先日、京都文化博物館のフィルムシアターにて、1938年の長谷川一夫主演映画「藤十郎の恋」を見てきた。どうしても見たかった映画。以前の↓エントリにも少し書いたが、長谷川一夫が頬に大怪我を負わせられ、再起不能とも言われた後の復帰第一弾の映画である。
長谷川一夫自身がメイキャップも工夫したそうで、傷もきれいに隠れ、どこからどうみても申し分ない二枚目役者・長谷川一夫の復活である。当時のファンは、それはもう、うれしかったろう。作中では、七三郎の京上りで人気が落ちた藤十郎が起死回生の一手を打つが、俳優として再起不能とまで言われながらみごと復活した現実の長谷川一夫とダブって、かなりエモい作りとなっている。
監督はエノケンシリーズなどを手掛けた山本嘉次郎、助監督はあの黒澤明! 後世の観客である私にとってもかなり興味深い映画だ。
正直、歌舞伎ファンの私としては、長谷川一夫(藤十郎)の傾城買いの演技が見られるだけで入場料金のお釣りがくるくらいのもんだが、そんなもんじゃない、本当に面白い、見どころがありすぎる映画だった。
まず、この映画はものすごく当時の歌舞伎について調べられ、再現されている。
冒頭に早稲田の演劇博物館/図書館に対しての謝辞が入ったので、お! なんや、えんぱくが協力してるんか?(えんぱく好きなのでテンションが上がる)と思ったのだが、本当に考証がしっかりしていて、本や、それこそえんぱくの展示で資料の上では見たことがある様々なことが実際に再現されていて、もういちいち感動した。
最初のシーンから、向かい合う二つの芝居小屋と、その間の細い道にひしめく人々に圧倒される。その人の数がまた尋常じゃない。雑踏事故がおこりそうなくらいの数。今だったら絶対に許されない撮影手法だろう。この芝居小屋は当時残っていた小屋を使っているのか、セットなのか、どちらにしろ現在では再現が難しいと思う。舞台、客席、奈落下から楽屋にいたるまで、今とは全く構造の違う芝居小屋を余すことなく見せてくれる。
江戸から京へ乗り込み、口上述べる七三郎や、それこそ演劇博物館の「推し活!」展で見た、「江戸関三十郎 座付引合之図」そのままの贔屓たちによる手打ち、新しい狂言が行われる際の一座から芝居茶屋へのあいさつの様子など、元禄時代の歌舞伎の様々な風習が再現されている。人気のある芝居のシーンでは二階席まで立錐の余地もなく観客が詰めかけた客席(怖い。壊れそう)、閑古鳥が鳴く芝居のシーンではのんびり観劇を楽しむ客たちの姿も映し出され、元禄時代の芝居小屋のにおいが立ち上ってくる。
さて、とても楽しみにしていた、長谷川一夫の伊左衛門、傾城買いのシーンである。長谷川の伊左衛門は今の歌舞伎役者のものにくらべて、意外とさらっとしている。それでいて色気があり、なよやかな美しさ。何度も同じような芝居を掛けたせいで客入りが減ったシーンのあとで挿入されることもあるかもしれないが、どことなくさみしげで、頼りなく見える伊左衛門、堪能した。あと百回見たい。
その後の、藤十郎が演技に悩み、近松に新しい本を頼む前後は、ストーリーに大きな山がなく、ちょっと私はダレてしまった。しかし、この静の時期があるので、最後のクライマックスに向かっての動の部分が映えるので仕方ないかと思う。
そして、「藤十郎の恋」で最も重要なシーンと言ってもいい、藤十郎が茶屋の女将お梶を口説くシーン。もう、演出も、長谷川一夫&入江たか子の演技も素晴らしすぎた。
ふと思いついてお梶にじゃれつきながら、するどく観察の目を走らせる藤十郎。貞女として気高く、凛とした女性であるお梶が、藤十郎との昔の懐かしい思い出などもよみがえり、心揺さぶられて泣き崩れる姿。言葉で説明してもあれなんで、見てもらった方がいいんだが、マジで素晴らしい。私の前の席でいびきをかいて寝ていたおじさまも起きて見入っていたくらい、すさまじい引力のあるシーンだった。
また、この映画(一作目)版「藤十郎の恋」は、原作小説や歌舞伎の「藤十郎の恋」にくらべて、この茶屋での姦通未遂の後、お梶が藤十郎に利用された悔しさを募らせていく様子や、うわさが広がりいたたまれなくなってお梶が追い詰められていく様子を丁寧に描いていて、最後の悲劇へいたる必然性がよく理解できてめちゃくちゃよかった。この間、藤十郎はひたすら芸のことしか考えていないのもいい。芸に向き合い、鬼気迫る藤十郎、そこだけ切り出せばめちゃくちゃかっこいいのだが、裏でお梶が苦しんでく姿を見せられて、観客はたまらなくなる。もう、この辺になるとみてる方もかなりの緊張感がある。一瞬たりとも目を離せない状態だ。
幕切れの長谷川の演技がまためっちゃくちゃ素晴らしいのだ。最後まで大満足の作品でした。