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Posted by vietnhat at

2019/08/20

8月20日の記事

御霊前  津久間秀也

  

Posted by tsukuma at 17:18Comments(0)

2016/04/12

Panama Papers Tax Haven



最近、租税回避地としての「タックス・ヘイブン(tax haven)」がやたらに登場し、パナマ、ケイマン、バハマ、英領バージン等がよく出てきます。日本ではまだそれほど問題にはなっていないようですが、欧州、ロシア、中国等ではかなり動きが激しく、アイスランドの首相が辞任したり、英国の首相がやり玉にあがったり、ロシアでは首相が西側の陰謀だと言ってみたり、また中国では情報へのアクセスが制限されたりしているようです。私の場合、最近こそないものの、かなり若いころから、Tax havenを利用した案件が普通に身近にあったような気がします。もっとも、私が関与したのは、問題になっている違法な利益隠しや税金回避ではなく、一部を除き、あくまでも合法的な(と思っていますが)ストラクチャーものだと理解していますが?

1.前の会社の日本本社や英国法人が銀行免許を持っておらず、Tax havenの柔軟性を利用して、実質ローンを行っていました。細かいことは忘れましたが、会ったこともない又将来会うこともない大手法律事務所の(例えば)ケイマン事務所の弁護士と連絡を取り、会社を作ってもらい、ストラクチャーを作るというパーターン。当初はメールがなかったので、Faxでやり取りをしていた記憶があります。終わった後に弁護士費用の請求書が届きましたが、会ったこともない弁護士からの請求書は恐怖でした。

2.これは問題でしたが、前の会社が会社更生を申立て破綻した時に、海外現法の損失を飛ばしている(隠している)ケースがありました。要は、海外現法の損失が出ている資産をtax havenに簿価で譲渡して、損失が会社とは関係がないようにして、会社として損失が出ていないように装うわけです。数年前に問題になったオリンパスの損失隠しも、おそらく同じ手法を取ったのではと思います?損失を隠す方なので、税法上は特に問題はないのではと思いますが、企業会計上・商法上は大問題で、違法性はかなり高いと思われます。会社破綻後、チームが結成され、解明に努めたのですが、案件を組成した人材が会社に残っていなくて、私もチームの一員として、主にオランダ法人の損失飛ばしの解明に努めたのですが、とにかくとびっきり優秀な元同僚が作ったストラクチャーなので、飛ばしの方法が単純ではなく複雑怪奇で、かなり時間をかけましたが100%分かりませんでした。最後は、オランダ法人の債権者には「御免なさい」と言って、罵声を浴びながら、謝った記憶があります。

3.前の会社がアメリカの会社に買収された後、また、今の会社に入社した当時は、会社の資産を担保にした証券化の案件で、倒産隔離(bankruptcy remoteness) を達成するために、資産をtax havenの会社に譲渡して、tax havenの会社と日本の会社が関係ないような仕組みを作り、日本の会社が倒産しても、日本の会社の債権者がTax havenの会社が持つ資産に手を出せないようにするものですが、結局証券の満期の前に日本の会社が倒産した例はなく、果たして倒産隔離が、理論どおり、有効だったのかどうかは分かりません。今の会社の証券化の案件の時には、人材が豊富にいた前の会社とは違い、そもそも英語が出来るものが殆どいなくて、弁護士への依頼も、倒産隔離に関する法律意見書(私も100%理解できたわけではなかったのですが)の説明も全て我々のチームで行ったのですが、会社からは、あとで送られて来た弁護士費用の請求書が高すぎるので再交渉しろと理不尽なことを言われたりしました。会ったこともない弁護士相手に、しかも事後に交渉なんか出来る訳もなく、心の中では「何を言ってやがる」と思ったりしましたが、暫く時間を置いて、実際何もしていないにも拘わらず、やっぱり駄目でしたと言って払ったものです。

4.昨日テレビを見ていたら、カリブ海に浮かぶ綺麗なケイマン諸島の景色が登場し、弁護士事務所が多数入居しているという近代的なオフィスビルが放送されていました。また無数の私書箱(PO box)が映し出され、そういえば、ケイマンの登記上の住所には必ず私書箱(PO box)が付いていましたね。





  

Posted by tsukuma at 20:08Comments(1)

2016/03/22

ハノイからの観光団

ハノイから元同僚と家族10人が日本に観光に来ていて、東京と箱根を案内し、今関西を旅行中で、また週末に東京に戻ってきますが、気がついた点を少し:

1.ベトナム人が歩かないということは、ある程度分かっていましたが、本当に全く駄目みたいです。ましてや、大きな荷物を持って都心の地下鉄の階段の上り下りは、おそらく彼らには想像を絶する苦行のようです。

2.私は通勤電車で立つことに慣れているので、短時間であれば座れなくても全然平気ですが、ベトナム人はとにかく1駅でも何が何でも座ろうとします。席が空けば、必ず私にも座るように促してきます。そもそも電車に乗るということが今現在ではないので、立つということに慣れていないようです。今建設中の通勤電車が完成しても、もしかしたら暫く混乱するかもしれません。

3.これは私の問題ですが、何故か今回は(おそらく初めて乗る)地下鉄副都心線に乗ることが多く、私自身がよく分からなくて迷ってばかりでした。副都心線は後から出来たのでしょうがないのでしょうが、作りが複雑で地上に出てもよく分からないことが多かったですね。

4.日本は明らかにネット環境で後進国だと思いますが、私自身がスマホを持っていなくてWIFIも使ったことがないので、質問されても全く分からない。彼らが宿泊していた上野のホテルで、待ち時間に受付の人が良さそうなお婆さんとネットについて話をしたのですが、彼女も私と同じで全く分からないとぼやいていて、後進国の人間同士傷をなめ合っていました。

5.交通については、外国人が日本入国前に買えるJR Passを持ってきましたが、私鉄、東京メトロ、都営地下鉄全てを網羅するものがなく、アレンジしている当方はかなり苦労します。

6.また、何時もは何も考えずにSuicaをタッチしているだけで、普段切符を買うことがないので、いざ切符を券売機で買うと日本語が分かる私でも複雑で結構苦労します。また私の記憶では大阪方式は東京方式とかなり違うのではと思います。

7.箱根の帰りに、私だけ小田原駅で東京までの新幹線こだまの乗車券・新幹線特急券を買ったのですが、券売機でクレジットカードは使えるが、何故かSuicaは使えない。しょうがないのでCredit Cardで買いましたが、東京駅ではSuicaで買ったのに、どうなっているのか?たまたま私の選んだ券売機がそうだったのかもしれませんが?

8.スケジュール等が突然変わるというのは、実は駐在していた時も経験済みですが、彼らはベトナム語で話しているので、全然突然ではないのですが、こちらはベトナム語が分からないので、結構ギリギリに英語で聞いたりするので、こちらには突然ということが結構あります。
  

Posted by tsukuma at 19:46Comments(0)

2016/03/22

ハノイからの観光団

ハノイから元同僚と家族10人が日本に観光に来ていて、東京と箱根を案内し、今関西を旅行中で、また週末に東京に戻ってきますが、気がついた点を少し:

1.ベトナム人が歩かないということは、ある程度分かっていましたが、本当に全く駄目みたいです。ましてや、大きな荷物を持って都心の地下鉄の階段の上り下りは、おそらく彼らには想像を絶する苦行のようです。

2.私は通勤電車で立つことに慣れているので、短時間であれば座れなくても全然平気ですが、ベトナム人はとにかく1駅でも何が何でも座ろうとします。席が空けば、必ず私にも座るように促してきます。そもそも電車に乗るということが今現在ではないので、立つということに慣れていないようです。今建設中の通勤電車が完成しても、もしかしたら暫く混乱するかもしれません。

3.これは私の問題ですが、何故か今回は(おそらく初めて乗る)地下鉄副都心線に乗ることが多く、私自身がよく分からなくて迷ってばかりでした。副都心線は後から出来たのでしょうがないのでしょうが、作りが複雑で地上に出てもよく分からないことが多かったですね。

4.日本は明らかにネット環境で後進国だと思いますが、私自身がスマホを持っていなくてWIFIも使ったことがないので、質問されても全く分からない。彼らが宿泊していた上野のホテルで、待ち時間に受付の人が良さそうなお婆さんとネットについて話をしたのですが、彼女も私と同じで全く分からないとぼやいていて、後進国の人間同士傷をなめ合っていました。

5.交通については、外国人が日本入国前に買えるJR Passを持ってきましたが、私鉄、東京メトロ、都営地下鉄全てを網羅するものがなく、アレンジしている当方はかなり苦労します。

6.また、何時もは何も考えずにSuicaをタッチしているだけで、普段切符を買うことがないので、いざ切符を券売機で買うと日本語が分かる私でも複雑で結構苦労します。また私の記憶では大阪方式は東京方式とかなり違うのではと思います。

7.箱根の帰りに、私だけ小田原駅で東京までの新幹線こだまの乗車券・新幹線特急券を買ったのですが、券売機でクレジットカードは使えるが、何故かSuicaは使えない。しょうがないのでCredit Cardで買いましたが、東京駅ではSuicaで買ったのに、どうなっているのか?たまたま私の選んだ券売機がそうだったのかもしれませんが?

8.スケジュール等が突然変わるというのは、実は駐在していた時も経験済みですが、彼らはベトナム語で話しているので、全然突然ではないのですが、こちらはベトナム語が分からないので、結構ギリギリに英語で聞いたりするので、こちらには突然ということが結構あります。
  

Posted by tsukuma at 16:36Comments(0)

2016/01/24

Hanoi旅行(15)

11月14日(土)

いよいよ最終日となりました。当日の深夜便(正確には翌日の0時過ぎ)で帰国するわけですが、その前の夕方6時にアパートに皆が集まり最後のパーティーを開催してくれることになっていました。それまでは時間があるので自転車でHo Tayを1周し、前日と同じようにバナナの朝食の後、また土地勘があるDaewoo Hotelまで歩いて行きました。



昔はDaewoo Hotelの裏側にアパートの入口があり、その前を比較的広い道路が走っていましたが直ぐに行き止まりで、行き止まりの向こう側は舗装されていなかった道路が走っていて、古い住宅が立ち並んでいました。今では舗装されていなかった道路と古い住宅は消えていて、広い道路がずっと伸びています。その道路の向かい側には超高層のロッテビルが建っているという感じですね。当日は土曜日だったので前日のことだったと思いますが、アパートに住んでいると思われる若い日本人(韓国人ではなかったと思います?)が出勤のため玄関に出てきて、車に乗り込んでいるところに出くわし、自分もそうだったなと昔のことを思い出してしまいました。



