大塚周夫

登録日:2012/05/01 Tue 05:25:39
更新日:2024/11/27 Wed 19:40:06
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●概要

◆来歴

大塚(おおつか)周夫(ちかお)

1929年7月5日-2015年1月15日
青二プロダクション所属の俳優・ナレーター・声優。東京都世田谷区出身。
以下、息子となる大塚明夫の話題にも触れることから、可読性を考慮して下の名前を敬称略して表記する。
なお同業者や関係者などからは「周(ちか)さん」「周(ちか)ちゃん」と呼ばれ親しまれていたらしい。

幼少期は身体が弱く、それを心配した母の気持ちを見た年の離れた兄が、戦前の時局が厳しい自粛ムードの中、新宿でブラついても後ろめたくないよう「弟の迎え」という口実を作るためにと、ダンス教室へと数年間通わされることになる。
戦争中にその兄は戦死するが、戦後日本にやってきた進駐軍などを相手にするため、キャバレーにダンサーが必要になり、周夫はこの時の経験を活かしてダンサーとなる。
ダンスをやっていたため姿勢が良く、「大塚さん、良い洋服着てるんですか?」とよく聞かれていたそうである。
なお幼い頃病弱だったせいか若い頃はかなり痩せており、男性でありながら20代の頃などは50kg代しかなかったそう。

日本でアニメが製作・放送される以前から声の仕事に携わっている重鎮で、かつては厳しい環境下での苦労が続いていた。
なおこの頃は俳優としても活躍しており、当時所属していた劇団東芸の看板スターと言えば大塚周夫と言われていた。
この東芸時代に、後々『ゲゲゲの鬼太郎』で共演する田の中勇や野沢雅子などと同じ釜の飯を食う劇団仲間となった。
やがて東芸を辞めた周夫は小沢昭一の設立した俳優小劇場に研究生として移る。しかしその時「研究生は一年間仕事してはいけない」という厳しい制約を課され、
6歳(明夫)と2歳(一般人の次男)の子供を抱えていながら「男が稼いではいけない」というのは当時としては死活問題どころでなく、それを伝えられてから妻はしばしば泣かされていたという。

こういった経緯から元々はテレビ・劇団を渡り歩く役者であり、映画、時代劇、CM、そして特撮とこの頃から作品を問わず出演していた。
レギュラーで出演していたこともあるし、先の東芸の舞台では何度か主演も経験しているほどである。
また、やられ方が上手かったそうで、名俳優・丹波哲郎のやられ役として「丹波が強そうに見える」という理由で重宝されていたらしい。
なお俳優引退前にも大河ドラマへの出演経験も存在し、舞台にも積極的に参加していた。

声の世界に入るきっかけは、リチャード・ウィドマークの芝居を研究していたことがキッカケ。
元々アテレコの仕事については持ちかけられていたが、「他人の影の声などやれるか!」と突っぱねていた。
しかし劇団の研究生がアテレコ業をこなしていい稼ぎをしていたのを見て気が変わり、これからは外国映画がお茶の間で流れる時代がくる、と睨んだ周夫は少しずつ興味を持つようになる。
丁度その頃映画でみて惚れ込んだウィドマークの芝居に惚れ込んでいて、暇さえあれば朝から晩まで映画館に足を運んでその芝居を研究したという。
そんなタイミングでウィドマークの作品の吹き替えをやることが決まり、周夫は自ら外画部に出向いて「この役者はとことん研究したからやらせて欲しい」とあちこちに直訴し始めた。
これを聞いた日テレの外画部のスタッフが、自ら吹き替えをやりたいという周夫の言動に物珍しさと気概を感じた*1こともあり、その場で採用した。
以降、ウィドマークの吹き替えは周夫のライフワークの一つとなった。
その後もチャールズ・ブロンソンなどアクの強い俳優の吹き替えを担当しつつ、テレビまんが(アニメ)の世界におけるアテレコにも足を踏み入れるようになる。

