ちょんまげインプの部屋

ちょんまげインプの部屋

いらっしゃいませ、変態(いろんな意味で)の部屋へ。
これであなたも立派な変態。
今後ともどうぞよろしくっす。

(以前、ちょんまげのついたインプレッサに乗っていたのでこんなタイトルです)


[20式小銃スリングレプリカ]


先日開催された、さぶろぅさん主催のミリタリーイベント「日ソ事変1995」が、ジェロニモさんで開催されました。

これは小林源文さんの劇画「バトルオーバー北海道」を元に着想された、もしソ連が崩壊せず存続していたら…という想定で、1995年にソ連が北海道に侵攻してくるのを自衛隊が迎撃するという、自衛隊+米軍vsソ連軍のサバイバルゲームです。

なので両軍とも、1995年前後にあった装備という縛りがありました。

この縛りが参加のハードルを上げると思いきや、主催のさぶろぅさんは入手困難な装備品については「なくても可」とするなど、意外にハードルが低くなっています。

 

そういう開かれた門戸の他、特定の時代に装備を合わせるという普通のサバゲにはない特殊性から、特定装備のサバゲにしては70人以上もの参加者が集まったのでした。

しかし目を見張ったのは、本来ならサバゲに必要性がなく、また品が少なく希少装備品とも言える防護マスクケース3形・4形が、自衛隊勢がほぼ全員携行していたこと。

特定時代に合わせるとなると、逆に目標が絞れるからでしょうか。

 

さて、自衛隊装備で参加するにあたってかなり悩んだのですが、95年といえばもう2型装備に移行している時期。

なので2型迷彩で参加しようと思ったのですが、2型迷彩に移行してまだ間もなく、実際の写真を見てみると88式鉄帽や89式小銃は増えてきているくらいで、ところどころに2型迷彩の覆いが見られるという程度。

つまりまだまだ旧迷彩がメインなのです。

というわけで、旧迷彩で89式小銃(64が修理から戻っていないため)で臨むことにしました。

左がわし、右がたけのこさん。

 

今日はゲームもそうですが、楽しみだったのが物販。

わしは不用品を持ち込んだ程度でしたが、皆さんもう「えっ!?なんでこんな珍しいものが!?」「あっこれ欲しかったやつ!!」というものがたくさんあって、売るより買う方が多かったり。

いやあ、ネットで買うよりたくさんあって、しかも皆さん良心的お値段!

こういうイベント、嬉しいなあ!

 

ちなみに今回は、自衛隊(陸海空)、米軍、ソ連軍の他、治安警備に当たる機動隊も。

で、源文劇画にあるシーンが再現されてたり。

「止まれ!撃つぞ!」

「隊長、こいちら撃っちゃいましょう」

とかなんとか・・・

ジープや偵察オートもいて、とても眼福。

おまけにKATOさんは試作品の62式機関銃を持ち込んでたり、あとはM2重機関銃が鎮座してたり。

 

ちなみにこのところファスガンばかりだったので今回は久々のBB弾サバゲ。

いつもは次世代MP5で快適に撃っているのですが、今日は89を2本持ち込みました。

しかし試射をしてみると、メインのほうがいくらHOPダイヤルを回してもHOPがかかりません。

おんや?中でカラカラ音がするぞ・・と思ったら、HOPアームが外れている様子。

そんなわけで表のゲームには参加せず、フラッグ担当のみ。

 

ちなみに午前はふつうのゲームで、人数費の関係で自衛隊vsソ連軍+米軍となりました。

表のゲームではわしは自衛隊部隊の戦闘を見ていたのですが、サバゲでは見たことのない、いやおそらく誰も見たことないであろう、62式機関銃がバリバリ撃っている光景が。

いやあこれは頼もしい・・・と見とれていたのですが、ワシはセイフティ側ががら空きな事を知っていながら、自分がゲームに参加していないため黙っていると、案の定ソ連兵が回り込んできて、機関銃チームを始め自衛隊部隊が次々と倒されていきました。

やはりジェロニモのような広いフィールドだと、周辺の警戒を怠ってはいけませんね。

 

裏のゲームではわしも予備89で参加。

この時は実に調子よく、敵の進攻路を予測し、こちらが土塁とボサに守られて視界の割合に拓けたポイントに到達し、しゃがんで敵を待ち受けます。

すると案の定、ソ連兵がパラパラと斜面を駆け上ってくるのを発見。

そこで短連射を繰り返し、2人を倒します。

しかし敵もさるもの、うまく植生を利用して接近し、こちらが狙いづらい位置から狙撃を繰り返してきます。

ここで味方部隊と協力して撃ち合うも効果なく、逆にやられて復活。

すると敵が大きく回り込んで、背後から攻撃してきます。

この敵には事前に接近が分かっていたもののかなり翻弄され、ようやく数人がかりで倒したと思ったらなんと米兵でした・・・

 

お昼はジェロニモ特製カレー(おかわり付き)

少し長めのお昼休み、これは実にありがたく、その間に撮影や買い物で楽しめました。

長めの昼休みなのに忙しかったくらいですから(笑)

 

午後はいよいよ日ソ事変1995の本編。

(これ以降はジェロニモさんの画像を拝借。ありがとうございます)

編成完結式。

ちなみに午前のノーマルゲームでも点呼がありましたが、昨年までの昭和自衛隊サバゲではチンプンカンプンだった号令が、予備自補に行ってる丙さんから教えてもらったおかげで分かるようになったのが、今回とても嬉しかった点。

「番号!…はじめ!」でイチから順に言っていき(ちなみにこの時は4はシ、7はシチ。ヨンとかナナとかいうと「番号なおれ!」がかかる)、最後まで到達した時にその横が揃っていると「満(マン)!」、不足があるとその人数によって「2欠(ニケツ)!」とか発声。

それにより、指揮者が(8人の3列縦隊で2欠なら、8×3=24人の2欠なら22人か)とすぐ理解できるという仕組み。

また銃を肩に担ぐ「担え銃」の際の敬礼はこう・・・と、経験者や有識者が多いこのイベントでは、号令にザッと従う美しさがありました。

丙さんありがとう!

 

分隊長が集まってのブリーフィング。

ちなみに自衛隊は、陸自が3個分隊、あとは空自+海自の1個分隊、米軍の1個分隊と分かれました。

陸自のうち、89+ミニミで第二分隊となり、わしもそこに。

マーカーを付けずとも、装備や銃で部隊分けがされるのはとてもいいです。

 

ちなみに先行した空自+海自&米軍部隊は、ソ連軍の急襲を受け壊滅、残余が捕虜となった模様。

そこで陸自部隊が攻撃に向かいます。

我が第二分隊は増援として最後に戦場に向かったのですが、先行部隊からの情報を受け、山道を遠回りします。

確かに実際の戦闘ともなれば、ばりばり撃つよりも移動につぐ移動、そして待機に警戒に偵察、その連続ですね。

 

塹壕陣地に到達したところ、敵が当初の位置から移動したようで、その陣地で警戒することに。

(偉大なソ連兵の皆さん)

(姿を見るだけで恐ろしい)

警戒中、分隊長が他分隊との打ち合わせで不在となり、次席のベテランから斥候を命じられました。

そこで2名で斥候に出て、味方他分隊の移動を確認し、戻ってその旨を報告します。

分隊長が戻っていて、「打合せ通り、第〇分隊が移動しているためだな、ご苦労」ということで任務を果たせたのとソ連兵に出くわさなかったことでほっとします。

その後、敵情が悪化し、ソ連兵による攻撃が始まりました。

陣地から出て反撃。

しかしここでガス攻撃が行われ、総員で慌てて装面作業。

(実際に防護マスクを持っている人はそれを被る。持ってない人には不織布マスクが事前に配布されていて、それを8秒以内に被らないと戦死。事前に装面の要領が演練されてました)

ミニミがばりばり撃ちまくる中、敵からもばりばり撃たれ、わしは被弾戦死で復活のため後退。

復活は人数が揃ってからなのでしばらく待機するうちにソ連軍の攻勢にあって、第二分隊がほとんど全滅の憂き目に遭いました。

 

それから揃って復活し、ただ1人残って敵と対峙していた友軍と合流。

そこから敵と散発的な撃ち合い。

しかし双方決定的な打撃が与えられず、そのまましばらく散発的な攻防に終始しました。

しかしここで予備の89に異変が。

弾倉交換してもはまったまま保持せず落ちてしまいます。

マグキャッチが折れかかってていたのでした・・・。

なので弾倉を挿したらマグキャッチをぐっと押し込んでどうにか保持。

(わしは写ってないけどいい写真)

(わしは写ってないけどいい写真)

 

最後、1700を持って停戦が発効するとの情報が入り、その前に少しでも占領地を拡大する名目で、停戦前に総攻撃を実施することに。

小隊長から総攻撃についての指示が下命されます。

そして、突撃。

 

最後の抵抗を試みるソ連軍陣地まで迫り、そこで応射の弾幕の中を突撃…しかかったところで敢え無く被弾、北の大地に寝転がります。

夕暮れの空を見上げながら、(ああ、戦争では実際にはこうやって死んでいくんだなあ)と思ったり。

ちなみに同じころ、自宅では娘がヨメに

「ねえパパはどこ行ったの?いつ帰ってくるの?不倫でもしてるんじゃないの?離婚したほうがいいんじゃないの?」と言っていたとか・・・・・・

 

そこで停戦が発効し、戦闘は終了となりました。

最後に全員で記念撮影。

昨年の昭和自衛隊サバゲでも活躍した熊は、今回も暴れてソ連兵を蹂躙したようです。

 

