなぜ最近まで生きながらえることができたのかもう少し分析してくれてもいいのではないかと思う。筆者の本に対する思い入れの強さが随所に見られ、共感はできるが、その思い入れ通りの業界になったとしても出版不況から脱却できそうになさそうなのが滑稽でもあり残念でもある。多様性を否定しているような発言がある上に代替案がない。
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だれが「本」を殺すのか 上巻 (新潮文庫 さ 46-5) 文庫 – 2004/5/1
佐野 眞一
(著)
- 本の長さ510ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/5/1
- ISBN-10410131635X
- ISBN-13978-4101316352
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/5/1)
- 発売日 : 2004/5/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 510ページ
- ISBN-10 : 410131635X
- ISBN-13 : 978-4101316352
- Amazon 売れ筋ランキング: - 580,372位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1947(昭和22)年東京生れ。
出版社勤務を経てノンフィクション作家に。主著に、民俗学者・宮本常一と渋沢敬三の交流を描いた『旅する巨人』(大宅賞)、エリートOLの夜の顔と外国人労働者の生活、裁判制度を追究した『東電OL殺人事件』、大杉栄虐殺の真相に迫り、その通説を大きく覆した『甘粕正彦 乱心の曠野』『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』など多数。
カスタマーレビュー
星5つ中4.2つ
5つのうち4.2つ
7グローバルレーティング
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評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
上位レビュー、対象国: 日本
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- 2004年10月25日に日本でレビュー済み面白くて一気によみました。
旧中央公論な「いい本をだせば万事OK」的姿勢や、教条的な教養至上主義を
時代遅れと叱咤しながらも、著者には本好きが持っているあのある種の「思い
入れ」をやはり感じます。それがゆえか、時にブレるのが面白くもあります。
しかし、この本を手にとる方は、やはり著者同様の心性を持つ人ではないでし
ょうか。そこが少し引っかかる。
書物を単なる「情報を得る手段」とみるなら、媒体としての本はソフトと一体と
いうポータビリティを持つとはいえ、やはり、愚鈍なハードにすぎない。「消費さ
れるもの」としてみても、携帯電話や他メディア等の強力な競合相手がいます。
そもそも、「読書」という行為の時間感覚そのものが、「消費」のスピードにはそぐ
わず、もはや前時代的なものになりつつあるのかもしれない。著者の「本の世界は
歌うものばかりで聞くもののいないカラオケボックスのようだ」という例えは言い
えて妙だと思いました。それと、流通、業界体質、消費者の「舌の退化」等。
低迷する日本酒の現状と、とても良く似ている気がします。いい酒を醸しても、
それを評価し購入するのはごく一部の人々だし。個人的な思い込みですが、子供の
本との関わりについて影響を与える最も大きな要因は、家庭に本があるか否かだと
思っています。所謂、「背表紙読書」の影響って、物凄と思います。
『ブックオオフと出版業界』も関係本としてオススメ。
- 2004年7月7日に日本でレビュー済みこの本には読み方がある。
まずデータの部分とインタビューの部分だけを読む。
これだけで現在の「本」にかかわる問題状況がわかる。
『本コロ』を褒めている人たちが感服しているのは主にこの点なので、佐野ファン以外はもうこれで十分である。
佐野が自分の感想を述べているところは読む必要がない。
私にとっては、正直、ルサンチマンで充ち満ちている左翼嫌いの団塊世代のおっさんが新橋辺りの飲み屋でクダ巻いて垂れているような、チープな感想文にしか思えない。
そもそも本書の企図は「語って説かず」(上巻p.27)だったはずだが、そう言っている割には説教というか、感想が多い。
世の中にはいろいろな本、いろいろな出版社、いろんな図書館があるといった現実を認めることができず、優劣を付けたがっている。
要するに自分が折々で気に入ったことを褒めて、批判対象の論理に対してまともに批判するのではなく、気に入らないことをただケナしているだけなのだ。
そして一貫した論理もないままに方々で矛盾することしか書けない。
これを独善と呼ばずに何と言う?
佐野が強く批判する左翼教条主義と同じことを、佐野自身がやっている。まさにマンガだ。
幼稚な作文なのだ。
大家であるはずの著者もこのような感想しか書けないのにそれをテンとして恥じず、また書評子も褒めることしか書かず、読者も喜んで読んでいる。
このような状況こそが本を殺すのではないか?
佐野には、きちんと相手の論理に向き合う努力をしてほしい。
『カリスマ』にはそれがあった。
『旅する巨人』にもそれがあった。
本書でも相手を巨きいと感じたときには、それなりに向き合っていた。
しかし本書は評伝ではない。気に入った人の論理だけ飲み込めば良いというものではない。
この意味で、手法に問題があったのではないかとも思う。
佐野の次回作に期待したい。ちなみに『宮本常一の写真に読む失われた昭和』は良かった。
- 2004年9月18日に日本でレビュー済み本を取り巻く環境の現状や動きがよくわかります。
出版社、取次、書店といったものの関係や再販制度の問題点についてもいろいろと考えさせられる。
私の本の購入ルートはネット:現物書店=4:1ぐらいですが、この本に書かれているようなこだわり書店があるなら、実際に手にとって見てから買う買わないを判断できる現物書店で購入する割合はずっと高まるであろう。残念ながら近くにあるのは、この本で言われている「金太郎飴書店」ばかりである。
- 2007年8月22日に日本でレビュー済みこの本は,出版不況の現場をルポした本の中では最たるものと言える。その理由は,佐野さんが旺盛な取材と調査で様々な角度から(上巻は捜査編の6章)出版不況について検証しているからである。また,様々なデータを駆使しているので,今出版業界はどのようになっているのかがよくわかる内容になっている。
上巻で特に私が驚いたのは,本の出版点数が20年前の2倍にも増えていること,書店の「金太郎飴」化が進んでいること,返品率が雑誌で3割,書籍で4割にも上っていることである。これらの異常な状況はどうすればよいのか。
この本を読むと,今の出版不況の問題について考えさせられてしまう。
- 2004年9月15日に日本でレビュー済み出版不況だという。そう言われて初めて気が付く。月に出る新刊本の数はちょっと尋常ではない。そうとう気を付けていても新刊が出ていた事に気が付かなかったりする。平積みしたときにいかに目立つかを最優先させた、本の分厚さや装丁やポップ。年に一度以上話題に登る老舗出版社や大書店の倒産。古本屋とマンガ喫茶がうの子竹の子の様に開店してくる状況。近所の本屋の店じまい。私の大好きな「本」をだれが殺しているというのだろうか。
地方の書店の情熱溢れた努力に感動した。とくに盛岡の「さわや」。鳥取県米子市の今井書店。しかしそれは一部の先進部分でしかないのだろう。
返品率40%という大手出版社に比べ、地方の「弱小」出版社の返品率は10%以下がほとんどであるという。長い間をかけて全て売り切るというスタイル。高給取りではないが決して貧乏臭くない経営。志のある企画。「地方には汲めども尽きぬ企画の源泉がある」とある社長は言っていて、少し感動した。
出版不況だという。その構造的原因の究明は少なくとも上巻の役割ではないのだろう。ともかくもその危機の中で精一杯頑張っている労働者たちの生の声がここには溢れていた。出版社でも、書店でもいい、彼らに混じって私も働いてみたい。とさえ思った。私は暗澹たる気持ちになる前に、なぜか「希望」を感じていた。