先の通り俳優としても継続的に活躍していたが、90年代後半に共演者(特に若手)の演技力低下に憤っていたことや、マネージャーがギャラをガメていたことなどを受けて俳優業界に失望したのか、
踊る大捜査線』のSP版の出演をもって引退。声優事務所の大手である青二プロダクションに移籍して声専門の役者となる。

なお吹き替え等のアテレコ仕事がメインになってからも「声優」と呼ばれることを嫌っており、アニメ等も苦手としていた。特にナレーションは大の苦手であり、生涯ほとんど担当しなかった。
一方で、現場の雰囲気や風土については気に入っていた。
「ドラマの現場はディレクターに共演者が叱られ落ち込んでいても誰も助けない。そいつが落ちれば自分の出番があるからという、フォローすればいいのに蹴落としあいしか考えていない冷たい世界」
とする一方
「アテレコの現場は誰かがオロオロしているとみんなで助けようとするいい現場」と語っており、アテレコの仕事の環境の良さを語っていたこともある。

芝居に関しては自分にも他人にも厳しいが、後輩に対しては基本的に優しく、どこか茶目っ気があり、場を和ませることも多々ある。
喋るのがとにかく好きなのかインタビューを多く残している。特に後輩らとの談話が好きだったようで、面白い話や興味深い話をたくさんしてくれたという。
一方で役に対する思い入れ……というより作り込みが激しいため、自分が担当していた役者の吹き替えを別人に担当させた際は制作会社に怒鳴り込んだこともあったという。

息子の明夫がどっしりと構えているのに対し、比較的ネクタイを弄ったり体を揺らしたりと、よく動く。そしてよく笑う。
周夫のプライベートを知る人物からは概ね「いつもにこやかに話される人」と、とにかくプライベートでは朗らかな印象を持つ人であった。
また、若手指導などは肌に合わないらしく、芝居教室のようなものは開かなかった。ただアドバイスはよくしていたらしい。
実家では猫を飼っており、専らの猫派。そのため息子の明夫も一応猫派。『墓場鬼太郎』の時は共演した中川翔子に猫の写真を見せていたとか。
どうでもいいが、芳忠の方の大塚も猫を飼っている(なお血縁関係はない)。

死去した島宇志夫や田中康郎、青野武から持ち役の一部を引き継いでいる。

◆アニヲタ目線

……と、そんなこと言われても知らんという人も多いだろう。
アニゲーヲタ的にはスネーク役である大塚明夫の父といえばパッと思いつくだろうか。
演じた役で言えば『忍たま乱太郎』の山田先生、『美味しんぼ』の海原雄山と言えば国民的キャラということもり馴染みがあるだろう。
先の山田先生役は周夫の吹き替えのファンだった原作者の指名によるものである。また、海原雄山はパイロット版アニメのキャストの中で数少ない続投者である。
また総統閣下シリーズでも有名な『ヒトラー 最期の12日間』では、ブルーノ・ガンツが演じるアドルフ・ヒトラーの声を吹き替えている。

この人が声優業界でどれくらいすごい立ち位置の人かというと
  • 野沢雅子のことを公の場で「野沢くん」(なお田の中勇も後輩)呼びができ、さらに現場等では「マコ」と呼び捨てに出来てしまう。後輩は愛称で呼ぶにしても「マコさん」である。
  • 小林清志が次元大介勇退の際、コメントで周夫のことに触れた際、既に亡くなっていた「大塚周夫先輩」と先輩呼びする。
  • 年齢的には上であった声優界の重鎮・熊倉一雄*2すら後輩だったりするなど、多くの名優を越える芸歴の長さ。
とまあ、とにかく経歴としては上の上の人物であり、しかも経歴だけでなくその技量をあちこちから買われていた。
そのため、業界においては声優の歴史を嫌でも知ることになっているであろう、超大御所であった。