というわけでおしまい。

心配していた右膝はどうにか持ちこたえ、いつものように右足首が痛くなった程度でしたが、花粉のせいで途中からクシャミと目のゴロゴロがひどくなりました。

これで翌日が休日だったら良かったのになあ~

 

主催のさぶろぅさん、会場提供のジェロニモさん、そしてご一緒した皆さんありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

甲方面隊、乙地本採用のおっさん予備自補「丙」さんから、新しいレポートが届いたので載せます。

思えば今シーズンの予備自補招集訓練もひとまず終わり、次は夏からですね。

はあ、いいなあ。

では丙さん、お願いします。

 

 

「夏のAタイプ・Bタイプ訓練のあとに空白が半年空き、その間にトシ食ってしまいました。

おっさんは日に日に身体も気力も衰えていくので、半年も間が空くのは心配でしたが、結論から言うとどうにかCタイプをこなすことができ、お蔭様で3段階のうちの第1段階を突破することができました。

その中で、特に思ったことを書いていきます。

 

 

【季節によって苦労が違う】

(夏は暑さと汗との闘い)

近年の日本の夏の暑さは異常で、訓練の前にとにかく熱中症で重篤にならないようにすることが重要。

それは置いておくとしても、暑さ対策と汗対策がとにかく必要になってきます。

とは言っても薄着になるにも限度がありますし(暑いからと勝手に戦闘服を脱いではいけない)、限られた状況でいかにして風を通すか、いかにして汗を乾かすか、いかにして水分・塩分を摂るか、いかにして効率よく洗濯・乾燥するか、いかにして快眠・快食するか・・・にかかってきます。

(では冬は…?)

となると冬はただ着込めばいい…とはならないのが難しいところ。

なぜなら、真冬でも訓練で動き回って汗をかくから。

山登りなどをする方に聞いてもらうといいと思いますが、冬に厚着をして身体を動かして汗をかき、それが乾かないままでいるとその汗が冷え、悲惨なことになってしまいます。

なので汗を吸っても出さない綿のTシャツなどは、夏も不快ですが、冬に着るのはアウト。

もっとも予備自補なので、そう長時間に渡って行動を続けるということはないのですが、基本的には同じです。

かといってだだっぴろく風も吹きまくる駐屯地では、真冬に薄着で過ごすわけにもいきません。

そんなわけで新たにインナーを追加しました。

まずは戦人の、裏起毛の長袖Tシャツ。

※ちょんまげ注、これです↓

裏起毛なので暖かく、また汗をかいても肌側はさらさらでした(その代わりに外側がしっとり。洗濯の後も乾きが遅いかも)

同時に、その上に着るフリースタイプのインナージャケットも戦人のものを入手。

※ちょんまげ注、これです↓

ただのフリースではなく、格子状に溝があって空気を溜めておけるので温かく、また少し薄手なので汗も発散しやすく、戦闘服の下に毎回着ていました。

ちなみに駐屯地のPXには、似たような機能のストームクロスのフリースも売ってました。

※ちょんまげ注、これです↓

これらのインナーフリース系は、戦闘服の襟からはみ出にくく、また見えても目立たないのがいいです。

班長さんたちも皆さんこういうものを中に着ていたので、PXに売っているものを買えばいいということでしょう。

あとはタイツも入手。

※ちょんまげ注、こういうの↓

おじさんっぽくなってしまうのですが、そもそも僕はおじさんなのでいいでしょう。

(上から着る防寒着は貸与品で)

戦闘服の下であればどんなものを着てもそれほど問題はないですが、戦闘服の上から勝手なものを着ることはできません。

ただ、最初に「外被(がいひ)」というコートのようなものと、「雨衣(あまい)/雨具(あまぐ)」というシャカシャカしたレインコートのようなセパレーツのものが支給されていて、一応は統制でそれらを着ることができます(寒い時には着てもいいと許可されるので大丈夫)

とはいえ貸与されてる外被は年代も質もピンキリで、中にはぜんぜん防寒にならないシロモノもあります。

それでも1枚羽織るのとそうでないのでは体感が大きく違います。

ちなみに外被よりも雨衣のほうが悪い意味で風通しが悪いので、雨衣を着たほうが暖かいです(ただし汗をかくと蒸れる)。

もし雨が降りそうな気候なら、迷わず雨衣にしたほうがいいと思いますが、そこは区隊の統制によりますね。

ちなみに長袖裏起毛Tシャツとインナーフリースを戦闘服の中に着れば、動く訓練の時には外被を着なくても十分でした。

動かず長時間外にいるような場合は、やはり外被を着ないと厳しかったです。

(冬は洗濯が楽)

僕はABともに夏に受けて、Cで初めて冬の出頭だったのですが、期間中ずっと1着の戦闘服を洗濯せず着回すことができるほど、汗をかきませんでした。

一応毎晩アイロンをかけてプレス線を出してファブリーズを吹いていましたが、夏だと絶対にこうはいきません。

ちなみに風呂では、浴室から上がる際に手ぬぐいで身体を拭きましたが、その後に脱衣場で改めてスポーツタオルを使わなくても身体が乾いていたほどで、そういうこともあって洗濯物の量が少なく、洗濯の手間はかなり減りました。

ちなみに夏でも、入浴時にバスタオルは不要で、スポーツタオルで十分でした。

同様な理由で、ジャージも2着と指定されていたものの、冬は1着で十分。

ただ、大雨でも降ればかなり大変だったろうと思います。

 

 

【第1段階の最後は本格的な訓練に】

第一段階の最後(ABCDのDタイプ、もしくは3コマの場合はCタイプ)は、かなり自衛隊らしい訓練メニューになっていきます。

(野外勤務)

*行軍

第一段階のハイライトとも言える、10km行軍。

戦闘背嚢にある程度の荷物を詰めて歩くという、要は第二段階で体験する25km行軍の予行のようなものです。

正直なところ、日常生活でも10km歩くというのはそう珍しいことでもなく、たいした距離でもありません。

ただ、ある程度重い背嚢を背負ってさらにクッション性の低い半長靴での行軍なので、日頃ジョギングをしている人でも初めてだとあちこち傷めてしまうこともあります。

なので、少なくとも半長靴のサイズをちゃんと決まってないと厳しいですし、しっかりしたインソールや靴下を入手しておきたいものです。

僕が半長靴の官品インソールと入れ替えに敷いたのは、戦人のGEL ARCHインソールというもの。

※ちょんまげ注、これです↓

 

靴下はちょんまげインプさんのブログにあった戦人のガッツマンの5本指のものにして問題なく完歩できました。

※ちょんまげ注、これです↓

 

最初の被服交付の際に靴について「しっかりサイズを…」と書いたのは、まさにコレがあったからです。

毎晩、夜の課業外には仲間たちと靴磨きをするでしょうから、その際に周囲の靴のサイズを聞いておいて、自分に近いサイズがあったら試し履きさせてもらうというのもいいかもしれません。

ちなみに秋~冬なら大したこともないのですが、夏だとかなりキツいと思います。

特に日頃からあまり長距離を歩く習慣のない人は、体力検定で高得点を出すような青年たちでもきつそうで、行軍の後に片足を引きずっている青年が何人かいました。

こういう長距離行軍というものは、体力はもちろんないよりあったほうがいいですが、成否を分けるのはメンタル面の割合が大きいように思えます。

僕は日頃からサバゲーをして、同じような半長靴で朝から夕方までフィールド内を歩き回っているので、10km行軍よりサバゲのほうがきついなと思ったほどです。

おかげで50過ぎのおっさんでも、体力に余力を残して10km行軍を終えることができました。

ちなみに10kmでは午前中の3時間近くを遣い、2回休憩があったのですが、2回目の休憩で少し疲れを感じたので、クエン酸の入ったゼリー飲料を摂取したところ、気のせいかもですが疲労感がサッと消えていくような感じがしました。

※ちょんまげ注、こういうの↓

 

これで疲労感は収まり完歩したのですが、最後に空腹で力が出なくなってくるのを感じるように。

そこで今更ですが、昼食までに時間も少しあったので小分けできる羊羹をこっそ食べると足に力が入ってくるのが分かりました。

※ちょんまげ注、こういうの↓

 

 

エネルギーって大事なんですね。

25kmの時には休憩時に食べることにします。

*歩哨

予備自補は予備自に任官すると、主に後方支援で駐屯地の警備が主任務になると思うので、ここはしっかり習得しておきたいものです。

その他野外勤務で重要となる、「距離の判定」や「隠掩蔽の要領」なども基本を第一段階で習います。

実際の歩哨の教練は実に地味で夏はただ暑く冬はただ寒いですが、予備自の本来任務だと思います。

僕は歩哨の実習が好きでしたが、実際の歩哨はとてもつらくて危険度の高い任務ですよね。

(格闘)

一般的な「格闘技」とは違います。

準備体操や受け身をみっちりやって、別の日に徒手、あるいは銃剣、そして小銃を使った打撃を習いました。

もちろん一般的な格闘技を経験している人のほうが慣れやすいですが、自衛隊の格闘は「格闘で相手を倒す」のが主目的ではなく、格闘で相手をひるませたり間合いを取ったりして撃つ(=確実に戦闘力を奪う)ほうを重視していると思います。

格闘技やってる人でも89の本体あるいは床尾で敵に打撃を与えるという経験はないと思うので、格闘技をやっているからうまいということにもならないような気がしました。

ただ、とにかく疲労しました…。

 

 

【装備品はチェックが必要】

予備自補は訓練時間がキツキツなので十分な教育ができないのは仕方ないのですが、中隊ごとに貸与される装備品で、調整されていないものがいくつかあったのでここで紹介しておきたいと思います。