舗装されていない道路と古い住宅が消えてしまっていたことで思い出したのですが、Daewoo Hotelの東側にある広い道路(片側3車線?)は、1997年の1月に私がハノイに赴任した時は、車1台がやっと通れる舗装されていない道路と、両脇に古い住宅が立ち並び人々が普通に生活していたのですが、3月だったと思いますが、僅か3週間で、人を追い出して、建物を壊し、広い道路を完成させたことがありました。なぜ3週間という工事期間を記憶しているかというと、家内が初めてハノイに様子を見にやって来て3週間滞在した時に、来たときは舗装されていない道路を通って、帰国する時は広い道路を通って帰ったからですが、家内によれば3週間の間は工事の埃が凄くて窓を開けられなかったそうです。立ち退きの話は前から進んでいたとは思いますが、それにしても僅か3週間という工事期間は脅威的でした。日本だともう何年かかるか分かりませんね。



アパートのそばにはトゥーレ公園(Cong vien Thu le)があり、動物園も併設されています。入場料は1万ドン(約60円)でしたが、記憶が定かではないですが、当時は4-5千ドンだったのでは?しかも、当時は、外国人とベトナム人は入場料の金額が異なり、ベトナム人は1千ドンぐらいだったかもしれません。一度、黙ってベトナム人の入場料を窓口に出したことがありましたが、即外国人の入場料を請求されたことがありました。もっとも、今はどうか知りませんが、当時は営業時間以外は門は解放され(これはハノイでは他の施設も同様でした)、入場料なしで中に入れたので、私は朝と夕方6時ごろ動物園を散歩することが多かったので、入場料を払った記憶は実はあまりありません。
http://244room.blogspot.jp/2013/07/hanoi-zoo.html



中にいる動物の種類はそんなに変わっていませんが、やはり来園者の服装等は昔と比べて随分と垢抜けています。また乗り物等は、当時は旧ソ連製のようなタイプ(旧ソ連には行ったことはありませんが)のものが多かったのですが、今はすっかり洗練された乗り物が多いようです。露天も昔に比べればすっかり少なくなりましたね。そういえば、当時は人が集まる場所には、必ず体重計の前に座っているお婆さんがいたのですが、今ではもう見当たりませんね、その他の場所でも見かけなかったような気がします。私が初めてこの動物園で見た時に、何のためにお婆さんが体重計の前に座っているのか理由が分からずに、翌日事務所で秘書のVanさんに聞いたところ、ハノイではそういう場所でお金を払って体重を量る人が多いということで納得した次第です。とにかく当時はよく理解できないことが多く、聞いてみて初めて納得ということが結構ありました。しかし結局理由がよく分からなかったこともあり、例えば、場所はHo Tay近くの官庁街だったと思いますが、休日に自転車で走っていると、大勢の人がモーターバイクや自転車で緑が多い何かの施設内を通過していたので、私も後ろからついて行ったら、私だけが警官から止められて通過出来ないということがありました。翌日事務所で何故私だけが駄目だったのか聞いてみたのですがよく分からず、おそらく軍の施設だったからではということになったのですが、これはもう確認のしようがありませんでした。



動物園の中にはお寺があり、1997年の秋ごろだったと思いますが、5年毎のベトナムの総選挙があり、ここが投票所になっていました。朝の6時か7時に係員が整列して、ラジカセから流れる音楽を聞いていたのですが、何処かで聞いたことがある歌だと思ったら、昔懐かしい「インターナショナルの歌」で、たしか過去に日本語版、中国語版、英語版を聞いたことがあったので、4カ国語目の「インターナショナルの歌」でしたね。
https://www.youtube.com/watch?v=KFlGfHCCZdQ



動物園の中には何の変哲もない橋があったのですが、この橋を通ると何時も数名の所謂ストリートチルドレンがどこからともなく現れ、もう私は顔を覚えられていたので逃げようがありませんでした。たしか近くに孤児院みたいなものがあると言う話を聞いた記憶があります。そういうこともあり、当時は財布は持たずに散歩に出かけることにしていましたが(ポケットを引っ張ってI have no moneyという。)、全く現金を持っていないのも逆に危険なので、小額紙幣を10枚ほど何時も持っていました。一度、腕時計を腕からもぎ取られそうになったので、散歩の時は腕時計も止めました。



当時のハノイではこういう話が多く、物乞い、靴磨きの強要等もうキリがありませんでした。当時、合弁会社からイギリス系の弁護士事務所まで数分だったので、歩いて行くことが多かったのですが、私は東洋人なので少しは紛れてしまうこともありましたが、それでも捕まることも結構ありました。イギリス人の弁護士は私のことを「Brave」と妙に褒めていましたが、あれは「向こう見ずだと」少しは「揶揄」する気持ちもあったのかもしれませんね。



また小さな子供が、道路を横断するとき等に非常に危険な行為をすることも多く、大人が教えた訳でもないだろうに、と思ったことも多くありました。見ているこっちがヒヤヒヤすることが結構あったものです。



以上は当時の状況ですが、しかし、今回私はかなり歩きましたが、一度もそういう場面に遭遇しませんでした。そういう局面でも、私が見た範囲では、かなり生活水準が向上していると感じました。

(注)旧ソ連には一度も行ったことはないと書きましたが、1990年ごろモスクワの空港に2-3回Transitしたことがあるのを思い出しました。(一部私の推測ですが)1980年代まで航空機は旧ソ連を通過出来ずに、欧州便は北極点の上空を飛んでいたと思いますが、1980年代の後半になると(おそらくお金の問題が関係あると思いますが)旧ソ連の上空を通過できるようになり、(おそらく交換条件として)便によってはモスクワの空港に立ち寄ることがありました。それも深夜の変な時間帯で、しかし免税店は開いていて日本製の電化製品等を売っていました。日本人はおそらく日本製の電化製品は買わなかったと思いますが、私はお土産にキャビアを買ったことがありました。何時か忘れましたが歌手の北島三郎がいましたね。トイレトペーパーがペーパーではなくて、とにかく固かった記憶があります。結局、旧ソ連は1991年に崩壊しましたが、当時ロンドンに勤務していましたが、英国の銀行がアレンジした旧ソ連向けのプロジェクトファイナンスの案件に参加していて、全部だめになったので東京の本社からエラク怒られました。あんたが大丈夫と言ったんでしょう、怒られる筋合いはないと、電話で言いたかったのですが、グッとこらえたことがありました。ロシアになった今では(最近は欧州便には乗らないけど)もちろん寒そうなシベリア上空も飛んでいますね。





  

Posted by tsukuma at 19:09Comments(0)

2016/01/11

Hanoi旅行(14)

11月13日(金)

この日は朝から晩まで特別な予定が入っていない唯一の日でした。

1.早朝はHo Tayを自転車で1周。たしか途中で雨が降り出し、暫く雨宿りをしていました。何度も書きましたが、11月にこんなに雨が降っていたかと思うぐらいによく雨が降りました。朝食は何処かでパンを買ってアパートでと思ったのですが、何時もはよく見かける銀行のATMが探すと見つからないのと同じで、何時もはよく見かけるパン屋さんが探すとなかなか見つからない。ということでアパートの近くの露天で、パンの代わりにバナナを買って食べました。



2.バナナの朝食が終わると歩いてハノイの街へ。この日も午前中は昔住んでいたDaewooを目指すことにして、但し、少し南のGiang Vo通りやLa Thanh通りを歩いて向かってみました。途中、トイレ休憩ということで、Fast Foodの店(KFCだったかな?)に入ってコーヒーを飲みましたが、こういうお店は20年近く前には無かったですね。レジのところで、若い男性から片言の日本語で話かけられましたが、やはり何も言わなくても日本人だと分かるようです。不思議なことに、今も昔も韓国人と言われたことは数えるほどしかないですね。ロンドンにいた頃は、私が見ても日本人か韓国人かよく分からなかったことが多かったのですが不思議ですね。ここら辺に、当時はハノイでは珍しかったスーパーマーケットのようなお店があり、よく買い物をしたのですが、当然といえば当然ですが、今は見当たりません。Giang Vo通りには電化製品を売っている店が並んでいて、昔は中国製の扇風機が所狭しと並べられていましたが、11月のせいか或いはエアコンの時代になったのか、扇風機は殆ど見かけませんでしたね。そういえば前日のNgaさんの家でもエアコンが作動していました。当時、私が住んでいた韓国系のアパートには、韓国製の電化製品が一通り揃っていて、なかには私は日本では使ったことがなかった食器洗浄機もありましたが、唯一個人のお金でラジカセを、ここら辺で買いましたね。こちらも韓国製でした。日本製もありましたが桁が一桁高かったような記憶があります。このラジカセは私が帰国する時に運転手さんにあげましたが、今ではラジカセもすっかり時代遅れになってしまいましたね。



3.通りには比較的大きな展示場があり(この展示場は1997年にもあったような気がしますね?)何かの催しをやっていて大勢の人がいました。



4.Giang Vo通りからLa Thanh通りに向かう所にBao Son Hotelというホテルがあり、このホテルは昔からあったのですが、昔は道路は舗装されていなくて掘立小屋が立ち並び、その小屋で大勢の露天商が商売していたのですが、今は様相が一変していて、ホテルは見覚えがあるので(おそらく)昔のままだと思うのですが?



5.La Thanh通りは、家具を売っているお店が並んでいて、この通りは昔と同じですね。帰国直後にたまたま朝日新聞にLa Thanh通りに関する記事が掲載されました。
http://www.asahi.com/articles/ASHD804PCHD7UHBI01Q.html



とりとめもなく書いてみましたが、この日は他にも昔懐かしい場所を訪れ懐古的になった日でした。












  

Posted by tsukuma at 07:19Comments(1)

2016/01/09

Hanoi旅行(13)

11月12日(木)夜

当日夜は、Ngaさんという人の家に集まり、皆でパーティーをしました。彼女はHa Long BayでのReunion Meetingには参加しませんでしたが、この日は自宅をパーティーの会場に提供してくれました。私は、夕方早い時間にはアパートに戻り一休みしていたら、彼女から電話があり、彼女の会社の車が迎えに行くのでそれに乗るようにとのこと。この頃になってやっと分かったのですが、それまでは皆が盛んに「ラクチン、ラクチン」と言っていて、一体何が「楽ちん」なんだろうと思っていたら、アパートの住所が「Lac Chinh」という地名だとのこと。そうこうするうちに車がやって来て、私は車に乗りこみましたが、そういえば5年前にハノイに来たときにも、やはり彼女の車に乗り、その時は私と私の娘も一緒でしたが、おそらくその時と同じ運転手さんでしたね?



