元トピ職人の解説など

[コラム]改題:新聞が元論文の明示をすることについての議論に関する追記 ※追記修正あり

まじめな話が連続してしまい申し訳ないんですが、昨日の記事([コラム]解説”読売新聞は科学雑誌の宣伝になるから元論文を明示しない” )の続きです。昨日は、このTweetは9/8追記:”「元論文の明示」の意味が浸透していないために、「広告になるから雑誌社名を出せない」と誤解を生んだ表現”である可能性があると書きました。

その後、宮川教授のTwitterアカウントをウォッチしていたら、

こちらの自分の記事へのリンクが貼られたTweetをRTされた上で、

こういうことを書かれていたので、恐らくtopisyuの記事を読んでいただいた上で、慎重な物言いに訂正されたのだと理解しています。

誤解を受けた可能性のある人たち

ただ、やはり、元のTweetについては訂正がない。(9/8追記:その後、topisyuのコメントをRTされるなど、“「元論文の明示」の意味が浸透していないために、「広告になるから雑誌社名を出せない」と誤解を生んだ表現"であったことは宮川教授は示唆されています。)このTweetは900前後RTされて大きな反響があり、感想を寄せている方も多数います。抜粋しますと、

研究者の方から、ジャーナリストまで数多くの方が誤解を受けている可能性があるように読め、読売新聞と記者叩きに走っています。(9/8追記:宮川教授によればサイエンスカフェin静岡さん、ハロウィンとあえとすの物語さん、玉葱爆弾さんの三名については”お三方とも誤解をされていなかった、という可能性がありますね。"というご認識のようです。

日頃の新聞報道に対する鬱憤があるからかもしれませんが、自分の分野では(恐らく)しっかりされている方々が、どうして誤解を受けているように見えるのでしょうか。

読売新聞社科学部部長

話は変わりますが、例のごとくエゴサーチしつつ、ブックマークコメントをチェックしていると、

pc_nagomu あれ。読売の科学部長さんは、Natureダイジェストの原稿執筆をされていたくらいだから、そんなウワサ(?)が出ること自体意外。

という指摘がありました。

早速、『ネイチャー』のHPで、読売新聞というキーワードで検索すると、著者インタビューとして、長谷川聖治(読売新聞科学部記者)さんが6名の研究者に話を聞かれています。

長谷川さんの名前でgoogle検索すると、現在科学部の部長をされているようです。前任の柴田科学部長が更迭された後の後任人事で部長になったのでしょう。

読売新聞、編集局長ら処分 森口氏記事「6本誤報」 :日本経済新聞

森口さんの誤報以降に科学部長になった長谷川さんがどのような活動をされているのか、興味を持って更に検索を進めると、今年の1月に読売新聞でこのような署名記事を書かれていました。

科学と政治の関係再考 フクシマで学んだこと : 今を読む:科学 : Biz活 : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

シンポを通じて、見えてきた課題は、「社会問題解決のため分野を超えた科学者の連携を深め、どう発信するのか」「科学でも解決できない問題にどう対処するのか」という2点である。

ご自身では、この2点が課題があると考えられているようで、今年4月の日本農学会賞の授賞式でも、

この日本農学賞には読売新聞社からの読売賞が同時に付与される。そういうわけで読売新聞科学部長の長谷川氏が出席していた。最後に行われた総合討論では、この長谷川氏が、司会の磯貝副会長に参加の感想をうながされて、 

「3月30日付の読売新聞に先生方の研究を全部紹介させていただきました。その時詳細に研究内容を読ませていただきました。また本日はお話で詳細を聞かせていただきました。いずれのご研究も、素晴らしいの一語に尽きます。ひとつだけ気になったのは、せっかくのこれらのすばらしい研究が、農学全体として日本社会や国際社会に対してどれだけ発信されているのかということです」

という発言があった。

WINEPブログ 農学は社会に成果を強く発信していますか? (読売新聞科学部長)

という発言をされています。盛大な誤報に加え、読売新聞でフクシマでの科学報道に携われたからこそ、発信について強い思いがあるようにうかがえます。

昨日の記事では、自分は、

義母が夫の奨学金を代わりに返済していると思ったら、夫から義母に振り込んだお金をくすねていたことが分かりました』という人生案内が紙面に載ったり、発言小町をWebで展開している、読売新聞にそれを求めるのは、読者層からしても、少し酷かもしれません。

などと書いてしましましたが、これは不適切でした。失礼いたしました。長谷川さんが更にご活躍され、読売新聞の紙面がより改善されることを期待しています。

ちなみに、話が前後して恐縮ですが、先ほど紹介した、科学と政治の関係再考 フクシマで学んだこと : 今を読む:科学 : Biz活 : ジョブサーチ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)に、先の自分の疑問への答えがあったので、紹介させていただきます。

専門知の結集は難しい

 話を聞いて、専門知の結集は難しいというのが実感だ。東京大学の城山英明教授は、原発事故以前の原子力安全規制の「失敗」の一因として、「専門分野横断的コミュニケーションの問題」を挙げた。津波予測は確実ではなく、防波堤などの限界を指摘した津波の専門家に、原子力の専門家は耳を傾けないなど科学コミュニティの不備が津波対策の遅れにつながったと指摘した。

 大阪大学の小林傳司教授は、3・11後の官邸の対応などについて「ベストな専門家は集められなかった」と強調。内閣府参与として多数の専門家が、官邸に招集されたが、カオスを生んだに過ぎなかったという。

「科学者は論文で評価される」

 この実態は、1911年に夏目漱石が「道楽と職業」と題して講演した内容と変わらない。

 「博士の研究の多くは針の先で井戸を掘るような仕事をするのです。掘り抜きだから深いことは深いが、いかんせん面積が非常に狭い。それを世間ではすべての方面に深い研究を積んだもの、全体の知識が万遍なく行き渡っていると誤解して信用を置きすぎるのです」

 なぜ、分野を超えた連携が苦手で、異分野への関心が低いのだろうか。

 研究者不正など研究者の動向に関する著書が多い、お茶の水女子大名誉教授の白楽ロックビル氏はこう分析する。「科学者は論文で評価されるもの。社会問題を指摘し、改革することには冷ややか。日本の科学者集団には社会問題を解決する思想・姿勢・方策を持っていない。その育成も要請されていない」

著名な専門家でも、専門外のことに耳を傾けたり、社会問題を解決するということについては弱いようです。

締め

専門家でも他分野については検証していないことを発言したり(9/8追記:本件での宮川教授の発言を必ずしも指すものではありません。宮川教授の発言については、”「元論文の明示」の意味が浸透していないために、「広告になるから雑誌社名を出せない」と誤解を生んだ表現”)、それらで誤解を受ける専門家もいる可能性があるわけですから、新聞報道含めて個人でも公にメッセージを発信するのであれば、(説明力のある)ソースを発言に紐付ける必要があるというのは、その通りなんでしょうね。(手間の問題もあるので、どこまでやる必要性があるかというのは悩ましいところですが。)

  • 9 September 2013
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