リンチ上等と反日上等
絶句したので書く。
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id:hisamatomoki これはひどい, これはひどすぎる, デモ, 社会, 在特会, 政治, 酷使様 最悪の事態にならなかったことは不幸中の幸い。/ とにかく、こういうバカなことやる連中は右も左も淘汰されるべきだけど。これだから「自称絶対正義」は。/ 日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら
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hisamatomoki メタブクマ 参加者のところの情報(mixi)だけど、叩いていた人の何人かは警察に引きずられていったようです/ ただ、自分から挑発しにいってるところがあるからな……。最悪なのは在特会だけど、被害者にも同情できないんだよ……
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hisamatomoki これはひどい, 在特会 これさ、韓国人少年を挑発して暴力を振るわれて英雄扱いされてる在特会の約一名と何が違うの? 在特会が最悪なのは当然としても、なんだかね
はてなブックマーク - YouTube - 在特会のみんな、排外主義やめて毎日インドフェスやろう。
動画から判ることは在特会がリンチ上等であるということですが、そしてそんなことはわかりきったことなのですが、リンチに晒された人に「同情できない」理屈がどのような理屈か伺いたいところです。この世に悪の観念があるなら、リンチというのは悪そのものと私は思いますが。「リンチ上等で挑発したのだろう」というのを下衆の勘繰りと言います。そしてそのような下衆の勘繰りに突き動かされて在特会はリンチを、すなわち匿名性に基づく多数派と称した集団の暴力を繰り返している。
在特会の人々は「敵」の身元を特定しようとする。相手の身に付けている物を奪おうとする。「敵」を散々撮影しながら、自分たちがカメラを向けられると激昂する。そして大勢で一斉に襲い掛かる。すべて、「善良な市民」という匿名性のもとに、多数派と称して、集団で少数派を威嚇するために行われている。多数派に顔はなく、「善良な市民」という匿名性に顔はない。だから彼らは、少数派を威嚇するとき、自らの顔を隠そうとする。インターネットではよくある話でした。そして、これは現実の往来での話。既に閾値は越えている。
「暴力上等」と「リンチ上等」は違います。そして現実の暴力は、概ねリンチという擬制において執行される。顔がない多数派において、「善良な市民」という匿名性において、自らの顔を隠して少数派を威嚇することが、現実の暴力の様相であるということ。これまでインターネットがそうであったように、今後は往来でそうなるでしょう。リンチ上等を隠さない連中がある限り。
そして――顔がない多数派において、「善良な市民」という匿名性において、自らの顔を隠して少数派を威嚇する現実の暴力の様相が、日本社会そのものとしてあること。そのとき、リンチ上等を隠さない連中は、嬉々として少数派を怯えさせ、暴力の行使によって口をつぐませようとするでしょう。人類史的には、この道はいつか来た道というやつですが。
「同情」とやらいう言葉に価値的な内実が仮に存在するなら(存在しないなら、つまり単なるhisamatomokiさんの感情的な放言ということなら結構)、それがどのような人でどのような行動の結果であろうとも、リンチに晒された人に対して「同情」するべきです。「自称絶対正義」ではない「正義」があるなら、リンチに晒された人に寄り添うことは「正義」の問題です。アイヒマンが吊るされることは致し方ないかも知れないがそれは「正義」の問題ではない。その錯誤の果てにイスラエルの現在がある。
そして、この日本社会は、リンチに晒された人を「同情」の問題としてしか取り扱わない。つまり「正義」などない。ま、アドルノが言ったように、社会において実現されないのが正義ですが。なぜなら、「同情」を口にする誰しもが、潜在的なリンチの加担者だからです。それが公共の往来で有形力の行使を伴って顕在化したのが現在、ということでしかない。それは、リンチ上等を隠さない連中がある限り、当然の帰結です。そして、種はインターネットに撒かれていた。
「有形力の行使<だから>ひどいんじゃなくて、もうずっと長い間在特会は人傷つけてきたからひどいし、見過ごし続けてるわたしもあなたもひどいよ。」というある人の言葉を拝見しましたが、その通りと思う。 ジョン・ダンの「誰が為に鐘は鳴る」とは、そういうことだと私は思います。リンチに晒された人があることは、人類史において連綿と存在するリンチに晒されてきた人々の苦痛と屈辱は、その鐘は、ほかでもない、現在を生きる私たちの為に鳴らされている。それもまた、歴史を学ぶということです。
自由の問題とは、そういうことなので、「Aを選ぶのは自由だよ。ただAを選んだら差別されるだけで」などという大馬鹿な詭弁にしたり顔で頷いてみせている限り、私たちはリンチ上等を隠さない善良なる愛国者を退けることはできないでしょう。顔がない多数派という匿名性において少数派を威嚇するこの日本社会のあり方を是正することも。そこに他者はない。「同情」の問題として取り扱われることのない誰かという「他者」は。そして、そのような「他者」こそ、リンチに晒されている。昔も今も。現在進行形で。