(戦闘背嚢)

10km行軍の際に背負うために中隊から貸与されるもの。

しかしこれは単なるリュックサックではなく、使用者の体格に合わせてサイズ調整をし、最良の状態で使用すべきものなのです。

とはいってもちょんまげインプさんのブログ(ココ)の受け売りですが…

まずはこの部分。

背が高い人も低い人も、みな背が低い人用の位置に紐がつけられていました。

まあこれだけなら、重心が高くなるだけなのでむしろ良いのですが、そう簡単な話ではありません。

なぜならこの部分も、今回の中隊ではみな背が低い人用の位置につけられていたからです。

その結果どうなるかと言うと、背が低い人なら問題ないのですが、背が高い人が背負うと、戦闘背嚢の腰ベルトが骨盤でなくお腹の内臓を締めることになってしまうのです。

僕の場合、きりがないので同じ班の背が高い人の分は調整してあげましたが、その他の皆さんは無調整でした。

また、中隊で2例、肩ひものクイックリリースが外れてボタンだけで止まっている背嚢がありました。

1例は僕が行軍前に発見してつけ直してあげ、もう1例は班長が発見して区隊長が直してました。

まんいち行軍中にココが外れると背嚢がおっこちてしまい、不意のことでもあるので腰を痛めてしまうかもしれず、こういう装備品の確認も予備自補に教育しておくべきではないか…と思いました。

(鉄帽)

これはどこの中隊でもある話かと思いますが、上部顎紐(鉄帽の左右両端にネジで止められている部分)が、裏表逆のケースが多々あります。

基本的に、使用したあと予備自補たちが洗って干して組むためにそういう間違いが発生するのですが、これも知らずに次の隊員が使うとおさまりが悪く、短時間ならいいものの、それこそ長距離の行軍だと疲労度に差が出てきます。

まあ、僕がいる班なら直すこともできるのですが・・・

※詳しくはこのブログ記事参照(ここ

(スリング)

これまた前に使った人が組んだものを次の人が使うため、前の人が変な組み方をしていると悲惨な目に遭います。

特に行軍があるとスリングの組み方次第で疲労度が変わってくるので、詳しいことはちょんまげインプさんに聞いてください」

 

 

丙さん、宣伝までありがとうございました。

第一段階クリアおめでとうございます。

でも第二段階はキツくなってくるので、頑張ってくださいね。

 

(つづく?)

 

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―ヨビジホ受験・準備編―

*その1「応募しよう」

*その2「試験準備」

*その3「試験勉強」

―ヨビジホ受験・本番編―

*その4「WEB試験」

*その5「面接」

*その6「身体検査」

―ヨビジホ受験・その後編―

*その7「合否発表その後

*その8「買い物」

*その9「一般か技能か」

―ヨビジホ訓練編―

*その1「衣食住」

*その2「第一段階のもろもろ」

*その3「第一段階の訓練内容」

*その4「冬の話、訓練内容」

人間もちろん健康が一番ですが、何の病気も怪我もないというのも、実は問題です。

例えば腰。

腰は誰でも、若いと30歳くらいからギックリ腰をやったり椎間板ヘルニアになったりしますし、そこまでいかずとも痛くなることもあります。

そうなると誰しも腰をかばおうとしますし、いたわろうともします。

しかしヒザはどうでしょう。

ある日突然、牙を剥くのです。

 

昨年の末、何の脈絡もなく、突然右膝が痛くなりました。

ただ、「これはそのうち治まる痛みだな」と思って放置したのですが、そのままサバゲに行ったら一気に悪化。

自宅から駅までの10分そこいらですら、痛みで普通に歩けなくなってしまったのです。

ちょうど正月休みだったので9日間放置し、ようやく年始に整形外科に行ってみると、レントゲンを撮って、

「変形性膝関節症の初期段階かな」

という診断でした。

ただ、

「でもこの程度の軟骨の減りで痛みが出るとも思えないんだけどなあ。痛みが出たら湿布ね」

ということで、(いや今すでにけっこう痛いんですけど)と思いつつ、そこそこショックを受けつつ失礼したのでした。

加齢と共に膝の軟骨もすり減っていくのは知っていましたが、それにしてもこんなにも早く痛みが出てくるとは。

これじゃあサバゲもできない・・・2月には楽しみにしていたイベントもあるのに・・・と思い、どうにかしないといけないと思いました。

 

そこで、整形で治せないとならば整体に行ってみようと、いろいろ探してみます。

そこでいろいろ探したのが、とある独特な施術方式の整体

とある創始者がいて、その暖簾分けのような感じで全国にその方式を伝搬させているようなのですが、その方式の整体が割と近所にもあったのです。

そこで、お試しキャンペーンをしていたのでお邪魔してみました。

施術の内容自体は置いておくとして、施術者のワシに対する見立て(身体の歪みや悪い所)が正解だったところから通うことにし、けっこう高いのですが、その後2回通ってみても良くなるどころか痛みが別の場所まで出てきてしまい、本当に参ってしまいました。

わしはもうまともに鉄砲持って走ることもできないのか・・・?

※その整体の施術内容や金額を言うと「もしかして〇〇式?」と想像されてしまうので書きませんヨ。

 

病院については、いちど整形に行っているし、これ以上どこかにかかっても仕方ない・・・と思っていたのですが、よく朝の電車で会う同じ会社のおばはんにその話をしたら、

「うちの息子がかかってるペインクリニックはどお?」

と。

そんな、痛みをどうにかするって、鎮痛剤でも打って終わりなんじゃ?と思ったのですが、せっかくなのでかかってみることに。

するとその病院では、想像と違い「ではもっと詳しく診てみましょう」となり、レントゲンの他にMRIを撮って(別の病院で)見てくれることに。

MRIの結果を聞きに次回かかってみると、その時のお医者は

「俺、ヒザは専門外なんだよね~ごめんね~」

と言いつつ看護師さんにMRIの見方を教えてもらっていたのですが、MRI見てわしの症状を聞いてレントゲン見てわしの膝を触って一言。

「これ変形性膝関節症じゃないよ。痛いのここでしょ?鵞足炎(がそくえん)だよコレ」

 

ええ・・・なにそれΣ(゚д゚lll)

 

そう。

最初の整形外科では、レントゲンでは異常が見られなかったのですが、わしが膝が痛いと訴えたので、「じゃあ変形性膝関節症の初期でしょ」と決めつけていたのでした。

しかも膝が専門外だって言ってMRIの見方もよく分かってなかったセンセが・・・ありがとう!

でも鵞足炎、つまり腱の炎症ならたぶん治せます。

対策もできます。

よかった!

 

そして整体ですが・・・

高いのに良くならないどころか・・・という話を床屋さんにしたところ、「ここはどうスか?」と勧められたマッサージ院に行ってみました。

安いうえに時間も長くやってくれ、おまけに施術後はなんだか運動した後のように疲れてしまったのですが、翌日はなんと少し走ることもできるようになったのです!

もちろん痛みは残っていますが、それまで歩くだけでもズキン!と痛みが走ってびっこを引いていたのに、短時間でも走れるまで回復したのでした。

お陰でその整体はその後も通うことに。

 

ああ・・・やはり病院も整体も、セカンドオピニオンは大事なのですね。

おまけにどちらも、口コミ・・・というか、直接の口コミに救われた形です。

 

 

ちなみに余談ですが、最初に行った整体。

実は最初からうさん臭さはありました。

まず全国各地にその独特な施術方式を謳う整体があるのですが、どこもWEBホームページで使ってる写真が似たようなもの(けっこう同じ人が出てくる)なのです。

そのうえ、創始者がいるとおぼしきお店のWEBを覗くと、賛同者である全国の意思や整体やさんのコメントが顔写真つきで紹介されていて、実在するのかなと思ってその名前で検索してみると、最初に見た人は確かに実在していたのですが、その賛同人は事件を起こして逮捕されていました。

またWEB予約システムのスタイルも、どの店舗も同じようなものだったり。

ちなみにワシが通ったところは、WEBで空きを見て予約したのに、おまけに一日中どこも空きがあったのでよほど広い整体なんだなと思っていたら電話があって、その日はどこも空いてなくてリスケをと・・・WEB予約の意味まるでなし!

その時点でやめておけばよかったのでした。

で、行ってみるとソコは結構混んでいたのですが、施術よりもトークのほうが長いんじゃね?と思われる内容で、しかもやたらと創始者をあがめる。

なんか宗教みたいだし、おまけにみんな馴れ馴れしい。

でもそこに3回通ったおかげで、その近くにある良さげな居酒屋を見つけることができたのは収穫でした。

 

やはり面倒ではありますが、おかしいなと思った時にはセカンドオピニオンも大事だな、と思った一件でした。

さあ、早く治して鉄砲持って走り回るぞ!

