恒例のエントリー。本稿では今年出版された書籍ではなく、前年の同エントリー以降に読んだ書籍の中から10冊を取り上げます。
以下、順不同で。
北尾早霧、砂川武貴、山田知明『定量的マクロ経済学と数値計算』
2024年6月刊。マクロ計量モデルによるシミュレーションを、主としてベルマン方程式と動的計画法により行う。前半は数値計算手法を整理し、後半はビューリー・モデル、世代重複モデル、NKモデル、クルセル・スミス・モデル等、実用的なテーマを取り上げる。コードは別途GitHubで提供されているが、主にJuliaとMATLABを使用。カリブレーションとコーディングに関する説明は最小限。
試みに、第3章の構造推定に関するモデル(シミュレーション部分は簡素化)と第6章の世代重複モデル(年齢構成一定)をRへ移植し動かしてみたところ、前者の遷移確率行列を用いるベルマン方程式の計算に比較的時間を要する。
より実用的なモデルとなれば、コード化・計算は容易でなく、モデル化から始めるとなればさらにハードルは上がる。
類書があまりみられない中、本書を読む経験は極めて有益。
チャールズ・ジョーンズ(香西泰訳)『経済成長理論入門 新古典派から内生的成長理論へ』
AKモデルの自律的な成長経済では、多くの人は配当や、それを原資とする年金で生活するため、ケインズ『孫の世代の経済的可能性』に出てくる「聴くことはできても、歌う側に回ることは永遠にできない」問題が顕在化。とはいえ、今では結構、若いうちに「FIRE」とか言ってる人も多いし、「歌う」ことができなくとも問題ないのかも。
依田高典『データサイエンスの経済学 調査・実験、因果推論・機械学習が拓く行動経済学』
2023年8月刊。タイトルから内容を類推するのは困難。取り上げる手法は「経済学」に限らず、他分野にも応用が利く。「データサイエンス」という言葉のイメージから、ビッグデータと統計学・因果推論等を想起するが、出だしはアンケート調査と離散選択分析*1。ただし、調査設計や分析モデルの説明は理論に忠実かつ丁寧で、誤差評価の観点から、近年は郵送による標本調査よりWEB調査の優位性が高まっている等の指摘などは目から鱗。類書はあまり見当たらない。
離散選択モデルに関し、実証経済学では(単純な(順序)ロジット/プロビット・モデルのみならず)多様なモデルが用いられていることがわかる。数式の使用は抑制的で、詳細は他の論文等に譲る。各章は概ね独立、関心のある章を個別に読むことができる一方、冗長的な記述もある。
後半は、フィールド実験として実際に行われたRCTや、ターゲットを絞り効果的な政策実装を目指すCausal Forest(Causal Tree)について、実践的な説明がされる。あとがきに「現在進行形の経済学の発展まで射程に入れた」とある。ポリシー・ターゲッティングにおけるフィールド実験では、を潜在変数、を属性変数として、Heterogeneous Treatment Effect(THE)の条件付き期待値、
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の推定が主眼となり、異質性を考慮し、とを無作為に割り当てるRCTを行う。このHTEを機械学習のブートストラップ的手法で求めるのがCausal Forest。具体的な実践は行動経済学的関心から実施され、「オプトイン型」と「オプトアウト型」の違い等、結果も興味深い。
ジューディア・パール、ダナ・マッケンジー(夏目大訳)『因果推論の科学 「なぜ?」の問いにどう答えるか』
原題は"The Book of Why: The new science of cause and effect"で2018年刊(邦訳は2022年9月刊)。著者のパールはドナルド・ルービンと並ぶ因果推論の巨匠として知られ、グラフ理論、特にDirected Acyclic Graphs(DAG)を用いた因果ダイアグラムに、その理論の特徴がある。本書では、関連付け、介入、反事実という「因果のはしご」、グラフのノードとしてのチェーン、フォーク、コライダーなど、この理論の根幹部分が説明された後、最先端の課題まで話が進む。バックトア経路(XからYへの経路のうち、Xに向かう矢印から始まるもの)を遮断するバックドア基準、それが使えない場合のフロントドア基準、操作変数法にも触れられる。
