先日開催された、さぶろぅさん主催のミリタリーイベント「日ソ事変1995」が、ジェロニモさんで開催されました。
これは小林源文さんの劇画「バトルオーバー北海道」を元に着想された、もしソ連が崩壊せず存続していたら…という想定で、1995年にソ連が北海道に侵攻してくるのを自衛隊が迎撃するという、自衛隊+米軍vsソ連軍のサバイバルゲームです。
なので両軍とも、1995年前後にあった装備という縛りがありました。
この縛りが参加のハードルを上げると思いきや、主催のさぶろぅさんは入手困難な装備品については「なくても可」とするなど、意外にハードルが低くなっています。
そういう開かれた門戸の他、特定の時代に装備を合わせるという普通のサバゲにはない特殊性から、特定装備のサバゲにしては70人以上もの参加者が集まったのでした。
しかし目を見張ったのは、本来ならサバゲに必要性がなく、また品が少なく希少装備品とも言える防護マスクケース3形・4形が、自衛隊勢がほぼ全員携行していたこと。
特定時代に合わせるとなると、逆に目標が絞れるからでしょうか。
さて、自衛隊装備で参加するにあたってかなり悩んだのですが、95年といえばもう2型装備に移行している時期。
なので2型迷彩で参加しようと思ったのですが、2型迷彩に移行してまだ間もなく、実際の写真を見てみると88式鉄帽や89式小銃は増えてきているくらいで、ところどころに2型迷彩の覆いが見られるという程度。
つまりまだまだ旧迷彩がメインなのです。
というわけで、旧迷彩で89式小銃(64が修理から戻っていないため)で臨むことにしました。
左がわし、右がたけのこさん。
今日はゲームもそうですが、楽しみだったのが物販。
わしは不用品を持ち込んだ程度でしたが、皆さんもう「えっ!?なんでこんな珍しいものが!?」「あっこれ欲しかったやつ!!」というものがたくさんあって、売るより買う方が多かったり。
いやあ、ネットで買うよりたくさんあって、しかも皆さん良心的お値段!
こういうイベント、嬉しいなあ!
ちなみに今回は、自衛隊(陸海空)、米軍、ソ連軍の他、治安警備に当たる機動隊も。
で、源文劇画にあるシーンが再現されてたり。
「止まれ!撃つぞ!」
「隊長、こいちら撃っちゃいましょう」
とかなんとか・・・
ジープや偵察オートもいて、とても眼福。
おまけにKATOさんは試作品の62式機関銃を持ち込んでたり、あとはM2重機関銃が鎮座してたり。
ちなみにこのところファスガンばかりだったので今回は久々のBB弾サバゲ。
いつもは次世代MP5で快適に撃っているのですが、今日は89を2本持ち込みました。
しかし試射をしてみると、メインのほうがいくらHOPダイヤルを回してもHOPがかかりません。
おんや?中でカラカラ音がするぞ・・と思ったら、HOPアームが外れている様子。
そんなわけで表のゲームには参加せず、フラッグ担当のみ。
ちなみに午前はふつうのゲームで、人数費の関係で自衛隊vsソ連軍+米軍となりました。
表のゲームではわしは自衛隊部隊の戦闘を見ていたのですが、サバゲでは見たことのない、いやおそらく誰も見たことないであろう、62式機関銃がバリバリ撃っている光景が。
いやあこれは頼もしい・・・と見とれていたのですが、ワシはセイフティ側ががら空きな事を知っていながら、自分がゲームに参加していないため黙っていると、案の定ソ連兵が回り込んできて、機関銃チームを始め自衛隊部隊が次々と倒されていきました。
やはりジェロニモのような広いフィールドだと、周辺の警戒を怠ってはいけませんね。
裏のゲームではわしも予備89で参加。
この時は実に調子よく、敵の進攻路を予測し、こちらが土塁とボサに守られて視界の割合に拓けたポイントに到達し、しゃがんで敵を待ち受けます。
すると案の定、ソ連兵がパラパラと斜面を駆け上ってくるのを発見。
そこで短連射を繰り返し、2人を倒します。
しかし敵もさるもの、うまく植生を利用して接近し、こちらが狙いづらい位置から狙撃を繰り返してきます。
ここで味方部隊と協力して撃ち合うも効果なく、逆にやられて復活。
すると敵が大きく回り込んで、背後から攻撃してきます。
この敵には事前に接近が分かっていたもののかなり翻弄され、ようやく数人がかりで倒したと思ったらなんと米兵でした・・・
お昼はジェロニモ特製カレー(おかわり付き)
少し長めのお昼休み、これは実にありがたく、その間に撮影や買い物で楽しめました。
長めの昼休みなのに忙しかったくらいですから(笑)
午後はいよいよ日ソ事変1995の本編。
(これ以降はジェロニモさんの画像を拝借。ありがとうございます)
編成完結式。
ちなみに午前のノーマルゲームでも点呼がありましたが、昨年までの昭和自衛隊サバゲではチンプンカンプンだった号令が、予備自補に行ってる丙さんから教えてもらったおかげで分かるようになったのが、今回とても嬉しかった点。
「番号!…はじめ!」でイチから順に言っていき(ちなみにこの時は4はシ、7はシチ。ヨンとかナナとかいうと「番号なおれ!」がかかる)、最後まで到達した時にその横が揃っていると「満(マン)!」、不足があるとその人数によって「2欠(ニケツ)!」とか発声。
それにより、指揮者が(8人の3列縦隊で2欠なら、8×3=24人の2欠なら22人か)とすぐ理解できるという仕組み。
また銃を肩に担ぐ「担え銃」の際の敬礼はこう・・・と、経験者や有識者が多いこのイベントでは、号令にザッと従う美しさがありました。
丙さんありがとう!