 

先日、都産貿センターで開催されたビクトリーショーに参加してきました。

1月はいつも2日開催で、これまでもなるべく2日連続で参加するようにしていましたが、ちょっと今回はそれが難しく、土曜のみの参加。

しかし今年はどうかな・・・と思っていたら、今回はかなりの混みようで、久々に賑わったイベントだなと思えるものとなりました。

今回は人が多く歩くのにも苦労して、買い物にも苦労しましたが、前から欲しかった米軍の官品ブーツとか、あとはサイドワインダーのライトを買うことができて良かったなと。

終わったあとは館内のいつもの飲み屋でお疲れさん会。

「飲み会」というものがめっきり減ってしまい、いつも家でばかり飲んでましたが、やはり誰かと楽しく飲むのはいいものです。

おまけに会社の飲み会のように愚痴とかどうでもいい仕事の話なんかを聞くのではなく、同じ趣味の話をしながら飲んで笑ってうなずいて、というのはいい時間でした。

いつもなら日曜開催なので翌日を気にしてあまり飲めないのですが、明日は休みなのでけっこう飲みました。

途中から記憶もあやふやでしたが、帰りは電車で寝過ごすこともなく、隣の家に入っておしっこをするでもなく、無事に帰りつきました。

 

ああ、楽しかったなあ。

年末年始の連休は渋滞の予測が難しく、変な大渋滞にはまることもあるのであまり遠出はしないようにしているのですが、仕事納めの翌日土曜にジェロニモでファスガンゲームがあったので参加。

今年は少ししかBB弾撃ってなかったなあ・・と思いつつ、ファスガンですらそんなに行けなかったです。

 

今回付き合ってくれたのは実弟のみ。

で、仕事納めの日は早々と休日にした企業も多かったようで、あちこち高速が渋滞していたようですし、アクアラインも朝7時台には大渋滞していたので、渋滞にはまる覚悟で千葉に向かいました。

しかし何故か神奈川県から千葉に向かう道路は渋滞がなく、逆に早々と7時に現地付近に着いてしまいました。

少しでも渋滞を回避するために実弟には始発できてもらったのに、まあ渋滞にはまって遅刻するよりははるかにマシですが、なんだか申し訳ない。

自分一人だったら寝て時間をつぶすところですが、それもナンだなと思っていたら、いつもサバゲの帰りに寄るファミレスが7時からオープンで、朝食バイキングだったので寄りました。

いやあこんなマトモに朝飯くったのいつ以来だろ。

旅行先の旅館とかでないと、朝に満腹になるまで食べません。

いやあ、むしろ時間つぶし以上に時間をオーバーして、ジェロニモに到着。

今日は参加者が多く、駐車場もどんどん埋まっていきました。

最終的には50人以上集まったようです。

今日もガスブロ89式でCO2ボンベを使います。

せっかくイベントで鉄帽ヒラヒラを買っていたので、被せてみます。

 

しかし今日のサバゲでは、一つ不安要素がありました。

2週間くらい前から、右ひざが痛むようになっていたのです。

とはいえ歩く時に痛むだけで、なぜか走っても階段を上っても平気だったので、まあいっかと思って湿布だけ貼って臨んだのですが・・・

たかだか数キロの銃を持って斜面を上り下りするだけで、右ひざがじんじん。

復活ありゲームでも、復活しにいくのがおっくうになるほど。

ああ痛い!

足首の痛みが治まったと思ったら!

 

 

さて午前中は、復活2回ありのフラッグ戦。

人数は終始だいたい25人×2くらいでしたが、敵チームは2グループくらい統制の取れた戦闘をする方々がいらして、相当に苦戦しました。

とはいえワシだって脳が無いわけではなく、本当に大外を回って自陣に回り込む敵勢力の気配を感じつつ、また中央での激戦の音に紛れ、「やや大外」をそろりそろりと森の中、敵陣方面に進みます。

実弟はわしを援護してくれるような殊勝な奴ではないので、単独。

(その実弟。画像はジェロニモ様から)

1人、試しにこっちに来てみた的な敵がキョロキョロしつつ向かってきたので一撃、さらにもう1撃で倒します。

ファーストスナイパーの社長さんの「今日は絞ってますからね」というお話通り、今日は照準が面でなく点。

試射の時も、マトが1個か2個くらいしか点灯しない(照準が絞られてないと顔の大きさくらいの範囲が点灯する)ので、ドットサイトでじっくりゼロインする必要がありました。

なのでいつもなら3点バースト1撃で倒せていたものが、今回はなかなかそうもいきません。

ちなみにドットサイトはサイトロンのSD-30ですが、

10年近く前にSD-33(少し大きい)を買ったものの、「こんなに高級なサイトはもったいない」と売却し、以降ずっと安物ドットサイトをあれこれ試していました。

しかしどれもイマイチで、どうイマイチなのかと言うと、照準調整がぜんぜんできなかったり、ガスブロに載せて撃ったらそれでもう壊れたり、あとは20mmレールにはまらなかったり。

いくら安いと言っても、5000円を5個買えば25000円です。

それで最近、中古でこのSD-30を買って使ってみると、「なにこれ!」だったのです。

ちゃんと調整ダイヤルをドライバーでクリクリすれば、輝点がちゃんと動いて着弾点に合わせられるのです。

が、そのSD-30をもってしても、ワシのクソエイムには勝てなかったようで、今日は外してばかりでした。

さて1人を倒したところで、敵陣エリアを射程に収める地点にまでたどり着きました。

ここで敵に発見され撃たれますが、敵はワシを捕らえられず、逆にワシが射撃を繰り返し倒します。

ようやく敵陣を後方から狙える位置につけました。

味方もようやく1人、そしてもう1人、付近に顔を出します。

よしやるぞ。

見知らぬ友軍に手先信号で(あっち、敵、2・・・)と合図し、友軍がうなずくのを見て、ささっと木々の間を進みます。

敵陣には、戦死し復活のために戻ってまた前線に向かう敵の他、明らかに防衛を企図した影もあり、まずその防御陣を撃退する必要があります。

よし、後ろのほうからやってたれ、すすす・・・タタン!当たった!隠れた!タタン!タタン!シャキーン!(弾切れの音)

敵に位置がばれたうえに弾倉交換しなければならないため、いったん下がります。

太い木に隠れて弾倉交換をし、また進んで敵を発見、他に友軍2名も適宜射撃しているところで今だ!と思ったら弾が撃てません。

仕方なくセイフティに戻ってみると、どうもデバイスの不具合の様子。

というか、CO2によるガスブロの空気圧が強かったのか、センサーをダメにしてしまったようです。

申し訳ない。

セイフティに戻ったら、セイフティでも一進一退の戦闘が。

(タマが出ないのでどこでもゲームできる)

 

その裏は、膝が痛いのをこらえつつ相変わらず単独で大回りし、森の中で敵と対峙しましたが、その敵が前述のように、連携がすごい。

森の中をこそこそ進んで一旦停止し、複数の足音が接近してくるので構え、さてどいつから先にやろうかと思う間もなく、敵は左右を素早く警戒しつつさっと横に広がって全周に殺気を放ちます。

藪の中から狙うと、距離が近いのは右端の敵Aだが枝葉が邪魔で外す可能性がある。

左端の敵Bは拓けた所なので撃てるが、横移動中で外す可能性がある。

となると脅威度は低いが倒せそうなのは真ん中の敵Cだ、よしやろう!

「タタタン!」

1発当てたが敵はすぐ横飛びに退避、すると

「左側に敵!」「いったん退く!」「了解!」

と敵がさっと茂みの奥に後退してしまったのです。

いつもなら、仲間が撃たれても気づかずにそのままきょろきょろしたり、あるいはそこからこちらを倒そうと躍起になるのが普通なのですが、この敵さんは違う。

敵の数を減らすこともできずこちらの存在がばれてしまったが、位置はまだばれてないな、と思ううち、さっきと別の所から、ワシの側面方向に敵が進んできました。

あっと思ってそちらに狙いを定めようとすると、今度はまた違うところから敵がばらばらっと向かってきます。

これは対応できない!

サバゲは得てしてシーソーゲーム、例えば撃てて敵を倒せても、今度は敵から撃たれて死ぬ…ということになりがち。

なので撃てば1人は倒せる自信があったものの、そこで自分もやられてしまってはこのルートの防衛が空いてしまうので、撃つのはやめます。

仕方なく5mくらい後ろの木に下がって改めて狙いを定めますが、敵は4人になっていて、違うところにいた友軍と撃ち合ったところを横合いからスパパン!倒したもののワシも発見されてしまい、1撃で戦死・・

ここで復活し、さあ撃とうと思ったら、こんどはガス切れ。

ボンベを持っていなかったでのセイフティに帰ります。

またセイフティで激戦していました。

 

昼食はキーマカレーとノンアルのハイネケン。

個人的には「キーマかあ・・・」という感じでしたが、食べてみるとうまい。

ああ、寒い時に暖かいものを食べるのっていいなあ。

 

午後はもう記憶があやふやですが、センターフラッグ戦がありました。

これはセンターフラッグを獲りに行く目的の他、センターフラッグを任意のエリアに到達させる目的が生じ、そうするとセンターフラッグを獲らせない妨害の目的、センターフラッグを運ばせない妨害の目的が生まれます。

「目的」が生まれれば、目的達成のための「手段」として戦闘が生じるわけで、こういうシチュエーションゲームは大好きです。

最初はややセンターフラッグから遠い陣地から進発し、てっきりセンターフラッグがまだ獲られていないと思ったまま敵と撃ち合います。

(画像はジェロニモ様から)

しかし連携が取れて動きもいい敵がセンターフラッグを獲り、ワシは戦死して復活したのを機に、今度はセンターフラッグを持ち帰るセイフティに向かいます。

しかし敵がすでにセイフティにワンサといて、おまけにすぐバレ、撃ち合ったもののそのまま戦死。

ああ強い・・・。

ちなみにその裏では、ファーストスナイパー社長さんが活躍されたそうです。

(画像はジェロニモ様から)

ちなみにこの社長さん、たまにゲームに出ると走る走る。

そんで射撃も正確だし、一体なんなのかしら。

 

攻防戦では、攻めるワシら側が防御陣地を攻めあぐね、おまけにこっそり敵陣に接近していたワシは警戒部隊に発見され、挙句の果てにはその警戒部隊に危うく狩られそうになるところを、這う這うの体でどうにか逃げ出す始末。

ちょっと待って立場が逆じゃない?