彼女はVietcombankのJV Sectionにいて、合弁会社設立の交渉時には直接の窓口としていわば交渉相手で、毎日何回も電話でのやり取りをしていました。何時もは私からの電話は事務の女性が受けて、私が「May I speak to Ms.ガ, please.」と言うと、電話は彼女に転送されて、私と彼女との話が始まったのですが、ある日急ぎの用事があってお昼休みに電話をしたことがあるのですが、そのとき事務の女性がいなくて彼女が直接電話を取ったことがありました。私は何時ものように「May I speak to Ms.ガ, please.」と言ったところ、彼女は数秒の沈黙の後やっと私からの電話だということが分かり、かなりの時間「ゲラゲラ」と笑っていました。それまでもベトナムでは、人名ですらなかなか通じないというケースはあったと思いますが、この時も私の(日本語の感覚では)たった一言の「ガ」が本人にも通じないということがよく分かりました。普段は、おそらく、事務の女性は私の「ガ」という発音を理解していなかったかもしれないのですが、聞き返された記憶はなく、変な日本人(私ですが)からの電話は彼女が応対することになっていて、とにかく訳が分からなくても電話を転送していたのかもしれません。

    


お昼休みといえば思い出したのですが、JV Sectionはハノイ市のど真ん中にあった同行のLy Thai To支店の2階にあったのですが、5月の暑い季節だったと思いますが、ある日のお昼休みに書類を届けに行ったところ、支店は真っ暗で、何かが蠢いているのが分かりましたが、目が慣れてくると、どうも机の上に毛布を敷いて、そこで行員たちが昼寝をしているようでした。夏の暑い時には、昼間はベトナム人は外を歩いていなかったのですが、実際に昼寝をしているのを見たのは初めてで、昼寝もこの国では必要なんだと思った瞬間でした。日本人は仕事中に昼寝の習慣はないので、戸惑うことも多いようですが、「郷にいっては郷に従え」ですかね。



昔のいろんなことを考えながら車は進むのですが、中心街を通ったのは間違いないのですが、それから先がよく分かりません。橋は渡っていないので、おそらくハノイ市の南の方にむかって行ったのだと思います。所要時間はよく覚えていませんが、結構な距離走って住宅街の密集地にある彼女の家に着きました。ハノイの住宅街は、日本以上に狭い通りも多く、車が進むのも大変です。彼女は事業をやっているようで、どうも自宅が事業所になっているのではと思いますが、かなり大きな住居で台所やリビングは2階にありました。最初に目に入ったのは台所にあった大きな冷蔵庫で、業務用ではないと思いますが、私はあんなに大きな家庭用の冷蔵庫は初めて見ました。ちなみに日立の製品のようで、日本ではあんなに大きな冷蔵庫は家電販売店でも見たことがない(少なくとも私の家の台所には入らない)ので、おそらく日立の東南アジアの何処かの国の工場で作った製品だと思いますが?

    

パーティーには、Reunion Meetingに参加出来なかった人も含め、殆どの元staffが参加したのではと思いますが、中には私が5年前にハノイに来た時にはアメリカに住んでいたので約15年ぶりに会う人もいたりしました。ちなみにNgaさんの子供(2人?)はいましたが、旦那さんは居ませんでしたね?数年前に、別のベトナム人から彼女の旦那を見た人はいないと言う話を日本で聞いたことを思い出しましたが、今もそうなのかどうか知りませんが、当日はいなかったようです。

  

5年前にも感じたことですが、とにかくみんな仲がよくて、今でも家族ぐるみの交流をしています。特に今回は、私が日本からやって来たので集まったようで感謝感激です。実は、私が日本に帰る直前の11月14日(土)の夕方にも、もう1度みんながアパートに集まり最後のパーティーを開いてくれました。
 
  

とにかくみんなで楽しくお喋りをして料理をたくさん食べました。鍋料理の時に、アヒルの卵を割って入れていたのですが、卵を割ると中にはヒナが入っていて一瞬吃驚したのですが、吃驚していたのは当然私だけで、「ホビロン」というらしいのですが、ホーチミン等のベトナム南部で食べられるものと聞いていたのですが、私も実は見たのは初めてで、どうもハノイを含む北ベトナムでも食べるようです。

 

帰りも同じ車に乗って帰ったのですが、途中まで1家族を一緒でしたが、やはりハノイの南だったようです。

  


  

Posted by tsukuma at 19:12Comments(0)

2016/01/04

Hanoi旅行(12)

11月12日(木)午前・午後

この日は夜まで予定が入っていないので、それまでは自由に時間を使えました。

自転車での移動を諦めたので、歩いてハノイの西側にあるDaewoo Hotelへ。昔はここのアパートに住んでいたので、お馴染みの場所です。地図で見ると、今宿泊しているHo Tayのアパートから、Daewooまでは約2kmですね。しかし2kmの道のりも、昔と比べると随分と変わりました。このホテルはもともと韓国のDaewooが建設して所有していたが、ちょうど私がハノイにいた頃のアジア通貨危機による韓国の経済破綻によるIMF管理の際に、会社の組織がどうなっているか知りませんが、Daewoo財閥が破綻した時もホテルを持っていたDaewooは生き残ったようで、但し、Daewooとは関係ない韓国人から聞いた話ですが、当時既にホテル等の売却の話を進めていたようです。結局、売却の話はうまく行かなかったようでその後も持ち続けたようで、やっと2012年にベトナム側の合弁相手に持ち分を売って、ベトナム資本100%になったようです。ただ、おそらく売買契約でそうなっているのだと思いますが、その後もDaewooの名前はそのまま使い続け、今でも「Daewoo Hotel」ですね。お客も韓国人が多いようで、見た目では韓国系ですね。ちなみに、ホテルの隣にアパートとオフィス棟があり、オフィス棟には韓国大使館があったのですが、よく確認していませんが、今はないようです。また、ホテルには昔はもっと従業員がいたような気がしますが、明らかに減少しており、ホテルに入る時もノーチェックでした。

    

なお、Daewooの隣には超高層のロッテビルが出来ていて、風景が一変してしまいました。昔は、ここはハノイによくあった大きな沼地だったのですが、5年前に訪れた時はロッテビルの建設中で、その後完成して今回初めて見ましたが、よくこんなに大きくて高いものを造ったなというのが正直な感想です。そういえば、1997年にDaewoo Hotelを持っている会社の女性会長が、韓国から視察に来たときに、ホテルで大掛かりな歓迎レセプションが行われ、私はアパートからそれを眺めていたのですが、管理会社の知り合いの韓国人が、沼地にハノイで初となるボーリング場を造れと女性会長から命令されたとぼやいていましたが、経済危機等で結局実現しませんでした。当時から沼地は韓国系が権利を持っていたのかもしれません。

    

Daewoo Hotelで休息のあと、さらに西へ向かって歩き始めました。最終の目的地は合弁会社が出来る前に準備室があった、HITCというシンガポール系のビルです。まだ朝食を食べていなかったので、何処かでと思っていたら、Daewoo Hotelの敷地内にパンを売っている小さな店舗があり、Daewooのパンは美味しかったなということを思い出しまし、久しぶりにまた美味しいパンを食べました。そういえば、家内はハノイに来て日本に帰る時は、必ずお土産としてパンを持って帰っていましたね。ハノイはフランスの影響が強いということがあり、まだベトナムに行ったことがない時に、湿気が低いフランスのパリで、長いフランスパンを手で持って歩くのを見て、いかにもフランス的だなと思ったのですが、その後ベトナムを初めて訪れて、同じ光景を湿気が高いハノイでも見て吃驚仰天したものです。

    

朝食の後さらに西へ進みました。地図で見ると、目的地はDaewooからさらに1kmほど西にあるようです。Cau Giayという通りですが、道路の真ん中で工事をしていて、道路に掲げられた看板を見ると、おそらくですが高架の鉄道路線を建設しているようです。通りには多くの店舗が並んでいますが、当然ながら街並みが昔と比べて比較にならない程洗練されていますね。

  

目的のHITCビルは9階建てですが、昔は周りに目立ったビルがなく遠くからでも直ぐに分かったのですが、今は高層ビルが立ち並び、よく見ないと分からなくなってしまいました。当時は、周りには今にも崩れそうな店舗や民家や小学校が建っていましたが、今ではすっかり消えて、近代的な街並みに生まれ変わっていました。




HITCビル自体は昔と同じです。中に入ると1階から直接3階にエスカレーターで行けるようになっています。当時は、たしかハノイで唯一のエスカレーターで、3階で何か催し物がないと動いていませんでしたが、今は常時動いているようです。3階には食堂があって当時は外国人しか利用していませんでしたが、当日は私以外はベトナム人でした。食堂のレイアウトや壁の色合いが、1997年と全く同じように見えて懐かしくてしょうがありませんでした。壁にかけていたテレビの位置も全く同じで、そういえば1997年にペルーで起こった日本大使館人質事件で軍隊が突入して日本人の人質が解放されたニュースはここで見ましたね。食堂の従業員に、部屋の写真を撮っていいかどうか確認したらNoだったので、残念ながら写真はありませんが。ただ、当時はもう一人の日本人と何時も一緒だったので窮屈でしょうがありませんでした。今思い出しても嫌な思い出のひとつです。

    

行って思い出しましたが、HITCから道路の向かい側に大学があり、大学のことをベトナム語でDai Hocということをついでに思い出しました。教育大学と聞いた記憶がありますが、残念ながら道路の真ん中で鉄道高架工事をやっていてよく見えません。当時は、学生を含むベトナム人は一般的にサンダル履きが多く、靴を履いている人が比較的少ないという印象でしたが、今回は11月ということもありましたが、学生も全員が靴を履いていて服装も当時と比べると格段に垢ぬけています。そういえば、私も福岡の学生時代は夏に靴を履いたことがなく、社会人になって東京に来て東京の大学生は夏でも靴を履いているのを見て驚いたことがありました。ちなみに当時私は社会人として、夏でも靴を履かざるを得ず、水虫になりました。

  

帰りも当然行きと同じく歩いて帰ったのですが、超高層のロッテホテルや一応韓国系のDaewoo Hotel等がある韓国村の目と鼻の先に、かなりの数の日本レストランがあるのを発見しました。その一角にある高層ビル(V Towerというらしい。但し、ロッテビルに比べれば比較にならない程小さいですが。)は表玄関に日ノ丸が掲揚されているのでおそらく日系だと思いますが、このビルは2000年ごろには建っていてキーテナントとして日系のスーパー(西友だったかな?)が入居していました。今は別のテナントが入居していますが、その関係でこの一帯には日本レストランが多いのかもしれません?私も我慢できずに、その中の一軒に入りサバ定食を食べました。

  


  

Posted by tsukuma at 06:40Comments(0)

2015/12/29

Hanoi旅行(11)

11月11日(水)

この日はVanさんの提案で、ハノイから観光バスに乗って約2時間の場所にある寺院訪問と川下り(上り)を楽しみました。Vanさんは水曜日ということで休暇を取ったようで、またKimさん夫婦も一緒です。寺院の名前は日本語のネットによれば「バイディン寺」というらしいのですが、場所はここで間違いないのですが、彼女達は別の名前を言っていたような気がしますが思い出せない?Kimさんは(元)合弁会社でTea Ladyをしていた人で、元Staffたちの中では唯一英語を喋らない人ですが、5年前にハノイを訪問した時は、我々を含む元staffたちを郊外にある立派な別荘に招待してくれて、よく分かりませんがかなりの資産家のようです。今回はHa Long Bay行きと同じく、ご主人も一緒に参加しました。Kimさんは正確な年齢は忘れましたが、記憶によれば、私より10歳程度若かったのでは?ご主人も正確な年齢は知りませんが私より若いのは間違いないのですが、どうも夫婦そろって引退して悠々自適の生活をしているようです。