にもかかわらず、大物化したことで仕事量が減るのが普通なアテレコ界において、晩年は勿論、死の直前までジャンル問わずほとんど仕事量が落ちていないのだから凄まじい。
先の通り晩年は80歳を超えても普通に現役で活動していたほど元気で、青野武や納谷六朗などと並び重鎮にして近年の作品にも出演し続けていた数少ない人。
アニメキャラクターなどは本来苦手であったが、そう言いつつも最後の最後まで演じ続け、架空のキャラクターであっても…
否、架空の人物だからこそ、各キャラクターの人物考察は欠かさなかった。

加えて亡くなる前に至るまでほとんど声が衰えた様子がなく、「これが80代の演技か」というくらい凄まじい演技力で視聴者を魅了し続けた。
本人によると総入れ歯にしないといけなくなった際、声が変わらないよう前と同じ歯並びになるよう特注したり、
喉のハリを保つため医者で首に注射を打ってもらうなどして、とにかく話芸の健康を保つためいろいろしていたらしい。
そうでなくても足腰は晩年に至ってもほとんど衰えた様子がなかったわけだが。
そのため最期の仕事となったナレーション業も別段衰えを感じるようなものもなかった。

このため荒野の七人の再録時、他の役者の声が少しくたびれたりしていく中、ほとんど遜色ない吹き替えを行うというとんでもない芸当を見せた。
ちなみにその時はまだ70代だった…70代でもとんでもない話と言えるが。

◆役柄とのエピソード


自身が演じた中でもお気に入りのキャラクター。
息子の明夫も「あれほどに人物像を作り込んだキャラクターは滅多にない」と絶賛し尊敬、自身も『ONE PIECE』の黒ひげでそれを目指した芝居を目指しているという。
ねずみ男はオーディションで決まっており、『うしおととら』の原作者である藤田和日郎が聞いた所によると
「ねずみ男のオーディションでは小林清志がいい声だった、しかし自分はあえておどけた調子で演じて役をもぎ取った」と語っていたとのこと。

当初は役作りで悩んでいたのだが、最終的には「半妖怪という立場故に人間にも妖怪にも寄れず、居場所を失った結果平気で他人を裏切るようになった(要約)」という考えに行き着いてから自信を持てるようになったとのこと。
それ故に第3期でキャスト変更が行われた際には、野沢と会う度に愚痴るなど相当残念がったという。
数年経ってからのインタビューでも「この役できる人いないんじゃないかな」「少なくとも僕と同じねずみ男が出来る人はいないでしょう」と語っていた。

後任の富山敬に対しては「思いきり演じてほしいと同時に先代を越えるものを目指してほしい」という思いを抱いていたと明かしている。
一方で役への思い入れが深すぎて、一度ねずみ男について語りだすと止まらない程に、強い持論を持っていた。
それを感じさせるエピソードとして、ねずみ男を演じることになった高木渉が報告しにいくと「自由にやりなさい」とその時はエールを送ったが、
初回を見た後で再会すると「ちょっと違うなあ、ねずみ男というのはね…」と急なダメ出しが始まり「話が違う!」と高木はタジタジになってしまったという。
その後、両者は同作で共演を果たすだけでなく掛け合いを演じることになり、この掛け合いが非常に楽しかったこと、そしてねずみ男経験者が白山坊を演じたという経緯から、6期のプロデューサーに白山坊を演じたいと直訴したという。
なお、生前におけるアニメ版『鬼太郎』においては3期を除いた全作品に出演していたりする。


  • うしおととらのとら
役を演じた際、作品に触れた周夫は「とらはうしおに惚れてるな」と推察したという。
当時のインタビューでは「一見おっかなく、悪いようでちっとも悪くない」「優しいところも子供っぽいところもある」
といったところから繊細な役と認識して演じていた。
原作者にとってもかなり思い出深かったようで、亡くなった際は思い出をTwitterに綴っていた。


