ぷよねこ日々御留書 since2023

「にちにちおとどめがき」 毎日更新 日々の記録です。

2025年3月4日(火) 記憶の底から浮かび上がる…



毎朝の計量、体重がいっきに1キロ増えた。

呑み会+1軒の報い。

酒量も日本酒換算三合ほど、つまみも多種少量、〆は無しだったので1キロ増はないと思っていた。

…と思って思い出せば、呑み会+1軒のあとに、ファミマで買った林檎デニッシュ(小4個入り)を3つ食べていた。

それだけでなく、寒かったので同じファミマでするめを買ってストーブで焼いて食べた。

A部氏にもらった倉吉の濁り酒(二十度!)の小瓶も飲んだ。

よく1キロ増で済んだものだ。(笑)

うどんや蕎麦屋、牛丼、ラーメンで〆なくても体重は増えるのだ。

 

昨日、赤ワインといっしょにいただいた生ハム。

 

朝、珈琲を飲む気もしない。

昼ごはんは揚げもの(自家製揚げ出し豆腐)が入っていたが、ちゃんと食べられた。

食後、NHKFMから流れてきた曲に聞き覚えがあった。

この歌詞、このメロ、懐かしい。

 

この町に慣れようと  泣き笑いおぼえて

変わらぬ暮らしに 季節を見つけた

 

これ何だっけ?

番組ホームページ調べたら…ふきのとう『南風の頃』だった。

そうか。

すっかり記憶から消えていたが、かつて僕はこの歌が好きで、歌詞を全て覚えたくらいに聞き込んでいたのだ。

なのにこの数十年思い出すことはなかった。

聴覚の記憶が一瞬に呼び起こされた。

十代の健康な身体感覚、受験不合格の失意、朝刊配達の夜明けの町、ラジオの深夜放送、朝刊の紙面で知った大学合格、その朝の母の泣き笑い、旅立ち、金沢で始まった新しい暮らし、最初の冬の雪景色…。

 

     www.youtube.com

ラジオ放送は「歌謡スクランブル」の “純情ラブソング” 特集だった。

「南風の頃」がリリースされたのは1975年とある。

高校2年の年、最初はラジオで流れて来たのを聴いたのだと思う。

レコードは買った記憶がない。

当時、FM放送でアルバム全曲を流したりしていたからそれをカセットテープに録音したのだろう。

エアチェックというやつ。

FMラジオの雑誌があって、いつ、どんなアルバムが流れるのかが載っていた。

 

南風吹いたら 流れ雲流れて本棚の写真帳 色あせたまま

陽だまりのかげろうに あなたを想いつつ縁側でひとりぼっち ひなたぼっこ

 

ふきのとうのファンだったわけでもない。

いま思うとファンだったのかな。

当時は軟弱フォークと自分では気恥ずかしく思っていたが明らかに好きだったのだ。(笑)

最初のヒットは「白い冬」だった。

この「南風の頃」は第二弾(?)でおそらく春、早春のころを歌ったものだ。

卒業、旅立ち、新しい暮らし。

早春の風景や感情をうたった歌は時にエモーショナルだ。

 

amazonミュージックでサーチしたら「南風の頃」は『二人乗りの電車』というアルバムに収められていた。

このアルバムを聴いて驚いた。

どの歌も記憶にあった。

想像するにアルバム『二人乗りの電車』をエアチェックしたカセットを大学の寮に持っていって聞き続けたのだ。

そのカセットは残っていない。

実は持っていた記憶もない。

 

2025年の今も耳にする「なごり雪」や「22歳の別れ」「心もよう」「襟裳岬

神田川」「あの素晴らしい愛をもう一度」みたいなスタンダードよりも、

その短い時代に、個人の記憶に密着した曲がより愛おしく感じるのは何故だろう?

