もう日が暮れたよ山頭館

気が付けば色々なものを作り自分で適当に満足してきた。これからも隙をみてはモノを作る。これはモノ好きの記録なのだ。

ゆく年くる年

元旦から

年の瀬になると、テレビではどのチャンネルも、今年の10大ニュースなどを放送している。そして、NHK紅白歌合戦が終わり、蛍の光を合唱すると急に画面が変り、雪が降るお寺の除夜の鐘がゴーーンとなる「いよいよ今年もか」と神妙になり年を越す。いつもの風景である。

今年は元旦から能登地震の衝撃ニュースから始まった。普段なら正月料理を食べ、都会から久しぶりに帰省した家族と一緒に、ゆったりしているはずなのに、極寒の中家から追い出され、寒さと不安に震えながら時を過ごすことになってしまった。熊本地震は4月の中旬だったため、寒さに対してはそんなにつらいことはなかった。しばらくは不便ながらもいろんな支援等があり、ここまで復興することができた。能登はテレビで見た感じでは、いまだ手付かずの所もあり、正月も不便な状態で迎えられるのは、誠に気の毒である。

今年は我が家においても、忘れられない出来事が沢山あった。忙しさにかまけて、中途半端に終わったことが多々あり、来年は上手に修正していかなければならぬ。

 

サクラサク

振り返ると、コーヒー豆と無農薬野菜の店(Sakurayama  Coffee Roaster)が3月に開店した。

早くから準備をしていたが、店舗土地の農地転用等ですっかり遅れてしまい、3月にやっとオープンすることができた。店舗での珈琲や自家焙煎豆の販売を軸に、少しづつ新しい食べものや商品の品ぞろえ等を工夫している。このような店舗は、自分たちの思いと、お客さんの希望をかなえながら営業していかなければならない。

「ものを売るより人を売れ!ビシッバシッえ〜い」とスタッフのコーヒー道?への修行を重ね、徐々に愛される専門店を目指していくのだ。

そろそろ「ジイさんの石焼き芋」を冬季限定で販売し、自分の小銭を稼ぎたいものだが、現状まだまだ手が回りそうもない。今TSMCの影響で、バイトの時給も高止まりではあるが、ちょうど大河ドラマも終わったので、吉高由里子にでもお店のお手伝いをお願いしようかな?コーヒー飲んでウェーイ。

心臓の回復

心筋梗塞の発症依頼熊本の済生会病院で定期的に検査を受けていた。今年8月予定の半年点検がコロナと台風の影響で10月に伸びてしまった。また血管が詰まってますと言われたらどうしようと心配したが、MRIの結果も良かったようで、今後は主治医による通院で済生会での検査は終わりとなった。元通りとはいかないだろうが、縛りが捕れたようで何ともありがたい。これで少々力仕事も無理ができると思っていたが、体の方が年々衰えを隠せず、廃車前の車のように、体のパーツがつぎつぎと不具合発生を報告してくる。新しい診察カードも目新しいクレジットカードのように増えるばかりだ。

 今までは、耳カキで外耳炎になることは何度かあったが、6月に耳にバイキンが入り、大きめのコースター位のダンボ耳になってしまった。耳鼻科の先生に、これはヤバイと、1週間の入院治療を強いられた。あの入院は思い出すだけでも、おそろしく、静かなはずの病院で、下から湧き上がるような歌声がとどろき渡るのだ。今でも耳が痒くなると、当時がよみがえってくる。事もあろうか入院患者が、病室で声を殺しカラオケをうなるという、どこにも負けない迷惑行為に何日も耐えしのんだ。あの爺さんは退院したらカラオケ用にタブレットを買うと言っていたが…果たして自分で使えるのだろうか?どうでもいいが、病室で使うことだけは、やめにしてほしい。

コロナにかかる

コロナが再燃しているとはいえ、久しぶりの飲み方にノコノコと出かけたのはいいが、8月にコロナに感染した。熱は大したことなかったが、のど、鼻がやられ、味覚が1か月以上飛んでしまった。倦怠感もいつまでも収まらず、結局だるさや気力の衰えが続き回復まで1か月以上は要した。これも体力のなさに起因するものだろう。運動や体力づくりが改めて必要だと感じた。

 

母の死

 婆さん(母)が今年の10月に亡くなった。我が家としては一番の大きな出来事だった。大正10年生まれの103歳で村では一番の長寿であった。昭和の戦争、平成の地震、令和のコロナ感染と激動の時代を生き抜いて、特に体の深刻な病気もなく老衰で寿命を迎えた。目立った認知もなく、家族といる時間も長く、いろいろつらい事もあっただろうけど、家族みんなから大事にされて、幸せな人生だったように思う。

 

家賃の取りそこない

いつもなら9月〜10月にかけて日本蜜蜂の家賃を頂くのだが、今年は時期を外し、来年にしようかとも思ったのだが、毎年楽しみにしているクマさんも待っているだろうからと、12月に入りなんとか収穫した。

この後、ハチミツの蓋をナイフでそぎ取り、3日程かけて自然に蜜を落としていく。

ところが寒くなったせいで、なかなか容器に落ちてこない。昼間少し落ちて夜に固まりを繰り返し、時間をかけてある程度採蜜はしたが、すでにハチミツの結晶化が始まったので、もったいないが2升ほどのハチミツは全部処分してしまった。日本蜜蜂を長い事飼っているが、このようなことは初めてである。

