地元の金沢から上京してきたのは2003年の春、18歳のころだが、大学生としての最初の4年間というのは、サークルとか、研究室とか、バイト先とか、随分狭いコミュニティーの中で過ごしていた。2003年なんてついこの間のようだが、iPhoneもTwitterもGoogle Mapもなかったので、今とは全然違う移動の仕方をしていたように思う。
目当ての駅についたら、地図帳の該当のページを広げて、目的地を目指す。ページの端にたどりついたら、番号をたよりに「次のページ」へ。東京はそんなふうに、B5サイズの四角い見開きの一つひとつとして分断されていた。
就職を機に、それまで住んでいた学生会館を出ることになった私が選んだのは、中央区の新富というエリアである。大学生協ご用達の不動産会社から送られてきた物件情報の中で会社に最も近いのがそこだったからで、ほぼ、間取図だけ見て決めた。
世界が、分断された小さな1ページから、俯瞰(ふかん)していけばどこまでもつながっている巨大な1枚の世界地図へと大きく変わった4年間を、私はそこで過ごした。
どこにでも行ける街
新富周辺は、西は京橋と銀座、南は築地に隣接し、東は隅田川で区切られる、オフィス街とも住宅街とも言い切れない妙な一帯だ。かつては、江戸経済の中心地である日本橋まで物資を届けるための運河がはり巡らされていて、北側の八丁堀エリアには同心や与力が、新富エリアは芝居関係者が多く住んでいたという歴史のある場所である。
ただ、交通量のかなり多い昭和通りを境として観光地からははずれており、下町的な雰囲気もそれほどはない。比較的築浅の単身者向けマンションが意外とたくさん建っていて、そのほか、雑居ビルと呼ぶのが似合うオフィスビル、畳屋や印刷所といった営業しているのかしてないのか分からない系の古い店舗、ぽつんと点在する飲食店が雑多に連なっている。
まずなによりも、ちょっとびっくりするほど交通の便がよいことは、自信をもっておすすめできる。最寄駅は有楽町線の新富町、都営浅草線の宝町、銀座線の京橋、JR京葉線と日比谷線の八丁堀とじつに5沿線が使え、どこを選んでも駅徒歩10分以上になりようがない。さらに浅草線は、京急線、京成線に接続しているから、羽田にも成田にも1本で行ける。なんなら、東京駅までも歩ける。
そういう「どこにでも行ける」街に住んでいると、「どこに住んでいる」ということ自体が自分のアイデンティティーの中で希薄になってくる。私鉄沿線に広がる郊外住宅地のような、地縁型コミュニティーや、沿線文化の強い街がはっきりと苦手な私は、余分な家賃を払ってでも、そうやってできるだけ都心のビッグターミナル周辺に住むことを選んできた。
銀座という、器の大きな繁華街
歩いていける範囲に大きな繁華街があれば、それらをなんの気兼ねもなく日常使いできるのもうれしい。新富の場合は、銀座である。
高級ブランドのブティックに、高級鮨屋にと、住むまでは敷居の高いイメージしかなかった銀座だが、じつはかなり器の大きな街だ。日本初進出の店舗や、はたまた毎度おなじみのブランドが、東京で一番気合の入った店舗を次々建て、新陳代謝のスピードも速く次々いろんな表情を見せてくれる。
その道に通じた文化人も、いまや全世界から押し寄せる観光客も、客として等しく扱われる銀座は、誰にとってもハレの場所で、同時に誰にとっても開かれている。
私にとって銀座は、「ファッションとインテリアの街」だった。THE CONRAN SHOPやIDÉEなどが出店する丸の内まで入れたら、結構パラダイスだと思う。あの気になるブランドの店、どこかな、と探せばだいたいどこかのビルには入ってる。
世界的な有名ブランドのショーウインドウをうろうろ眺めるのも楽しいし、最近では新丸ビル、マロニエゲート、KITTEと、いい匂いがする新しいショッピングビルもどんどん建って、ビル全体が私のお気に入りになった。H&Mみたいなファストファッションも日本初出店は銀座だったし、無印良品やユニクロは都内随一の大型店舗があるし、郊外型のショッピングモールに週末出かけるのと同じような感じで、だいたいの買い物は銀座で事足りる。
新橋にある会社から、歩いて帰ることも多かった。有楽町にたくさん、本当にたくさんある映画館でレディースデーに映画を観て、通り沿いの店舗が閉まって人気の少なくなった中央通りを、4丁目、3丁目、2丁目……と数えながら黙々と北にさかのぼっていく。以前「ブラタモリ」でも取り上げられていたが、銀座は碁盤の目状に街路が整備されていて、密集した店舗への動線を高めるためにつくられたものすごく細い路地が、江戸時代から変わりなく現役で残っている。ほとんどビルとビルの間の「隙間」のようなその道を縫って、あみだくじのように歩けば、毎日違うルートで帰ることができた。