  • ブラック魔王
海外アニメで有名な役と言えばこれ。息子の明夫曰く「ねずみ男あってのブラック魔王」だそうである。
基本的に台本がない(薄い)ため無音区間が多く、演出家に「なんか言えよ」と無茶振りされたという。
これは映像作品においうて無言や静寂を嫌う日本の視聴者に向けて、その間を埋めることが必要だったための措置で、
吹き替えを担当していた声優達は台詞を自分達で膨らませなくてはいけなかった。
最終的に、出身である東京にちなんだ江戸弁でまくしたてるスタイルを確立。
まるで落語のような語り口は版権元であるハンナ・バーベラ・プロダクションにも好評で、
実質公認を受けたため、それ以降はそのほとんどをアドリブで埋めていた。


  • 海原雄山
アニヲタに幅広く知られるキャラの1人で、後期の有名な役の一つ。先の通りパイロット版でも海原雄山を演じていたが、同声優で続投した数少ない人物の一人。
亡くなった時も各ニュースで「美味しんぼで海原雄山を演じた………」とされるくらいお茶の間にも知られている。
共演した井上和彦とは作中のように仲が悪かったわけではなく、アフレコ外ではよく朝にコーヒーを飲みながら面白い話を聞かせてもらっていた、とのことである。
大塚明夫が山岡だったら実写映画版のような形になっていたかもしれない。
作中ではどちらかと言えば憎まれ役であるため、語尾を落とすことで気をつけたという。


  • あの総統閣下
『ヒトラー 〜最期の12日間〜』におけるブルーノ・ガンツ演じるアドルフ・ヒトラーの吹替版を演じている。
原語版が有名すぎてあまり知られていないが、老齢期に担当した一つ。
音響監督を担当した佐藤敏夫が「良いディレクション(配役)とは」という話に至った時にこの役に大塚周夫を当てた時の話をしており、
「若いディレクターは俺がお前を使ってやっているという感じになることも多いが、そうではなくて『この役は大塚周夫にやって欲しいんだ』」「『この役を大塚周夫なら理解して演じてくれる』と、本質を知ったうえでキャスティングしている」と語っていた。


  • その他悪役
悪役に対しても強い持論を持っており、かつては悪役が改心するのを好まないといった発言をしていた。
しかしそんな周夫でもノロイの最期は哀れに思ったため、普段悪役が同情を買うような演技を好まない周夫もこの時は少し思いを込めて演じたそうである。
(ただし上手く表現できなかったと自省している)

一方で愛される悪役になるにはどうすればいいかということについても長年の経験から、
「悪の権化といった風にやっても子供は離れる。ツッコミどころがある方が愛される」と語っていた。
よってどちらかというと愛嬌のある悪役が好きなようで、エッグマンをアニメ版でも演じることになった際、
「相当なテンションが必要な役なので歳の割にはキツイ、ただ喋ると(画面の)半分が口で埋まるのでどうしても迫力を出したい」
「それでいて子供達からあまり嫌われないようなワル役を目指してます」(要約)
とコメントしている。

また、金丸淳一とはソニックシリーズで長年共演しており、特に『ソニックX』については印象深かったようで、
地上波放送が叶わなかった第2シーズンについて、金丸と会う度に「あれ(2シリーズ)いつやるんだ?」と口癖のように聞いていたという。
金丸は生前、周夫から様々な言葉を授かっており、今でもSNSやインタビューで昔言われた「金言」として紹介している。


◆突然の逝去とその後
出番は少ない役ながらも、これだけの大御所ながら多数の準レギュラーをこなし、ゲーム作品等で役を得るなど精力的に活動し、齢80を越えても声の張りも損なわれなかった。
ナレーションとアニメなどの空想キャラクターは苦手と言い、硬派な考えで知られていたが、果てはソーシャルゲームですらも求められれば出演。
一番やり方がわからないとするナレーションも稀に担当するなど、とにかく芝居を愛し、役を演じるためならどんな媒体も問わないなど、大御所化してからも仕事は殆ど減らなかった。
昔から仕事人間だったことはここからも見えてくるもので、よほど芝居が好きだったんだろうと周囲から言われている。

