「あのときの私と、あなたを救ってあげたい」──そう語るのは、歌手の和田彩花。15歳から24歳まで、女性アイドルグループ・アンジュルム(旧スマイレージ)のメンバーとして活動していた。
本連載では、和田彩花が毎月異なるテーマでエッセイを執筆。自身がアイドルとして活動するなかで、日常生活で気になった些細なことから、大きな違和感を覚えたことまで、“アイドル”ならではの問題意識をあぶり出す。
今回のテーマは「アイドルとメンタルヘルス」。和田彩花が“うつと一緒に過ごした7年間”を振り返り、当時の思いを綴る。本文の一部にセンシティブな表現が含まれているため、苦手な方はご注意を。
目次
「20歳を過ぎたアイドル」の居場所がわからなくなった
今回は、具体的にメンタルの不調について書く。この文章を読んでつらくなったら、ページを閉じてほしい。
うつ病と付き合い始めてかれこれ7年以上経つんじゃないかな。これまではっきりとうつ病とは言ってこなかったけど、なんか隠す必要もないんじゃないかと思ってきて、書いてみることにする。
今は、薬でコントロールできているので、平穏な日々を過ごせている。明日や未来に明るい希望も持てている。そんな今の私から振り返ってみる。

気づいたときには、なんだかおかしかった。まだアイドルグループに所属しているときだった。
仕事へ行く足取りはものすごく重くて、とにかく仕事へ行きたくなかった。
明確な理由があったわけではない。後輩もどんどん増えて、リーダーという役職を負担に感じたこともなかったし、仲間にも恵まれていた。それでも、すべてが限界になった。
当時の正直な心の心配を振り返ってみる。
20歳を過ぎれば、おばさんになったという自虐の声を聞くことも珍しくないステージ上で、20歳を過ぎたアイドルとしてどう居場所を作ればいいのかわからなかった。
後輩が増えるごとに、自分の見せ場がなくなっていく気がして焦った。
新曲の歌割を目にするとき、振り入れで立ち位置が決まるとき、集合写真撮影のときの並び順、鏡の前で踊る姿、歌う姿、写真に写る姿、他人と比較できる場所がそこら中にあるアイドル活動では、自分の見せ場にいつも神経質になった。
ふと核心を突いてくる後輩の言葉にはいつも救われたし、いつも見習わなくちゃいけないと思ったのは事実だけど、後輩の言葉を神経質に感じ取ってしまう瞬間がなかったわけではない。
また、世代間で異なる価値観の間でも、自分の立ち位置を見失いつつあった。信じて疑わなかった根性論が意味を持たなくなることは、私の心の在り処を見失うことであったから。
まじめすぎるのだろうか、そういうあれこれを放置できないのもまた自分の性格だった。
なんであんなことを思ったのか、言ってしまったのか、人間関係におけるすれ違いや愛せない部分も含めてまるまる受け入れる必要があると思っていたし、受け入れられない自分を責めた。責めて、責め続けた。
それでも、目の前には無邪気に笑う後輩の姿がいつも輝いていた。この姿を愛したいと同時に思った。
メンバーとスタッフの間で、見え方を気にする日々
ほかの雑務では、こんなストレスもあった。
メンバーがどうしたらやる気を出して踊ってくれるのか悩んでいた。ステージの大きさとか場所とか関係なく、いつでも全力になれる方法を探した。
新曲の発売記念イベントで、自分たちで担当を決めてセットリストを考えようと提案した。どうしたらグループがよく見えるかを考えてセトリを作ってくれるメンバーもいれば、楽なセトリで終わりにしようとするメンバーもいるし、こんなの嫌だと一撃してくるメンバーもいた。
私が所属していたグループは動物の幼稚園のような感じだったので、これが通常運転である。誰が悪いとか、良いとか、言いたいわけではない。今では笑い事にしかならないこういう日常のいろんな出来事に対して、神経をすり減らすしか当時の私には方法がなかった。何事にもまじめになりすぎる自分がすべてを許さなかった。

さらに、イベントやライブが終わるごとに、当時の、過去のマネージャーさんたちから感想を聞いて回り、時々溜まった愚痴を聞いてもらったりもした。
そうやって、メンバーとスタッフさんの間をうろうろして、外からどう見られているかも常に気にしていた。グループの見え方がよくないという意見もすべて聞き入れた。
当時、まだまだ子供じみた(実際に未成年もいた)メンバーたちの言動で、スタッフさんに対して角が立つのを気にして、積極的にメンバーとスタッフさんの間をうろうろした。
自分たちのやりたいことを、わがままと言われずに叶えようとしたりした。そもそも、意見のすべてをわがままと捉えられるのがおかしいのだけど。
もちろんこれは私のやり方だから、窮屈に思ったメンバーもいただろう。
環境も、置かれた状況も、自他からの視線も、すべてがストレスフルだった。