分隊長が集まってのブリーフィング。
ちなみに自衛隊は、陸自が3個分隊、あとは空自+海自の1個分隊、米軍の1個分隊と分かれました。
陸自のうち、89+ミニミで第二分隊となり、わしもそこに。
マーカーを付けずとも、装備や銃で部隊分けがされるのはとてもいいです。
ちなみに先行した空自+海自&米軍部隊は、ソ連軍の急襲を受け壊滅、残余が捕虜となった模様。
そこで陸自部隊が攻撃に向かいます。
我が第二分隊は増援として最後に戦場に向かったのですが、先行部隊からの情報を受け、山道を遠回りします。
確かに実際の戦闘ともなれば、ばりばり撃つよりも移動につぐ移動、そして待機に警戒に偵察、その連続ですね。
塹壕陣地に到達したところ、敵が当初の位置から移動したようで、その陣地で警戒することに。
(偉大なソ連兵の皆さん)
(姿を見るだけで恐ろしい)
警戒中、分隊長が他分隊との打ち合わせで不在となり、次席のベテランから斥候を命じられました。
そこで2名で斥候に出て、味方他分隊の移動を確認し、戻ってその旨を報告します。
分隊長が戻っていて、「打合せ通り、第〇分隊が移動しているためだな、ご苦労」ということで任務を果たせたのとソ連兵に出くわさなかったことでほっとします。
その後、敵情が悪化し、ソ連兵による攻撃が始まりました。
陣地から出て反撃。
しかしここでガス攻撃が行われ、総員で慌てて装面作業。
(実際に防護マスクを持っている人はそれを被る。持ってない人には不織布マスクが事前に配布されていて、それを8秒以内に被らないと戦死。事前に装面の要領が演練されてました)
ミニミがばりばり撃ちまくる中、敵からもばりばり撃たれ、わしは被弾戦死で復活のため後退。
復活は人数が揃ってからなのでしばらく待機するうちにソ連軍の攻勢にあって、第二分隊がほとんど全滅の憂き目に遭いました。
それから揃って復活し、ただ1人残って敵と対峙していた友軍と合流。
そこから敵と散発的な撃ち合い。
しかし双方決定的な打撃が与えられず、そのまましばらく散発的な攻防に終始しました。
しかしここで予備の89に異変が。
弾倉交換してもはまったまま保持せず落ちてしまいます。
マグキャッチが折れかかってていたのでした・・・。
なので弾倉を挿したらマグキャッチをぐっと押し込んでどうにか保持。
(わしは写ってないけどいい写真)
(わしは写ってないけどいい写真)
最後、1700を持って停戦が発効するとの情報が入り、その前に少しでも占領地を拡大する名目で、停戦前に総攻撃を実施することに。
小隊長から総攻撃についての指示が下命されます。
そして、突撃。
最後の抵抗を試みるソ連軍陣地まで迫り、そこで応射の弾幕の中を突撃…しかかったところで敢え無く被弾、北の大地に寝転がります。
夕暮れの空を見上げながら、(ああ、戦争では実際にはこうやって死んでいくんだなあ)と思ったり。
ちなみに同じころ、自宅では娘がヨメに
「ねえパパはどこ行ったの?いつ帰ってくるの?不倫でもしてるんじゃないの?離婚したほうがいいんじゃないの?」と言っていたとか・・・・・・
そこで停戦が発効し、戦闘は終了となりました。
最後に全員で記念撮影。
昨年の昭和自衛隊サバゲでも活躍した熊は、今回も暴れてソ連兵を蹂躙したようです。
というわけでおしまい。
心配していた右膝はどうにか持ちこたえ、いつものように右足首が痛くなった程度でしたが、花粉のせいで途中からクシャミと目のゴロゴロがひどくなりました。
これで翌日が休日だったら良かったのになあ~
主催のさぶろぅさん、会場提供のジェロニモさん、そしてご一緒した皆さんありがとうございました!