朝、私がHo Tayを自転車で1周した後アパートで待っていたら、3人がタクシー乗ってやってきました。事前に電話があったのですが、本当は朝食にPhoを食べる予定だったが、やや時間が遅れたこともあり、タクシーの中で朝食を食べたのですが、何を食べたのか思い出せません?ベトナム特有のものだったような気がしますが?何だったかな?とにかくタクシーは観光バスの待ち会い場所に到着しました。場所はおそらく旧市街の外れだと思いますが、要は、狭い通りの歩道に、お風呂の椅子のようなものを置いて、お茶を提供する商売をしているところです。そうこうしているうちに観光バスがやって来たのですが、これが普通の大きさの大型観光バスで、狭い通りを無理して走行しているような感じです。私は言われるまま一番前の運転席の隣に座り、他の3人は真ん中あたりの席に座りました。私にはどういう観光バスかよく分からないのですが、我々はほぼ最初の乗客のようで、その後あちらこちらに寄って観光客を拾っていったようで、最終的にバスはほぼ満員になりました。とにかく狭い通りを通って行くので、一度トラックの運転手とトラブルになり何か言いあいをしていました。乗客は殆どがベトナム人のようでしたが、韓国人のグループが10名ほどと、日本人が私の他にもう1名いたようです。もう1名の日本人とは話はしませんでしたが、30歳代のちょっと格好いい男性で、カメラが趣味のようで盛んに写真を撮っていました。もしかしたらプロのカメラマンかもしれませんが?



観光バスは高速道路を順調に進み約2時間で目的地に到着しました。ちなみに地図で見るとハノイの南にあります。東南アジア最大の寺院らしいのですが、オープンは2010年とのことで、まだ外国人にはあまり知られていないようで、確かに欧米人は殆ど見なかったですね。ちなみに、同じバスに乗っていた韓国人や日本人はどうして当地を知ったのか?なお、ネットによると寺院はまだ完成していないようで、そういえば、まだ工事中のところがありましたね。




私はベトナム人3人と一緒だったので気が楽でしたが、それでもツアーガイドが韓国人や日本人向けにまず英語で説明してくれたので非常に助かりました。まず、バスを降りて黄色の電気自動車に乗って寺院まで行きました。ちなみに、この電気自動車は、私自身は日本ではゴルフ場以外では見た記憶がないのですが(もっとも、私は最近はゴルフはやらないのでかなり昔の記憶ですが)、ハノイではかなり普及しているようで、中心地でも例えばHoan Kiem Lake周遊やHo Tay周遊で活躍しているようです。




大きな寺院は3つあり、それぞれが結構離れていて、しかもだんだんと高くなっているので、歩いて行くのも結構大変でした。しかし途中の回廊には様々の仏像があり、観光客受けを狙っているのか、かなりユニークなものが多かったようです。



寺院の後はまた電気自動車に乗ってバスまで戻り、ランチの後は川下り(上り)です。あとでネットで見ると、「チャンアン」というところらしいのですが、川下りは個人的には3回目で、1回目はビッグドンというところで1997年に家内と一緒で、また5年前にはホアルーというところに娘と一緒に行きましたが、3カ所とも各々近くにあるようです。ちなみに、3カ所とも「陸のHa Long Bay」と言われているようです。私もよく分からないのですが、この「チャンアン」というところは、まだ観光地化されて日が浅いとのことで、そう言われてみれば、お店とか設備が前に行った2カ所に比べれば少なかったような気がします。しかし、水の透明度等は抜群で、なにより洞窟や鍾乳洞の数が圧倒的に多く、中にはもう高さが限界というほど低い鍾乳洞等があり、体を頭毎船底に屈めないと通れなかったりします。おそらく中には頭を打ちつけてしまう観光客もいるに違いない。自分のことで精いっぱいで見ていなかったが、漕ぎ手の女性は低いところをどうやって通っていたのか?



ところで、前2回は折り返し地点で、刺繍等の物売りが始まり、船の上で逃げようがないので買わざるを得ないのだが、幸い私の場合は一緒だった家内や娘が売り物に興味があったようなので問題なかったようです。価格はどうなのかよく分かりませんでしたが?ところが今回はその物売りがありませんでした。ベトナム人と一緒だったせいなのかもしれませんが、別のボートに乗った韓国人のグループも、そんな時間はなかったような気がしますが?ネットによれば、まだ観光地化されて日が浅いので、そういうものがまだないと書かれていますが?



ということで、1日たっぷり過ごしてまたHanoiに戻りました。到着はまた朝と同じ場所で降りたので、我々は1番最後だったようです。なお、前回記載しましたが、前日場所が分からずに営業を停止したと思っていた日本レストラン「サイゴンさくら」をバスの中から偶然見つけました。最後にバスをおりて時間も遅くなったのでディナーということでPhoを食べました。Phoは朝だけではないようです。




  

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2015/12/27

Hanoi旅行(10)

11月10日(火)午後

もしかしたら11月9日(月)の午後だったかもしれませんが、Vanさんの弟がスポーツ用の自転車をアパートに持って来てくれました。私が昔と同じように自転車に乗ってハノイを散策したいという話をしたので、自転車を貸してくれるということになったものです。実は、この弟に実際に会うのは初めてですが、1997年にVanさんから話は聞いていたことを思い出しました。今36-37歳とのことなので、当時は18歳ぐらいの高校生だったと思いますが、私の家内がハノイで一人暮らしの私のために、ミルクを混ぜて冷凍庫で冷やせば出来るインスタントのアイスクリームを持ってきてくれたのですが、私はそこまでしてアイスクリームを作るのが面倒で、説明書きは日本語だったので主要な部分を英訳して、全部をVanさんともう一人の女性にあげたのですが、Vanさんが家で作って当時高校生の弟に大好評だったという話を思い出しました。なお、せっかく家内が準備してくれたアイスクリームの元を、人にあげてしまったことは、家内には内諸にしていたかもしれません?



当時はスポーツ用の自転車はハノイでは殆ど見た記憶がないのですが、今ではみんな健康増進のためかヘルメットを着用してよく乗っているようで、実際にかなり見かけました。ところで、私が借りた自転車には、暫くして気がついたのですが、埼玉県警の防犯シールがついていて、何のシールかを彼らに説明したら、日本語が読めないので当然防犯シールの件は分からなかったのですが、日本からの中古の輸入品という認識はあったようです。

  

ということで、ハノイの町を疾走するつもりで自転車を借りたのですが、Ho Tayを自転車で1周することを除き、市内を自転車でというのは早々に諦めました。理由はいくつかあるのですが、①昔とは比較にならない程のものすごい交通量をみて怖気づいてしまった②昔の感が戻らない③確実に20歳近く年を取っておりイメージ通りに体が動かない、等です。残念ながら、交通量は飛躍的に増えているのに、道路を走っている自転車の数自体は逆にかなり減っており、もう多くの自転車に紛れて走るのは不可能な状況になっていました。





その代わり、毎朝Ho Tayを時計回りに1周していました。通常1時間程度と聞いていたのですが、私の場合はゆっくり走っていたせいか、もう少し時間がかかったようです。昔も休日には同じコースを自転車で走っていたのですが、正確にいうと同じコースではあるが、今は新しい道路が湖に沿ってできており、昔はかなり危険と隣り合わせの状況でしたが、今ではかなり安全な走行が出来ました。自転車専用道路ではないので、時々ヒヤッとすることもありましたが、安全性は昔とは比較になりません。1-2回ですが観光客が乗っていない観光用の電気バスのような乗り物も見たような気がします。おそらく昼間の時間帯は観光客を乗せて頻繁に走っているのでしょう。

  

自転車でHo Tayを1周していると、明らかに街並みが進化しているのが分かります。また対岸から見るとハノイの町が明らかに高層化しています。日本が長期不況でモタモタしている間にハノイは随分と進んだようです。

      

Ho Tay1周の後半になると、なんと言うのかスライダー等の設備がある「Water Park」があります。2000年ごろに出来た施設で、当時ホーチミン市で人気のアトラクションと同じ施設をハノイにも作ったと聞いた記憶がありますが、今回は(一応)冬季なのでPark自体は閉鎖されていました。2000年ごろにはあまりにもお客が少なかったので、大丈夫かなと思ったことがあるのですが、おそらくその後お客が増えたのだと思います。今回、15年が経過し、老朽化も目立つ施設がまだ残っているのを発見して、正直嬉しくなりました。ただ、ハノイでは日本人の常識で考えると、とっくにアウトで退場すべきホテルやテーマパーク等の施設がしぶとく残っているケースがあり驚くことも結構あります。何故なのか私には分からないのですが?

    

またこの辺は、昔は水田地帯で、学校に遅れそうな小学生が勝手に(了解は取っていたのでしょうが、言葉が分からなかったので、勝手に乗ったと思っていました)自転車の荷台に乗って手で方向を指示して、よく小学校の近くまで送ったものです。今はもうそんな小学生は見当たりませんね。

最後はフランス風の建物が多い地域で、昔は外国人が多く住んでいた地域ですが、湖に沿った道路はおそらく新しく造ったものだと思います。建物は昔からあったので道路がその間を通ってかなり曲がりくねっています。

  

とにかく、Ho Tayの周りは毎日早朝に自転車で1周していました。

  

11月10日(火)夜

年のせいか、ベトナム料理が続くと日本料理が恋しくなり、また中心街に戻り当時よく行っていた合弁会社の近くの「サイゴンさくら」という日本レストランに行ってみました。ここでよく豚カツ定食を食べたものです。ネットによればまだ営業しているようなので行ってみたのですが、行ってみたら見当たりません。場所を勘違いしているかなと思って、廻りも探してみたのですがやはりありません。てっきり営業を停止したのかと思っていたら、実は翌日観光バスで郊外まで行って帰りに、オペラハウスの近くで昔と同じ「サイゴンさくら」の店構えの店をたまたまバスから見つけました。場所を少しですが移転していたようで。ネットを見るとかなり最近引っ越したようです。ということで、その日は「サイゴンさくら」には行けなくて、結局前の日と同じレストランに行きました。




なお、アパートはホテルと違い備品がありません。洗面用具等は一応持って行ったのですがタオルがありません。ということで、タオルを買おうとするのですが、これが見当たらない。Vanさんに聞けばなんとかしてくれるのかもしれませんが、そこまで面倒はかけられないので、自分で何とかお店を見つけようとするのですが見つけられません。やっと、ハンカチのような小さなタオルを見つけ、お店の人にもっと大きいのはないのかと聞くのですが、(おそらく)それしかないと言う。夜も遅くなると、言葉が通じないこともあり、だんだん面倒になり、寒くもないので結局小さなタオル2枚で過ごしました。次回はちゃんと準備して行こう。

  

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2015/12/26

Hanoi旅行(9)

11月10日(火)午前

この日は(元)合弁会社のベトナム人の(元)社長が、懐かしいハノイの中心街を案内してくれるということで、アパートで待っていたら、タクシーに乗ってやって来て、そこから歩いて中心街までいくことになりましたが、アパートは旧市街の北端にあり中心街まではそんなに遠くはないですね。直ぐに朝食をということで、アパートの近くのPho屋さんに行きました。ちなみに前日Hanh Namさんと行ったPho屋さんと同じ店です。



そこからさらに歩いて中心街へ向かいました。途中にフランスが19世紀に作ったという懐かしい石造りの給水塔(今は給水塔としては使われていないのでは?)があり、また近くにGalaxy Hotelがありました。このHotelには泊まったことはないですが1997年には既にありましたね。Websiteによると、開業は1995年だそうだから、当時はオープンして間もないころですね。なお、日本語のネットには同ホテルはベトナム政府の土地収用に伴い、11月30日を以て営業終了と書いていますね?HPには、少なくとも英語版には、そんなことは一言も書いていないようですが?

