白いボタニカル柄のビキニ
海の記憶、私だけの時間
潮風が肌を撫でる。まだ真夏の太陽が本気を出していない、午前九時の渚。砂浜はひんやりと冷たく、波の音だけが穏やかに響く。そんな静けさの中、私はゆっくりと目を覚ました。
白いボタニカル柄のビキニ。それは数年前にハワイのブティックで一目惚れした一着だ。夫に「似合うんじゃないか」と勧められ、少し照れながらも試着したのを覚えている。あれから随分と時間が経った。
砂の上に敷いた大判のバスタオルから起き上がり、大きく伸びをする。関節がかすかに鳴る。もう若くはないのだと、ごまかせない体の声が聞こえる。それでも、背筋を伸ばし、腹筋に力を入れる。鏡の前で毎日欠かさなかったトレーニングの成果は、この細い肩と引き締まった腰回り、そしてしなやかな手足に現れていた。
海は、いつだって私の心を洗い流してくれる。 二十代の頃、仕事に追われ、恋愛に悩み、それでもがむしゃらに生きていた。三十代は、結婚して、子育てに奮闘し、自分のことは後回しだった。そして四十代。子どもたちは巣立ち、夫は仕事で忙しい。ふと気づけば、鏡の中に映る自分は、疲れた顔をした見知らぬ女性だった。
「このままじゃダメだ」
そう思った私は、パーソナルトレーニングを始めた。最初はつらかった。筋肉痛で階段もまともに降りられない日もあった。それでも、少しずつ、少しずつ、自分の体と向き合った。食事を見直し、質の良い睡眠を心がけた。すると、不思議なことに、心まで軽くなっていくのを感じた。
太陽が少しずつ力を増してきた。 海に入ろうか。いや、もう少しこの波の音を聞いていたい。 私は再びバスタオルに横になり、目を閉じた。
遠くから、若いカップルの笑い声が聞こえる。
「ねぇ、あのおばさん、スタイルいいよね」
「ほんとだ。歳いくつくらいかな」
そんな会話が、風に乗って耳に届く。
おばさんか。そうね、間違いなくおばさんだ。 でも、その言葉に以前のような寂しさはなかった。 むしろ、誇らしい気持ちさえあった。 努力して手に入れたこの体は、私の生きてきた証なのだから。
再び目を開けると、真っ青な空が広がっていた。 まるで、私の心のようだ。 もう、誰かのために生きる必要はない。 これからは、私自身の人生を生きよう。 そう決意したとき、私はふと、この白いビキニを選んだ夫の言葉を思い出した。
「君は、いつだって綺麗だよ」
あの頃は、お世辞だと思っていた。 でも、今ならわかる。 彼は、私自身が自分の美しさに気づくのを、ずっと待っていてくれたのだ。
私は立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。 そして、ゆっくりと海へと足を踏み入れた。 波が、ひんやりと足首を包み込む。 その感覚が、全身を駆け巡る。
もう、怖くない。 もう、迷わない。
私はこの海に、私の過去を、私の未来を、全て受け入れてもらおう。 そう思いながら、深く、深く、海の中へと入っていった。 ゆっくりと体を波に委ねる。プカプカと浮かんでいると、まるで無重力空間にいるようだ。空の青と海の青が溶け合い、自分がどこにいるのかわからなくなるような、不思議な感覚。
顔を上げると、太陽の光がキラキラと水面を反射している。その眩しさに目を細めながら、私は思う。人生は、まるでこの海のようだ、と。穏やかな日もあれば、荒れる日もある。深く潜れば潜るほど、見えないものが見えてくることもある。
少し沖の方では、サーファーたちが波に乗る姿が見える。彼らの力強い動きを見ていると、私も何か新しいことに挑戦したくなる。年齢なんて、ただの数字だ。本当に大切なのは、自分がどうありたいか、どう生きたいか、ということなのだから。
ふと、背中に温かい視線を感じた。振り返ると、少し離れた場所に夫が立っていた。いつの間に来たのだろう。彼は、いつもそうだ。私が何かを考えている時、そっと寄り添ってくれる。言葉はなくても、その存在だけで安心できる。
夫は、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。その顔には、穏やかな笑みが浮かんでいた。
「気持ちよさそうだね」
「うん。最高」
私たちはしばらく言葉もなく、ただ海を眺めていた。寄せては返す波の音だけが、静かに時を刻んでいる。
「あのさ」と、夫が口を開いた。「今度の週末、二人で旅行に行かないか、どこか、君の行きたいところへ」。
「どこでもいいの」
「ああ。君が行きたい場所なら」
彼の優しい言葉が、胸にじんわりと染み渡る。 そうだ、これからは二人で、もっとたくさんの時間を共有しよう。 子どもたちが巣立った今、私たちには、また新しい物語が始まるのだから。
「ありがとう」と、私は微笑んだ。「じゃあ、少し考えておくね」。
私たちは二人で砂浜に上がり、並んで座った。太陽はすっかり高くなり、海の色も、さっきより少し濃くなった気がする。
砂に描いた二人の名前の横に、小さな波が打ち寄せる。 その波は、まるで私たちの未来を祝福してくれているようだ。
白いボタニカル柄のビキニは、今日も私の肌に心地よくフィットしている。それは、過去と現在と、そして未来を繋ぐ、大切な一枚。
私は、この海と共に、これからも歳を重ねていくのだろう。 そして、いつまでも、この穏やかな気持ちを忘れないでいたい。
空を見上げると、白い雲がゆっくりと流れていく。 その雲の向こうには、きっと、まだ見ぬ新しい景色が広がっている。 私は、夫の手をそっと握り返した。 さあ、私たちの新しい旅が始まる。
今しもAI創造