誰も知らない、私だけの東京を探す作業
八丁堀や東銀座のあたりには行列のできる有名なバルや、予約をとるのが難しいようなイタリアンの店なんかもあって、一帯が築地・銀座に隣接した知られざる「グルメの街」でもある。食通の人にとっては、住むとなったら夢の街かもしれない。私も、会社の先輩に美味しい店を教えてもらってみんなで飲みに行ったりもした。「じゃ、私は歩きなんで……」と徒歩で帰るときには、なかなかの優越感にも浸れた。
でも私にとって、ほっと落ち着ける「なじみの場所」は、かつて川底だった首都高を行き交う車をぼーっと眺められる小さな公園だったり、なじみの店員と無言の駆け引きがあるチェーンのそば屋さんや和食店だったり、都営浅草線のどうにも哀愁漂うホームだったり、人におすすめするほどでもないような、そういう場所だった。
私の好きなその風景は、2015年のベスト映画のひとつ「はじまりのうた」に出てきた「ニューヨーク」の風景に、少し似ている。それは、音楽で成功することを夢見てニューヨークに出てきた主人公たちが、わけあって挫折し深く失望して、そこから再スタートを切る映画だ。
劇中、ニューヨーク中の退屈したミュージシャンたちは、路上でフィールドレコーディングを開始する。裏路地。地下鉄のホーム。マンションの屋上。そこに出てくるのは、例えば「セックス・アンド・ザ・シティ」に出てくるような、きらびやかでホットな「ニューヨーク」とはまったく違う、なんでもない、どこにでもありそうな、少しだけ殺風景な場所だ。
エスカレーター、首都高速道路、高架下、都市河川、工場、モノレール、空港。新富に住んでいる4年の間に、私はそれらの「なんでもない、だけど都会にしかない風景」の愛好家として、文章を書く仕事を少しずつ始め、少しずつ、自分だけのやりかたで東京という街を愛するようになっていた。
「よそ者」として生きる自由
2015年に見た、ベスト映画のもう1本「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」は、自身が初脚本・演出・主演する作品のブロードウェイ公演初日を迎えるまでのたった数日、主人公の俳優リーガンに悪いことばかりが起きる話である。もうなにもかも全然うまくいかないリーガンに容赦なく感情移入していくうちに気づくことは、この「なにもかもうまくいかない感じ」は、私も身に覚えがあるぞ、ということだ。
私がこの映画で一番好きなキャラクター、演劇批評家のタビサは、落ち目の俳優リーガンが自分の人生をかけて挑む舞台に対して、観る前から最低の評価を予告する。しかしそれが、まったく的はずれで高飛車な態度ではないところがすごい。ど素人、門外漢のリーガンが自分ひとりだけで演ろうとしているのはレイモンド・カーヴァーの短編小説で、よほど演劇に精通していて、才能もある誰かが演出しないことにはものになるわけがないということを、正確に指摘しているに過ぎないからだ。そして、案の定、まったくうまくことが運ばない。
ど素人、門外漢である自分には、この場所のルールがよく分からない。空気が読めない。がんばらないと、すぐにここから閉め出されてしまいそうな感じがする。私はこの感覚をよく知っている。地方出身に限らず、「なにかに所属すること」にどうにも居心地の悪さを感じている人は、ほかにもきっといるだろうと思う。
東京西側のJR中央線や、私鉄沿線の住宅街は、駅ごとにブランド化されている。車社会の地方都市ではとっくに淘汰(とうた)され尽くしたような小さな商店街が駅前に連なっていて、どこも独自の文化をもっている。自分にぴったりの街で、そこの住人として行きつけの場所と顔なじみを増やし、街に染まっていくのは絶対に楽しいに違いないだろう。でもなぜか私は、そうしないこと、よそ者であり続けることを選んで10年が過ぎた。それはさびしい生き方に見えるかもしれないけど、それでも私はそれを「自由」と呼びたい。「誰の目も気にせずしたいことをするなら、私は本当はなにがしたいのか」を考えることができたから。
リーガンは最後に「奇跡」を起こすのだけど、たとえ奇跡が起きなかったとしても、そんなふうに生きることは、本当は誰にでも許されている。
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著者:田村美葉 (id:tamura38)
1984年生まれ、石川県金沢市出身。東京大学文学部卒。会社員。 日本でおそらく唯一ぐらいのエスカレーター専門サイト『東京エスカレーター』を運営、「高架橋脚ファンクラブ」の会長職を務めています。
http://www.tokyo-esca.com/
編集:はてな編集部