      

それから先は、わずか約1カ月前のことなのに、順番をよく覚えていないのですが、次はおそらくドンスアン市場の前に出たと思います。

    

本日の主な目的地は、Hoan Kiem Lakeの南側の(元)合弁会社があったビルの再訪です。もともとビルのオーナーは旅行会社でしたが、彼によるとオーナーが変わったか旅行会社の名前が変わったようです。当該ビルは3階建ての由緒あるコロニアル風オフィスビルで、それなりに老朽化しているはずですが、見る限りは昔と同じですね。(元)合弁会社は3階で、中には入れませんでしたが、植木で覆われたバルコニーは健在でしたね。Air Franceが引き続きテナントとして入っているようです。JALも、当時はハノイと日本の直行便がなかったにも拘わらず何故かハノイ・オフィスがあり、当該ビルの2階に入居していましたが、私がハノイにいる間に近くのオペラハウスの近くの(当時は)新しいビルに移りました。今はさらに別のところで営業しているようです。

  

Hoan Kiem LakeのそばのオープンスペースのCaféも健在です。5年前に来た時も元同僚や私の娘と一緒にここでLunchをしましたね。

  

Hoan Kiem Lakeを一周しましたが、殆ど昔と変わりません。彼曰く、ハノイはHoan Kiemが全てだそうですが、私はそんなことはないと思います。

  

旧市街もあちこちを廻り、Silkの通りや仏具店の通り等を廻り、お土産もたくさん頂きました。お土産は、最初は断ったのですが、せっかくの好意なので最終的にはありがたく頂きました。ただ、仏具用品は結構重量があり、飛行機で帰る時に重量オーバーにならないかと心配していたのですが、結果的には大丈夫でした。ちなみに、ハノイは旧市街地に限らず、同じ通りで同業者が同じ物を売っているというスタイルですね。

  

お昼は、旧市街地の中のレストランへ。彼によると、外国人観光客が多くて有名なレストランらしいのですが、彼自身も初めて入るとのことでした。ちなみに、我々以外のお客はみんなフランス人でした。また昼間から焼酎(Vodka)を飲んでいい気分になりました。




ということで結構いい気分になったのですが、あまり長居をしてもよくないので適当に切り上げることにしました。ちなみに彼は75歳になるそうで、そういえば最後に合弁会社を解散した2001年3月31日に、彼はもうすぐ60歳になるという話をしていたのを思い出しました。また、60歳になれば親元のVietcom Bankも定年になるという話もしていました。当時はハノイの西のLang Haにあった彼のアパート(おそらく銀行の社宅)や、休日には隣の省(但し、ハノイからそんなに遠くはなかったと思います)のHa Tayにあった彼の実家も連れっていってもらい、彼の実家からハノイに帰る時には、平原でどこが道路かも私にはよく分からない場所で、まだ昼間なのに急にカラオケに行こうと言い出し、農家の納屋みたいなところに入ったらカラオケの機械があり、そのうちに何処からか若い女性も現れビックリしたことを思い出しました。歌の方は当然ベトナム語の歌だけなので、私は聞いていただけでしたが、とにかく驚きの連続だったことを思い出しました。あれから15年が経過し、私もすっかり年を取り、当時の彼よりも年上の63歳になってしまいましたね。



ところで、今回ハノイで私が受けた質問で一番多かったのが、みんなは私がもう60歳を過ぎていることは何となく知っているので、「もう引退したのか?まだ仕事を続けているのか?」ということでした。背景としては、どうもベトナムでは、①男性60歳、女性55歳が定年で、定年を迎えたら否応なしに引退。②出来れば定年前に引退したい、ということがあるようで、ある人はベトナムでは定年を過ぎてしまうと、働く場所がなく選択の余地がないので引退という話をしていました。そういえば、公園に行っても私と同世代と思われる人々が集まっているのを見かけたりしますね。私は今後も健康に過ごし、何時までも出来るだけ元気に働きたいと思っていますが、いま働くのを止めれば、生活に困るということも否定しません。ただ、日本でも私と同世代の人の中には既に引退している人もいて、私が知っている範囲では、むしろ引退した人の方が多いという現実も一方であり、もしかすると今引退を余議なくされても、何とかなるのかもしれません。ただ、ご存じのとおり日本は財政問題が厳しく、私自身はやはり働けるうちは働こうとは思います。一方、ベトナムでは、私が知っている範囲では、引退した人は引退後も優雅に暮らしており、それが可能であればそれに越したことはないと思います。どういう仕組み・システムになっているのか知りませんが、私が知っている範囲では(本当かどうかは知りませんが)年金の額もかなり多いようで、少なくともベトナムで生活する分には問題ないレベルと思われます。日本ではなかなかそうはいかず、現実問題としてお金の面で早期に引退するのは厳しいという話をことあるごとに強調しましたが、どうもみんな日本の状況はよく分からないようです。

  



  

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2015/12/22

Hanoi旅行(8)

11月9日(月)午前

たった2時間の時差と気候の差で、夜中に何度も目が覚めてしまいましたが、最終的に起きた時には、そんなに遅い時間ではなかったのですが、旦那も長男も出かけていました。相変わらずベトナム人は朝が早い。Hanh Namさんが車で出勤する時に、私を次のアパートまで送ってくれることになっていて、今朝はベトナム麺のPhoを食べることになっていたので、私はてっきり作ってくれるのだと思って待っていたら、外で食べることが分かって、ベトナムでは特に平日の朝はみんな外食だということをすっかり忘れていて、慌てて荷持をまとめて彼女の車に乗り込みました。

  

月曜日の朝の道路の混雑ぶりは想像を絶するほどすごく、まだモーターバイクがかなり走っているが、車の台数がさらに増加すれば、もうどうにもならなくなるのではないだろうか?普段は旦那が車で通勤し、彼女はタクシーのことが多いそうですが、彼女のレベルではもうモーターバイクは卒業のようです。聞いてはいませんが、彼女の家にはもうモーターバイクはないようです?久しぶりのハノイですが、車は懐かしい昔よく通った道路を走っていて、道路の数は増えたとはいえ、東京等に比べればまだたいしたことはないのかもしれません。そういえば、私がハノイで勤務していたころ、東京の本社から誘拐事件等を防ぐため、車での通勤経路を毎日変えろというお達しがあり、ハノイでは変えようにも道路の数が少ないので毎日変えるほど通勤経路がない、ハノイでは誘拐事件が起きる心配はない、と回答したことがありました。ロンドンで勤務していたころも、頻発する爆弾事件に対する対応を報告しろと言ってきたことがあり、私は直接の担当ではなかったですが、対応策はないと回答したと聞きました。仕事なのでしょうがないですが、東京の本社は事情がよく分からないせいもあり、時々どうにもならないことを言ってきたものです。

  

そうこうするうちに、車はHo Tay(West Lake 西湖)のそばにあるアパートに到着して、取りあえず荷持を置いて、近くの、ハノイには何処にでもあるPho屋さんに入りました。Pho屋さんには、鶏(Pho Ga)か牛肉(Pho Bo)のどちらかに分かれているようで、お店によっては両方やっている所もあるようです。我々が入ったのは鶏(Pho Ga)の方でしたが、苦手なパクチ―も得意なふりをして食べました。

  

食事の後は、彼女はそのまま出勤し、私はアパートで取りあえずの生活のための最小限の準備をしましたが、これが結構時間がかかりました。備え付けの洗濯機で溜まった洗濯物を洗い出したら、久しぶりのドラム式洗濯機なので使い方がよく分からずに(日本の洗濯機も休日に使おうとしても使い方がよく分からないことがありますが)途中で動かなくなってしまい、しょうがないので管理人の人を呼んだのですが、言葉が通じないので身振り手振りで説明したら、何とか分かってくれたようで洗濯機は動き出したのですが、そうこうするうちにVanさんから電話があり、洗濯物は1階に出しておけば管理室の若い女性がやってくれるとのこと。ということで、その後は、毎日洗濯してもらうことになりました。

  

貸してくれたNokiaの小型の携帯電話はとにかく便利で、私はそもそも携帯の番号を知らず誰にも番号を教えていなかった(られなかった)のですが、とにかくいろんな人から電話があり、間違い電話と思われるベトナム語の電話も1~2回あり、私は日本では携帯電話は家族へのメール以外は殆ど使わないので、1週間で日本での年間の電話量をはるかに上回る電話を受けていました。




Maiさんという一番年長の女性の旦那から電話があり、前から約束していたのですが、電話の後にモーターバイクでアパートまでやってきました。彼は息子一家が金沢に住んでいて、時々夫婦で日本にやってくるのですが、以前は息子一家(当時は夫婦でしたが)は川崎に住んでいて会う機会も多かったのですが、息子が金沢に転勤後は(もう4年ほど経ちますか?)なかなか日本では会う機会がありません。実は、彼のハノイの家は2000年ごろ何回か行ったことがあり、そのとき彼は海外(香港?)に住んでいて、ハノイでは会ったことがなく、初めて会ったのが東京だったのですが、そういえばハノイの彼の家は正確には分からないがアパートからそんなに遠くないはずです。雨が降っていたのでモーターバイクの後ろに乗せてもらって(ヘルメットは昔と違ってちゃんと着用しました)、近くのBBQ屋さんへ。ちなみにこのBBQ屋さんは、韓国式ではなくベトナム式のようですが、何処が違うのか私にはよく分かりません。韓国式と同じくハサミで肉を切っていたような気がしますが(定かではありません?)?彼は日本語は出来ないが、金沢や富山や福井にはかなり詳しく、私は行ったことがないのでなかなか話についていけません。結局、来年は金沢で会おうと言うことになったのですが、私の方は金沢に行けるかどうか分からないと言ったつもりですが、私の金沢行きのタイミングを聞いて自分達に日本への旅行のスケジュールを決めると言っていたような気がします。というような、たわいもない話をしていたが、結構昼間からビールを飲んでしまいました。ということで、アパートに戻ったのはまだ明るかったと思いますが、疲れもありひと眠りしたような気がします。