今のところ、こちらに本物のクマは出没しないが、クマさんがコタツの中に攻めてくる時代になったので、今まで届けていたクマさんが怒らなければいいがと思っている。

親知らずの親不孝

今年は静かな正月を迎えるつもりでいたが、朝食の食パンをかじっていたら、ガリッと音がして歯の欠けたような小さなものが2個出てきた。どう見ても歯であるが鏡で見ながら奥歯に手を突っ込んでも特段歯の不具合は無い。かみ合わせに支障は無いので、そのまましていたら3日後に奥歯付近が痛くなってきた。以前から近くの歯医者さんに3か月に一度歯のメンテに行っており、親知らずが虫歯になりかけていると警告はしてあった。その時抜歯も言われたが、そんな怖くて痛い思いを前もってやるような事は、お金を貰ってもやりたくないので、そのままにしておいた。ところが、今回ばかりは痛みもあるし、正月もヒーハー言いながら寿司の一つも食べられないのでは新年の気分が駄々下がりになるので、抜歯覚悟で歯医者に助けを求めた。

やはり原因は「親知らず」でぽっかりと穴が開き虫歯になっている。カメラ式のレントゲンをとり麻酔を何本か売って、アガアガ言いながらも無事抜歯に成功した。

それにしても何のために「親知らず」は生えてくるのだろう。他の働き歯達が生えた後、歯茎に痛みを与えながらノコノコ出てくる。そして、他の歯とはかみ合わないので普段、何の仕事もしていないのだ。手前の奥歯は1日3回、さらに間食の時でさえ親の指示に従い、わが身をすり減らしながら、働いている。もう感謝しかない。この「親知らず」は最後に虫歯の痛みで親に大きな迷惑をかけてから一生を終わった。親知らずと言うより「親不孝」である。さすがに抜いてもカワユクないが容器がカワイイので記念に持って帰ってしまった。

そんなこんなで忙しい1年であったが、で正月は静かに迎えられそうである。

 それでも、来年は世界の首脳がどこそこ入れ替わり、大変なことになりそうだ。みんな我が国が良ければ的な国になりつつあり、世界の国々の協力や協調は遠のくばかりだ。国内も景気は一部しか上がらず、軍事費は増えるばかり、税収も少なくなるなら社会保障も厳しくなるだろう。不安要素が重なる年になりそうだ。

ただ、自分としては世界の心配より、来年から長い距離を歩く習慣の実行と、焼き芋機をどんなものにするかの大きな課題がある。元気がなによりだ。

 

いつのまにか12月

歳月人を待たず

長らくブログを書いてなかったので、知人友人にはヤツは生きているのだろうか?と思われてるかもしれない。別にミツバチに頭を刺されて考えがまとまらず臥せっている訳でもなく、近くの牧場のヤギに蹴られ入院してるでも無い。単純に何かと忙しいだけである。年寄になると、じっとしてても背中が痒くなり、そうこうしているうちに時は流れ、今年も残り1か月となった。これから冬の寒さに身を包む準備をせねばならない。

忙しくなった理由は、4月から地区のお世話をすることになり、回覧板に行事等の通知文章を発行するようになった。そのうち文章の通知だけでは面白くないので、季節の写真や、古い写真、地区の歴史などやや面白い作りで発行してみた。別に頼まれた訳ではないが、意外と回覧板が好評で、地区の情報誌みたいになってしまった。町の広報誌に合わせ月2回発行するので、余分な仕事が増えてしまったのだ。今更やめる訳に行かず、しばらく続けるしかない。

老いるショック

新聞に「老いるショック」という記事があった。50年ほど前中東戦争の影響から、原油価格が大幅に高騰し、あらゆる商品が値上がりした。世界経済も混乱するほどで、当時オイルショックと呼ばれた。その言葉になぞらえたもので、思わず座布団を1枚あげたくなった。昔元気だった老人が、無理な体制を取ったりすると、3日程体が痛くなったり、時にはカラスマガリを起こしてしまう。こんな時、老いるショックを感じてしまうのだ。

寒くなる前には何とかせねばと、ずるずると先延ばししていた甘藷をやっと収穫することができた。猫の額程の面積だが、害獣に襲われながらも電気牧柵で反撃し予定の3分の1くらいは収穫できた。

自分はお店の手伝いやら何やらあって忙しくしていたので、ほぼ嫁が一人で収穫した。

今年は「紅おとめ」という品種でねっとり系のものだが、掘った後貯蔵しなくても今年の芋は、結構美味しいく食べられた。最近天気が悪く、こんな日には家にいるだろうと久しぶりに親戚や、友人宅に甘藷を配りに行った。ところがどこを訪ねても留守である。仕方なく携帯に連絡すると「今病院に来ている」とのこと。3件程訪ねたのだが、皆病院だった。通院だから深刻な病状ではないと思うが、皆「老いるショック」に苦しんでる。

そういえば自分たちも長年通い続いた、済生会の人間ドックを今年は近場の日赤健康管理センターへ変更した。済生会の豪華な昼食は捨てがたいが、片道40分程時間が短縮できるので、新たな場所での検診となった。

ここでも不得意な「肺活量」の検査がある。基準の80%を下がると主治医殿を渡される。案の定2回やって78%位である。検査係の人も心配してこれは機械のせいかもしれないので、隣の機械で計測すると言う。「いやー自分はこの機械の使い方をよく熟知してないのでこれでいいですー」と言うと、それでは主治医殿が決定しますと脅された。

それは困るので「今一度チャンスを」と頭を下げ、再検査となった。新しい機械で涙目になりながら、その辺の空気をダイソンの掃除機のように吸い込み、肺の中の空気を残さず吐き出してやった。するとパンパカパーンと音は出なかったが、2回目で80を超えたのだ。よかったよかった。

 

乙事主か?

