「このまま物理学の勉強(あるいは研究)を続けて、自分はどこまで知ることができるのだろうか?」
これは、物理学を本気で勉強したことのある人なら、誰しも突き当たるであろう疑問だ。
「宇宙の誕生の様子を知りたい」「最も基本的な素粒子の姿を見定めたい」といった好奇心で物理学を志したのはいいが、しばらくすると、しだいに雲行きが怪しくなってくる。
たとえば、実験装置の限界。
「カミオカンデ」が「スーパーカンデ」になったように、物理学の実験装置はどんどん大規模になっていく。このままいくと、物理学で何か新しい発見をすることは、リソース・コスト的に難しくなっていくのではないだろうか。
あるいは、自然界に内在する、原理的な限界。
光の速度で到達できる範囲外の出来事(いわゆる事象の地平線の向こうの出来事)については、どんな手段を使っても知りえない。まして、「多宇宙(マルチバース)理論」など、仮にあったとしてもその存在は検証できない。直接的な検証が不可能な領域に、現代物理学は入っているのではないか。
さらには、人間の理解の限界がある。量子力学に象徴される、 感覚的には受け入れがたい「奇妙な理論」を、直観的理解をあきらめて「慣れる」しかないという状況が生まれる。
こうした様々な「限界」に思いいたるとき、物理学とは、日々の勉強・研究の手を一度止めて、あらためて問いたくなる。「我々人間は何を知りうるのか?」と。
本書は、超対称性理論などを専門とする理論物理学者が、その疑問に向き合った一冊である。
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副題に「科学全史」とあるように、スコープは広い。
第1部ではギリシャの自然哲学から、最近の「多宇宙(マルチバース)理論」に至る、おもに「時間・空間の性質」「宇宙の姿」などをテーマにした科学の進展を概観する。
第2部では、こんどは主に物質の探究に焦点を当て、同じくデモクリトスのころの物質観から、現代の量子力学の問題までを取り上げる。
第3部では「人間の認識の限界」にまつわる、数学や哲学の議論を取り上げている。
「全部盛り」「総花的」と言ってよい内容で、その分、一つ一つのトピックの解説は短い。そのため、宇宙論なり量子力学なり、何らかの学びを求めて手に取った読者には物足りないかもしれない。
その一方で「で、結局私は何を知ることができるのか?」という疑問に一人の物理学者がどう答えを出したのか、という観点で読むと興味深い。著者の回答はそれほどクリアカットなものではないが、不確定性原理や不完全性定理などによって「限界」はあり、量子的現象や事象の地平線の外側のことなど、「知りえない」こともある、というのが著者のひとまずの結論のようだ。
本書の原題は“Island of knowledge”。人類の知識を海に浮かぶ「島」にたとえ、著者は科学の前進を「知識の島」が少しずつ形を変えながら大きくなっていくイメージでとらえる。
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この本は、読者を啓蒙する体裁で書かれてはいるが、本当のところは著者が著者自身の頭を整理するために書かれたのだろうと思う。自分のやっていることの意味を感じ取るために「そもそも人類は、いかにして〈知識の島〉を開発してきたのか」に関心が向かうのは自然だが、それをここまでのボリュームの科学書に仕上げられる人はなかなかいないだろう。
物理学を志している高校生・大学生に、ぜひ読んでみてほしい。もしかしたら、物理学への信頼、楽観的な期待は揺らぐかもしれない。それでも「知識の島」を少しでも広げてみたいと考えたならば、その人を心から応援したい。