à la lettre

ラカン派精神分析・精神病理学に関するいろいろ

精神病と創造性についてラカンは何を語ったか (2011年発表原稿)

2012年6月23日(土)・24日(日)に、第59回日本病跡学会総会が東京藝術大学で開催されます。
http://www.geidai.ac.jp/event/pathography2012/index.html

お時間のある方は、どうぞお越しください。
開催にちなみ、と言ってはなんですが、期間限定で、昨年の私の病跡学会での発表原稿を掲載します。


1.はじめに

 精神分析家ジャック・ラカンは,その論文や「セミネール」と呼ばれる講義のなかで,膨大な数の作家や文学作品に言及しています.とりわけ,『ハムレット』論や,マルグリット・デュラスの『ロル・V・シュタインの歓喜』の詳細な分析はよく知られています.しかし,これらの文学作品の精神分析的解釈は,作家における創造性を問うというよりも,むしろ作品と作中人物を分析することによって,精神分析理論を例証する目的でおこなわれたものと言えるでしょう.その意味で,これらの読解は私たちの言うところの病跡学の枠内に収まるものではありません.
 一方,ラカンにおける狭義の病跡学,すなわち精神疾患をおった人間における病理と創造性の関係を問う試みは,彼の精神病論のなかで集中的に行われていると言ってよいと思われます.つまり,1930年代には症例エメとそれに続く幾つかの症例報告において,患者のエクリチュールと病理が問題とされ,1950年代には『ある神経病者の回想録』を執筆した症例シュレーバーが扱われ,1970年代には作家ジェイムズ・ジョイスの創造性がそれぞれ問われているのです.この意味で,ラカンの病跡学は,彼の精神病論の発展とともに進化していったと考えることができます.

2.エメの文学

 ラカンによる病理と創造性の関係の探求は,彼の学位論文『人格との関係から見たパラノイア精神病』に始まります.ここにはよく知られた「症例エメ」が記載されています.1931年,当時38才であったエメは,ある女優を包丁で殺害しようとした殺人未遂事件によって逮捕され,刑務所から特殊医務院を経て,ラカンが勤務していたサンタンヌ病院に収容されます.ラカンはこの症例に非常に興味を持ち,およそ1年間にわたって彼女と接触をもち,彼女の書いた文学作品や写真を収集し,自らの学位論文の中核を占める症例に仕立て上げたのです.
 さて,エメの書いた文学作品を,ラカンはどのように見たのでしょうか.
 ラカンはエメの書いた二つの小説を取り上げています.これらの小説は,事件の犯行に先立つ8ヶ月のあいだにタイプされたもので,エメ自身によって出版社に持ち込まれたものの断られ,その後にイギリスの皇室に送られたものです.
 エメの一つ目の作品をラカンは「田園恋愛詩(Idylle)」と呼んでいます.この作品について,ラカンはこれが「真の詩的価値をもったイメージ」であって,精神病的な思考の常同症などはまったく見られない優れた作品であることを強調しています.この作品には,幼児期に由来する自然感情や,(ボヴァリー夫人的な)幼児的感受性,幼児的固着,田舎の地方主義などの特徴があるとラカンは述べています.
 二つ目の作品は,一つ目に比べると水準が低下しており,審美的価値の面では前作に及ばないと言われますが,それでも「生き生きとした性質.現代の醜悪さや悲惨さを描く風刺文」であると言われます.ただし,この作品にはエメの「教養の無さが露呈しており,修辞法や知識の混乱がみられる.さらに,エピソーディックではあるが,自動症や観念奔逸の痕跡がある」とわずかに病的なところも伺えるようです.
 エメの作品に対するラカンの評価は,次のようなものです.「感性の繊細さ.幼少時代の感情に対する理解,自然の光景に対する感受性,愛におけるプラトニックな恋愛,社会的理想主義」.ラカンはエメという精神病者が創りだした文学の価値をこのように認めているのです.それではエメの創造は,エメの精神病とどのような関係にあるのでしょうか.ラカンは次のように言っています.