そのため年代問わず必ず有名な役どころが存在し、若い人間ならば既に知らないという人も増えた古豪の声優の中でも、その名を知る人は多い。
中にはどうしてこんな役を当てたんだと思う端役もちらほらある。なお某ラノベの話。

80を越えてこれからも益々の活躍が期待されていたが、2015年1月15日に虚血性心不全によりこの世を去る。85歳であった。
この日は普通に仕事をこなしており、所属事務所である青二プロダクションの新年会にも参加していた。平野文などは簡単な挨拶も交わしている。
そのほか、数多くの同業者が周夫が元気にしている所を目撃していたのだが、その帰宅の途中の地下鉄内で急に倒れ、帰らぬ人となったという。
なお、大塚周夫の考えとして「役者は役を磨くため人間観察が必要。よって日々周囲の人のことを観察せねばならず、そのため個の空間となる自家用車等は役者には不要(要約)」という持論を持っていた。
このため移動にはもっぱら公共交通機関を使っていたという話がある。実際に最期倒れた場所を見るに死の間際までそのポリシーを貫き続け、
これだけキャリアを重ねても終生人間観察を怠らなかったことがうかがえる。

弔辞は『鬼太郎』等で共演した元いた劇団の後輩である野沢と、「山田先生役は大塚周夫さんで」と指名した尼子騒兵衛(『落第忍者乱太郎/忍たま乱太郎』原作者)が読んだ。
野沢雅子曰く、死去前に参加した青二プロダクションの新年会の席で「俺は知ってる奴が誰も居ないところで死ぬんだ」と冗談めかして話していたが、まさにその通りとなってしまい、
野沢は「言葉通りにしなくてもいいじゃない……」とその突然の死を傷んだ。


◆息子・大塚明夫との関係
現在では親子で仲が良さそうなエピソードがあるが、これでも昔はかなり仲が悪かった。
というのも周夫は役者業のため休みがかなり不定期で、子供だった明夫は満足に面倒を見てもらえず、遊園地にも連れて行ってもらえなかったという。
そもそも周夫は周囲から見ても「バリバリの仕事人間」であり、家族のために稼ぐというよりむしろ家庭をあまり省みずひたすら芝居に打ち込んできた根っからの役者だった。
さらにねずみ男を演じていることをクラスメイトに話したところ「お前は子ねずみ男だ」と馬鹿にされるなど、父の影響で嫌な思いをしてきたとのこと。
母親も周夫の狂ったように芸事に人生を捧げる様には苦労させられたこともあってしばしば泣いていた。これも明夫にとって父・周夫に対する心象をより悪くさせた。
そのため「誰が役者になんかなるか」と突っ張っていた明夫だが、紆余曲折あって役者になったことで、今度は父のコネにもよく頼らせてもらったそう。
乳飲み子の頃は、生まれたばかりで泣き喚く息子をうるさく思い、押し入れにしまいこむというほとんどDVスレスレのこともされていたという。
しかし明夫が役者の世界に入った60代頃から少しずつ家族との向き合い方が変わったとのこと。音響監督の佐藤敏夫の言うところによると「やっぱり俺一人じゃいけないんだなと感じたのかもしれない」らしい。

明夫もまた役者になったことで、父親のそういった一般には酷とも言える行動も「無理はない」といえるくらい、仕事での苦労を理解出来たとのこと。
また、同じ声の仕事をするようになったことで、どれだけの覚悟と信念をもって父が役者に打ち込んでいたかをわかってからは誇りに思うようになった。また、父の言葉の意味もわかるようになつたという。
親子ということで共演も多く、特にMGS4のラストは明夫のモーションキャプチャーに対し、父である周夫がアフレコをするという不思議なことも起きた。