地区の環境保全会という組織から「イノシシが捕れた」と連絡が入った。今から解体するので肉を取りに来いとのことである。今我が町は台湾の半導体企業の進出で、どこそこ開発が進み煽りを食らった動物たちは住居付近まで接近するようになった。

捕れたのは「猪郷谷」と呼ばれるいかにもイノシシが住んでいそうな地名の近くである。畑を荒らすイノシシは害獣となり、町の猟友会に駆除を依頼してある。ところが組織も高齢化しており、地区に罠猟の免許を取らせ幅広い捕獲作戦を実施している。
捕れたのは、大間のマグロを彷彿させるほど立派な体格で、ドングリをたらふく食べた体は、イベリコシシのレッテルが付くほど肉の味は保証できるだろう。

程なく解体されきれいな肉は分別されていった。昔食って猪肉の美味しさは知っていたが、嫁から「肉は絶対もらってこんで」とクギを刺されていたので、なくなく手ぶらで帰った。すると2日たって今度はシカが捕れたと連絡が入った。肉の引き取り手が無いから取りに来てくれという。今はいろいろな病気が流行るので、皆警戒してジビエといえど喜んで食べる人は少ないのだ。

ここは台湾か!

今年はイベントに何かと呼ばれる。店のPR等で、町の観光振興会もいろいろお世話になっているので、出店依頼については店を休んででも出向いている。今回は、TSMCの社員関係者を対象とした祭りが開催され、たくさんの出店や、芸人のステージなど行われ、多くの人出で賑わった。

台湾の半導体企業は、政府の肝いりで誘致しただけあって、新しく就任した木村知事やくまモンが場を盛り上げた。

ステージの前の方は、ほとんど中国語が話されており、気のせいか皆富裕層に見えてくる。すぐ近くにSONY東京エレクトロンの工場が立ち並ぶが、その何倍も大きいJASM(TSMC)の工場があり、第2工場も大きな敷地で建設が始まっている。おかげで大津町の地価上昇率は全国1位となり、付近の土地は不動産関係の会社が、どこそこと下見に歩いている。

今回のイベント出店は、急に決まったため、ハンドドリップした珈琲の販売はできなかったが、直接店に来られる方で、TSMC関係のお客様は確実に増えてきている。困るのは英語で注文されたりすることだ。熊本弁なら堪能であるが、慌てながら翻訳機を駆使しなければならない。今更英語や中国語を覚えるのは難しいので、ペッパー君で対応できればいいが、月のレンタルが5万円程かかってしまう。アマゾンのアレクサを駆使し、何とかならぬかと思っている。

 

免疫までも老化しているのか

蜜蜂さんの引っ越し

ミツバチは自然の生態系に大きく影響を与える。知らず知らずに多くの花を受粉させ、植物の種の保存を助けている。畑に於いておくと当然野菜の受粉が促進され成長も早くなる。

そんなわけで、我が家の日本蜜蜂を1群、珈琲のお店へ移動することにした。お店と言っても隣の野菜畑で、ちょうど良さそうな南高梅の木の下が空いているので、台風で倒れないよう設置した。

ここには食べる前に落ちてしまうナシの木と、考えなしに生りすぎる太秋カキがある。さらに今年ブルーベリーとレモン、みかんを追加したので、そこそこ果物の楽しみもある。なんといっても正面には樹木と森が広がっている。彼らの好きな樹木の花がいっぱいなのだ。すぐに巣箱を追加せねばならぬだろう。

 

楽しみな東京都知事

東京都知事は任期満了で7月に実施される。2人の女の戦いで、結果どうでもいいと思っていたが、思わぬ新人が表れ結果が面白くなった。小池さんと蓮舫さんだけなら選挙に金をかけるより、2人で3回ほど相撲を取って決着すれば、みんなが試合開始まで待ち遠しくてたまらず、彼女たちのマワシ姿も相当話題になるはずだ。そして平和なニッポンを海外がうらやみ、戦争をしている国達は、武器を放り投げ「こんなことしている場合ではない」と悟るだろう。

新人の「石丸伸二」氏は広島の元安芸高田市長で、議会の最中、議員に「恥を知れ」と叱咤してネットで有名となった。その後議会での言動や、市の財政を立て直したりと地元の若者や市民に絶対的な人気がある。支持者によるユーチューブでの議会映像発信などで、全国的に人気が広がり、去年9月の故郷納税は10倍以上に増えたとか。京都大学出身の41歳でアンチもたくさんいると思うが、若者の期待は十分であり、自分も応援したくなる程魅力のある人だ。