ピアソン、フィッシャー等の統計学者と因果推論との関係は面白い物語として読むことができる。加えて著者の研究領域をめぐる自伝的要素が含まれ、人工知能から因果推論へと研究領域を変えていく上で、「強いAI」への関心が重要な位置を占めたことがわかる。最先端の課題については最終章に詳しく、松尾豊氏による解説では、科学の「客観性」をめぐる欺瞞という別の視点で新たな課題が語られる。なお、著者はベイジアン・ネットワークの創始者でもある。
- チェーンでは、Bを調整すると、Aの情報がCに(あるいはCの情報がAに)流れるのを止めることができる。
- 同様に、フォークでも、Bを調整すると、Aの情報がCに(あるいはCの情報がAに)流れるのを止めることができる。
- コライダーでは、それとは正反対のことが起きる。変数AとCが独立である場合、Aの情報はCについて何も伝えない。しかし、Bを調整すると、「うまい説明効果」により、AとCの間にパイプが生じ、情報が流れ始める。
- ある変数の子孫(あるいは代理)を調整すると、その変数自体を「部分的に」調整することになる。媒介因子の子孫を調整すると、パイプは部分的に閉じられる。コライダーの子孫を調整すると、パイプは部分的に開けられる。
濱口桂一郎『賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛』
2024年7月刊。本書を読むと、1954年の中労委調停における定期昇給の登場、日経連の生産性基準原理、さらに経済整合性論に基づく賃上げの抑制(1975年)や内外価格差解消に向けた労使協調(1989年)を経て、その後の長期デフレに関係する日本経済の「低賃上げ体質」が形成された実情がみえる。2000年代半ば頃、団塊引退に伴う賃金原資の余裕が一人当たり賃金上昇に寄与する、との分析をしたことがあったが、思えば、これも平均賃金を(大きくは)上昇させない定期昇給、「内転」論理の陥穽であろう。
足許の賃上げに向けた政労使の協調も、使側の念頭にあるのは、採用難に伴いメリハリを付ける賃金表ベースの引上げであり(たぶん)、同床異夢であることは否めない。ここ数年の極めて高水準の賃上げは、個別企業の集計方法を合算したもので、中高年に関しては低水準であることが想定される。労働市場のタイト化を踏まえれば、若年層の昇給幅が例年になく高いことは想定の範囲だが、中高年、大卒以上の役職者の昇給幅がどうなっているか等、検証が必要である。
最低賃金に関しては、その制度の始まりは産業別最低賃金にあったことを指摘する。なお、今後の最賃引上げは、その影響が広範囲に及ぶようになり、またマクロ経済環境が売り手市場に変わる中、雇用へのマイナスもいずれは避けられない。
長期雇用は日露戦争後に形成され、年功制は戦時賃金統制令を引き継ぐ電算型賃金体系により確立。1960年代前半の職務給をめぐる労使の議論には既視感を持つ。「積み上げ式昇給方式」という言葉が出るが、(公務員的な)幅のあるグレードの賃金制度ですらなく、個別賃金に昇給分を上乗せる制度の時代もあったのか、との感慨を持つ。
いまの人事管理と職務給を合わせると個別賃金は上下変動するので、その場合、人事管理も変えないといけなくなる。賃上げの足枷として著者が指摘する定昇制度は、メンバーシップ型の長期雇用下での査定を通じた昇給昇格、企業特殊的スキル、広範な指揮命令権、企業別労働組合等の特殊環境下にこそ整合。いまの新卒は外資・コンサルの人気が高く、日本企業の人事管理も、いずれはその意向に沿ったものへの変化が迫られる、と考えれば、賃上げの仕組みについても同様であろう。
本書に関係する話ではないが、著者は、いわゆる日本的雇用慣行について、(主婦等に限らない現代的な)非正規雇用を包摂しないその在り方に批判的であったと記憶。こうした公正を巡る問題意識は、日本の労働市場(特に、二重労働市場仮説)に対する石川経夫の批判に共通。《公正賃金》とは何か、との問題意識は、この先も継続。
小島寛之『シン・経済学 貧困、格差および孤立の一般理論』
