ネタバレ要素を多分に含みます、注意してください。
鑑賞前の方はまずは劇場へどうぞ。
原作は未読、TVアニメ(EX ep含む)と外伝は観ています。
1回しか観ていないので、拾い間違いや記憶違いなどあるかもしれません。
予告
あらすじ
代筆業に従事する彼女の名は、〈ヴァイオレット・エヴァーガーデン〉。
幼い頃から兵士として戦い、心を育む機会が与えられなかった彼女は、 大切な上官〈ギルベルト・ブーゲンビリア〉が残した言葉が理解できなかった。
──心から、愛してる。
人々に深い傷を負わせた戦争が終結して数年。
新しい技術の開発によって生活は変わり、人々は前を向いて進んでいこうとしていた。
しかし、ヴァイオレットはどこかでギルベルトが生きていることを信じ、ただ彼を想う日々を過ごす。
──親愛なるギルベルト少佐。また今日も少佐のことを思い出してしまいました。
ヴァイオレットの強い願いは、静かに夜の闇に溶けていく。
ギルベルトの母親の月命日に、 ヴァイオレットは彼の代わりを担うかのように花を手向けていた。
ある日、彼の兄・ディートフリート大佐と鉢合わせる。
ディートフリートは、ギルベルトのことはもう忘れるべきだと訴えるが、 ヴァイオレットはまっすぐ答えるだけだった。「忘れることは、できません」と。
そんな折、ヴァイオレットへ依頼の電話がかかってくる。依頼人はユリスという少年。
一方、郵便社の倉庫で一通の宛先不明の手紙が見つかり……。
感想
●導入
冒頭、屋敷に向かう道中を示すところから始まります。
その後、映し出される「sincerely」*1の文字。
こちらは手紙の末文(日本で言うところの敬具)に当たる言葉です。
これを観たときに今作は結びの話なのだな、と気が引き締まりました。
ED間近では同じ映像にヴァイオレットの姿が足されて描かれ、ヴァイオレットの物語が結末を迎えたことが強調されています。*2
●マグノリア
その後、舞台はマグノリア家へ。
TVアニメ版第10話に出てきたアンのその後の話であること、電話が発達して、かつ文字を書ける人も多くなってドールが廃れてしまっている未来の話であることを視聴者に伝えます。
アンに送られた手紙から、デイジーにヴァイオレットへの興味をもたせ、サイドストーリーとしてヴァイオレットの軌跡を辿る旅という軸を入れて、ストーリー進行させていくのはとてもよかったと思います。
少なからず観ている側にショックが与えられますし、ヴァイオレットたちはどうなってしまったのだろう、と話に前のめりになります。
このシークエンスの中で、デイジーがアンの大事な手紙を空に飛ばしてしまうというシーンがありますが、これは間違いなくやるべきではなかったと思いました。
ここは新聞の切り抜きを飛ばしてほしかった。
この時点で私の心は少し折れてしまい、なぜこうする必要があったのだろう...という感情でいっぱいになりました。
●ユリス
このエピソード、メインデッシュであるはずの「ヴァイオレットとギルベルト」より良く出来ているという。
ここの一連の話が一番涙が出ました...。
お子様料金のくだりでヴァイオレットの成長が感じられるところでは、あなただけ特別に、ってルールを破ったやり方ではなく、自分なりのルールを作ってそれを適用する、というのもヴァイオレットらしいし、不器用だけど誠実な人柄が伝わってきて、とても愛らしいと思いました。
リュカとのやり取りを手紙ではなく電話を使うシーンもとてもよかったです。
前フリとして、アイリスが顧客からの電話に対して悪態をつくけれどもカトレアに注意されるというのがちゃんと効いていて、アイリスが電話を引っ張ってくるという流れになっているのも見事です。
TVアニメ版第5話でも手紙を代筆でなく、やり取りをする本人同士に手紙を書かせるという展開がありましたが、こういう手段や方法にこだわらずに本当にすべきことを考えるという描き方がすごく好きです。
ただ、いくら両親と弟に手紙を書いたとはいえ死ぬ間際になんかもっと言ってあげてほしかったです。
「いつもは恥ずかしくて言えない気持ちを手紙に込めた」旨を直接いってあげればいいのになあと思っていました。
これは全編通しての話でもありますが、視聴者には伝わっているけれど登場人物間だけでみるとやり取りが不足していて、とても人間的に達観したような印象を登場人物から受けてしまうことがしばしばありました。*3
●ディートフリート
私も彼のように天邪鬼な一面を持ち合わせているので、気持ちが重なりました。
ヴァイオレットエヴァーガーデンは手紙を通して素直な気持ちを紡いでいくお話ですが、彼は今作で自身の言葉で素直な気持ちを紡いでいきました。
こういうキャラクターはともすれば「俺にはこういう生き方しかできない」と描かれることもあるわけですが、不器用さが残りつつも、ヴァイオレットやギルベルトに向き合う姿勢を見せていたのがよかったです。
ギルベルトに対しての「ブーゲンビリア家は俺が継ぐ。お前は自由になれ」という言葉はとても素敵ですが、もっと違うシチュエーションで聞くことができたらよかったのになとも思ってしまいました。