あの大都会東京で、後ろ盾のある2人の女性にどれだけ戦えるかわからないが、今まで選挙に興味を持たない多くの若者が、この選挙に大きくかかわるだろう。政党と無関係で、どれだけの人を味方につけるか、石丸伸二の秘策はあるのか?楽しみな選挙である。

 

耳ほじほじ、あいたーす

夕食後エアコンの効いた部屋で、予約しておいたビデオ見るのは至福のひと時である。それにカシューナッツなどのつまみがあったりすると、その辺にある飲み物や耳かきをひきよせ、ほじほじとやってしまう。大谷さんの久しぶりのホームランで、耳ほじの力がいつもより強かったのか翌朝耳が痛くなった。最初たいしたことはなかったが、段々と耳が赤くなり、熱迄出てきた。病院には行きたくないが、熱のほうが気になるので、行きつけの耳鼻科に行くと受付終了だった。仕方なく、となりのあまり混んでない耳鼻科に行った。一応、PCRとインフルの検査も行い、治療も終わった。検査は陰性で、耳の中は炎症ということだ。こよりの先みたいな棒で、薬が付いたかどうかわからぬほど素早く治療を終えた。

免疫の老化?

その夜からが恐怖だった。耳が今まで見たことがない、シイタケのどんこのように腫れてきて翌朝は完全にダンボになっていた。1日安静にしていたが、腫れはおさまらず、このままブラックデビルになったら大変なので、翌朝一番にいつもの耳鼻科を訪ねた。先生もびっくりした様子で、俺の欲しかったリコーのデジカメGRで写真を撮った。すぐに自分にみせて「顔はとってませんから」といったが、そんなことどーでもいいんですけど.・・・。

場所の特定はできないが、どうも耳の付近から、バイキンが進入し、悪さをしてるらしい。それに反応しておれの免疫がなんとか戦ってるが、年のせいか反撃が弱い。すぐに援軍として抗生剤を送り、点滴で応戦した。それでも効果があまり見られないので、次の日から別の病院で点滴入院となってしまった。

今は人食いバクテリアとか変な細菌もいるので、耳から頭に入り、これ以上脳みそが侵されたら大変なことになるので、言われるがままに1週間の予定で入院の運びとなってしまった。

病院は患者の素の状態が出るので、部屋の中だけでも話のネタはいくらでも出てくる。できるだけ静かなメンバーを期待していたが、今回4人部屋で他の3人は、すでに3国同盟状態のジイサン達だった。自分は挨拶だけしてから、カーテンを閉めて引きこもり状態で潜伏していた。彼らは夜7時に寝て、朝6時前から早起きし、世間話を始める。声が大きいからほぼ筒抜けである。たまたま3人は同郷で二人は一時期会社の同僚であった。しかも若い女の子でもない、80前後のいいジイサンなのに皆おしゃべりである。完全に「老人福祉センター」のふれあいサロンである。もうエアコンの効きは悪くなるが、カーテンを隙間なく締めてパソコンにイヤホンを突っ込み無視するしかない。

病棟は5回で、外には阿蘇と外輪山が広がる風光明媚なところである。しかし、食事が恐ろしく不味い。働かずにただ食べるだけだから、ぜいたくは言えないが、病院食のくせに味噌汁が辛くて飲めない。ご飯も香り米でもないのにやや匂いがする。唯一らくのう牛乳だけが美味しく飲むことができる食品なのだ。あの済生会の病院食が懐かしい。

ご飯が終わり落ち付いた頃、病棟に恐怖のカラオケが始まる。よくしゃべる76歳のジイさんがタブレットを持ってきており、82歳の爺さんがカラオケ好きと聞いて、親切に演歌をかけてあげるのだ。週2日カラオケに通う爺さんにとって魔法の箱のようで、すっかり気に入り退院したら即買いに行くと言っていた。もう狭い部屋なので包み隠さず演歌が聞こえてくる。

気分は上がっても、さすがに病院だから、爺さんも少し声を押し殺しながら歌いだす。これが何とも言えなく気持ち悪く「女のため息」や「舟歌」なんかは聞いていて気持ちが悪くなる。これが1時間は続くのだが、聞いてるうちの誰かの声に似ていることに気が付いた。以前テレビで放映された「白い巨塔」のエンディングで流れていたアメリカのブルースシンガー「トム・ウェイツ」の声そのものだった。

とはいえ、1日4回も点滴を打っているので、腫れもほぼ収まり、サルの耳のようにシワができたが、もう一方の耳の大きさに近づいてきた。

本日4日目だから計画では19日に退院できそうである。庭のシャラの木も花をつけた。いよいよ梅雨の季節だ。

どーなんさん現る

甘藷を植える

畑仕事をする人にとって、今の時期は雑草との闘いになる。足場の悪い畑の畔を愛機の刈払い機を背負いながら、ビービー言わせて草を刈る。今の時期は刈ったあとから生えてきてるのでは?と思うくらい草の伸びが早い。数日すれば同じ場所をビービーと音を立て草刈りをせねばならぬ。食材の野菜達も収穫した後から生えてくれれば大助かりなのだがそうはいかない。