2023年12月刊。宇沢弘文の社会的共通資本、小野善康の長期不況論等を素材とし、後半は田崎晴明の熱力学、ロールズの「公正としての正義」、ヴェブレン、石川経夫、さらには著者自身の確率的発想法も踏まえ、アクロバティックに議論を展開、いわゆる「経済学の数学化」を批判。小野理論、特に近著の『資本主義の方程式』について、ケインズ理論の欠落を補い、「動学的定常状態」としての不況を首尾一貫した理論に仕上げた観点から意義を持つと指摘。その中では、新消費関数(恒等式)において、総需要=総所得が満たされるよう(マクロの)消費水準が決定する*2。また「望ましい公共事業」の議論には、MMTのJGPに近い発想も窺えるが、その点への指摘はない。金融政策にゼロ金利制約があるように、雇用政策にも自然失業率の制約がある。
宇沢弘文の社会的共通資本には「コモンズの悲劇」とは異なる発想があることを踏まえ、最後は、「医療制度を中心に国の経済を構築」するべきとの指摘に行きつく。しかし実際には、GDPに変わる指標としての「健康寿命」あるいはウェルビーイングでもよいのだが、統計の「図り方」に関する議論は煮詰まっていない。「ミクロな経済学」批判については、そもそもそれを生む切欠であるルーカス批判に触れていない。全体を通じ、極めて興味深く「一押し」の書であることは間違いないが、批判を含め多様な議論を生む可能性がある。
飯田泰之『財政・金融政策の転換点 日本経済の再生プラン』
2023年12月刊。ラーナーの新正統派財政論を下に財政政策のコストをクラウディング・アウトで定義した後、財政政策、金融政策を論じ、相互連携の重要性を指摘。その目的は、適度なインフレと低い失業率の実現であり、他の目標はこれらに対し大きく劣後。r>gの下では、債務(対GDP比)の発散を防ぐため、大幅なPB黒字を出し続ける必要に迫られ実体経済に大きな負荷を課す。2000年代の日本経済は5回のマイナス成長を経験、r>gの下で債務残高が高まる。近年、議論になる財源論に関し、本書の含意を踏めば、①増税または支出の削減、②成長率(生産性)の引き上げ、という2つの処方箋が浮かぶが、②に言及されることが殊更少ないのは、その方法がわからず曖昧であるためと推察。
MMT、長期不況論など、この間の経済トピックが適宜配置され、特にFTPLと高圧経済論については丁寧かつわかりやすい。また、先程の②を具体化するため、著者が取り上げるのが高圧経済論。これは、適切な範囲で、総需要が総供給を超過するよう財政・金融政策を運営することであり、これらをできる限り一致させるよう運営すべきとするこれまでの常識を覆すものとされる。不況期に失業した者が職につけば、OJTを通じたスキルアップで生産性が向上。好況期には、より良い待遇を求め労働者は上方移動、生産性の高い組み合わせが実現する。さらに人手不足下では、企業は省力化投資を進める。こうして総需要は、総供給に大きくかつ持続的な影響を与える。本書には「労働に関してだけ、長期的な収穫逓増が持続的に観察される(中略)その解決は長期理論と短期理論の統一に向けた大きな一歩となるだろう」とのソローの言葉が引用される。
高圧経済下での雇用流動の重要性も指摘する。なお私見によるが、現下においてまず必要なのは、(11月1日の日経・経済教室が指摘する)拡張的解雇金銭解決制度+金融政策における雇用ターゲットの導入。拡張的な制度では、雇用主の金銭解決申立も容認することに併せ、現在の慣行における広範な指揮命令権を解消し、賃上げ(=ベア)の機能が内在する本来の「ジョブ型雇用」実現の方向に進むことが理想。加えて、雇用ターゲットにより、総需要超過型のマクロ経済運営を確保する。
齋藤栄功(阿部重夫監修)『リーマンの監獄』
2024年5月刊。今年は年の初めから面白い本に多く出会うが、それらを超える凄い本。中心となる出来事は、いわゆる「リーマン・ショック」の直前、丸紅の架空保証を利用したリーマン・ブラザース日本法人からの巨額投資詐欺事件。著者は未必の故意でこれに関与、いつの間にか鞘の一部を受取り、後戻りできなくなる。この事件は、米国の金融危機と並行して話が進む。
これ以外にも通常、表に出ない話が本書には数多く出る。人間、誰しも多かれ少なかれ墓場まで持っていかざるを得ない話を抱え、通常、それらはインサイドの人間の飲み会ネタ程度で止まるものだが、何かの拍子にこうして出てしまうのは人間性の機微で、それを奇跡と呼ぶのもよい。外資金融社員たちの豪遊、バカ話も出るが、この点は今も変わらず。
