『まなびストレート』―「まなび」は何を語り、僕たちはなぜ「まなび」を語るのか―
今回は『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』を通して、作品に用いられる「言葉」、作品を語る「言葉」について考えてみたいと思います。
「言葉」には様々なジャンルがあります。親しい友人と話すとき、会社の上司と話すとき、それぞれの状況で僕たちの「言葉」は語彙もイントネーションも一変することでしょう。
そのため、僕たちは様々なジャンルの言葉を「違うもの」として認識します。「モノローグ(独白)」と「対話」、「丁寧な言葉」と「フランクな言葉」は全く違うものである、という風に。この認識は、ある意味では正しいでしょう。しかし、その一方で僕たちを縛る制約ともなります。「敬語は偉い人に向けて使うものである」「フランクな言葉は友人に向けるものである」と。
今回取り上げる『まなびストレート』においても、それは例外ではありません。主人公の天宮学美を例にとっても、全校生徒の前で話すとき、親しい友人たちと話すときでは全く違う話し方をします。ここに「言葉のジャンル」という壁があると言えるでしょう。
しかし、数少ないシーンではありますが、その壁を乗り越えてしまうことがあります。それらのシーンを手がかりに、「全てのジャンルの言葉」を同じ平面上において論じる可能性を考察してみよう、というのがこの記事の趣旨です。お時間のある方はどうぞお付き合いください。
ちなみに簡単な作品紹介はこちら。
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この話がなぜ「言葉のジャンル」を考えるきっかけになるのかと言えば、それは次の2点を端的に表現しているためです。
1.「言葉の意味」と「話し手の意図」が明確に切り離されている。
2.「ふつうの言葉」が「メッセージ性の強い言葉」へと変換されている。
以下、この2点について解説していきます。
まず1ですが、普通、「話し手の意図」というものは「正しい解釈」として圧倒的に大きな存在感を持っています。いくら解釈が自由だと言っても、僕たちは作者の言葉を信じ、公式サイトの情報を受け入れる。しかし『まなびストレート』においてこのような単純な図式は排除されます。桃葉に撮影されているときは、まさか自分の言葉が他人を感動させるなんて夢にも思わなかったであろうことは容易に想像できます。芽生とまなびたちが喧嘩する話も同じですね。言葉を発した人の意図とは無関係に、言葉は他人に影響を与えていく。言葉の意味はあくまでも話し手と受け手のコミュニケーションによって決められていくのだ、という事実を創作原理まで高めたのが『まなびストレート』という作品なのだと僕は思います。
まなびたちは強烈なメッセージの送信者ですが、受け手の側にも極端なほどの「解釈の自由」が与えられています。メッセージは自明のこととして語られるために、どのような解釈も排除しない。この両極端な姿勢こそが『まなびストレート』の面白さに繋がっているのではないでしょうか。話し手の意図と受け手の解釈とが、どちらかが優位に立つということもなく、互いに影響を与えながら美しく響きあうのです。まるで輪唱のように。
以上を踏まえた上で2に移るわけですが、言葉の意味がコミュニケーションによって決定されるという前提に立つと、最初に挙げた「言葉のジャンル」もまた再編成される必要が出てきます。「ふつうの言葉/メッセージ性の強い言葉」「モノローグ(独白)/対話」「丁寧な言葉/フランクな言葉」などの対立軸は解消され、言葉のジャンルそれ自体に意味はなく、言葉それ自体にも意味はなく、誰に向けられているのかが重要なものとなる。そんな見方が必要になってきます。
そして『まなびストレート』。光香のモノローグが、まなびの驚くほど単純なメッセージが視聴者に向けられているとすれば、視聴者の数だけ意味が生まれることになります。正直、僕は『まなびストレート』に関する言説の大半が「物語に便乗した自分語り」だと思っているのですが、それはむしろ推奨されることなのでしょう。
桃葉の校内放送ジャックによって「ふつうの言葉」が「メッセージ性の強い言葉」へと変換されたように、言葉の意味はコミュニケーションを通して初めて意味が決定されます。だからこそ、視聴者は語らなくてはならないのです。物語の意味を決定するために。
同時に、コミュニケーションを阻害しないよう、どの言葉も全ての解釈を排除しない形で提示されることになります。
最後にまとめ。『まなびストレート』における全ての言葉は、言葉単独で意味を決定することが不可能であることを前面に押し出すことで、コミュニケーションによって意味を決定することを求めようとする、という共通原理を持っています。要するに「他人とのつながり」を求めているのですが、それが物語のテーマ、言葉の両方で行われているという点に『まなびストレート』の面白さがあるのだと言えるでしょう。
・参考にした記事
どこへ行く!金月龍之介 - マントラプリの生涯原液35度
生徒会メンバーの「距離感」についての話。この記事とは表裏一体の関係にあると思われます。というか、マントラプリさんの記事に刺激されて書きました。
がくえんゆーとぴあ まなびストレート!がオモシロイ - 吉田アミの日日ノ日キ
ブクマコメントに「筆者は作中で語られている以上のことを語っているな、という感じ。まあ、あまり多くを語らない作品であるがゆえに、語りたくなる話ではあるかと」なんて偉そうなことを書いたのですが、まさにこの感想からスタートしています。
ミハイル・バフチン - Wikipedia
今回の記事はバフチンの「対話主義」をベースにしています。Wikipediaの記述は表面をなぞっただけでイマイチですが、参考までに。