ずっと役者一筋できていたとはいえ、これといった財産を持てていたわけではなかった。
よってある時周夫は「お前らに何も遺せなくてごめんなぁ」と息子らに遺産をろくに遺せないことを謝罪した。
その時明夫は特に何も言わなかったが、父の言葉を咀嚼した後日に「俳優として一番大事なものを残して貰った」と突然言われ、
「それは何だ」と聞き返すと「血かな」と答えた。息子の言葉はかなり嬉しかったようで、以降あちこちで話していたらしい。なにそれかわいい

亡くなった後は、元々父・周夫の演技を真似したり研究していたこともあり、自身のレパートリーと仕事に
本人曰く「周夫さん枠」が増えたとのことで、山田伝蔵やマスター・ゼアノートの役を父から引き継いでいる。
また、最期の仕事となったナレーション業も、追加収録は明夫が担当している。

この「周夫さん枠」の演技に対しては、
「何わかったことを言ってんだと(父からは)言われるかもしれないが、親父だったらこう演じるだろうと考えながら音を真似して演じている」
「親父の役を引き継いだり、真似をして似たような演技をしていると、親父がまだ生きているような…また会えるような気がしながらやっている」
と答えている。

余談だが、春名風花(通称・はるかぜちゃん、かつてSNSの未成年論客として有名だった)が声優志望と公言していた中、
周夫の死後、ふいに大塚周夫のことを知らないといった発言をして、「声優志望なのに知らないとは何事だ」と炎上したことがある。
その際に明夫はそれを庇う発言をしている。(世代的に知らない、興味を持てないのは仕方ないという意味で)
一方で「大塚周夫という役者が忘れられてしまう」ことにはやはり思うところがあるようで、インタビューでは高頻度で父の話題を持ち出している。

大塚明夫が現役な限り、稀代の叩き上げ役者・大塚周夫の魂が消えることも、恐らくないだろう…。


●主な出演作

◆アニメ&ゲーム
山田伝蔵*3(忍たま乱太郎)
ノロイ(ガンバの冒険)
ヒラー総統、ヌーボー(鉄腕アトム)
ねずみ男(ゲゲゲの鬼太郎/墓場鬼太郎)
クリーパー(コルドロン)
ブラック魔王*4(チキチキマシン猛レース)
ワリオ(ワリオランド等のCMアニメ)
スティンキー(ムーミン)
ゴール・D・ロジャー(ONE PIECE)
石川五ェ門(ルパン三世(初代))
モリアーティ教授(名探偵ホームズ)
海原雄山(美味しんぼ)
スーさん(釣りバカ日誌)
Dr.エッグマン(ソニックシリーズ)
ピエモンアポカリモンデジモンアドベンチャー
桃白白(ドラゴンボール)
エイパー・シナプス機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY
イオリア・シュヘンベルグ(機動戦士ガンダム00)
ぬらりひょん(ぬらりひょんの孫)
グエン・ヴァン・チョム(OVA版エリア88)
神崎定義(サクラ大戦)
ビッグボス(METAL GEAR SOLID 4)
マスター・ゼアノート(KINGDOM HEARTSシリーズ)
とら(うしおととら)
ジャギ(劇場版・PS北斗の拳)
ヨラン・ペールゼン(装甲騎兵ボトムズシリーズ)
Dr.バイルロックマンゼロ
マクスウェル(テイルズ オブ エクシリア)
ピーター・N・ビーグル(ACE COMBAT 5)
アレーティア(グランブルーファンタジー


◆吹き替え
チャールズ・ブロンソン全般
リチャード・ウィドマーク全般
ブルーノ・ガンツ(ヒトラー 最期の12日間


◆その他
バフ(カントリーベア・シアター)





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最終更新:2024年11月27日 19:40

*1 当時は声の仕事というのはまるで浸透していなかった他、この時代の前後において俳優の中では下賤な仕事と見られていた。

*2 テアトル・エコー所属。NHK等でやっていたデヴィッド・スーシェ演じるポワロの吹き替えでお馴染み

*3 初代。後任は息子の大塚明夫。

*4 1970年版。