自分の隣の畑はソバが植えてある。この農家の方は鍬を手で持つような農業は嫌いで?いつも大きなトラクターでガシガシと耕し種をまいていく。畔の草だって大型のトラクターに取り付けた草刈り機で行う。トランスフォーマーのように手を広げ高い土手の上さえもバリバリ刈っていく。スマート農業なのだ。その下の農家の畑は一面キャベツが植えられている。工業製品みたいなキャベツが整然とならんでいて虫も無く、てふてふさえも飛んでいない。

我が家の少量生産キャベツはすでに収穫が終わり、残ったキャベツはアオムシさんの食料となり、原形をとどめてない。


昨年気合を入れ甘藷の植え付けをしたのだが、心無いイノシシさんが、2回も来襲し無残な結果となってしまった。今年は何としてでも収穫し、珈琲のお店で一儲けしなければならない。

幸い、去年買い求めた電気牧柵がある。ブヒブヒとやってくる、イノシシの鼻キバ攻撃をビリビリと撃退するのだ。電気牧柵にはアリスの歌のように「君の瞳は10000ボルト」の電圧がかかっており、それにふれると目の玉が2cm程飛び出し雷に打たれたようになる。実際に触ったことがないので、どれほどのものかわからないが、ラビットのビリビリ椅子では比較にならない程だ。とにかく尻尾を巻いて逃げることは間違いない。

我が家の苗床にはしっかりと甘藷の苗ができていて嫁が雨前に少しずつ植えている。今の主流はネトネトして糖度の高いベニハルカがこの地では作付けされている。以前のほくほくとした芋の香り漂うベニアズマは人気がなく価格も安い。

すぐ隣の甘藷専業農家の畑は一面に雑草防止と保温のため黒マルチが張られている。

黒マルチといえばビールの黒ラベルと響きが似ているが、これを手で張ると大変な作業となる。我が家では鍬名人(嫁)が手作業でせっせと黒マルチに土をかけていく。自分は面倒だから、長靴でマルチビニールを固定しながらもう一つの足で土をかける。土かけジジィ方式である。早くて楽ちんだが、出来が悪いと嫁から叱られる。自分は素人だからと少々の事は我慢してもらう。

イタチごっこ

我が家のゴミ箱にイタチが悪さするようになった。ちゃんと入れたはずのゴミがゴミ箱の周りに散乱している。最初カラスかなと思ったのだが、くちばしでつついた跡がないのである。実際に目撃したわけではないが多分ゴミ箱の蓋を開けて中のゴミを引き出しているのだろう。そのうち懲らしめなければと思っているが、近くのゴミステーションにもイタチに劣るほどの悪い人間がいて、不法投棄をしてくる。そのまましていると、いつまでもそこに残ったままで、見るに見かね何度かそいつのゴミを持ち帰り、分別して出したことがある。困ったゴミの投棄では、車の塗装に使ったと思われる塗料スプレー缶を大量に捨ててあった。中身を使い切り、エアーを抜いて別場所にある環境美化センターまで持ち込まなければならない。頭に来たので、役場の環境保全課から看板をもらい立ててやった。これでやめるとは思わないが、次に捨てたときはこちらも反撃を考えなければならない。防犯目的で取り付けてあるすぐ近くの防犯カメラを解析するのだ。  

 

くじらCOFFEEへ行く

我が「Sakurayama Coffee Roaster」がオープンして程なく「くじら珈琲」がオープンした。阿蘇山のふもとに近く、大津町のはずれに位置している。とても景色がいいところで、4月末オープンしたばかりの出来立てほやほやのカフェである。何度かオーナーがうちの店に来られたので、お返しとばかり嫁を連れ昼食時に出かけて行った。

くじらCOFFEEの名前の由来はわからないが、周辺は田んぼや畑があり、阿蘇からの吹きおろしの風は強いが自然の中のカフェである。オーナーの方は東京にある有名な「猿田彦珈琲」に努められてたそうで、スペシャリティー珈琲とサンドイッチなどの軽食が食べられる。奥様は大津町出身のプロのギタリストである。

お客さんも多く訪れていて、珈琲を楽しんでいる。我が家のコーヒー店からは遠く離れているが、似たような感じのお店なので、何かのイベントで一緒に出店する機会があるかもしれない。まだ若い夫婦のお店なのでこれから頑張ってほしい。

 

どーなんさん来店

ブログ仲間のどーなんさんが大分からはるばるお店を訪ねてきてくれた。ミヤマキリシマを見に来られたそうで、多分阿蘇仙酔峡までいかれたのであろう。そこから家の店まで40キロ近くあるので、結構ロングドライブになったはずだ。

50年ほど前の話だが、アマチュア無線をやっていた時期がある。ポケベルもない時代だったから無線で通話ができるのは結構重宝した。時には無線つながりでダイレクトに会うこともあったが、声のイメージと本人さんは一致しないことが多く、あれっと思うことが多々あった。どーなんさんはブログも拝見しているし、その内容や文面でほぼイメージの人だった。突然の来店で、おもてなしもできなかったが、たまたま店にいたのでお会いすることができた。どーなんさんは年齢も一緒である。定年後の人生を多彩な趣味で楽しんでおられるようだ。とにかく年をとっていくと病院でドキドキすることはあるが、生活でワクワクすることが少なくなる。大好きな海釣りで、裏返った大きなタコを釣り上げワクワクされてるところが想像できる。

 

 

 

ジジィのウエイターで大丈夫か?