さらに、これまで話してきたとおり、アイドルの世界ではすべてが不自由に感じた。
いつどこで誰に見られているか、いつカメラで撮られてSNSに上げられるかわからない不安、恋愛ソングを歌うたびに居心地の悪さを感じて、髪型もメイクもネイルも制限があった。
また、女らしい振る舞いがいつも求められるように感じて、「歌を歌わせていただいた」とか、「この仕事をやらせていただいている」とか、過剰に丁寧で、謙遜しすぎる言葉が当たり前に私のまわりを飛び交っていた。
この不自由に抵抗したら、わがままの烙印を押されることが目に見えるなかで、隙を縫って自由を獲得しようとしながら、生きた。
はっきりとした原因があったわけではなかった。だけど、すべてに限界が来ていた。
なぜ、どこまでも行かせようとしてくれないのか
気づいたときには、不眠症で、じゅうぶんな睡眠を取ることができなくなっていた。
毎晩、涙が流れた。中途覚醒するので、また眠れなくなった。3、4時間しかまとまった睡眠が取れない状況が当たり前になり、日常のすべてが悪循環で回っていき、メンタルは限界に追い込まれた。
死ぬこと、消えること、逃亡することしか頭になかった。駅のホームから飛び降りたら楽になれるという考えが絶えないし、家に帰るとマンションの屋上に行けば楽になれるかと、あらゆる方法を探した。
家の中では歩けなくなったので、泣きながら部屋中を這って移動した。なのに、仕事へは足が向く。この状態で卒業ライブまで生き抜いた自分がいたなんて信じられない。絶対に美談にしてはいけない。これが根性論だし、思考を支配されることだ。
親にはこの状態を言えず、実の妹にだけ相談した。

このときの私は、精神科を調べもしなかった。みんなに迷惑をかける、会社に迷惑をかける、そう思って何も言えなかった。でも、本心は助けてほしかった。休ませてほしかった。
グループ全体のだらけている態度を指摘されたとき、私のせいだと思い、涙が止まらなくなった。すべてを自分のせいだと思うことしかできなくなり、泣いている私を見ているメンバーは、私の悪口を言っているに違いない、そういう妄想に囚われた。
ここまでうつがひどくなっては、もはや消えるしか方法がなかったので、グループからの卒業は生きる希望になった。
それでも、このグループだったら日本一になれるし、どこまでも行けるだろうなって夢を見せてくれる場所を離れるのは、つらかった。なぜ、どこまでも行かせようとしてくれないのかもわからなかった。
フランスでも、日本での出来事が私を追いかけた
うつがひどいときに、居場所になったのはネットだった。心がつらい人への癒やし音楽を流しているチャンネルに集まるメッセージで生きられた。
自分の求める環境に近づいてからは、自然と少しずつ前向きになった。けれど、生理前になると、助けてと言えなかった苦しさが心からふつふつと湧き出てきて、泣いた。また、逃げたくなった。そうやってずるずる生きた。

フランスへ行けば、消えたい気持ちがなくなるのではないかと期待した。実際は、フランスに滞在中も、日本での出来事が私を追いかけた。あのとき、人に言ったこと、言われたことがずっと私を追いかけた。
苦しんだ場所で、自分の痛みを解消しなければ、私は私を取り戻せないのだと気づいた。
それでも、日本という場所は、私にとって苦しい出来事で包まれた場所であることには変わらなかった。
フランスから日本への帰国が近づいた1週間前から、またひどいうつになってしまった。友達ができて、初めてプライベートの時間を楽しめた場所を離れるのはあまりにつらくて、幸せなまま人生を終えたいと思った。
遠距離で連絡を取っていたパートナーにどうにか持ちこたえさせてもらって、とりあえず飛行機に乗ることだけを考えた。そして帰ってきた。
うつと一緒に過ごす時間は、私を変える
2024年の半分は、布団の中にいたんじゃないかと思う。コロッとこの世を旅立つ自分が目に見えた。
それでも私は生きたいと思った。大げさだけど、この社会の慣習に、価値観に、殺されたくなかった。私は生きるために病院へ駆け込んだ。
精神科で薬をもらい、カウンセリングで過去の嫌だったことを吐き出し続けている。こうして、やっと落ち着いてきたこのごろ。話しても話しても足りない。

私がここまでしてアイドル時代のいろんな出来事を語るのは、こんな自分を救うためなのだ。
過去のことばかり批判して、と言う人もいる。違う、あのとき救えなかった私を、あなたを、今こうして救っていく時間が必要なのだ。それが人の痛みではないだろうか。
今の私の表現を見たいと思ってくれたなら、私の音楽活動を見てほしい。音楽では、今の自分が詩を書いて、声に乗せて、カセットテープにいろんなものをサンプリングして、表現しようとしている。
こういうエッセイは、あくまでも本業に付随する作業だ。
わざわざすべての出来事をいい経験だったと語る必要はないけれど、うつと一緒に過ごす時間は私を変える。最後には、うつとの時間すらも愛せるような人生を送りたい。

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