「これらすべて〔のエメの文学作品〕は,明らかに積極的な創造のための潜在能力として現れている.しかもその能力は精神病が直接に生産(produire)したものであり,単に〔病気によって破壊されずに〕残されただけのものではない」

 つまり,ラカンはエメの作品は,精神病そのものが創りだした能力によるものであると考えるのです.その証拠として,ラカンはエメが急性期の妄想観念の直接的影響下にあるときにもっとも重要な作品を書いており,妄想の消退とともに筆も不毛になっていったことをあげています.このようなラカンの考えは,精神病の支配下にある患者によって創造された作品の価値を最大限に評価しようとする態度であると言えます.つまり,ラカンは精神病を何らかの機能の欠如としてマイナスの側面からみるのではなく,精神病における「プラスの恩恵」を重視しているのです.
 ラカンのこのような創造についての見解は,彼の精神病論から直接導きだされる物です.このことを理解するために,この時代のラカンの精神病論を振り返ってみましょう.
 ラカンはまず,精神病を何らかの心的機能の欠損としてマイナスの側面から見る視点を批判しています.つまり,「精神病は中枢神経系の機能のなんらかの欠損現象ではない」のです.さらに,「上位中枢が機能しなくなることによって下位中枢のアルカイックな活動が開放されるということでもない」と言われており,これは反ジャクソニズムの視点と言えます.ラカンは「欠損としての精神病という学説は根拠がない」とはっきりと述べています.
 ラカンは反対に,精神病をある種の「産出」として捉える視点をとっています.ここにはヤスパースからの影響が見られます.ヤスパースは,精神病の診断には,了解不能な体験が生じているかどうかを重視していましたが,彼はこの「了解不能性」を,「要素現象」という独特の質を持つ心的体験の出現として捉えています.「要素現象」とは,いかなる先立つ心的体験からも推論(演繹)されず「原発的(primär)」に生じるもので,反省的意識による解釈とは一線を画す「直接的無媒介(unmittelbar)」な体験として,「根源的な力(Urgewalt)」をもつものとして精神に突如として侵入する心的体験です.さらにこの体験は,最初はその意味が不明瞭で謎を秘めたものとして現れますが,後になってはじめてその意味が分かるようになり,さらには,この体験が基礎となり,さらなる精神症状がつくりだされるとされます.つまり,患者の人生のある一点において,決定的な〈出来事〉と言いうるような独特で異質な体験が「プラス」されることをヤスパースは重視したのです.
 このようなヤスパースの理論は,彼の病跡学的著作である『ストリンドベルクとファン・ゴッホ』にも少なからず影響を与えています.このヤスパースの理論の意義を,これまでもっとも評価したのは哲学者のドゥルーズです.彼は,病的過程を捉えようとするヤスパースの診断手法を,精神疾患を否定性(négativité)ではなく肯定性(positivité)において捉えるものとして高く評価しています.つまり,クレペリンのように統合失調症を「内因性痴呆化」としてマイナスの側面から捉えるのではなく,ブロイラーのように連合弛緩という何かしらの能力の欠損として統合失調症を捉えるのでもなく,要素現象という出来事の到来という「生産性」の側面を評価して診断を行うのがヤスパースの手法です.
 ラカンは,このようなヤスパースの理論から大きな影響を受けていますが,そこに独自の修正を加えています.ジャック=アラン・ミレールの整理によれば,学位論文におけるラカンの精神病論の要点は,ヤスパースが考えた二つの妄想の対立,すなわち人格とは異質な病的過程によって生じる了解不能な妄想と,人格の発展の結果として生じる了解可能な妄想との対立を,フロイトの葛藤の理論をつかって統合することにあります.
 つまり,妄想はたしかに病的過程のように先行する何かから演繹されずに,突然,原発的に生じます.この点で,妄想は病的過程によるものといえるでしょう.しかし,それは妄想が人格とはまったく無関係に生じるということではありません.症例をよく観察すればするほど,妄想は人格のなかに潜在していた葛藤との関係から生じていることがわかります.しかしそれでもなお,妄想は葛藤から連続的に演繹されて生じるわけではありません.ラカンは次のように結論づけます.

