デヴィッド・リンチ、なぜ日本で高い人気に? “考察ブーム”の原点ともいえるミステリアスな作風
映画『マルホランド・ドライブ』や、ドラマ『ツイン・ピークス』シリーズで知られ、アーティストとしても活動したデヴィッド・リンチが、1月16日(現地時間)に78歳で亡くなった。
リアルサウンドブックでは、映画評論家の森直人氏に取材。リンチが日本で特別な人気を誇る理由を探るとともに、リンチ作品や彼を理解するためにおすすめの書籍について話を聞いた。
「日本でデヴィッド・リンチの名が広く知られるようになったきっかけとして、やはり『ツイン・ピークス』の存在が大きかったと思います。1990年にアメリカで放送が始まったこのドラマは、日本では翌1991年にWOWOWの開局記念番組として放送されました。当時のWOWOWは、日本で初の民間衛星放送局として注目を集めており、その記念番組として『ツイン・ピークス』を採用したことは大きな話題になりました。アメリカでのブームを受けて、日本でも大々的に取り上げられることになったのです」
また、『ツイン・ピークス』以前から、リンチはコアな映画ファンの間で注目されていたと話す。
「『ブルーベルベット』(1986年)や『ワイルド・アット・ハート』(1990年)といった作品が、ミニシアターブームの中で存在感を放っていました。その前に『エレファント・マン』(1980年)が一般的に大ヒットした時は、さほどリンチの名前は流布していなかったと思うのですが、『ブルーベルベット』は高感度のカルチャーファンや著名人たちの中ですごく人気があって、そこで一気にカルト監督の筆頭に躍り出た印象があります。さらに『ワイルド・アット・ハート』が1990年度のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞したり、話題のトピックが続いた時期に『ツイン・ピークス』の日本上陸も重なったんですね」
森氏によれば、リンチ作品が日本で受け入れられた背景には、当時の文化的な流行も関係しているという。
「『ツイン・ピークス』の放送と時を同じくして、映画館では『羊たちの沈黙』も公開されており、猟奇的なサイコスリラーやミステリー作品が一種のトレンドになっていました。その中で『ツイン・ピークス』は“世界で一番美しい死体”とも呼ばれた登場人物ローラ・パーマーのビジュアルに象徴されるアート性の高いルックや、考察の余地を残した展開が視聴者を惹きつけたのです。現在の“考察ブーム”や、『ガンニバル』のような“因習村”のドラマシリーズの原点とも言えるかもしれません」
さらに、当時の日本ではレンタルビデオ店が隆盛を極めていたこともブームを後押ししたという。
「『ツイン・ピークス』は、さまざまなカルチャー誌や映画雑誌などで取り上げられていたので、WOWOWを契約していない特に若い面々の中で、一種の“飢え”のようなものがあったのだと思います。僕自身も当時は独り暮らしの大学生だったのでなかなか観られず、そのため、レンタルビデオ店で借りられるようになると、もう飛びついたんですね。お店に並んでいるビデオパッケージにはいつも貸し出し中の札が掛かっていたのを覚えていますけど(笑)、そこで急速に視聴者層が広がったのだと思います」