この作品では戦争終結、路線開通、ガス燈の普及、電波塔の建設などを経て時代の変容が描かれているわけですが、それに伴い人々の思考も変化させていっています。
まだ戦争が続いていたら、ディートフリートはこういう変化をしなかっただろうなと思いを馳せました。
●ホッジンズ
最初はヴァイオレットちゃん、なんて馴れ馴れしく呼ばないでほしいなんて思ってました。*4
思い返すと、今作で一番感情移入できるのはホッジンズかもしれません。
ギルベルトに頼まれ、ヴァイオレットを預かったホッジンズ。
ヴァイオレットの火傷について言及し、そして救おうとしたホッジンズ。
そんな彼をシリーズ通してみてきたからこそ、ディートフリートに対して放った「それをお前が言うな」、ギルベルトに対して放った「大馬鹿野郎」は観ていて思わず感情が乗ってしまいました。
花火の感想を伝えようとして、横にヴァイオレットがいないことに気付くシーンは、セリフがまったくない場面ではあるもののすごく想像をかきたてられるところであり、とても悲しい気持ちになりました。
●ギルベルト
なぜギルベルトをこんな描き方にしたのでしょう。
今作で一番なんとかならなかったのか...と思ったところです。
作中でギルベルトが「俺は君に釣り合う人間じゃない」と言ってましたが本当にそうかもしれないな、と思ってしまいました。
あの島に居付く理由のひとつに自分が殺したガルダリクの人たちへの贖罪がありました。
ギルベルトの口からははっきりと語られませんでしたが、敵国であるガルダリクの人たちを戦争で自ら殺し、島の若者の命を奪ってしまった、その若者たちの代わりを自分が務めなくてはという罪の意識。
それは老人が取り払おうとしてくれてたので、まあよしとして。
ヴァイオレットに会わない理由も作中で語られたものとしていいとして*5、ブーゲンビリア家に対しての気持ちってなんでギルベルト視点で語られないの?母親が亡くなったことに対してなにもないの?ってところで、思考が止まってしまいました。
家を離れるのと家族と連絡をとらないのは別だと思うし、ギルベルトが個人を殺した理由、自由を渇望する理由はもっと丁寧に書いてくれないと。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンは全てを登場人物に語らせて伝える作品ではなく、視聴者側での補完に委ねている部分がちょくちょく出てきます。
この部分に関しては補完に委ねるのは不足だと思うし、ギルベルトの視点が確実に不足しています。
ギルベルトはもういっそ記憶喪失になっててくれたほうが良かったのに...。
ヴァイオレットと結ばれたときも、まあヴァイオレットが幸せになるならそれでいいか...という諦めに似た気持ちで、素直に祝福できなかったです。
せめて「君は道具ではなく、その名が似合う人になるんだ」に対してのアンサーははっきりと言ってあげてほしかったなあ。
●ヴァイオレットの軌跡
デイジーのサイドストーリーです。
島に辿り着くまではいいと思うんですが、もうワンエッセンスあってもいいかなあと。
例えば、デイジーにヴァイオレットとギルベルトが住んでいた家に行かせて、ヴァイオレットの花が植えてあるのを発見させるとか。
未来でみんながどういうふうに過ごしたのかは想像する余韻を与えたい*6のかなと思ったので、意図的に排除してるのかもしれません。
住んでいた家にいくとこの時代にはヴァイオレットとギルベルトがいないってことを明示的に示したことになってしまうので。
●音楽
Evanさんの作る音楽が良すぎてTVアニメ版のサントラを購入してしまったんですが、劇場版の音楽も豪華な出来になっていました。
劇場版では私が好きな「The Voice in My Heart」がアレンジされて登場していたのも嬉しかったです。
劇場版もサントラが出るみたいなので期待します。
●sincerely
先にも書いたとおり、私は今作でのギルベルトの描かれ方には満足していないんですが、ヴァイオレットの空虚を埋められるのは彼だけなわけで。
ヴァイオレットの幸せを心から願うと、ヴァイオレットが幸せになれる道を選んでくれたこと、それ自体は本当に良かったです。
ヴァイオレットのお決まりの挨拶(口上)のときに、毎度ヴァイオレットのアップが映し出されるわけですが、その顔がどこか寂しそうで辛い気持ちでした。
そこから解放されたのだとしたら、救われてよかった。
●終わりに
色々と書いてきましたが、まずはこの作品を世に送り出してくれてありがとうございました。
ヴァイオレットエヴァーガーデンの描く優しい世界に、私を含む多くの方が魅了されています。
その続編を観ることができたのは何より幸せなことでした。
エンドロールには亡くなった方々も特別枠ではなく1人のスタッフとして名前が載せられていて、強い意思(遺志)を感じられることができました。
なので、私もひとつの作品としての観点のみで感想を書きました。
これはTVアニメ版を観たときにも感じたんですが、自分の気持ちを素直に伝えられていますか?自分に正直に生きていますか?という作品からのメッセージを受け止め、これからも大切にしていきたいと思います。
ここまでお読みいただきありがとうございました。