夜は一人だったので、Ho Tayiの湖の側にあるこのレストランへ。このレストラン「BÁNH TÔM HỒ TÂY」という名前らしい。実はそれまでレストランの名前は知らなかったのですが、1997年以来もう何度来たか分かりません。どうも私は店の名前や地名や通りの名前等生活に必要な最小限のベトナム語の名前さえ覚えられなかったようです。ひとつには運転手さんに、あそこに行きたいといえば、連れて行ってくれたので、名前を覚える必要がなかったからかもしれませんが、今となっては言いわけになりますね。とにかく、このお店は、日本語のネットではハノイで一番有名なレストランと書かれていますね?少なくともハノイで一番高級なレストランではないですが。私は、ここのウナギ料理が大好きで、早速ウナギ料理をリクエストしたのですが、理由が全く分からなかったのですが、ウナギ料理はないとのことで、他の海鮮料理を頼みましたが、ウナギは季節外れなのかな?でも5年前に娘と来たときに、ウナギ料理を食べたのは12月だったな?でも日本では暑い時に「土用のウナギ」を食べますね、とか考えていて、結局ウナギの季節は分からずじまいです。

    



  

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2015/12/20

Hanoi旅行(7)

11月8日(日)午後

軽い昼食を済ますと、船はいつの間にか港に着いていて、また来た時と同じバスに乗り込み一路ハノイを目指しました。途中激しい雨に見舞われ、行きも大量の雨の跡があり、雨が激しく降る地域なのかもしれません。前にも書きましたが、11月にこんなに雨が降ったかなと思うほど、毎日のように大量の雨に出会うことになります。郊外の風景は昔の風景と基本的には同じだと思いますが、しかし経済発展の影響が随所に見られる風景です。

  

途中でトイレ休憩をしましたが、行きとは違う店で、みんなお土産を大量に買い込むので驚いてしまいます。私は、日本でもモノは買わないし、ましてやハノイではお土産を買ってもあげる人がいないので、ますます買うことはありません。バスの中では行きと同じで4歳児の2人と一緒で、私はすっかりFunny manになってしまいました。

  

そうこうしているうちにバスはハノイの郊外に到着し、超高層アパートの群れや、見事に区画整理された1戸建てのニュータウンに圧倒されてしまいました。昔は、Ho Tai(西湖 West Lake)の西側にフランス風ビラ風の住居が集中いていて、外国人が住んでいましたが、今はそれが郊外に伸びていて、しかもベトナム人向けに作られているようです。

  


これだけ多くの住宅を建てて、一体誰が住むのかと思ったりするのですが、全部を見たわけではないですが、夜に通過すると超高層アパートには結構電気がついていたので空室は少ないようです。ちなみに、2000年代半ばごろ中国の上海に何回か出張し、やはり高速道路から見る超高層のアパート群に圧倒されたのですが、夜に超高層アパートを見ると電気が殆どついていなくて、空室(だと思われる)が多かったのとは対照的でした。

  


バスは、途中Long Bien Districtにあるイオンモールのそばで停車し、1家族(母親と10歳の女の子)がそこで降りたのですが、イオンモール/ハノイ店は10月28日にオープンしたようで、まだ2週間弱しか経過していなくて、しかも日曜日だったので、そばから見ただけですが殺人的に混雑していて、私が行ったことがあるのは千葉県内のイオンモールだけなので比較にはならないことは分かっていますが、私はあんなに混雑しているイオンモールは初めて見ました。ちなみにバスの中にいたベトナム人に、「あんなに混雑しているイオンモールは初めて見た、日本のイオンモール(実は千葉県だけですが)とは、もう比較にならない」と言ったのですが、彼・彼女達は(おそらく)初めて見るイオンモールで、しかも日本のイオンモールの状況は知らないのでピンとこなかったようです。なお、Long Bienはフランスが約100年前に作った有名なLong Bien橋と同じ名前ですが、改めて地図を見ると、ハノイの中心からLong Bien橋を渡っていったホン河の向こう側がLong Bien Districtのようです。私も昔は自転車に乗ってLong Bien橋を渡り、向こうまでよく行ったものです。向こう側はそれなりに住宅がありましたが、イオンモールがある辺りはその先で、当時はおそらく何もなかった地域だと思われます。なお、ハノイの中心部からイオンモールまでは無料バスが走っているようです。

    

イオンモールの後は、バスはホン河に係る橋を渡りハノイの中心部へ入ります。ちなみに、この橋の名前は知りませんが、かなり近代的な橋で、昔はなかったと思いますね。



中心部にいると交通量が多くなり混雑するのですが、出発したオペラハウスに到着してそこで解散しました。私はまたHanh Namさんと一緒にタクシーに乗り、彼女のアパートへ。アパートの入口で、たまたま彼女の両親とバッタリ。詳しいことは分からなかったのですが、彼女のアパートを訪問した帰りだったようです。年齢は私よりも一回り上の70歳代ですかね?割りと近くに住んでいるようです。アパートには既に、彼女の旦那さんと、長男がいました。旦那さんは46歳か47歳と言っていたと思いますが、5年前にも会っているので、久しぶりの再会になります。私は少々疲れたので少し寝たような気がします。

  

11月8日(日)夜

夜は、家族3人と私で、近くの韓国系のBBQ屋さんに行きました。ハノイでは殆ど受け身で、この時も連れて行ってもらったのでお店の名前等思い出せない、というか、最初から知らないと言う状況です。有名なお店のようで、昔は住んでいたアパートの近くの韓国レストランによく行きましたが、当時はベトナム人が韓国レストランや日本レストランに行くというのはなかなかなかったと思いますが、今ではもうベトナム人を対象にしたお店があっちこっちにあります。何度も言いますが、所得水準が上がったんですね。食事の後は、別のお店でデザートを食べました。豆腐のデザートで不思議な味がしましたが、とても美味しかったです。私が知らなかっただけかも知れませんが、「豆腐のデザート」って昔は見たことないですね。「豆腐」、は日本語では「とうふ」ですが、ベトナム語でも私の耳には「とうふ」と言っているように聞こえます。ただ、例のごとく、私が「とうふ」と言ってもベトナム人には通じませんが。中国語の発音も「とうふ」に近いそうです。昔はベトナム式の豆腐は、近所の市場で買ったことがありますが、やはり少し違いました。韓国人は、近くにあった外国人居留地の中のスーパーで売っていた豆腐を買っていましたが、こちらの方は異和感がなかったので、私も(家内も)そこで買っていました。ちなみに韓国語では「とうぶ」というようです。豆腐は中国から朝鮮半島を経由して日本に伝わったはずですが、「とうぶ」が「とうふ」になったんですかね?

  



  

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2015/12/19

Hanoi旅行(6)

11月7日(土)夜

いよいよ食堂でPartyです。たくさん食べて、少し飲んで、たくさんお喋りし、たくさん写真を撮られました。出てくる料理は当然ベトナム料理なのですが、実は私はパクチが苦手で、でもベトナム料理には必ずパクチが入っていますが、この時はさほど気にならなかったですね。ベトナム人は昔から写真を撮ったり撮られたりするのが好きでしたが、今はもうみんながサムスンやiphoneのカメラ付きのスマホ(カメラ付きのスマホというのが表現として正しいのかよく分かりませんが?)を持っていて、写真好きにますます拍車がかかっているようです。ちなみに、ベトナム人(元Staff達)はみんなスマホと併せてタブレットを持っているようで、ネット環境は日本よりずっと進んでいるのではという感じですね?少なくとも、スマホもタブレットも持っていない私よりは、ずっと進んでいますね。そういえば、タブレットは日本ではあまり見ないですね?良く分からないのですが、日本はWIFIの設備がかなり劣るので、それがタブレットの普及を妨げているという話を聞いたことがあります。ベトナムでは何処でも使っているようなので、おそらく広範囲に使用可能なようです。



なお、私が普段使っているシャープのガラ携は世界対応とかで、ベトナムに到着後に、空港での荷持の待ち時間に日本から持って行ったマニュアルどおりにセットしたのですが、日本の家族との間でSMSの送受信が可能なようで、数回の送受信であればコストもたいしたことはなく、軽く1,000円以下で収まったようです。ちなみに、ハノイ滞在中は、私にはシステムがよく分からないのですが、SIM CardがセットされたNokiaの小さい携帯を貸してくれて、その携帯・番号宛てに皆が電話をくれました。私が日本で使っている折り畳式のガラ携は、ハノイではかなり旧式なようで誰も使っておらず、出すと恥ずかしいのでカバンの奥にしまっていました。なお、タブレットやスマホを貸してもらって、私のFacebbokのAccountにアクセスしたりしたのですが、設定のしかたが悪いのか、私のAccountには簡単にアクセスできるのですが、どのタブレットやスマホでも言語が中国語で出てくることが多かったようで、もしかしたら殆ど中国製かもしれません。私は日本人なので中国語の漢字は何となく分かることもあり、Facebookの「いいね」は中国語では「賛」のようです。ただ、ネットによると、この「賛」という中国語は台湾式で大陸では使わないという指摘もありますね?そういえば、今考えると簡体式の漢字ではなかったような気がするので、もしかしたら台湾式の繁体字でFacebookの設定も台湾用だったのかもしれません。



イギリス人のツアーグループも英語を喋る東洋人のグループも食堂でのPartyでは一緒でしたが、Partyが終わるといつの間にか居なくなり、そのまま我々だけのカラオケ大会になりました。1997年から2001年にハノイに住んでいて、カラオケにはたまに行っていましたが、機械は旧式でビデオも何処かの国で編集したような海賊版のようなものが主流で、実際にビデオに美空ひばりや日本の有名な歌手本人が登場して吃驚したことがありました。また、日本の歌の歌詞が全てカタカナ(それも間違いだらけ)というビデオもあり、カタカナだけだと、なかなか読めないということがよく分かったりしました。



しかし、15年後にベトナムで再び見たカラオケの機器やビデオは、昔とは全く違い近代的で素晴らしいものでした。私は日本でカラオケに行かないので、日本でのカラオケの状況は全く知らないのですが、この日に見たカラオケは間違いなく最新鋭のものだと思います。当然ながらベトナムの歌ばかりでしたが、私が聞いたことがある曲が1曲ありました。みんなから歌え歌えと言われたのですが、ベトナム人の前でベトナム語を披露するのはさすがに遠慮しました。少しでも、ちゃんと勉強したことがあれば歌ったかもしれませんが、人名や地名すら通じない私のベトナム語は、やはり封印した方がいいと思いますね。



結局、カラオケで多くの歌を聞きながら皆と飲んだのですが、日本のようにダラダラしないでスパッと終わったのもベトナム式だと感心しました。

合弁会社で働いていたのはもう随分昔のことですが、5年前に一度ハノイを訪問したということはありますが、久しぶりにも拘わらず、時間や距離を全く感じないReunion Meetingでした。

