現地のファンも増えている!? 赤道を越えた地で活躍する日本の中古電車 いまを見てきた

ジャカルタのKAIコミューター「KCIコミューターライン」では、日本で活躍した電車が第二の人生を送っています。2025年初頭に現地へ赴きましたが、通勤ラッシュや決済方法などで、異国の“洗礼”も同時に浴びました。

計1348両の中古電車が日本から譲渡

 インドネシア共和国は日本の約5倍の国土を有し、11万7500以上の島からなる島嶼国家です。首都は赤道を越えたジャワ島のジャカルタで、各都市名の頭文字を冠した「Japodetabek(ジャポデタベック)」と呼称する都市圏を形成しています。首都人口は約1067万人(インドネシア政府2023年統計)。その足を、KCIコミューターラインの直流電化首都圏電鉄、地下鉄、BRT、LRTの路線網が支えています。

Large 20250301 01

拡大画像

インドネシアの鉄道は右側通行。コミューターラインも同じだ。初見で現地へ訪れると、日本の電車を眺めているうちについ左側通行と勘違いしてしまう。12の表記は12両編成を表す(2025年2月、吉永陽一撮影)

 KCIコミューターラインでは、日本の中古電車が通勤・通学輸送に勤しんでいます。日本ではすでに引退した車両ばかりで、近年は日本の鉄道ファンの姿も多く見受けられます。また、インドネシアの鉄道ファンも増加傾向で、鉄道趣味が浸透しつつあります。2025年2月、筆者(吉永陽一:写真作家)は中古電車の今を見に、初めて現地へ赴きました。

 KCIコミューターラインとは、PT.Kereta Api Indonesia(通称PT.KAI)が母体の会社「KAIコミューター」の名称で、同社は政府が株式を所有する民営会社です。路線名は通称で、ジャカルタ市内を南北に貫く大動脈のボゴール線と支線のナンボ線、都営大江戸線のような「6」の字環状線構造のチカラン線、南西へ延びるランカスビテゥン線、空港方面のタンゲラン線、ジャカルタ湾に近いタンジュンプリオク線の6路線から成り、各々カラーが制定されているので分かりやすいです。

 インドネシアはオランダ統治時代の1867年に初の鉄道が開通し、当初の軌間は1435mmでした。ジャカルタ(当時はバタヴィア)では1925年に直流1500Vの電化網が構築され、太平洋戦争時、日本の統治前後に1067mmへ改軌されました。

 1976(昭和51)年には日本政府の円借款によって、日本車両製造社製の電車が輸出され、鉄道近代化へ着手。1980年代には日本の技術支援によって一部区間が高架化され、信号機なども近代化されました。しかし首都人口が増大するなか、車両のメンテナンス不足による故障が多発し、車両数不足の打開策として2000(平成12)年8月、都営交通6000系が譲渡されました。

 以後、JR東日本、東急電鉄、東京メトロから計1348両の中古電車が譲渡されています。ここまで大量に中古車両が引き渡された理由のひとつには、インドネシアの規格が日本と同じの軌間1067mmで、ジャカルタ都市圏の路線は直流1500V電化であり、現地改造が最低限に抑えられた点が挙げられるでしょう。

現地で描かれた、日本の電車のような絵柄(写真)

最新記事

コメント