毎朝の計量、体重がいっきに1キロ増えた。
呑み会+1軒の報い。
酒量も日本酒換算三合ほど、つまみも多種少量、〆は無しだったので1キロ増はないと思っていた。
…と思って思い出せば、呑み会+1軒のあとに、ファミマで買った林檎デニッシュ(小4個入り)を3つ食べていた。
それだけでなく、寒かったので同じファミマでするめを買ってストーブで焼いて食べた。
A部氏にもらった倉吉の濁り酒(二十度!)の小瓶も飲んだ。
よく1キロ増で済んだものだ。(笑)
うどんや蕎麦屋、牛丼、ラーメンで〆なくても体重は増えるのだ。
朝、珈琲を飲む気もしない。
昼ごはんは揚げもの(自家製揚げ出し豆腐)が入っていたが、ちゃんと食べられた。
食後、NHKFMから流れてきた曲に聞き覚えがあった。
この歌詞、このメロ、懐かしい。
この町に慣れようと 泣き笑いおぼえて
変わらぬ暮らしに 季節を見つけた
これ何だっけ?
番組ホームページ調べたら…ふきのとう『南風の頃』だった。
そうか。
すっかり記憶から消えていたが、かつて僕はこの歌が好きで、歌詞を全て覚えたくらいに聞き込んでいたのだ。
なのにこの数十年思い出すことはなかった。
聴覚の記憶が一瞬に呼び起こされた。
十代の健康な身体感覚、受験不合格の失意、朝刊配達の夜明けの町、ラジオの深夜放送、朝刊の紙面で知った大学合格、その朝の母の泣き笑い、旅立ち、金沢で始まった新しい暮らし、最初の冬の雪景色…。
ラジオ放送は「歌謡スクランブル」の “純情ラブソング” 特集だった。
「南風の頃」がリリースされたのは1975年とある。
高校2年の年、最初はラジオで流れて来たのを聴いたのだと思う。
レコードは買った記憶がない。
当時、FM放送でアルバム全曲を流したりしていたからそれをカセットテープに録音したのだろう。
エアチェックというやつ。
FMラジオの雑誌があって、いつ、どんなアルバムが流れるのかが載っていた。
南風吹いたら 流れ雲流れて本棚の写真帳 色あせたまま
陽だまりのかげろうに あなたを想いつつ縁側でひとりぼっち ひなたぼっこ
ふきのとうのファンだったわけでもない。
いま思うとファンだったのかな。
当時は軟弱フォークと自分では気恥ずかしく思っていたが明らかに好きだったのだ。(笑)
最初のヒットは「白い冬」だった。
この「南風の頃」は第二弾(?)でおそらく春、早春のころを歌ったものだ。
卒業、旅立ち、新しい暮らし。
早春の風景や感情をうたった歌は時にエモーショナルだ。
amazonミュージックでサーチしたら「南風の頃」は『二人乗りの電車』というアルバムに収められていた。
このアルバムを聴いて驚いた。
どの歌も記憶にあった。
想像するにアルバム『二人乗りの電車』をエアチェックしたカセットを大学の寮に持っていって聞き続けたのだ。
そのカセットは残っていない。
実は持っていた記憶もない。
2025年の今も耳にする「なごり雪」や「22歳の別れ」「心もよう」「襟裳岬」
「神田川」「あの素晴らしい愛をもう一度」みたいなスタンダードよりも、
その短い時代に、個人の記憶に密着した曲がより愛おしく感じるのは何故だろう?
今の時代はアルバムとして全曲フルで聴くことはほとんどない。
でも、ある時代、LPが擦り切れるくらい聴いたアルバムは、折に触れ記憶の沼の底から浮かび上がってくる。
その歌手の代表アルバムでなくても忘れがたい。
たとえば僕の場合…この『ふたり乗りの電車』(ふきのとう 1975年)
『フェアウェイ』(オフコース 1978年)、『10ナンバーズ・からっと』(サザンオールスターズ 1979年)、
『帰去来』(さだまさし 1976年)、同じく『風見鶏』(1977年)、『愛していると言ってくれ』(中島みゆき 1978年)
『氷の世界』(井上陽水 1973年)*これはヒット作
『バイバイグッバイサラバイ』(斎藤哲夫 1973年)、『ゲームは終わり』(五つの赤い風船 1972年)
まだまだ続く。(笑)
これって、そのまま僕の中学〜大学時代じゃないか。
自意識過剰の恥ずかしい青春。
そういう暗めの過去もなかば肯定して思い出にできるくらいの年齢になったのだ。
そういえば去年こんな投稿もしてたな。
なんてセンチな気分のまま出勤。
夜は雨予報なので駅まで徒歩、iPhoneで『ふたり乗りの電車』を聴きながら。
出勤途中で胃が膨らんでくる。
ボーマン警報発令!
寒さが追い打ちをかける。
編集チェックを早めに済ませて帰宅する。