ハチの滝登り

日本蜜蜂を飼養している者にとって、ワクワクドキドキの季節がやってきた。巣群が増えていく分蜂の時期なのだ。桜の開花時期から約1か月程の間に、宿主の女王バチは次の女王バチを産み落とし、働きバチを引き連れ巣を出ていく。巣を出た蜂たちはいったん近くの木や屋根の軒下などに全員集合し、蜂員を確認したあと蜂添乗員が新しい蜂マンションへ連れていく。

このぶら下りを見つけると、日頃足が痛い、腰が痛いなどと泣き言を言ってる蜂ジイも我を忘れ網を持って走り回る。

今年3群捕獲し、今年はもういいかなと思っていたが、知り合いの建設会社からヘルプの電話が入った。何でも工事した道路端の植え込みに蜂が固まっていて、近くの住人から役場に駆除を依頼してきたとのことだ。

役場もスズメバチは駆除するが蜜蜂は対象外らしく建設会社に処理を頼んできた。建設会社もどうしてよいか解らず自分に電話してきた。この辺は住宅地で小学校の通学路でもある。早く捕獲しなければ騒ぎになってしまう。早速蜜蜂捕獲3点セットを持っていき、ツツジの木を少し切りながらも手作りの網にほぼ入れてしまった。

鯉が滝を上り登竜門をくぐると竜になるらしいが、巣箱の下から蜂を開放してやると面白いように上に上がっていく。ここまで蜂には相当ストレスがかかっているから、巣箱の中でやっとほっとできるのだ。登った後では竜にならなくてもいいから、しっかりと蜜を蓄え、秋口に美味しい蜜をプレゼントして欲しい。

新たなシリコンバレーとなるか

TSMCの進出以来、周辺がマンション建設や工場建設など次々に新たな建設情報が入ってくる。TSMCも2つ目の工場が決定してるし、どうやら第3工場まで作る予定だそうだ。自分が住んでる地区でもいきなり40戸の建売住宅用地が造成される。ここ何年かのうちにまわりが変貌するのは明らかだ。

地区内にある工業団地の中も、半導体関連工場は多く、色々な国の人たちも通勤している。中でもシリコンウエハーの再生工場では世界トップのシェアを持つハマダレフテックが工場を増設した。ちょうど地区の役員をしているので、工場の竣工式に案内があった。

私目ごときが出席してもいいのかと思ったが、物好きの私はノコノコと出かけていった。来賓用の駐車場に案内されたのだが、トヨタのクラウンやベルファイヤーとかの高級車が並ぶ中、わが愛車「ホンダNバン」は異才を放ち係員に止められてしまった。前日の雨で車は汚れ切り屋根には荷物を載せるルーフまで背負っている。係員がちょっと待ってと近寄ってきたが、一応スーツと首が閉まるほどネクタイは結んでいたので招待客とわかり駐車場に止めさせてくれた。驚いたのは、25年程前に一度この会社の総務の人と会ったことがあるのだが、その人が近寄って挨拶してくれた。「以前会いましたね」と覚えててくれて、名刺をくれた。名刺には取締役とあり、ずいぶんえらくなられていた。

地区の皆はこのまま変わらないほうがいいというが、もう半導体生産の流れは完全に菊陽町周辺に来ており台湾村ができるのはそう遠い日の事ではない。そのうちシリコンバレーと呼ばれる事だろう。

 

ジジイの接客

娘の婿さんが経営するコーヒーのお店「Sakurayama Coffee Roaster」がオープンして1か月ほどになる。お客さんが来るまでせいぜい3か月はかかると思っていたが、意外と知らない方でも来ていただけてる。

SNSの効果はほど良くて、珈琲好きの方がインスタやグーグルマップなどを見て来店して下さる。メニューは何種類かのホットコーヒーや水出しアイス、カフェラテ、ジュース位で食べ物も2種類のマフィンだけである。嫁の作った無農薬の野菜も並ぶが、これはその日の収穫状況に左右される。

オーダーが入ってから豆をガリガリするので、珈琲の抽出まで少々時間がかかる。普段は一人で対応できるのだが、一度にお客さんが来たときはジジィも登場し、何かと雑用をせねばならぬ。自分は珈琲のパッケージや、アイス系のコーヒーくらいしかお客様に提供できない。レジすらもスマホ決済が多く、もたもたしていると「じゃいいですー」と帰っていかれては困るので、あとは配膳くらいだ。白雪姫みたいな白く細い手ならいいが、手の甲にシミがところどころ見え隠れするクラシックな手で「お、お、お待たせしました」と小さな声でいれたてのコーヒーをお出しする。味に影響しないか心配になる。しかし、週末から勤め人が大喜びするGWが始まる。ジジィの接客で5月の繁忙期を乗り越える事ができるのか。バイトを呼べるほど売り上げがあがるのかとにかく忙しくなりそうだ。

 

 