「妄想の体系化された内容は…いかなる〈推論的〉活動をも表していない.…妄想の内容は,患者の…生活上の葛藤を直接無媒介的に(すなわち意識的論理的演算なしに)…表現している」

 つまり,ラカンの考えでは,妄想は葛藤が象徴的な加工や推論(演繹)をうけずに,生の形で突然に与えられたものである,ということになります.言い換えれば,妄想の素材は主体の生活史上の葛藤に潜在しており,それが象徴的な作業を経ずに直接・無媒介的に出現したものが妄想の要素現象になるというのです.つまり,妄想においては,葛藤が加工されない生のままの状態で「プラス」として与えられるのです.このようなラカンの妄想理解が,「生活史に起源を持つ葛藤が象徴作業に媒介され(間接的に)表現されたものが神経症の症状である」というフロイトの神経症理解のちょうどネガの形をとっていることは興味深いと思われます.
 学位論文のラカンは,妄想を「葛藤が推論過程を経ずに,無媒介に出現したもの」と捉えました.このような発想はどこから出てきたのでしょうか.精神病の体験が,推論や解釈とは一線を画す無媒介な病理である,という視点は,ラカンに先行する世代のフランスの精神医学者が,ベルクソンの「意識に無媒介に与えられる物」という表現を引用しながら論じたものです.私たちはこの点について昨年の精神医学史学会において紹介しました.しかし,ラカンが精神医学者だけではなく,同世代のシュルレアリストからも妄想形成に関する着想を得ていたことは,意外に知られていません.
 サルバトール・ダリは雑誌「革命に奉仕するシュルレアリスム」の1930年の創刊号に「腐ったロバ」と題されたエッセイを寄稿しています.このエッセイでダリは,芸術表現に「パラノイア技法」を導入することを提唱しています.彼の言うパラノイア技法とは,「ある事物の表象が,形象的・解剖学的な修正を全く加えないで,もうひとつ別の完全に異なる事物の表象となることである」ことであると言われます(なお,ブルトンの「シュルレアリスム第二宣言」でも同じようなことが言われており,それをブランショバタイユが引用しています.)
 「解剖台の上のミシンとこうもり傘の偶然の出会い」という表現に代表されるように,ある表象がその本来の文脈を無視して,本来ならまったくそぐわない場所に突如として出現することによる意外な意味作用の出現すること,つまり「デペイズマン」をシュルレアリスムの代表的な技法の一つと考えることができますが,これはラカンが考える妄想現象に非常に類似したものです.つまり,神経症者ならば葛藤を象徴的に加工して,あくまで象徴的なものの枠の中で「症状」を作りだすのに対して,精神病者の妄想は,潜在していた葛藤が加工(推論)を受けずに無媒介な生の形で現実世界に突然現れ主体に体験される,シュルレアリスム作品のような「美しい出会い」なのです.
 ラカンのエメの文学に対する評価は,1966年にはさらに高まっています.

 「私たちの学位論文の症例(症例エメ)における文学の効果――これは,エリュアールによる「無意識の詩(poésie involontaire)」という(畏敬すべき)項目のもとに,収集される価値が十分にあるものである」

3.1950年代の理論

 つづいてラカンは「文体の問題」という論文において,精神病者のエクリチュールを問題とした後,1950年代の『精神病』のセミネールにおいて,精神病の問題を再考しています.その際,ラカンが強調しているのは,精神病者の言うことや書くことを決してないがしろにせず,よく耳を傾けるべきであるという姿勢です.
 このような考えは,恐らく彼に先行する世代の精神医学者ジャン・ピエール・ファルレへの反論となっています.ファルレは,その臨床講義において,精神科医が従うべき原則として次の三つのものを挙げています.まず第一に,観察者(医療者)の役割を,患者の秘書としての役割に限定しないこと.第二に,患者の個別性を学ぶこと.第三に,患者とその周囲の物事を分けて考えないこと,この三つです.こう見ると聞こえの良い原則に思えますが,第一の原則の具体的内容は次のように書かれています.

「妄想が発展するもとになる萌芽的な一般的状態を見出そうとするならば…,あなたの観察者としての責務を,患者の秘書(secrétaire des malades),患者の語りの速記者,あるいは患者の行動の語り手としての受動的な役割に限定してはいけない.もしあなたが能動的に介入せず,精神病者からの聞き取りをもとに観察を行うのならば,その患者の内的状態のすべては錯覚と妄想のプリズムを通り横切ることによって歪曲されていることになる」

 ファルレはヒューマニストとして知られていますが,精神病者の言うことや書くことに関しては,真面目に受けとってはいけないと考えたのです.これに対して,ラカンは真っ向から反論しています.

