2014年04月29日
知って、学び、守っていく、吉備の町
吉備の町は、岡山市北区にあり、最寄り駅は庭瀬駅で、岡山駅、倉敷駅から2駅目のところにある。1600年の関ヶ原の戦いから記録が残っている。近代では、元内閣総理大臣の5・15事で亡くなった犬養毅の旧家があり、博物館もあり、何も知らなくても学ぶことができる。庭瀬駅から西に向かうと、京都のような古い街並みで風情を感じるエリアがある。近年では、ベッドタウンになりつつあり、交通の便や暮らしやすさの点から人口も増加をたどっている。
吉備では、犬養毅、大賀ハス、庭瀬城、撫川城、常夜灯などや、江戸に栄えて今なお続く商店が残る本町通りなどの次世代に伝えるような毎年、毎月決まったイベントやお祭りがある。吉備に住んでいる人たちは毎日何気なく生活をしている。
吉備小学校では、低学年でバラ園に遠足へ行く。バラ園には岡山県出身の植物細胞学者である、大賀一郎が咲かせた大賀ハスがある。大賀一郎は、昭和26年(1951)3月30日、千葉市内の東京帝大検見川厚生農場の泥炭層から、約2000年前の古ハスの実が発見した。3粒発見された実のうち1粒の発芽に成功し、翌年7月18日に見事に大輪の花を咲かせた。高学年に上がると総合の課外学習の時間に、自分たちで地域に関わるテーマを決め、フィールドワークや文献調査、聞き取り調査などより詳しく学んでいく。
吉備の町を少し歩いてみる。駅を北に出てすぐに常夜灯が目に入る。庭瀬は明治24年ごろまで、足守川とその支流を利用した船運が行われていた。そのため、港ごとに常夜灯が設置してあり、今でもそのまま置かれている。水路をたどっていくと撫川城の濠に入っていく。撫川城は泥沼の池に築かれた典型的な「沼城」である。城は東西77m、南北57mの長方形の土地の中に建てられており、幅15mの濠がぐるりとめぐっている。濠の石垣は高さ4mできれいに現存している。また、水路を5分ほど進むと庭瀬城が現れる。ここも撫川城と同じ藩主が一時おさめていた。現在の庭瀬城は、遊具の置かれた公園になっており、春になるときれいなしだれ桜の下で子供たちが遊んでいる。少し北へ向かうと、本町通りにでる。この通りは江戸時代から続く商家通りであり、今でも創業が江戸時代から続く川野屋というお醤油屋が有名である。なまこ壁と焼杉板の商屋が並ぶ、庭瀬の古い町並みがいまも、残っていて少し京都のひと通りを感じる道である。年に1回「まちかど博物館」という本町通りが博物館のようになるイベントがあったり、夜にはエコ意識を持とう、ということで夜8時から1時間、家のすべての家の電気を消し、ロウソクだけで過ごすイベントなど地域が一つとなっている。さらに10分西へ進むと、元内閣総理大臣の犬養毅の旧家とその博物館がある。庭瀬の地域に昔から住んでいる家系には、「犬養毅に昔出資していた」など、たくさんのお話を聞くことが出来る。
吉備は市街化が進んでいるが、昔からの水路の町の骨格となる景観を守り、イベントを通じて町を知り、学ぶことができる。吉備の町に住んでいる人は、幼いころからいる人はもちろん、この地域に移ってきた人も「知って、学べる」町になっている。これら次世代へ伝えていくために景観だけ守っていくのではなく、人の心の中でも吉備を守る、岡山県吉備の町だである。
2枚の航空写真を比べると、田んぼが埋立てられ、住宅街になっていたり、空き地になっている。住宅街の近くには、大型の建物ができている。川や用水路は、埋立てられてはおらず、水運の町だったことがわかるよう、そのままの姿で残っている。(1422)





地図はこちら
岡山市の地図サービスでは、都市計画図が有料だったので都市計画構造図

引用 H24年1月岡山県南広域都市計画区域の整備、開発及び保全の方針
吉備では、犬養毅、大賀ハス、庭瀬城、撫川城、常夜灯などや、江戸に栄えて今なお続く商店が残る本町通りなどの次世代に伝えるような毎年、毎月決まったイベントやお祭りがある。吉備に住んでいる人たちは毎日何気なく生活をしている。
吉備小学校では、低学年でバラ園に遠足へ行く。バラ園には岡山県出身の植物細胞学者である、大賀一郎が咲かせた大賀ハスがある。大賀一郎は、昭和26年(1951)3月30日、千葉市内の東京帝大検見川厚生農場の泥炭層から、約2000年前の古ハスの実が発見した。3粒発見された実のうち1粒の発芽に成功し、翌年7月18日に見事に大輪の花を咲かせた。高学年に上がると総合の課外学習の時間に、自分たちで地域に関わるテーマを決め、フィールドワークや文献調査、聞き取り調査などより詳しく学んでいく。
吉備の町を少し歩いてみる。駅を北に出てすぐに常夜灯が目に入る。庭瀬は明治24年ごろまで、足守川とその支流を利用した船運が行われていた。そのため、港ごとに常夜灯が設置してあり、今でもそのまま置かれている。水路をたどっていくと撫川城の濠に入っていく。撫川城は泥沼の池に築かれた典型的な「沼城」である。城は東西77m、南北57mの長方形の土地の中に建てられており、幅15mの濠がぐるりとめぐっている。濠の石垣は高さ4mできれいに現存している。また、水路を5分ほど進むと庭瀬城が現れる。ここも撫川城と同じ藩主が一時おさめていた。現在の庭瀬城は、遊具の置かれた公園になっており、春になるときれいなしだれ桜の下で子供たちが遊んでいる。少し北へ向かうと、本町通りにでる。この通りは江戸時代から続く商家通りであり、今でも創業が江戸時代から続く川野屋というお醤油屋が有名である。なまこ壁と焼杉板の商屋が並ぶ、庭瀬の古い町並みがいまも、残っていて少し京都のひと通りを感じる道である。年に1回「まちかど博物館」という本町通りが博物館のようになるイベントがあったり、夜にはエコ意識を持とう、ということで夜8時から1時間、家のすべての家の電気を消し、ロウソクだけで過ごすイベントなど地域が一つとなっている。さらに10分西へ進むと、元内閣総理大臣の犬養毅の旧家とその博物館がある。庭瀬の地域に昔から住んでいる家系には、「犬養毅に昔出資していた」など、たくさんのお話を聞くことが出来る。
吉備は市街化が進んでいるが、昔からの水路の町の骨格となる景観を守り、イベントを通じて町を知り、学ぶことができる。吉備の町に住んでいる人は、幼いころからいる人はもちろん、この地域に移ってきた人も「知って、学べる」町になっている。これら次世代へ伝えていくために景観だけ守っていくのではなく、人の心の中でも吉備を守る、岡山県吉備の町だである。
2枚の航空写真を比べると、田んぼが埋立てられ、住宅街になっていたり、空き地になっている。住宅街の近くには、大型の建物ができている。川や用水路は、埋立てられてはおらず、水運の町だったことがわかるよう、そのままの姿で残っている。(1422)

3つの常夜灯の一つ、本町常夜灯

満開の大賀ハス

本町通りの川野屋
吉備

1975年 空中写真

2007年 空中写真

岡山市の地図サービスでは、都市計画図が有料だったので都市計画構造図

引用 H24年1月岡山県南広域都市計画区域の整備、開発及び保全の方針
Posted by まさと at
14:20
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