欲しいのは子供なのか、それともほかの何かか

Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <代理出産>向井さんブログに心情「気を抜くわけには…」


「養子」という形式ではなぜだめなのか?
なぜそこまで血族的な正当性にこだわるのか?
そもそも子供が欲しいというときに、不妊治療をこえて他人の母体を借りるまでするところからして奇妙に感じる。
そもそもなぜ養子ではいけないのか?
「自分が育てる子供」と「自分の子供」というのはそこまで違うものなのか?
いったい何を求めているのか?
お金でしか証明できないDNAを「当たり前にわかるもの」の証として認めろということなのか?
子供が欲しいなら、生まれ抱えた今のままで、もう十分ではないのか?
それとも「金をかけただけの成果」を得たいということなのか?
そもそもアメリカまで行って、他人の体を金で買って、死に至るリスクを負わせて、それで自分は満面の笑みを得るということを美談にしてしまえる神経が奇妙だ。
やはり奇妙だ。
こういうのも格差の問題ではないのか?
さも自分が「少子化問題の旗振り役」であると任じているようだけどもそれは大きなカン違いだろう。
金さえあれば他人の体を買って子供を作ることを正当化できるとなれば、まさしく「生まれながらの差別」を社会的に容認することになるのではないのか。
イレギュラーだ。どう考えてもこれはイレギュラー。
この特殊な事例を普遍化し、一般化し、法制化までしようとするその姿勢には狂気すら感じる。
これを「少子化対策の旗艦」にしようものなら、それこそ大間違いだ。
誰だかどこだかの議論でも出ていたが「数値の上昇率」というのは、「全体の平均値」だ。
こんな特殊、特別、そして「格別」な事例をして中心的な話題にしようなどと、おごり高ぶりが過ぎるというもの。
少子化を対策したいなら、「機能」を問題にするのではなく、「機会」を問題とすべきなのは自明だろうに。
アホだなあ。
ま、いいけど。
もっと騒ごうマスコミ。もっと騒ごうブロガー。
「勝ち組」の格差は「いい格差」、「負け組」の格差は「悪い格差」。
いいものだけを大事にし、悪いものには見ないふり。
この特殊、特別、「格別」な事例を一般化し、普遍化し、法制化し、それで少子化対策をした気になればいいさ。
そして、そうこうしているうちに、静かに日本が滅ぶのさ。



Be silent.


沈黙せよ。沈黙は力だ。破壊の力だ。