なんで攻める側が逃げ回るの!?

(敵陣を窺うわし。画像はジェロニモ様から)

もちろんワシだって素人ではないので、まず敵の警戒線にかかって「〇〇に敵侵入!」と叫ばれて撃たれながら後退する際、すぐ横跳びに走ってぐるっと回り込んで新たなポイントに占位。

しかし警戒兵が4人もいて、また別の敵に察知され、再度撃たれながら「もう1人いる!」と言わせた時には(ふっ…)と思ったものです。

しかし実際にはそんな余裕もなく、再度後退してまた横跳びになって、ようやく敵から察知されないエリアに戻ったら、今度はワシも敵陣からかなり離れてしまい、敵もさすがに自陣を放ってワシを狩り出すまではしてこなかったので、また1からソロソロと敵陣に向かうしかありませんでした。

そしてまた敵陣に向けて進んでいたところを、おそらく先ほどの警戒兵にまた発見され、今度は撃ち合って、敵の増援も加わって倒されました。

復活して試射をすると、なぜかガス切れ。

今日2回目です。

最近は苦労して対処したせいでガス漏れが減っているのですが、いま使ってるCO2のガスボンベはリサイクル品で、内容量にばらつきがあるのかもしれません。

これからはゲーム中も予備ボンベを持ち歩くか、それともファスガンのセンサーに影響を与えにくい電動に戻すべきか・・・

 

 

夕方うす暗くなってから、広大なジェロニモを存分に生かす、最も奥地対手前の陣地同士の、フィールドをフルに使うゲーム。

まずは奥地からスタートしたのですが、その前に移動するのがもう大変。

そして進発してからこんな藪の中を進み、

(画像はジェロニモ様から)

途中で撃ち合いがあって味方を倒した敵を横から倒し、そのまま敵陣に向けて外周をそろそろと。

敵味方ともにフィールド内にちらばってしまったので、50人いても敵の姿が見えません。

後方に回り込んで、ようやく敵フラッグを後方から臨める地点に到達しました。

しかしここからが大変。

こちらはやはり単独なので、存在がばれること自体アウト。

しかしどこに敵がいるか分からず、そのままフラッグに手を伸ばすわけにはいきません。

そこでフラッグを獲りに行くのは諦め、ここから狙撃できる敵をとにかく倒そうということに。

そこで遠い位置に見えた敵に狙いを定めて一連射しますが、1発程度当てただけで取り逃がしました。

しかしここで自分の立場が不利になったことを悟ります。

今度は自分が見えない場所からパスパス撃たれるようになり、位置を変えざるを得なくなりました。

そしてその途中、どこからか一連射くらい、戦死・・・

 

その裏、おそらく動きの速い連携した敵グループがこの辺りから突撃してくるだろう・・・と想定して待ち構えていたら、その通りになりました。

この辺りが待ち伏せに良さそう、あそこから現れてくれたら足止めできるな・・・と銃を構えたら、遠くから足音や何かを指示する声。

来る、と思ったら倒木の陰から敵。

スパパン!

1発だけ当てたものの敵はすぐ伏せ、後方に何かを叫んで伝達しています。

すると別の所から敵が顔を出し、パスパス撃ってきます。

こりゃたまらんと後退し、味方と並びます。

ここで敵の様子を窺っていたら、またタマが出なくなり・・・

 

今日は膝の痛みがひどくなってきたのでこれでオシマイ。

しかし今日は、とにかく敵が強かった。

でも敵が強いと必ず濃い戦闘になるので、面白いゲームが体験できました(味方が強いと会敵しないことも往々にしてある)

本気装備のフォロワーさんと一緒に記念撮影。

 

昼は汗ばむほどでしたが、日が暮れると一気に気温が下がり、こごえる寒さに。

夜にも20人ほどそのまま夜戦に参加するそうで、夕食の「ズッペ」もいただきました。

ドイツ料理であるズッペですが、ワシは初めてで、どんな料理なのかと思っていたのですが・・・うんオイシイ。

へえ~これがズッペね~モグモグ。

初めてなのにまるで毎日食べていたかのような既視感。

うんうん、ズッペ好きかも。

・・・え?

ズッペって、右のシチューみたいなやつ?

ああこっちは普通の白米か!

 

 

・・・というわけで、2024年さいごのサバゲーはこれでおしまい。

帰りは予期していた渋滞が全くなく、いつもは送らない実弟の家まで送っていってもまだ余裕でした。

今日は60名近くの参加者だそうで、ジェロファスが始まったコロナ前には10人とか少人数でゲームしたことを考えると、ファスガンの認知度、ジェロニモの人気も高まってきたものです。

皆さん、まだ行ったことない人はぜひジェロニモでサバゲーしてみてください。

またファスガンを経験してない人は、一度でいいから体験することをお勧めします。

 

では!

わし主催の貸し切りサバゲ「ヤセンノススメ」も、もう7回目となりました。

7回目ともなると、さすがに大雪や台風まではないにしても、そろそろ大雨くるかなとも思ったのですが、今回もやっぱり晴れというか快晴でした。

いやいや森フィールドだし、今回もファスガンだから雨でもみんな参加するだろうしで、大雨はさすがにアレでも、小雨くらいいいよね~と思ってたのに、朝から雲ひとつない快晴。

そのぶんどこか別の肝心なところで雨なんだよな~雨男でもないのにさ~

(朝に立ち寄ったコンビニにて)

会場であるジェロニモに先に入らせてもらい、ファーストスナイパーの社長さんはファスガンデバイスをどんどん並べ、わしは受付準備。

(画像はジェロニモさんから)

今回は後輩Kくんや実弟、その他フォロワーさんなど、いつも手伝ってもらってる層がごっそり欠席だったのでちょっとバタバタ。

土曜の朝は事故渋滞がつきもので、それに巻き込まれて遅れる方が何人かいらっしゃったのですが、それでも10時すぎには開会。

令和では45人前後の人数でも、大人数のサバゲと言えますね。

フィールドの説明をする、ジェロニモスタッフさん。

ファスガンの説明をする、ファーストスナイパー社長さん。

 

気のせいか、陸自装備の方が割と多かったような。

かくいうワシも陸自装備です。

(画像はジェロニモさんから)

で、今回もこっくり工房さんから、オリジナルパッチが参加者の皆さんに贈呈されました。

 

ここでチーム分け。

ざっくり2つに分け、多少の人数差があってもきっちり均等にはしない。

それがヤセンノススメ(笑)

(だって、実際には全く拮抗する勢力同士だったら、戦争にはならないから)

しかし近年、なぜかこのチーム分けをしようとしてもアタマが働かず、そのためいつも「なっちーさん」にお願いしています。

脳の血管でも詰まってるのかしら。

 

このあとはファスガンの電子的な設定(初心者/それ以外、小銃・狙撃銃・軽機関銃の違いによる弾数差、赤チーム/黄チーム)をするのですが、人数が多ければ多いほどこのポイントで時間がかかるので、ここがファスガンゲームのネックといえばネック。

でもそのおかげで、ゾンビもなく射程もすごいサバゲが楽しめるのですから。

 

最初のゲームは、ジェロニモが初めて、あとはファスガンが初めての方が一定数いらしたので、慣熟ゲームとして無制限復活&セイフティも使ったゲームを。

セイフティも含んでいるので、わしが受付で名簿チェックと金勘定をしている中でも、このように目の前で撃ちあいが発生したり。

ジェロニモは広く起伏も多く植生も豊かな野戦フィールドが売りですが、やはりセイフティの戦闘も緊迫感があって見ていて面白い。

またフィールドの森の中からも、タンタンと散発的な銃声が聞こえる他、おそらく軽機であろう「タタタタタタタタタ・・・」という音も聞こえてきます。

ヤセンノススメでは小銃30発×6(計180発)、軽機100発×4(計400発)と少な目&差を多めにしているので、軽機が活躍できます。

ただ今回は軽機が少なかったかな。

金勘定が済んで、自分のゲームの準備に入ります。

KATOさんが持ってきてくれた、3Dプリンタ製なのにあちこち可動するリアルで不思議な20式小銃ディスプレイモデルを愛でている間にも、

机の向こうでゲームが展開されています。

ちなみにKATOさん、見た目がリアルな62式機関銃のディスプレイモデルも展示してました。

そうこうするうちにお昼に。

お昼はジェロニモ特製骨付きラムカレー。

おまけに大量に作ってくれているのでおかわり自由。

このカレーがまたノンアルビールに合う。

忘れちゃいけないフリマ。

 

午後はわしも混ぜてもらいました。

名物「スモーク」戦では、わしがカメラを持っていかなかったのでせっかくの光景が撮れず。

なのでジェロニモさんからの画像を。

ファスガンは射程が100mはゆうに超えるので、肉眼で見えたらもうズドンなわけですが、このようにスモークで視程が狭まると、思いがけないところで遭遇戦が生起するのでけっこう緊張します。

で、わしは早々にHIT退場したので、セイフティに戻ってカメラを取り、撮影を。

野戦では、横隊で進むのが、芸がないように見えて実は確実。

もう12月も近いというのに、このように植生モッサリ。

 

このように匍匐されると、敵からはぜんぜん見えません。

ふつうサバゲは、野戦であっても時間が短いことに起因する「展開の速さ」と、BB弾の射程に起因する「効果の薄さ」から、匍匐はあまり有効ではありません(まあ藪が好きでたまらない勢で匍匐しまくる人もいますが)

しかし射程の長いファスガン、おまけに制限時間も短くないゲームだと、匍匐がかなり有効になってきます。

 

誰もいないな・・・と思えるものの、ここをこのまま進んだら確実にズドン。

それがファスガンの怖さです(開豁地は撃たれるものと考えるべし)。

ズドンされた人が退場。

ヘッドデバイスが赤く点滅するので、戦死した人だとすぐ分かります。

 

誰もいないようで、実はこの先に敵がいます。

 

もう冬だというのに暖かく、背中はすこし汗ばみます。

瓶コーラがうまい季節です(?)