「私達は「狂者の秘書(secrétaire de l'aliéné)」であるだけでほぼ十分と思います.この「狂者の秘書」という表現は,普通は精神科医の無能さを表す時に使われる表現ですが,私達は,狂者の秘書であろうとするだけでなく,彼らが言っていることを字義通りに(à la lettre)受け取るようにしましょう」(Les Psychoses, p.233)
「病者の言うことはそのまま受け取らずともよいなどと言うのはとんでもないことです.患者は,正に言語に対する関係におけるある方向転換について証言しているのです」(p.235)

 1950年代のラカンは,精神病者を一種の「証言者」と考えています.つまり,彼らは「無意識という真理の証言者」なのです.精神病者は大他者からのメッセージを「幻聴」という形で受け取りますが,これはなんら異常な現象ではなく,人間と言語の関係の真理を表しているといえます.このことは,私たちの言語獲得を考えれば容易に理解されるでしょう.つまり,子供が自らの母国語を選べないように,言語とはそもそも他者から押し付けられるようにして与えられるという点で,あらゆる言語はその根源において大他者からのメッセージなのです.この意味で,精神病者の体験する大他者からのメッセージは,言語がその本来性へと立ち返る一つの「方向転換」を示しているのです.ラカンが精神病者を「無意識の殉教者」と呼ぶのはそのためです.
 このような観点から見ると,シュレーバーのように精神病者が自らの病的体験を詳細に記述する行為は,ラカンにとっては無意識の真理を記述する行為にほかなりません.実際,ラカンはシュレーバーの文章を「客観的な証言」であると言っています.おそらくラカンは,シュレーバーを創造者というよりも,超一流の「記述精神病理学者」と見なしています.
 これはラカンの,「彼〔シュレーバー〕は作家(écrivant)であるとしても詩人(poète)ではない」という発言にも現れています.偶然にもエリアス・カネッティシュレーバーは詩人ではないと言っていますが,ラカンにとっての本物の「詩」とは,「ある作品が,我々のものとは違った世界に導き,ある存在や,ある基本的関係の存在を示すことによって,我々とは違う世界を我々の世界にしてくれる」ものです.つまり世界を変革するような「隠喩」をもつものが「詩」なのです.

「詩とは,世界への象徴的関係の新しい次元を引き受けている主体によってなされた創造です.しかし,シュレーバーの『回想録』にそういうものを見ることは全くできません」

 この一節から分かるように,これは「父の名」による隠喩が不在である,という事態と密接に関係しています.このような点からも,ラカンの病跡学的探求は,彼の精神病論の隠された核であると言えるでしょう.

4.それ以降の展開

 時間がありませんので,それ以降の展開についてはかいつまんでご紹介することしかできません.70年代のラカンは,作家ジェイムズ・ジョイスに集中的に言及しています.享楽のために意味を超越した文字を操作するジョイスの作品は,彼にとっての父の機能の埋め合わせであったとラカンは考えています.実際,ジョイスには想像界に位置づけられる身体の障害が見られたのですが,それが創作活動によって補填され,彼の精神病を臨床的に発病させないままに免除したとラカンは結論づけています.このような考えは,精神病の発病回避や,近年「普通の精神病」と呼ばれ注目されている顕在発症を来さない精神病についての理論の基礎となっています.
 最後に,ジャック=アラン・ミレールが,ジョイスやカントールに言及しながら,次のように述べていることをご紹介しましょう.

「すべての論理学は排除と相関的である.同一化の誘惑を拒絶する排除という一歩は,すべての知の発明の条件であり,このことは現実界において証明される」(J.A.Miller, Sur la leçons des psychoses)

 つまり,カントールやジョイスは,精神病者と同じように同一化の誘惑を拒絶することによって自由な存在となることによって独自の「知」を発明することができたと考えられるのです.
 このように,ラカンは精神病をつねに創造性との関係から考察してきたと言えます.その意味では,病跡学的研究方法はラカンの精神病論の核であると言えるかもしれません.ただしそれは,精神病者の創造性という実践に対して,出来合いの精神分析理論を当てはめ押し付けるのではなく,むしろ彼らの創造行為のなかに新たな理論的更新の可能性を見出していくという方法であったといえます.ここに,私たちはラカンのいう「狂者の秘書」という考え方の理論的可能性をみることができます.