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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-12-27

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・あそこの餃子が食べたいなぁと、そのあそこの店に行った。
 いわゆる「町中華」の店で、そんなに有名とかではない。
 でも、知ってる人は知っているだろうし、
 地元の人たちにはおなじみの評判のいい店だ。
 夜は、だいたい満席になるくらいい混んでいる。
 行列をつくっているようなことは、ほぼない。
 4〜5人がのれんの前で待ってることはあるが、
 それ以上の人数になっていたら、
 お客は「あ、またくるわ」と他のどこかに行くのだろう。
 だいたいの町中華の店と同じようなメニューがある。
 食事系もおつまみ系もあって、どっちも頼むことも多い。
 ここで小さな飲み会をやっている人たちも少なくない。
 こういう客は長居になるが、混んでいるからといって、
 迷惑がられている様子もない。
 一人で入って「半チャンラーメン」とか注文して、
 さっと食べて帰るお客と、飲み会の人たちは共存している。
 ぼくらは、この店がとても好きだし何度も来ているが、
 店の人と常連さんっぽい会話をしたことはない。
 だいたいのお客さんも、そんな感じの距離感らしい。

 「町中華」という概念とことばを広めた人って、
 ほんとうにたいしたお手柄だったと思っている。
 「町中華」とは、中華の全国一だとか世界一の座を、
 絶対に狙っちゃいないという表現である。
 これがただ「中華料理の店」ということだったら、
 全国でも有名な店やら、グルメガイドの常連みたいな店と
 同じ土俵で勝負をしていることにさせられてしまう。
 まず、そういうつもりはないんですよ、と。
 店も客も、「うちの町の好きな店」として語り合える。
 「町」というひと文字がついたおかげで、
 世界や全国はもとより「競争や比較」からも自由なのだ。

 ある時期に、「B級グルメ」ということばが登場したが、
 「町中華」は「AだのBだの」という階級については、
 まったく言ってない、ただ「町」というエリアなのだ。

 なにかと、いまいる場所が世界につながっていると、
 大きすぎる幻想を持ちやすい時代に、「町」はいいよ。
 もちろん、おいしく感じいい店をやっていたらさ、
 「町」が不覚にも「世界」に通じることだってあるしね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」の町にも、自宅の町にも、ぼくの町中華はあるよ。


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