通称 “青の洞窟” と言われる場所がある珠洲岬。海底隆起に伴い、本来水底だった部分が露呈している。
“青の洞窟” に関する情報は、こちらをどうぞ。 青の洞窟 Blue Cave
震災前の画像が含まれているから違いが判る。
色々思う事はある。何より直前に目撃した凄惨な景色の事で、若干動揺してた。
此処も駐車場はガラ空きだったよ。
佐川急便トラック2台のサイドパネルには 救援物資輸送中 の表示がある。
とにかく何か買おうと他にお客さんがいない店内へ。佐川のドライバーさんと関係者?の方が話してるくらい。
商品を見ていたら、女性スタッフさんが声をかけてくれた。『ボランティアの方ですか?』と。
オレさ、実は2日間とも作業服で能登をウロウロしてたんだよ。観光に来てるんじゃないって意識してたから。
この目で見たもの、聞いた事を地元で教えたいのだと説明する。凄く喜ばれた。
『こちら側から情報発信するのには、どうしても限界があるので嬉しいです』
店内はとても綺麗で震災があったと思えない。被害も軽微だったようだ。
気になっていた近くの地区。津波の影響を受けているのか尋ねてみた。
岬から撮影した灯台。丸の中に小さく写っている。震源はここから数メートルの場所なんだそうだ。
『この辺は地震で隆起したので津波は免れました。…でも、地区には地震から5分もせずに到達しています』
スタッフさんは、淡々と事実を話し始めた。
考えてみてほしい。地震が発生したのは元旦の16時過ぎ。
陽も暮れかかった時間帯。通常なら娯楽番組視ながら酒飲んでる頃だろう。
夕食の用意を始める家庭があったかもしれない。
家族たちと団らんのひと時を過ごしていたかもしれない。
地区の辺りには、防波堤と言える構造物は存在していなかった。
オレが、どんな思いで其処を通過したか。想像してもらえるだろうか。
売店の近くに、これまた有名な宿泊施設である【ランプの宿】がある。
展望台のデッキ(飛び出してる構造)から撮影した【ランプの宿】。隆起は、この画像からも確認できる。
この場所、滅茶苦茶怖かった。オレは高所恐怖症なんだ。画像下の三角パイプは、手すり。
震災当日の宿は満室。地震発生直後に宿泊客全員を店内に誘導。
この場で一夜を明かし、関係者が周辺状況を確認。避難体制を整えてから宿泊客に移動したもらったと。
翌3日に関係者が避難開始。ご自身はお子様がみえるそうで、金沢まで移動したそうだ。
普段なら、珠洲岬から金沢まで2時間程度。この時は16時間。以降の話も色々伺った。
60名居たスタッフも、現在5名。住居を失った人に仕事を続けて欲しいとは、どんな立場の人も言えないだろう。
懸命な努力の末、4月26日に漸く店舗の営業再開。で、現在に至ると…。
【ランプの宿】は今も休業中。建物自体には被害が出ていないが、水周りが損傷を受けているそうだ。
撮影時に掲載許可は頂いている。驚いてたが、快諾してくださった。
画像右側の女性が話を聴かせてくれた。色んな経験が豊富な方だと推測する。
各方面に人脈もお持ちのようだ。話題の引用元が沢山あって驚いた。
ご自身が被災者の1人であるにも関わらず、話の内容は冷静且つ客観的。
そこに個人の感情が含まれていない。本来は、辛く悲しい出来事なのに。
此処へ来るまでに話を伺った人の事を話してみた。
『事実と異なる報道があったとしても、能登の話題が出ているだけでも助かります。
お客様(オレ)のように、現地へ来てご自身で確認される人は殆どみえないと思います。
現在の能登を知ってもらい、復旧すら終わっていない状況をどう変えていくのか…。
私たちだけでは、どうにもできない部分の話になっていくんです』
30分程話を伺っていただろうか…。せっかくなので、岬と洞窟を見に行く事にした。
スタッフさん本領発揮。撮影時の背景にあるマップを指しながら説明してくれる。
『洞窟を訪れる人はスピチュアルに興味を持たれる方が多いです』と話しつつ、平家の話を話したくてウズウズしてた感じ。
何か…それが微笑ましかった。 洞窟の画像は、紹介した URL から参考に。
急ぎ足で岬と洞窟を廻る。
強風で変形している樹木。オレが行った時は吹いてなかった。
隆起しているのが、はっきり判るだろう。
景色も良い。再び訪れる際には、平家の話を勉強しておく。(笑)
波も穏やかで過ごし易かった…が、時間がなくてね。急ぎ足移動。
汗だくになりながら店舗に戻り、買い物をする。画像左側の女性がレジ対応をしてくれた。笑顔が素敵な人だったよ。
話をしてくれた女性が『これもどうぞ』と煎餅を別に包んでくれた。せめてもの気持ちだと言う。素直に受け取った。
「1人でも多くの人に、能登の現実を伝えます」と約束して、店を出た。
帰宅(15時頃)して撮影。
煎餅とパンフレットは頂いたもの。他は同じ物を複数購入した。
オレは能登の “一部” を見てきただけだ。
七尾市内、白米千枚田、道の駅 桜峠、恋路海岸、珠洲岬、禄剛崎灯台、道の駅 狼煙、和倉温泉屋台村、行き来した幹線道路…。
現実はネガティブなものが多い。だが、心情を話してくれた方々は全然!諦めていない。
『心が折れそうな日もあります。でも、前を向いて進むしかないんですよね』
毎日を精一杯生きている人たち。復旧作業を懸命に進める人たち。そこから見つけた希望。
未来に見える筈の光明、今は僅かかもしれない。だが、それは日々強く大きくなっていく。
能登を元の姿に戻し、更なる発展を目指している人が存在する限り…。
日本人なら、誰もが明日は我が身になるかもしれない震災被害。これに目を背ける事なく、今できる事をして欲しい。
震災の恐ろしさを知る事も、手を差し伸べることも、とても大切な事だ。能登だけじゃない。各地の大震災も同じ。
『震災の苦労を知っている人は、私たちに寄り添ってくれます』この言葉が持っている意味は、とても重い。
この楽曲に込められている感情は、実に複雑だ。これを被災地に当てはめてみた。
見る人、聞く人によって、捉え方は大きく変わる。
何が正しいのか? その答えが歌詞になっている。
ブログ書くのに5時間もかかった!