店舗向け備品を作る

オオタニさん頑張れ

待ちに待った大リーグが開幕した。オープン戦の好調を引っ提げ嫁までも引き連れオオタニさんが韓国入りした。新天地での活躍の期待は膨らむばかりで、ダルビッシュとの対決でも球がなくなるほど遠くまでボールを飛ばした。初戦を勝ちゲームで終え第2戦はホームランを期待し、試合を楽しみにしていたのだが・・・「嘘だろう」「マジか」というようなニュースが入った。一平さんがやらかしてしまった。

真相が定かでないので、憶測でしかないが、2戦に登場した大谷さんの悲しそうな目、元気がなく、心に穴があいたような状態で野球に集中できていないようだ。

テレビで見る限り、大谷さんをベストサポートしていたような気がしたが、ギャンブル欲を抑えきれなかったのだろう。それをリカバリーしようとして完全に沼に落ちてしまった。

井上陽水の「欲望」という歌がある。「限りないものそれは欲望~」人の欲望には限りがなく死んでからでも天国に行きたがるという内容だ。一平さんも大谷の通訳として十分すぎるほどの経験や興奮を味わったと思うのだが、その時点で運を使い果たしてしまった。ギャンブルをしてはいけないのだ。今回の事の大きさは計り知れず、ファンの心まで不幸せにしてしまった。

それでも大谷さんは不屈の精神力を見せ、頑張れるような気がする。よさそうな嫁さんだから、力を合わせ倍返しの成績を期待する。

 

胡蝶蘭の置台をつくる

甘藷の苗床準備や薪置き場の改造とバタバタしていると、婆さんの体調不良で入院騒ぎとなった。何かと忙しい3月となったが、いよいよ3月15日にお店がグランドオープンした。店のインスタや口コミなどで知人友人から次々にお花が届いた。スペースに限りがあるので、壁側に寄せるべく展示台を急きょ作成するよう命を受けた。

ツーバイフォーの端材とプラ台はあったので、近くのホームセンターに足場板を買いに行った。

ツーバイフォーは再利用だが、サンダーで表面を削りベンチの高さで足を調整する。

塗装している暇はないので、このまま使うことにした。

突貫工事で1時間30分ほどで完成した。足場材は丈夫で安いからテーブルや椅子にはもってこいである。もう少し補強すれば、このまま普通の椅子としても使えるので、花が終わったら外で使うことにしよう。

プランター作成

家と店との仕切りにプランターが欲しいという。すでにいくつかの植物を買ってきてある。

規格は幅1m×高さ80cmを2基ほしいとのことだ。さらに必要に応じて移動できるようにしなければならない。

横板と足材を切り出しビス用の穴をあける。深さが30cm位で下は上げ底となる。

ビスは錆びて細くなるので、ガーデン用の塗装してサイドを板材でカバーした。

移動するとき持てるように、15cm位のボルトをサイドに取り付けた。中は防草シートを敷いて、ところどころ穴を空けて排水できるようにした。

土を入れて中に植物を入れれば出来上がりだが、他にやることが多くて栽植はひまになってからだ。

 

オープン記念粗品を作る

オープン時、来店いただいた方にちょっとした粗品をプレゼントしようということになった。あれこれ試作したのだが、お店のロゴ入りPOT STANDOいわゆる「鍋敷」を作ることにした。夏はアイスコーヒーのコースターにも使え、ペンスタンドしても利用可能である。また、夫婦喧嘩の飛び道具としても利用できるがあまり推奨はできない。

長めの角材を買ってきて食パンを切るように慎重に電動鋸で切り落とす。

しばらく乾燥すれば割れてくるので、事前に割れを入れた。角にボールペンを立てられるように10mm程度の穴を空け、表面の凸凹は240番のサンドペーパーで研磨した。

試作品では後付けのスマホスタンドも作ってみたが、自分でもスマホスタンドは使うことがないのでスタンドはやめにした。

店の名前とロゴマークの焼き印を施し、どうやら完成した。40個ほど作ってみたが、そこそこ好評で、20個ほど追加作成した。

まだ店もオープンしたばかりで、お客様が多くても少なくてもハラハラの毎日である。たいした宣伝もしてないが、SNSに助けられ、そこそこお客様に来ていただける。熊本県の公式観光サイト「もっともーっとくまもっと」にも紹介頂き、一気にインスタのフォロアーが増え、遠くのお客様にも来店いただける。

農薬を使わないで栽培されている古庄農園の甘藷やニンジン、山本農園の葉物野菜も美味しいと喜ばれる。

来週になればここのお店の名前の由来である「桜山」のサクラ並木が見ごろとなる。外のテーブルで阿蘇山鞍岳山、俵山を眺めながらの珈琲ブレイクは一番のおすすめである。

 

 

 

Sakurayama Coffee Roaster プレオープン

半年点検

昨年12月に人間ドックに行ったばかりだが、昨年8月に済生会で2度目の心臓カテーテルを行い、その後の心臓6ケ月点検がやってきた。人間ドックで肺活量を検査するパートの「プーさん」は仕事をやめたようで「ハイ吸って吸って」の掛け声もノリが今一つで、楽しみが一つ減ってしまった。それでも検査の数値は去年より明らかによくなっていた。この調子で、心臓のエコー検査も良好な結果がでればこの後の活動範囲や運動量を増やすことができるのだ。血液を採り心電図の検査を待っていると音を鳴らしながら配達人がやってきた。