11月8日(日)午前

船室のベッドでHa Long Bayを眺めながらゆっくりと寝ていたのですが、二日酔いは全く感じずに爽快な朝を迎えました。早朝はかなり雨が降っていたようです。この日に限らず、殆ど毎日のように早朝はかなりの雨が降り、私は11月は乾季だと思い込んでいたのですが、かなりの雨が降り吃驚しました。



実は後で知ったのですが、女性陣は船の屋上(甲板?)で体操をしたようです。体操というのは、ベトナムの中年女性がよく公園でやっている独特の体操で、うまく表現できないのですが、体をクネクネ動かし、やや激しい動きをする体操です。彼女たちもああいう体操をする年齢になったんですね。



朝食の後は、一部の人はボートに乗って、カヤック乗り場に行き、カヤック遊びに興じたりしていました。私は船の屋上で海や島を眺めながらボーッとしていました。
  

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2015/12/06

Hanoi旅行(5)

11月7日(土)午後

1.宿泊する船に乗船

波止場で小さな船に乗り、乗船する船まで数分でした。救命胴衣の着用が義務のようです。乗船すると割当られた部屋に行きましたが、写真のとおり立派なものです。 直ぐにランチだったと思いますが、この辺はまだ1カ月しか経っていないのに、もう記憶があやふやになっており、思い出し、思い出し書いています。おそらく私の能力や記憶力に問題があると思われますが、もうひとつは、細かい点はベトナム語で進むので、私は大体は理解していても良く分からない部分もあり、とにかく後ろからついて行くしかないという事情もあるのかと思います。船には我々の他はイギリス人の20人ほどのツアー客と、5人ほどの(英語を喋っていたので)シンガポール人と思われる東洋人のグル―プが乗船。但し、シンガポール人と思われるグループの中のお爺さんは、私にベトナム語で話しかけてきたりしたので、なんだかどういうグループかよく分からなかったのですが?ベトナム人のツアーガイドが先ずイギリス人達に英語で説明するので、私は別のグループですが、それを聞いてツアーの内容を理解したりしていました。

    

2.船はHa Long Bayの奥へ

    

とにかく昼食の途中だったと思いますたが船が動き出し、写真でよく見る風景ですが、島が多いハロン湾の奥に停泊しました。

    

3.鍾乳洞へ

暫くして、全員ではなかったと思いますが、小さなボートに乗って近くの島へ。そこで鍾乳洞の見学をしました。おそらく添付の写真がそうだと思います。かなり昔ですが、山口県の秋吉台やイギリスのマンチェスターの近くの鍾乳洞に行ったことがありますが、気候のせいか地形のせいか、ハロン湾の鍾乳洞は全然涼しくなかったですね。

  


ところで、4歳の男の子が途中でお菓子を買ってもらっていたのですが、お菓子の袋に「Oishi」書かれてあって、日本人としては語感が気になるので、「Oishi」ってどういう意味かと母親に聞いてみたのですが、特に意味はなくて商標か何かだとの答え。ちょっと気になったので、ネットで調べて見たら、タイに本社を置き日本レストランの経営や日本食を販売しているが日系ではないようです。「Oishi」はやはり日本語の「おいしい」から来ているようですが、純粋の日本人では「おいしい」から「Oishi」という商標は思いつかないかもしれません。

    

4.さらに別の島へ

この島の名前は直ぐに忘れてしまいしたが、ロシア人の銅像が建てられていました。ベトナム人なら誰でもそのロシア人の名前は知っているそうなのですが?

この島には砂浜があり、私は希望しませんでしたが、水泳らしきものが出来るようになっていました。もう11月でしたが、水泳をしようと思えば出来ないことはない気候でした。ところで、この砂浜ですが、少し不自然で場所的に砂浜があるようなところではないのでもしかしたら、別の場所から砂を持ってきて砂浜を作ったのかもしれません。


  

5..観光客

観光客は圧倒的に西欧人が多かったようです。聞くところによると、少し前までは中国人の団体客がとにかく多かったそうですが、ベトナムと中国の外交関係が悪化して中国人の観光客が減ってしまったようです。ベトナムで減った分が、もしかして日本に向かっているのかもしれませんが、もちろんそんなことは思っても口にはしません。

ハノイ市内ではあれほど大勢いる韓国人を殆ど見かけなかったのも、たまたまかも知れませんが、奇妙でしたね。また、日本人は少なくとも私は全く見なかったですね。日本人の観光客はハノイ市内でもあまり見かけなかったので、やはり円安の影響で減っているのかもしれませんね。

ひと昔前であれば、ベトナム人と外国人との間には見えない壁みたいなものがあり、こういう観光地でもベトナム人はあまり目立たなかったのかもしれませんが、今やそんな壁はなく、ベトナム人の観光客もとにかく大勢いました。

    




  

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2015/12/05

Hanoi旅行(4)

11月7日(土)午前

1.集合場所のオペラハウス

そうこうしている内に、タクシーは集合場所のオペラハウスに到着。懐かしい面々が揃っていました。当日参加したのは、5年前にハノイを訪問したときに会った人ばかりでしたが、私以外はハノイに住んでいるわけですが、それぞれ久しぶりに会うようで挨拶がもう大変でした。また、オペラハウスが観光バスの発着場になっているようで、我々以外も大勢の観光客がバスを待っていました。昔もこうだったかなと思いながら、バスを待っていました。



2.Ha Long Bayに向けて出発

そのうち我々が乗るFordの中型のバスがやって来て、いよいよHa Long Bayに向けて出発しました。道順はおそらく1997年にハイフォンに行った時とほぼ同じだと思いますが、もう道路の状況が全く違い、当時はハイフォンまで約40-50kmのところ、車で約5時間を要したと思いますが、今はそれよりも少し遠いHa Long Bayまで約3時間程度で行けるようです。私はハノイに住んでいたのに、Ha Long Bayにも行ったことがないのかとよく言われるのですが、当時は、道路の状況も悪く(我々の感覚では)運転も荒く、車で郊外を長時間走るのは、私(或いは家内)にとっては恐怖以外の何ものでもありませんでした。また私自身が、風光明媚な場所にいくよりも、ハノイの街中で人々がどんな暮らしをしているかの方に興味があったということも、Ha Long Bayを含む観光地にあまり行ったことがない理由の一つかもしれません。今は道路の状況が飛躍的に良くなり、また職業運転手だけではなく、一般の多くの人が運転するので、恐怖を感じることはずっと少なくなりました(但し、零になったわけではありません)。そういえば昔は殆ど見ることがなかった女性ドライバーも多く見かけました。



3.道中

バスの中では、私は4人掛けのシートに元Staffたちの4歳の男の子2人と座り、怪獣のオモチャや日本語が書かれた森永か明治のお菓子で遊んでいました。時々、前の席にいた別の元staffの10歳ぐらいの女の子が、4歳の2人の子供たちにチャチャを入れたりしていました。しかし、日本人の4歳児はまだほんの子供で日本語すらきちんと喋れなかったりしますが、2人のベトナム人の4歳の子供たちは基本的な英語を喋り、「What’s your name?」と聞くので「Tsukuma」と答えると「Funny name」と返してきてなかなかのものです。英語がかなりのレベルにあるだけでなく、日本人の名前がFunnyということが分かっているようで、私は「Funny man」と命名されてしまいました。母親が英語を喋るという事情はあるにしても、英語教育がかなり進んでいるようです。4歳でもこうなので10歳の女の子はもっとすごくて、最近FACEBOOKで私に友達申請をしてきました。



車は、ハノイ市内では、乗用車は日本車それもトヨタが圧倒的なシェアを持っているようです。また中型のバスはFord、大型のバスやトラックやタクシーは韓国車と住みわけが出来ているような印象を個人的には受けました。日本車はトヨタ以外はマツダが日産よりも多く走っているような感じですね。三菱やダイハツ等もそれなり走っていますが、スバルは殆ど見かけなかったような気がします。なお、トヨタ車とは別にレクサス車がかなり走っていて、トヨタ車との割合またレクサス車の台数自体は少なくとも千葉県柏市よりもずっと多いという印象ですね。ただ、ハノイを出て地方に行くほど、何故だか私には分からないのですが、乗用車についても韓国車が日本車を上回るようになりますね(気のせいかな?)。また、ハングル文字が書かれたトラックやバスがやたらに目立ち、途中の町にもハングル文字の看板が溢れていますね。私は読めないのですが何となく検討がつき、何れにしても韓国のプレゼンスはハノイのみならずハノイを離れた町でもものすごいものがあります。



途中で1階トイレタイムがあったが、とにかくベトナム人はちょっとした食べ物等の買い物をよくします。もっとも、私自身は日本でもめったに買い物はしませんが、日本でもPA等で買い物をする人は多いのかもしれません。 途中の町は、当然ながら昔と比べるとかなり洗練されています。私が日本人だからそう思うのかもしれませんが、この20年近く日本は殆ど変っていないような気がしますが、ベトナムの変化にはもう目を見張るものがあります。




4.Ha Long Bayの入り口に到着

ハノイを出て3時間程度だったと思いますが、まだ午前中にHa Long Bayの入り口に到着。私は初めて来たので昔との比較はできないですが、想像していたよりもかなり洗練されている感じがしました。






  

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2015/11/29

Hanoi旅行(3)

11月6日(金)午後.夜

1.Vanさんの車は、最終的に、当初お世話になるHanh Namさんのアパートへ。

何階建の高層アパートかよく分からなかったのですが、彼女の部屋は17階でした。あとから分かったのですが、場所はHanoiの中心部で、昔Lenin Parkと言っていたThong Nhat Parkや日航ホテルのすぐ近くですね。彼女のアパートに到着したのは午後4時ごろだと思いますが、おそらく早退したのでしょう、既にアパートに帰っていて我々を迎えてくれました。皆で適当にお喋りして、ベトナム人が多くなると当然ベトナム語が多くなりますが、突然英語の会話になったりするので、こちらは話の流れが分かっていないこともあり、キャッチアップするのに結構時間がかかったりしました。(なお添付の写真は本件とは何の関係もありません。)



部屋から見ると郊外に超高層ビルが林立しているのがよく分かります。とにかくすごい。ただ、お世話になった3日間の早朝、何時も薄ぼんやりとしていたので、もしかしたら日本のテレビでよく見る、中国の大都市の大気汚染と同じような現象が、もしかしたらあるのかもしれません。

    

Hanh Namさんは、1997年にまだ合弁交渉をしていたころ、ベトコン・バンクの通訳として登場した時に会ったのが最初の出会いだったと思います。ちょうど長女を出産してマタニティリーブから復帰したばかりの頃ですが、私が5年前に久しぶりにHanoiを訪れた時に、その長女(当時中学生?)と初めて会い、個人的には実に感慨深いものがありました。長女は今はカナダに留学しているとのことで、実はその様子はFacebookを通じて伺い知ることが出来ます。いずれにしても20年近くが経過してしまいました。

  

