しかしその内容は多岐にわたり、中には先生ご本人のお言葉とも思えないほど見苦しいものもあったり、先生の食生活についての内容まである。
だが、もしかすると『論語』は単なる言行録ではないかもしれない。
雑多な内容は、本当の目的をカモフラージュするためのものかもしれないのだ。
かの大工の息子の弟子ヨハネは幻視による予言を得意とし、それによって生まれたのが「ヨハネ黙示録」である。
また東洋においても漢の高祖劉邦が未来予知の能力者であったことは割と知られている*1。
同じように、一見孔丘先生の妄言録に見える『論語』も、実は未来予知を随所にちりばめた「よげんの書」かもしれないではないか。
子曰「夷狄之有君、不如諸夏之亡也。」
(『論語』八佾第三)
先生は「夷狄に君主がいても、中国に君主がいない方がマシだな」と言った。
これはもう遥かな将来に五胡やその他異民族が中原に進出し中華の民の君主を追い払った時代を予見していたとしか思えない。
子曰「温故而知新、可以為師矣。」
(『論語』為政第二)
先生は「故事を温めなおして“新”という王朝を知る。それによって師となることができよう」と謎めいた言葉を残した。
明らかに王莽が周公旦の天子代理や太古の禅譲といった故事を引っ張り出して権威付けや政権奪取の理屈に使ったことを予言している。
後段についてだが、これは少々解釈が難しい。
だが、孔丘先生の子孫の孔光が王莽の時代に「太師」なる官職に就けられた事が分かれば理解は可能だろう。
つまり後段は「新王朝を知る頃には、太師となる者がいるであろう」と言う意味だ。
孔光を名指ししないのは、自分の子孫が人臣の最高位と言っていい太師になる、とドヤ顔で明言してしまうほど先生もあつかましくなかったということだろう。
全くもって、孔丘先生にはいつも驚かされる。
今後も、孔丘先生の予言を解読できたら紹介していきたい。
*1:呉王の運命や自分の死後の王朝の行く末を予見した。