「世界に一つの花」を流しながら上手にカーブを曲がってくる。眺めるだけで、ひと時のリラックスになる。配達から帰る時も同じ曲であったが、選曲も難しいだろう。深刻な病状を告げられた時、ベートーベンの「運命」とか流れたら目の前が真っ暗になる。かといって「チャンチキおけさ」の音楽で踊りながらやって来れば、足蹴では済まなくなる。それでは配達場所により、どんな音楽が一番合うだろうか?などと考えていたら、検査の順番がきて機械のあるベッドに案内された。いつも思うが心電図のタコの吸盤みたいなやつをつける時、いつも冷たい。肋骨の下あたりにつける時は「ひゃっ」と声が出てしまう。今回はつけ直しがあったので、2回ほど「ひやっひやっ」と言わされた。なんか温かいウォーマーみたいなものの上にタコの吸盤を置いておくとか工夫が欲しい。

いつもより心電図の時間がかかったが、心エコーも終わり1時間ほどで検査結果がでた。担当の美歌先生より説明があり、数値の結果もよく「だいぶ回復しています」といわれた。一昨年からの縛りが一つが取れたような気分で目の前が明るくなった。

 

植木市にサクラを見に行く

毎年開催されているJAの植木市に雨模様ではあったが久しぶりに出かけた。

新しいお店用にと寒緋桜(カンヒザクラ)を見に行った。カンヒ桜は1月の後半頃に咲き始めるので、一足早い春がみられる。会場は平日の雨模様で人出は少なかった。ここには毎年友達が植木市の手伝いに来ているので、とりあえず元気にしているか様子を見に行った。何年振りかではあったが、劣化した様子もなく、ほぼ見た目変わらなかった。多分楽しく暮らしているのだろう。

会場を一回りして、お目当ての寒緋桜を探すのだが、似たよう品種ばかりで寒緋桜は置いてなかった。以前この会場で「アーモンド」と言われて買ってきた木は、その後すくすくと我が家の庭で育ち大きな「モモ」の実をつけてしまった。なんとかなるだろうと思って買ってはいけないのだ。それにしても商品は、基本持ち帰りだからずいぶんと安く買うことができる。眺めているとついつい買ってしまう。

お目当ての サクラはなかったが、前から気になっていたミツマタの木が売ってあった。以前友人を訪ねた時、庭の片隅に黄色い花が咲き誇っていた。和紙の原料になったりする木であるが、アシナガバチのような花が付き春には黄色い花が咲く。大きなものではなかったが2,000円でお買い求め。ややガニマタになりながら持って帰った。

自家焙煎珈琲豆店プレオープン

ずいぶん前からお店の準備をしてきたが、オープンには時間がかかってしまった。知人友人にはオオカミが出るぞーを言い続けてきたが、オオカミも建物の隙間から覗くだけで一向に姿を見せない。それでも少しずつ準備が整いプレオープンの運びとなった。店は娘の婿さんが経営するもので、嫁は野菜を出荷したりするが、自分はできる範囲のDIYや孫のお守をするくらいで、為にはならない。自宅ではほぼ毎日珈琲を入れているので、腕のほうは上がっていると思われるが、嫁がやめちハイヨというので営業時には、様子をうかがう程度である。将来店の傍らで、薪をくべながらサツマイモやナンをタンドール窯で焼いているかもしれない。

まだ植栽等が間に合っておらず、もうしばらく手がかかる。店名は「Sakurayama Coffee Roaster」で通称「桜山珈琲」である。あれこれしゃれた名前を考えていたのだが、長く愛してもらえるにはと、この店名になった。この近くの地名が桜山で、昔の参勤交代の往還として殿様の往来があった。現在はその北側に新しい道路ができて、桜並木が1Kmほど続く。近くの中学校の卒業式頃には、遠山の金さんもびっくりするような桜吹雪がみられる。そんな桜街道とこの付近の地名から店の名を頂いた。

お店は、珈琲豆の販売がメインで、厳選した生豆を丁寧に選別、焙煎し提供するもので、もちろん店の中で好みの珈琲やちょっとした焼き菓子程度は提供できるものの、カフェ的なメニューは徐々に増やしていくつもりである。

店は金土日の週末だけの営業で、店のPRもインスタや知り合いにちょっとした位で、ぼちぼちとお客様に来店いただいている。看板娘もまだ保育園なのでご挨拶くらいしかできない。それでもたくさんのお花を頂いたり、近所の方々も来店いただいた。

この店舗のもう一つの目的で、取れたての無農薬野菜を販売している。隣の畑や我が家の畑で、私をドレイのように使い、土まみれになり作った嫁の野菜だ。

お試し期間でとりあえず100円で売ってみたが、売れ付きは上々である。

とにかく構想はたくさんあるが、やはり美味しいと思ってもらえる珈琲豆を販売したいのが一番で、ぶれずに「Sakurayama Coffee Roaster」が長く愛されるように頑張っていきたい。

世の中、何かとゆとりがなくなってきているような気がします。好きな音楽を聴きながら珈琲でひと時過ごすのはいかがなものでせう。

グランドオープンは3月15日。木曜日以外毎日営業の予定。