 

この後は4チームに分けての四つ巴戦(吸収なし)を2戦やったり、1チームが防御となる攻防戦をしたり(ただし攻撃側3チーム同士で味方射ちをすると戦死する)。

攻防戦では立てこもる防御チームに対し、拡声器で降伏勧告が行われたり(笑)

 

午後はワシも全部ゲームさせてもらいましたが、毎回すぐ戦死してばかり。

あれっおっかしいなあ、わしジェロニモにもファスガンにも慣れてるはずなんだけどなあ~

でも何となく原因は分かっていて、それは視力の低下。

老眼が進んで手元が見えないというのはサバゲには関係ないのですが、老眼と同時に乱視も出てきているようで・・・茂みの中にいる敵とかが今日はぜんぜん見えないんです。

とうとうこんなところで年齢を感じるようになってしまったか・・・

 

最後はフラッグ戦をやって、暗くなった頃におしまい。

しかし日が暮れると一気に寒くなりますね。

昼のつもりで半袖で片付けをしていたら、身体が冷えて大変でした。

ちなみにその後、夜の7時くらいまでジェロニモさんの焚火に当たりながら雑談をしてしまいました(遅くまでスミマセン)

 

今回参加の皆さん、ファーストスナイパーさん、ジェロニモさん、こっくり工房さん、ありがとうございました!

 

(前編からのつづき)

 

城崎温泉からは、もと来た道へ戻ります。

カラフルな特急がいました。

でも乗るのはこっち。

189系気動車特急「はまかぜ」です。

大阪と鳥取を、なんと姫路を通る播但線経由という、乗り通す奴おらんやろ!というルートを通る気動車特急です。

※ただし鳥取まで行くのは1往復のみで、他は途中まで。

50年前にはキハ82系、40年前にはキハ181系でしたが、2010年頃からこの189系に置き換わっています。

ああ、181系に乗ったことがないのが惜しい・・・

 

車内はこんな感じ。

気動車らしいパワフルな振動がありますが、あまり飛ばしません。

また来た道を戻り、

さっきの豊岡へ。

そのまま山陰本線を走り、和田山で山陰本線から外れて播但線へ。

すぐ「竹田」という駅に停まりますが、もしや?と思ったらここが天空の城と言われる竹田城址の最寄り駅なんだそう。

景色も山が深くなっていきます。

そしてまた山や川の見える景色。

この辺りは山が深く、冬にでもなると夕暮れが早いんだろうなあ。

また線路は川に沿うようになります。

しかし播但線はそれほどの険しい山間部を延々と走るわけでもなく、割とすぐに穏やかな平坦地を走るようになります。

ようやく晴れてきました。

 

寺前というところで変な色の車両がいるなと思ったら、なんと103系しかも低運転台の電車が。

てっきり全部非電化かと思ったら、この先は電化路線なのだそう。

ここからは平坦路線を姫路に向かうのみ。

次第に人家も増えてきました。

なんとなく北海道の地方都市部を思い出します。

すっかりローカル線の色が薄くなりました。

都会です。

複線、高架に。

姫路はもうすぐです。

山陽本線が寄り添ってきて、姫路に到着。

 

姫路で進行方向が変わります。

ここからは半年前にも通ったので新鮮味もありません。

 

明石の大きな橋が見えました。

 

神戸を一跨ぎして、

 

うす暗くなる辺りで三ノ宮へ。

目的地である大阪はすぐそこですが、今日は涙をこらえてここで一旦旅をやめます。

しかし三ノ宮は人が多い…。

おまけに三ノ宮、どこもビジホが高い。

いろいろ検索して、少し路地の奥に入った辺りにあったお休めのビジホがあったので、そこを予約していました。

こんな狭い部屋ですが、まあ寝るだけなのでいいでしょう。

ここで荷物を解きシャワーを浴びて、街へ。

さあどの美人さんをお誘いしようかな~・・・と思っているところを怖いお兄さんに拉致られました。

ラガーが置いてあるお店、素敵。

ここは10年ちょい前にも一人で来た、「好富」さん。

記憶も薄れていましたが、前回は遅い時間に寄ってゆっくりできなかったので、早いうちから来れてよかったです。

ところで、今回ご一緒させていただいたのはタニシさん。

半年前に四日市で飲んで以来です。

刺身もおいしいし、

天ぷらもいい。

あとは日本酒ばかりたくさんぐびぐ。

しかしお店のラストオーダーが意外に早い21:30で、二軒目はラーメン屋さんを探してこちらへ。

ハートランドが置いてあるラーメン屋さんも珍しい。

替え玉もいっちゃいました。

というわけで、常識的な時間にお開きにしてビジホに戻りました。

 

朝。

今日は晴れなくてもいいのに・・・おまけにクソ暑い。

新快速で大阪へ。

大都会だ・・・

ここから地下鉄で、OMMホールに向かいます。

ここで開催される「めちゃサバ」に参加するのが今回の目的なのでした。

タニシさんとワシ。

 

タニシさんは3型裁断OD作業服の架空陸自装備、わしは海自の立入検査隊。

いつもは東京のビクトリーショーですが、大阪もなかなかのもので、最終的には2000人の来場者があったそうです。

接客するタニシさん。

このタニシさん、こんな人相風体をしておきながら、こんなかわいいイラストを描くのです。

今回は銃剣の鉄線鋏カバーのレプリカを持ち込み、タニシ本(1巻)と共にけっこう売れてました。

ワシはただのお手伝いさんです(笑)

すてんがん工廠さんのブースで展示されていた、MP5の無可動実銃。

ズッシリカッチリ、いいなこれ!

同じく遠征してきたこっくり工房さんとも撮らせていただきました。

しかしこのタチケン隊、ほとんど気づかれることもなく、「おっ米海軍?」「警察?」とか言われていました。

 

ヘロヘロ汗だくになって夕方に撤収し、時間もないので王将(笑)でタニシさんとお疲れさん会。

大阪の最後の晩餐が王将っていうのもアレですが・・・

で、急いで新大阪に行き、ぎりぎり間に合いました。

帰りは3人席の通路側で、隣の永遠に会話をする外国人女子2人の声に悩まされながら神奈川県に帰ったのでした。

 

いやしかし、大阪って行くのは大変でも帰りは早いものですね!

 

(おしまい)

 

 

大阪に行かなければならない用事ができました。

しかしワシは大阪がどうも苦手(大阪の人すみません)。

都市部はなんかこうごちゃごちゃガヤガヤしたイメージだし、たこ焼き等のいわゆる粉モノも好きではないし、それに男女の集団でいる中では関西弁トークする男子がモテて悔しい思いをしたし(関係ない)

高校の修学旅行は京都&大阪だったのですが、大阪が嫌で欠席したくらいですから。

そんなわけで今まで大阪は、鉄道旅行でも通過するばかりで、大阪の地に足跡を印したことはありませんでした。

しかし苦手なものは克服しなければ・・・ということで、大阪行を計画したのです。

しかしこれがまた地味に大変で、どういうルートを通っていいのか悩みます。

そして決定。

そして実行。

 

土曜の早朝。

大阪は遠いですからね。

しかしもう10月末も目前というのに半袖ってどういう気候なのか・・・

 

家から始発の電車で出発し、そして新横浜から始発の新幹線に乗ります。

新幹線って快適ですけど、車内はもう飛行機みたいなもんで、旅情というものは微塵もありません。

 

あくび一つくらいでもう京都。

大阪はまだまだはるか彼方です。

ここで軽くお腹に入れます。

今は駅のホームの立ち食い蕎麦やさんも減ってますからね。

京都駅の端っこに、山陰本線(嵯峨野線)のホームがあります。

特急もけっこうな乗車率だし、普通や快速は混雑。

といっても何度も放送で「先頭側は空いてます」とアナウンスされてるのに、多くの乗客が改札側の近い車両に乗り込んでいき・・・

 

ここから乗るのは287系特急「はしだて」。

途中まで特急まいづると併結されてます。

ああ、昔だったらここから気動車特急や急行が出ていたのになあ・・・。

そこまで行かなくても、183系も走ってたんだよなあ・・・。

全席指定ですが車内はかなり混んでいて、そのうち外国人旅行者がかなり。

新幹線に比べるとかなり狭く暗く感じられます。

ワシは鉄ちゃんではないので知りませんが、この287系は半年前に乗ったサンダーバードの683系特急のようなスタイルをしていますが、20年前の683に比べてまだ十数年しか経っていないせいか、あまり古さは感じられません。

しかし席選びには失敗で、このように目の前に壁がドーン。

 

さて、京都を発車すると、ぐいと右に折れて都会の中を高架で走ります。

しかしまたぐいと左に折れるとビルから住宅になり、そこから木々が増えてきて、トンネルに入る頃にはかっ飛ばすように。

おかしいな、確か昔18きっぷで通った時は、あの時はDD51ディーゼル機関車が牽引する50系客車で遅かったことを割引するにしても、記憶と全然違います。

トンネルを抜けるといきなり鉄橋で川を渡り、またトンネルへ。

ゴーっ!とトンネルを驀進するとまた視界が拓け、また川を飛び越えます。

そしてまたゴーッ!とトンネルへ。

こんなだったかなあ・・・と思案していたら、思い当たりました。

そう、山陰本線の京都側は、国鉄末期だったかJR初期に新線に付け替えられたのです。

もともとは川に沿うように線路をウネウネさせていたのですが、それがまっすぐトンネルを掘ったのでした。

旧線は、嵯峨野トロッコ列車のルートとして残っているようです。

ああ、あの時の記憶をたどることができるのはトロッコ列車だったか・・

 