今の時代はアルバムとして全曲フルで聴くことはほとんどない。

でも、ある時代、LPが擦り切れるくらい聴いたアルバムは、折に触れ記憶の沼の底から浮かび上がってくる。

その歌手の代表アルバムでなくても忘れがたい。

たとえば僕の場合…この『ふたり乗りの電車』(ふきのとう 1975年)

『フェアウェイ』(オフコース 1978年)、『10ナンバーズ・からっと』(サザンオールスターズ 1979年)、

『帰去来』(さだまさし 1976年)、同じく『風見鶏』(1977年)、『愛していると言ってくれ』(中島みゆき 1978年)

『氷の世界』(井上陽水 1973年)*これはヒット作

『バイバイグッバイサラバイ』(斎藤哲夫 1973年)、『ゲームは終わり』(五つの赤い風船 1972年)

まだまだ続く。(笑)

 

これって、そのまま僕の中学〜大学時代じゃないか。

自意識過剰の恥ずかしい青春。

そういう暗めの過去もなかば肯定して思い出にできるくらいの年齢になったのだ。

 

そういえば去年こんな投稿もしてたな。

puyoneko2016.hatenablog.jp

なんてセンチな気分のまま出勤。

夜は雨予報なので駅まで徒歩、iPhoneで『ふたり乗りの電車』を聴きながら。

出勤途中で胃が膨らんでくる。

ボーマン警報発令!

寒さが追い打ちをかける。

編集チェックを早めに済ませて帰宅する。

 

2025年3月3日(月) 三寒四温 桃の節句

 

昨日まで春だったのに、きょうは冬。

きのうの霧で空気が入れ替わったのか。

三寒四温の3月です。

空模様もあやしい。

 

午前中は日録を埋めてゆく。

アカデミー賞の授賞式が流れる。

作品賞は「アノーラ」というR18の映画。

見たいのはやっぱり「名もなき者」かな。

雛祭り、桃の節句、ちらし寿司と赤だしの昼食。

ヒロはこういう季節や旬のしきたりは丁寧にフォローしてくれます。

午後から出勤、仮編集のチェックを済ませる。

寒い。

 

夜は文菜会なる呑み会。

天満「肴や」の2階、隠れ家的なスペースにて開催。

六十代二人、五十代一人、四十代一人の男女4名。

いつも通り独酌用の焼きイワシリスボン風とかで吞む。

生ハム+バケットがヒットでした。

その後、A部氏とセブンシーズでギネスとフィッシュ&チップス。

帰宅後、いただいた倉吉のにごり酒と炙ったするめ

2日飲まなかった反動か、そこそこ吞みました。

瓶ビール中瓶1/3・樽酒一杯・赤ワインボトル1/3・ギネス一杯・濁り酒一合。

明日からはまた断酒。

 

*追加写真あり。 +

 

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2025年3月2日(日) ミスティー - 霧 の 中 の 風 景 -

 

朝、トイレに行き小用を足す。

調子がいいと、ほどなく大も。

快便、しばらく調子がいい。

調子がいいのは期間限定、永遠に続くとは思えない、そう考えるようになったのはいつ頃だろうか。

その日が来る。

若い頃は決して想像しなかったこと。

これは単なる悲観なのだろうか。

 

なくしものが増えている。

雨の日に自転車通勤するときに被っていたキャップがない。

軽量で薄手のライトグレーのキャップ。

そういえば同じように使っていたナイキの黒のキャップも1年前くらいに失くした。

部屋に置いていたクイックルワイパーもない!

実際にはクイックルではなく無印のものだったが。

これは持ち出したりしないので、なくなるはずがないのだが…。

どこかに底なしのブラックホールがあるとしか思えない。

 

きょうは午後走る。

風景が一変していた。

霧の中の香櫨園浜。

テオ・アンゲロブロス監督の映画「霧の中の風景」を思い出す。

 

 

夕食は海老グラタン。

オンデマンドでドキュメント72時間「奥能登 珠洲 海辺の銭湯」を観る。

大学時代の一年先輩のハマさんという珠洲出身の気のいい人がいた。

この地震津波と水害、ハマさんはどうしているだろう。

舞台となった銭湯に来る解体業者やボランティアの人々を見ていると少し罪悪感がある。

何もしていない自分に。

同じNHKの「Dear にっぽん “味園ビル”最後の日々 〜大阪・千日前〜」も観た。

舞台になった飲食エリアは何度か行ったことがある。

米須昌代というシンガーソングライターを知ったのはここにあった店だった。

サブカルの聖地、怪しげな店にも入ったことがある。

amazonプライム「ルックバック」を観た。

こういう話だったのか。

 

 

寝しなに「少年と犬」を読む。

 

*追加写真あり(多め) +15

 

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