著者の筆力不足は監修者がアバターと化して補う。著者(中大法卒)の学歴厨ぶりが垣間見られる。「人々にとって一番大切なものは命と健康、二番目にお金、そして三番目に教育」というのは、順位付けに異論はあれ、概ね納得、プライベート・バンクの事業領域がそこにフォーカスするのもよくわかる。「法廷は真実を明らかにする場所ではない」という検事の言葉は、弁論主義、自由心証主義からして当然だが、本書の記述はその本質を示すものになっている。
小林哲夫『筑駒の研究』
2023年11月刊、同時代の書として購入。教育ジャーナリズムの枠を超え、歴史を紐解き、この学校が唯一無二の存在となった理由を探る。現役校長をはじめ、最近まで在籍した教員が多数登場、また登場するOBも幅広く、故細田議長、黒田前総裁からルシファー*3まで。
筑駒の「自由」とは、ほぼ教員の自由に集約される。教科書は開かず、職員室がなく、中間テストがなく、水田学習があり、正門から見える校舎の〇△□、教室の引戸を開けると(廊下ではなく)外につながる変な校舎。「校舎は何時に開くか」との保護者の質問に「朝6時ごろには誰かがいます」と答える大らかさ。多数の保護者の前で「ここにいる全員を線路向こうの大学に入れ、浪人生を加え、率だけでなく人数でも某校を抜きたい」と自らの野望を述べた教員もいたような(その割に、受験指導も進路指導もほぼないが)。
フィリップ・デーヴィス(深町眞理子訳)『ケンブリッジの哲学する猫』
原著は1988年刊、原題は"Tomas Gray: Philosophier Cat"。日本語訳は1992年刊。ブログ「時空を超えて Beyond Time and Space」の記述をみて購入。
学者気質を面白くみせる、という意味では漱石の猫に似ているが、こちらの猫は複数の名を持ち実際に学問をする。いまでいえば、さながらマーシャル・ライブラリーに生息するジャスパーか。
学問の有用性や進歩に関する議論は現代につながる。
(番外編)安曇史美「PRISM RADIO」(『月刊ASCII』所収)
1980年代の後半、PCに初めて触れた理系学生などが読む『月刊ASCII』という雑誌があり(2010年に休刊)、その最後、TBNという軽めのコーナーに1984年4月から1989年12月まで連載されていたのが安曇史美の「PRISM RADIO」。著者は(いまで言う)「リケジョ」の走りのような存在で、年齢的には自分の数歳上。当時、大学図書館で読み、一部を除き律儀にコピーもしてたのだった。今年3月、実家の整理中に発見。改めて読み返すと、当時の自分の憧れの対象が漠然とながらみえた印象。
後半、著者の就職後は、衛星通信事業と関わりがあることを窺わせ、読んでいる自分も、最先端の開発事業に憧れを感じたものだった。「元気で若さ溢れる日本の製造業」といった印象。均等法ができて間もなく、スマホどころかインターネットも存在していない時代の思考*4、改めて読めば、むしろそんな時代だけに新鮮にみえるし考えもさせられる。最後の「情報を受けるばかりではユーザーが情報を伝達する機械の付加媒体になっていませんか?」「いくら機械が100%の性能に近似していったとしても、伝達する情報を生み出すのがユーザーでなければ寂しすぎませんか?」といった辺りは、AI一辺倒の今の時代への批判のようにも読める。アマチュア無線、ドライブ、旅行、天体観測等の話題が多し。
*1:条件付き/入れ子/ミックスドロジット・モデル、2段階プロビット推定など。
*2:成長経済では、ケインズの消費関数が想定するように、生産能力の拡大に応じ可処分所得が増加すれば消費も増加する。一方、成熟経済では、消費は総需要によって予め決まるため、可処分所得から消費への因果は存在せず、逆に、総需要(消費)一定の恒等式のもと可処分所得が定まる。本書の著者は、この逆因果の理解から「はじめて、「実証にはモデルの善し悪しが大事だ」というよく耳にする批判の意味を実感として身にしみた」「世の中には散布図だけを示して、何かの因果を吹聴している人々をよく見かけるが、そういうのはダメじゃん、という決定打を得た」(https://hiroyukikojima.hatenablog.com/entry/2022/03/19/202736)という。