山を抜けると里に出ます。

ここからは平坦な景色が続きます。

そこそこの都市の亀岡。

また似たような景色。

天気が良ければもっと気持ちいいのですが、それでも特急らしく軽快にかっ飛ばします。

そこそこの都市、園部を出ると、また田舎の景色に。

こう見ると、いつまでも川に沿っていますね。

そうこうするうちに、線路はかなり高いところを走るように。

ここで地震でも起こってゴロゴロと麓に落ちたら大変だろうなあと思ったりします。

日本らしい田舎の景色。

こういう所を真夏に鈍行で非冷房の気動車に、窓を開けながら乗ったら気持ちいいだろうなあ。

40年前に通った時の記憶はほとんどありませんが、とにかくやたらと川があったなと。

そして列車は綾部へ。

ここで後部3両を切り離し、まいづるが別行動で西舞鶴に向かいます。

全部4両はそのまま福知山へ。

なにやらお城らしきものが・・・。

そして福知山に到着。

割と大きな都市である福知山の駅は、なんと高架化されていました。

40年前に来た、大きくて重厚な地上駅の面影は全くありません。

感傷に浸る隙も与えてくれませんでした。

ここで「はしだて」は山陰本線から右に離れ、京都丹後鉄道に入ります。

どんどん景色は田舎になり、山も増えますが、どんどんトンネルで進んでいきます。

ぬっと現れた京都丹後鉄道の気動車。

次第に海の気配が濃くなっていき、宮津へ。

そこで今度は進行方向が変わり、「はしだて」は終点の天橋立に到着しました。

すぐ向かい側に止まっていた鈍行に乗り込みます。

昔の地下鉄銀座線みたいな単行気動車。

昨年、特急「あずさ」で南小谷で乗り換えた時、「あずさ」から大勢の乗客が鈍行に乗り換えて混雑したことがありましたが、「はしだて」のお客は全然乗ってきません。

平成元年製のようで、ブレーキハンドルが別の昔ながらの運転台。

こいつで山陰本線の豊岡に向かいます。

ここは国鉄時代のローカル線だったところで、そんな路線をノンビリ通ってみたいなと思ってのことです。

こののどかな景色、いいですね。

ちなみに国鉄時代はY字ポイントで上り下りそれぞれにホームがあったであろう痕跡が残っています。

上り坂になると自動車にはかないませんが、そうでなくても自動車には相手にもされていないようです。

上りになると60kmくらいでゼイゼイしてますが、平地になれば80kmくらい出すことも。

昔の国鉄らしい駅構内の線路。

国鉄時代にはここにキハ58系が走っていたそうで、その頃に来たかった。

のどかですねえ・・・

とはいえ変りばえのしない単調な田舎の景色に飽き、最後尾のロングシートでぼーっとしていたら、見覚えのある車両とすれ違い。

数年前に紀勢本線で乗った、キハ85ではないですか。

こんな所で余生を送っていたのですね・・・

あとは似たような景色を抜け、

最後の峠を越えたら豊岡の街もすぐそこです。

鳥取方面から伸びる山陰本線が寄り添ってきます。

そして列車は終点、豊岡に到着。

 

コウノトリの飛来地としても有名な豊岡は、そこそこ大きな地方都市ではあると思いますが、

立派な駅舎や駅前商店街の割りに、

人が全然見当たりません。

乗り換えの時間が1時間ほどあるので、とりあえず昼食をと思いますが、土地勘がないので駅前で済ませようと思います。

でも昼時に昼飯なんて食うと、並ぶからヤなんだよなあ・・・などという心配は無用でした。

「皿そば」なるものを注文。

ざるの代わりに皿になったような感じでしょうか。

ちなみにビールに見えるのはオブジェでして飲んでないですよ!

飲んでないですったら!

うん、うまい蕎麦だ。

時間があれば「ラーメン」や「やきめし」も行ってみたかった・・・

 

さて、豊岡で念願のキハ40系気動車に乗ります。

ホームで待ってたらこんな顔の奴が入線してきてずっこけたのですが、

これは片運転台のキハ47を無理やり両運転台に改造した、「キハ41」というものだそうです。

もともとの運転台はこの通り。

しかしこの地域のいいところは、キハ40系の塗色が国鉄時代の首都圏色と呼ばれたオレンジ色になっていること。

(もともと気動車は2色塗りでしたが、赤字に苦しむ国鉄が塗り直しの整備費用を節約するためにこうした)

窓は変わっていますが、まあいいでしょう。

シートは手直しされてますが、いかにも当時の気動車という室内で好ましい。

前が見えるのもいいですね。

運転台も、昔の雰囲気が残っています。

乗るのは2駅分だけですが、それでも楽しいひと時でした。

JR化後の軽快気動車ってのはどうもつまらんし、近年のハイブリッド気動車はもっとつまんない。

でもキハ40系は、昔からは機関が更新されてるっぽいので音は違うかもしれませんが、それでも雰囲気は昔ながらのそれです。

 

わしが降りたのは、号泣議員で有名な城崎温泉。

 

駅前の喫茶店で一服します。

 

さあ、そろそろ大阪に着くかな?

 

(つづく)

甲方面隊、乙地本採用のおっさん予備自補「丙」さん(51)の話の続きです。

どぞ。

 

 

「採用後、地本での採用式や出頭前のEラーニングでさんざん”訓練内容についてはSNS等で発信してイカン”と教育されていたので詳しくは書けませんが、でもソレこそが体力気力が持つか気になるおっさん諸兄の知りたい部分でもあると思います。

というわけで、もともとパンフ等で公表されている点は問題ないですし、各方面隊や地本の公式ツイッター等で公開されている内容はOKとみなして、そのレベルでお話したいと思います。

 

【予備自補はロクヨン?】

(いいえ今は多くが89)

ネットで検索すると、「予備自補は64式小銃を使う…」という記事に当たることがあり、同じ訓練に参加した人も「ロクヨン式ってライフルを使うんだよ」と仲間に説明している人もいましたが、僕のところでは89式でした。

というか令和にもなると陸自は64式はあまり見なくなっていて、というかむしろ64式に触りたかったくらいです。

しかし現実には予備自補であっても「分解結合」はしなければならず、それを考えると、やはり部品点数の少ない89のほうがいいと言えます。

ちなみに64より新しい89でも、教育部隊に回されるものはそれなりに年数が経っている個体が多いはずで、左右被筒がかなりカタカタしている個体が多かったように思います。

で、89でよかったというのはもう1つ理由があって、それは東京マルイのガスブローバックエアソフトガンが購入できるから。

マルイのガスブロ89は、さすがにシリンダ部やスライド内部、引き金室部の分解はできないものの、その前までの分解は実銃とほぼ同じ方法でできるし、銃点検時の撃鉄の落ちる/落ちないも再現されているし、また3点バーストの引き金を戻す際の引き金のカチカチ(アレです)もいちおう再現されています。

これを1本買っておけば、自宅で執銃訓練も分解結合の練習もできます。

64だとそうもいかず、もし分結の練習をしたいとなると、探し回って大枚はたいてホビーフィックスのモデルガンを入手するしかないのですから。

 

【どんな訓練するの?】

何度も言うように、募集パンフや公式SNSに掲載されている範囲でしか書けませんが、とりあえずは第一段階の内容を大雑把に紹介します。

第一段階は、A→B→Cと順番で受ける必要があります。

Dタイプがある場合、CとDは順不同でいいとのことですが、僕の甲方面隊はDタイプがなかったので、ABCの順でした。

ちなみに実弾射撃は最後の最後(第三段階)です。

(とりあえず言えること)

はい、噂に違わず「鉄帽はとても臭い」です。

(精神教育・服務)

まずはこれから起居する駐屯地内(営内)の生活でのルールや礼儀作法を教え込まれます。

例えば事務室(班長たちのいる部屋)への入退室の仕方とか、自分の部屋(居室)の鍵の受領・返却の仕方、食堂や浴場の使い方、服装などなど、受け入れ大隊や中隊によって細かい違いはあるものの、基本的なことを学びます。

あとは自衛隊の基本的な決まり事や、自衛隊を取り巻く状況、あるいは世界情勢などを、座学で学びます。

しかし辞令交付式での座学やEラーニングの内容と被ることも多く、もっと別の座学にしてもらいたかったというのも正直なところです。

(体育)

腕立てン百回!とかがあるのかと震えていましたが、そういうものはなく、念入りな準備体操から腕立て腹筋の方法その他のレクチャーを受けました。

ふんぬ!ふんぬ!と歯を食いしばるような類いではなく、笑いながらやる「遊び」に近い体育でした。

ン千m走るとかいうのは夏季にはあまりないようですが、冬季にはあるようです。

ちなみに第一段階の中盤で体力検定がありますが、最初なので「要領を覚える」のがメイン。

てっきりマラソンや腕立て伏せ、懸垂の回数とかかと思ってたら、近年はそうではなく、握力・垂直飛び・反復横跳び・立位体前屈(男子のみ)・ジグザグドリブル、そして1500m急歩という不思議なメニューでした。