――「反日上等」とはそういうことです。わかって批判していらしたのですよね。反日上等を批判する人がリンチ上等を許容するというのはどういうことか、保守主義者における一貫性の表れという了解で宜しいのですか。私は嫌味を言っているのではない。私も保守主義者なので、そのように考えがちな自分を知っているので、自己批判を込めて言っている。「許容していない」と仰るでしょうが、なら「被害者にも同情できない」理屈について納得のいく説明を伺いたいところです。単なる感情的な放言ということでないなら。
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私はその日の夕方、宮下公園で常野さんと会った。代々木公園のインドフェスで話を聞いた。怪我をしていた。自分に怪我させた相手をパクらせたくないということだった。動画に記録されているが、身を呈して常野さんを庇う警察官に対して「なんでそいつを守るんだよ」と集団で襲い掛かっている相手が言っている。「反日シナ人」と誤解されたのなら仕方ない。仕方なくねえよ。
重傷でなかったことは偶々でしかない。身を呈する警察官があってさえ、リンチに発展した。私は三鷹でのことをこの目で見ている。まったく同様だった。あのときは大勢の警察官が動員されていたが、それでも彼らは慰安婦展の会場から出てきた人々に文字通り集団で襲い掛かった。警察官に対する「なんでそいつらを守るんだよ」という罵声と共に。怪我人が出た。
「被害者にも同情できない」? ――「同情」とやらの問題ならそうなりますかね。
これも動画に記録されているが、彼らは手にした日の丸の柄で常野さんを突いてきた。日の丸のこれ以上ない正しい使用法を見た、と常野さんは言っていた。保守主義的な愛国者としても、同意せざるをえなかった。汚すも何も、そもそも日の丸とはそういうものであり、そうした場にこそふさわしい。日の丸は、その柄で「同情できない」誰かを攻撃するためにある。「日の丸を汚してるのは間違いなくこいつら」と、「イデオロギーの左右」の別なく。 そうやって、リンチに晒された人に対して「同情」すらできなくなることこそ、最大にして最悪のイデオロギーと、保守主義者としての私は思います。
「反日上等」とはそもそもそういう話なので、それをイデオロギー問題へとすりかえることは問題の擬似問題化であり、そのような問題の擬似問題化を批判することもまた「反日上等」の趣旨なので、当時私はhisamatomokiさんの議論に対しては言及しなかったけれど、「他者支援の問題」と再三主張していたhisamatomokiさんがそのことをどうやら了解していなかったことには絶句しているところです。念の為に書いておくと、他者支援とは「同情」の問題ではない。
リー・ミラーのよく知られた報道写真があります。パリ解放後、占領下にドイツ将校と交際していたフランス人女性がパリ市民に髪を切られて「裏切り者」「売国奴」として公衆の前で晒し者にされている光景。トリコロールは今なおそのオブセッションを背負っている。いわんや日の丸をや。そうしたリンチと、そのリンチを生み出す一切のものを批判し退けてきたのが左翼であり、その一点においては、私は左翼に全面的に同意する。このことは「イデオロギーの左右」の問題ではない。「反日上等」とはそういうことなのですが、そのへん了解のうえで批判されていたのですよね。他者支援云々と。なお、私は下部構造的にいしけりあそびさんとは否応なく立場が対立するものの、外国人問題については訳あって「現場の人間」です。「実務的」な。
確かに「イデオロギーの左右」の問題ではない。「イデオロギーの左右」を理由に、リンチに晒された人に対して「同情」すらできなくなる、そのようなイデオロギーとその弊害の問題と思う。それをして、「妖怪どっちもどっち」と言い、「右でも左でもない」党と言い、自称中立と言う。
革命が起こったら私は常野さんに粛清されてしまうでしょうが、そんなことはどうでもよい。「イデオロギーの左右」を理由に、リンチに晒された人に対して「同情」すらできなくなることこそ、自由の敵であり、最大にして最悪のイデオロギーであり、たまにはこういうことを言いますが、人としておしまいなことだと私は思います。それが「イデオロギーの弊害」でなくして何であろうか。クリント・イーストウッド主義者としては――保守主義とはそういうことだと私は思っていますが。
「これさ、韓国人少年を挑発して暴力を振るわれて英雄扱いされてる在特会の約一名と何が違うの?」暴力上等とリンチ上等は違うので、当然違います。リンチ上等が在特会です。リンチ上等に抗する暴力上等がありうるかと問うなら、イーストウッド主義の保守主義者としては、『グラン・トリノ』に倣って、否と言いますが、保守主義を採らないならその限りではない。もちろん、動画に記録されてある通り、常野さんは有形力を行使していない。行使していれば、在特会は鬼首で動画を上げる。リンチ上等なのだから。
そして当然、それがhisamatomokiさんが表現するところの「挑発」とやらで仮にあったとして、挑発とヘイトスピーチは違います。その区別がされていないことが、hisamatomokiさんのイデオロギーとその弊害に由来するものであることは了解しました。「右でも左でもない」イデオロギーとその弊害。これは皮肉で言っているのではない。私としても、自戒するところです。