さて。
円高の折、また大劇場改修ラッシュが始まるとのことで、今年はあまり舞台をみる機会がなさそう・・・と悲観する年明け。
12月に東京へ行きたいなー、と思いつつ、天候とモチベーションに二の足をふみふみ、バレエ公演でもあれば…、と思って検索したら、地元のホールでウクライナ・バレエの上演があることを知りました。
ウクライナ・バレエはキエフ・バレエの表記だった2000年、やはり地元で一度だけ見たことはありますが、当時はソヴィエト崩壊後衰退?の立ち直りの遅さ、旧ソ3大バレエとの呼び文句にしてはこぢんまり感が拭えないカンパニーという印象があり、あまりこれといった個性を感じなかった記憶があります。
とはいえ、近くで観れるし、何よりチケットが安くてびっくり。
これは生オケなしだったせいもあるけど、地方公演ならではかなーと。
ただ、1月の年明け早々というのは雪が降る可能性があり、かなり迷いましたが…、その予感的中、大寒波到来の初日に当たる。
通常であれば車で30分ほどの距離とはいえ、平日公演なので夜帰宅必須となることから、最後の1時間まで本当に行くかどうか迷いましたが、頑張って行くことに。
結果、行ってよかった。
これといったスターがいない、というのが迷ったポイントの一つ。
また、「ジゼル」かあ…という気分が2つ目。
実情はよく知りませんが、2000年当時もスター不在、資金不足というのはあまり変わらないようが気がするけど、そんなところがなんだか中弛みしたカンパニー、という印象になった2000年とは違い、コロナ禍の行動制限期のダンサーたちと同じように、やはり、「今日を逃せば、踊れないかもしれない」という切迫感が、全体に舞台の雰囲気を凛としたものにしていたような気がします。
いわゆるワガノワメソッド、というのが、このカンパニーの血脈にあるのかなぁ、と観ていて思い、キャストは数に限りがあるのかもしれないけれど、登場人物が一人一人丁寧に踊っているのがわかるような気がしました。
1幕目の衣装が特にもっさり気味ではあったけど(ロイスがちょっとイケメンに見えず…)、ダンサーたちの動きはすっきりとしていて、しっかり「ジゼル」を観ているという気分になったわけです。
思えば、私が初めて見たバレエ公演も「ジゼル」だった(ボリショイ公演)、ということが急に懐かしく思い出され、一人しみじみ。
いろんな意味で、原点を見たような気持ちになりました。
さて、第2幕。
やっぱり暗闇のウィリーたちの霊的な踊りはジゼルの醍醐味ですね。
戯画的な背景画はアップデートしてほしいな…、と最初は思ったけど、ダンサーを見ていくとやがてそれも気にならず。
王子になったアルブレヒトは、ちゃんと王子でした。やはり、最初の登場の音楽は悲しい。
そしてジゼルはやはり守護霊寄り。これも旧ソ系の伝統なのかしら…?と思う。
ただ、最後がとても衝撃的でした。
白鳥ではなくて、アルブレヒトが死ぬバージョンは初めてみる!と思ったら、後で知ったことですが、これは新バージョンだそうです。
冷静に考えてみれば、ウィリたちからアル君を守ろうとしたジゼルの努力を無駄にしてない?と、若干の矛盾を感じますがね。
でも見た時はあまりに衝撃的で、しばらくは何も考えられなかった。
2000年当時はソリストだった(でも出演はなかったので実見していない)寺田氏が、戦うウクライナとしての舞台を真剣に考えている、その意気を直に、感じました。
SNS全盛の今日らしく、カーテンコールは撮影可ということでしたが、途中すっかり忘れていて、前列の誰かがかざしたスマホのモニターが、劇場の中で一つ、またひとつ広がっていくのが、なんというか、戦火に負けず灯火が灯る連鎖のようにも見えて、なんだかとても幻想的な一幕に。
『花よりも花のごとく』という漫画の1シーンで、戦後間も無くの電力不足による停電がよく起こったという能舞台公演中、客席で誰かが灯したマッチの火が次々に広がっていく、そうした劇場の思い出を隆生先生が憲人に語る回想がありますが、不思議なことに、その感動とリンクするような瞬間でありました。