僕は握力とドリブルだけ人並みで、あとは下の上といったところ。

スポーツ経験のないおっさんでも、一応はついていけました。

周囲は体力のある御仁ばかりだったので、全く目立つことはありませんでした。

(基本教練)

まずは徒手での各種動作で、停止時の敬礼やら方向変換やら何やらで、号令に従って動作する非常につまらない練習の繰り返しですが、これから先に使う動作の全ての基本なので、課業外も使ってみっちり自主錬したいものです。

つまらないとは言っても簡単ではなく、かなり練習して身体で覚え込まないとちっともサマにならないので、できもしないくせに「つまらない」とか言ってはいけないでしょう(反省)。

次は行動時の各種動作で、これを覚えておかないと食堂にすら行けません。

行動時の動作は単独だけでなく、集団(分隊~小隊)での行動に移っていくので、各人の技量が向上して揃って動けるようにしないとダメ。

ちなみに89はAタイプの途中から渡されますが、その武器搬出の要領も細かく決まっています。

89を持たされると今度は銃を使った各種動作(執銃時の動作)を、これまた基本から教え込まれます。

これも個人での動作だけでなくいずれ分隊、小隊での行動に移りますが、日頃から銃なんて触ったことのない人ばかりなので、みな最初はかなり難儀していました。

僕はサバゲーをしたことがあるので89式の形をした物体を触ったことはありましたが、執銃動作なんてしたことないので、皆さんと大同小異でした。

でもこれらの基本動作が身についてくると、分隊や小隊での行動もびしっと決まるようになり、見ていてもなかなかかっこいい。

そしてタイプが進んでいくにつれ、「分解結合」や「銃点検」も経験していくことになります。

ちなみに銃点検の動作の際中に手を切って血を流す人もチラホラ。

片手で槓桿を下げてスライド止めを上げる動作はなかなか硬くて難しく、僕も右手の小指が痛くなりました。

ここは基礎体力はまあ必要としても、ある程度の運動神経があって覚える能力があれば、おっさんでもイケると思います。

(戦闘訓練)

第一段階はまだ本格的なものではなく、基本の伏せ方や匍匐前進くらいです。

でも草むらで伏せるだけでも日頃あまり経験しない行為だし、匍匐前進もかなり体力・気力を奪われます。

ヒジが痛くなりますが、学校の体育の授業のように「見学します」では済まされません。

続けてやるとかなりキツく、寝そべったまま起き上がれなくなりそうな気もします。

でも適宜休憩を入れてくれるので、おっさんでもどうにかなっています。

 

 

【次第に自衛隊らしくなる】

(指導は厳しい?優しい?)

こればかりは人によって感じ方が違うのですが、旧軍のようなビンタや鉄拳の嵐に樫の棍棒での殴打などは皆無ですし、予備自補創設当時にはあった(らしい)怒号や小突くなどもないので、そういう意味で言えば優しいです。

もちろん「遅い!」などの言われ方での注意はされるので、生まれてこのかた一度も叱られたことがないという青年がいたら、厳しいと思うかもしれません。

ただ、実銃を扱う時には2~3ランクくらい厳しめになりますし、班長(助教)よりも区隊長(教官)のほうが厳しいと思います。

※配属の中隊によっても色が違います。

(しばらく踏ん張ろう)

第一段階は、最初のAタイプこそあまり面白くない内容で、また礼儀作法やルールについても口うるさく言われるため、少しはウンザリもしましたし、「やっぱりもうやめようかな」と思う瞬間がないとは言えません。

でもBタイプになると急に自衛隊らしい内容になってきて、キツさも増えますが「よし、やってやる!」という気持ちも生まれてくるのがまた不思議なところ。

一部、「やる気があるのかないのか分からない人」や「変に意識高い人」もいますが、逆に自分も周囲から「どんくさい」「これだからオッサンは」と思われてるかもしれないので、お互い様です。

「同期の仲間だ」と思って、努めて仲良くしたいと思います。」

 

 

丙さん、ありがとうございました。

 

(つづく)

 

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―ヨビジホ受験・準備編―

*その1「応募しよう」

*その2「試験準備」

*その3「試験勉強」

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*その4「WEB試験」

*その5「面接」

*その6「身体検査」

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*その7「合否発表その後

*その8「買い物」

*その9「一般か技能か」

―ヨビジホ訓練編―

*その1「衣食住」

*その2「第一段階のもろもろ」

*その3「第一段階の訓練内容」

*その4「冬の話、訓練内容」

本題とは関係ないですが、どうしても平日ガラガラジムカーナ練習がしたかったので、仕事の予定と週間予報を数日に渡ってにらめっこをして、そして「ここだ!」というところで休暇を取り、朝は気持ちのいい陽の光を浴びて現地に行ってみると、そこだけ大雨。

なんすかこれ?

なんなんすか?

雨男でもないのに!!!!

 

・・・ということが先週の木曜にありました。

で、日曜には久しぶりにサバゲの定例会の予約をしていたのですが、どうせ雨が降るにしても、サバゲなら雨でもいいもんね~。

 

・・・って降れよ!

なんで快晴なんだよ!!!

でもまあアウトドアのレジャーでは、晴れるのはいいことです。

ちなみに朝の高速湾岸線では、葛西インター出口前でディズニー渋滞ができていました。

はあ、世間のご家庭は休日をこういうところで過ごすのか。

 

 

今回の定例会は、千葉の野戦フィールドGERONIMO。

サバゲ人口がすっかり減少してしまった中でも、30人以上が集まってなかなかにぎやかでした。

駐車場に車がズラリと並ぶのを見るのはいいものです。

クルマの走行会は混んでると思うように走れませんが、サバゲだと人がいないと話になりません。

 

今日は気温が25~27度ほどと寒くはなく、日向に当てればマガジンも温まるので、ガスブロ89を用意しました。

あとはBB弾サバゲの時だけ使う次世代MP5、こちらはメインに使います。

 

今日はKK君と一緒の参加。

30人超えると1チーム15人以上で、そこそこにぎやかですが、広大なジェロニモだとそう頻繁に会敵することもなく、ゲーム中はけっこう静かでした。

ワシはジェロニモのオープン以来何年も、ファスガンにはまるまで何度も何度も定例会に参加し、フィールドにも慣熟していたのですが、しばらく遠ざかっているうちに、不慣れになっていたようです。

今日は手練れの方が実に多く、やられることばかり。

今日のワシ(左)

(画像はジェロニモ様から。ありがとうございます)

 

瓶コーラ。

 

前回の定例会では、初ジェロニモの方が多く、回り込んでも会敵せず、そのまま敵の側背を取れることが多かった印象があるのですが、今回は必ず敵が回り込んでフラッグを狙ってきたので、フラッグダウンしてばかり。

で、10分ゲームの繰り返しだったのですが、10分というのはけっこう短く、ゆっくり索敵して大回りするいとまがありません。

大回りして途中で一旦停止し、周囲を窺うも敵の接近する気配がなく、そのまま数分そこで様子を見るも状況変わらず。

そこでもう少し進んでみるか・・・とソロソロ、ソロソロと進んで、まだ敵がいないなあとまたソロソロ進むと「パパン!」ということが3回ほど。

その忍耐力には完全に負けました。

ワシもその忍耐力があれば・・・いや、やっぱ1ゲーム中で一度も会敵もしないのはイヤだなあ。

 

お昼はジェロニモ名物カレーと、ノンアル。

いやあ、うまい。

昼休みに何かをしているワシとKKくん。

(画像はジェロニモ様。ありがとうございます)

 

しかし次世代MP5はとても良い。

3点バーストしか使わなかったのですが、引き金を絞ってからタマが飛び出すまでのレスポンスもいいし、よどみなく素直にタマが出ていき、そして遠くまで飛んで弾着は集束します。

ゼロインをしっかりしておいたので、距離によってドットの上か下に目標を合わせて撃つだけで、割とヒットが取れました。

銃に信頼が置けるので、黒バイオ一択です。

いっぽうガスブロ89。

ゲームスタートし、いい位置(敵が進んで来るのを待ち構えられるところ)につき、案の定敵が近づいてきた、真正面、いただきます!

カチっ(引き金を絞る)「ブシュー!」ぎゃあああ!

白い煙幕を展開して慌てて後ろに戻って弾倉交換をし・・・ということもありました。

まあ、ガス89でも2度ほどヒットを取れたのでヨシとしましょう。

 

午後は、大回りして1度だけ会敵してその敵を倒し、敵陣に迫り、さあフラッグをというところで時間切れになったりしました。

あとは一発も撃たずに敵のアンブッシュでやられたり、あとは敵陣の位置を勘違いして、真正面に敵陣に突っ込んでいってしまいハチの巣にされたり。

 

でも野山を走り回って撃ちまくり(やられまくり)、適度な汗をかいていい運動になりました。

でもファスガンばかりでBB弾サバゲに不慣れになっていたワシとしては、ヒット判定に不安があって3度くらいシチュエーションヒット退場(当たってないけど当たったことにして戦死する)をしました。

あと至近で浴びたBB弾の後が、翌日まで胸のあたりに残っていました。

 

帰りはファミレスでKK君と食事して時間調整し、途中に少し渋滞にはまったものの、その後は渋滞もなくスイスイと。

とはいえ眠気がひどくなったので休憩を取りたかったのですが、大黒PAが恒例の閉鎖中。

休日の夜となるとコレです。

車関連のマナーの悪い集まりがいくつも大黒PAで開催されるせいですが、そんなことで本当に正しくPAを使うドライバーを困らせないでほしい・・・

でもアイサイト付きのZD8のおかげで、どうにか事故もなく帰宅できました。

 

たまのサバゲもいいものですね。