またHanh Namさんは昨年4月の終わりに東京に出張して来て、サクラはもう終わったと私の方から事前に言っていたのですが、私の同僚からもしかしたら新宿御苑に行けばまだ残っているかもしれないとのアドバイスがあり、彼女を連れて新宿御苑に行ったら、ソメイヨシノではないのですが、サクラらしきものが咲いていて、我々の感覚で言うと少し違うのだが、彼女はそれがサクラだと信じて疑わないので、私も話を合せていました。また公園内には他のベトナム人も大勢いて、彼女曰く、ベトナム人はサクラが大好きとのことで、何とか観光増進にも繋がらないかと思ったりしたものです。

    


11/6(金)の夜は、法務省に勤めるご主人がホーチミンに泊まりの出張とのことで、夕方かなり遅くなって帰って来た13歳の長男と3人で軽い夕食。13歳というのは日本ではまだ子供だが、この少年はかなり英語を喋り本当に驚きました。あとで記載しますがベトナム人の英語能力は子供のころからかなりのものです。

私は、とにかく日本からハノイまで移動した興奮もあり、お土産に持参したウイスキーを、ご主人が実は飲めないということが分かり、結構飲んでしまった。それにしても私は時差に相当弱いようで、たった2時間の時差でもかなり体にこたえてしまいます。何時も5時に目が覚めるのですが、まだ午前3時なのに、結局きっかり日本時間の5時に目が覚めてしまいました。

11月7日 朝

2.朝食のSticky Rice

朝食は、麺のPhoとSticky Riceのどちらがいいかと聞かれたので、私はSticky Riceの意味がよく分からず、彼女曰く普通のライスと全然違うとのこと。よく分からなかったのですが、それではSticky Riceをと言ったところ、何処か外に買いに行ってすぐに帰って来たのですが、要は餅米のことで、ハノイで餅米を食べるのは初めてだったと思いますが、ベトナムにも日本と同じようにお餅が結構あって、どうもこの餅米から作っているらしいです。

    




3.いざ集合場所のオペラハウスまで

とにかく出かける時間になり、下りのエスカレーターに乗ろうとしたら、同じフロアーで少し先に乗った日本人の中年女性2人組が待ってくれず、よほど日本語で「ちょっと待って」と言おうと思ったのですが、何故かグッと堪えてしまいました。




それよりも、アパートの前の道路で、電話で読んだタクシーに駆け寄ったHanh Namさんに、なんと若者のモーターバイクがブレーキもかけずに突っ込むというアクシデントがあり、Hanh Namさんはひっくり返ってしまい、私は吃驚仰天してしまいました。幸いたいしたことはなかったようですが、彼女は若者に向かって猛烈に怒っていて、こういう時のベトナム人の女性はものすごくて、私は言葉が出来ないこともあり、とにかく黙って見ているしかないという状況でした。あとで分かったのですが、HanhNamさんの iPhoneのガラスにヒビが入っていたようですが、iPhone自体に異常は無かったようです。(なお添付の写真は本件とは何の関係もありません。)




  

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2015/11/28

Hanoi旅行(2)

11月6日(金)午後

1.到着ターミナルの免税店

到着ターミナルに免税店があるのを見つけ、そういえば昔からあったなと思い出してしまいました。買ったことはないので、本当に免税なのかどうか分からないのですが、私が知っている範囲では、日本の空港を含め到着時に免税店というのは、ノイバイ空港以外は無いのではと思います?

  

2.お迎え

事前に、秘書だったVanさんから空港まで迎えに来ると言われていたのですが、正直、空港までどうやって来るのか、空港から市内までどうやって行くのか、細かいことが分からなかったのですが、とにかく出口のところで懐かしいVanさんが待っていました。しかも彼女だけではなく、75歳のベトナム人の元社長と、もう一人既に引退した元女性staffも一緒で、すっかり感激してしまいました。

    

とにかく、言われるままに空港の外に出て、暫くして、Vanさんが自家用のトヨタ車Vios(おそらく日本で販売しているVitzと同じ車種か?)を運転してきたことが分かり、昔とは全然違う車の状況に内心吃驚仰天していました。ちなみに、元staff達は1-2名の例外を除き、みんな自家用車を持っていて、旦那さんか奥さんのどちらかが通勤に使っているとのこと。思えば、1997/1998年当時は、車の運転は職業運転手が行うと決まっていて、それ以外の人は車の運転が出来ないので、車泥棒が存在しないという時代とは様変わりしてしまったようです(現在、車泥棒が多いか少ないかは確認していません)。

   


余談ですが、車が少し汚れていたようで、掃除をしないのか、掃除をしても直ぐに汚れるのか、その両方かよく分からなかったのですが、とにかく道路を走っている他の車も少し汚れている車が多いようです。ちなみにハノイ滞在中、私の靴も日本とは比較にならない程汚れました。粉塵や泥は相変わらずのようです。

    


3.空港からハノイ市中心部へ

空港とハノイ市中心部との間には、最近日本のODAで高速道路とホン河に立派な橋が完成して所要時間が大幅に短縮され、実際に帰りは別の元Staffがそのルートで送ってくれたのですが、この時は昔からある道路を通って市内の中心部へ。そういえば、昔はこの道路を、水牛やアヒルの群れが闊歩していたなと思いながら、今はさすがにそういうものはいないようです。空港を出ると大きな企業の広告塔が林立していて、昔は韓国の企業が中心だったような気がしますが、今は日本の企業の広告が多いようです。ご承知のとおり、韓国はベトナムにとって最大の投資国で絶対的な王者として君臨しているようで、今や日本が韓国を追いかける立場になったのかもしれません。空港から市内に向かう途中にある工場団地には日本の企業が多いようです。

    


実は、ハノイでは到着した11/6(金)とHa Long Bayで一泊した後11/8(日)は、別のStaffのアパートのカナダ留学中の娘さんの部屋が空いているということで、そちらに宿泊させてもらうことになっており、その後もそのまま宿泊すれば良いと言われていたのですが、個人的にはそうもいかず、その後はホテルに移動と密かに思っていたのですが、結局車内で、Vanさんの両親が投資用に持っているアパートが現在空室になっているので、11/9(月)からはそちらに宿泊させてもらうことになりました。

    


4.取りあえず、11/9(月)から宿泊予定のアパートに到着

ということで、まずVanさんの両親が所有しているアパートに立ち寄りました。場所はHo Tay(West Lake)のすぐ近くで、2000年から2001年に滞在していたホテルのすぐ近くの、よく知っている地域で、場所はもう申し分ありません。8階建てのやや古いアパートで、空いているのは7-8階部分の日本式に言えばメゾゼットタイプで、ベトナム式家屋なのでこれも日本式に言えば「うなぎの寝床」ですが、何れにしても広いアパートです。滞在中は「広すぎる1ベッドルーム」と「広すぎるリビング・ダイニング」と「広すぎるバストイレ」の7階部分だけを使っていました。

    


ところで、Vanさんの両親はこの部屋だけを所有と勝手に思い込んでいましたが、もしかしたらアパート全体を持っているのかもしれません。滞在中に、アパート全部を持っているのかと思わせる出来ごとが何回かあったのですが、結局どちらかは聞かずじまいでした。

    


1997年だったと思いますが、Vanさんがまだ独身だったころ、ホン河の近くにあってVanさんが住んでいた彼女の両親の家に行ったことがあり、その時彼女の母親と会ったような気がしますが(?)。今や、こんな立派なアパートなり部屋を持っているんですね。

    





  

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2015/11/21

Hanoi旅行(1)

11/6(金)から11/15(日)に約5年ぶりにHanoi方面を旅行し、また忘れないうちに旅行記をまとめたいと思います。今回の旅行の目的は、1997年9月に設立し2001年3月に清算したHanoiの合弁会社の元Staff達による一泊のReunion Meetingを、世界遺産であるHalong Bayで開催するにあたり、それに参加するのが主な目的でした。以下参照ください。

11月6日(金)午前・午後
1.柏から成田国際空港まで
羽田での国際線が脚光を浴びているが、我が家からは断然成田空港が便利です。但し、我孫子駅から単線の成田線で成田駅まで行き、成田駅で東京・千葉方面からの快速電車に乗り換えなければならず、しかもこの快速電車が1時間に1本しかなく、成田線も1時間に3本程度なので、とにかく効率よく乗り換えが出来るように事前によく時間を調べておく必要があります。
我孫子駅と成田駅との間の所要時間は約45分だが、単線なのでおそらく複線であれば30分程度に短縮されるのでは?単線の成田線は田んぼの中を走るので、本当に国際空港に行くのか何時も不安になります。
当日は濃霧で成田線が遅れて、成田駅での快速への乗り換えは間に合わないなと思っていたら、1時間に1本しかないせいか成田駅で快速電車が待っていて、成田国際空港には余裕で間に合いました。

   



2.成田国際空港
免税店でお決まりのアルコール類を買ったのですが、年のせいか重たいものを持ちたくないので、なるべく軽そうなものを選んでしまった。年は取りたくないものです。お店を占拠していた、中国へ帰る観光客の買い物の量が、半端なくて吃驚してしまいます。日本で散々買い物をしたと思うのですが、とにかくすごい。金額も私とは2桁ほど違うようです。免税店の従業員は皆中国語を喋っているので中国人かと思ったのですが、どうも日本人のようです。私が成田空港に初めて来たのは、オープンして間もない1979年だったと思いますが、随分と時間も経過しているので老朽化も目立ちますね。

3.ベトナム航空機内
金曜日のフライトのせいか、搭乗率約50%程度か?約5時間半のフライトだったと思いますが、出てくる食事の質が、1997-1998年ごろのハノイ⇔香港間のベトナム航空の食事の質と比べて段違いに良いですね。もっとも私は香港⇔ハノイ間の食事は、比較的短距離のフライトで、中途半端な時間帯だったので殆ど食べなかったと思いますが?
ところでハノイとの直行便に乗るのは2010年に続き2回目ですが、食事が終わると飛行機は中国領内に入るようで、前回もそうだったかどうか覚えていないのですが、昼間にも拘わらず窓を閉め機内を真っ暗にしてします。暗くする時間帯がたまたま中国領内を通過する時だったかもしれないが?そういえば、旧ソ連の終わりごろに日本・ヨーロッパ線が旧ソ連の領内を通過出来るようになったころも同じようなことがあったような気がします?

4.ノイバイ空港
空港の場所は昔と同じところにあると思のですが、施設は昔とはまるで異なり超近代的な空港で、もう全く昔の面影がありません。ちなみに家内は最後にハノイに行ったのが1998年だったと思うので、(分かり易くいえば)古い体育館のようなターミナルで、トイレもドアがなかった(らしいのですが?)イメージしかないようで、いくら説明しても写真を見せてもよく分からないようです。ノイバイ空港に到着する前に現地の気温が30度というアナウンスがありそれを聞いただけで体から汗が噴き出してしまいました。

飛行機が到着した第2ターミナルは日本のODAを使って最近完成したようで、そのせいか日本メーカーのトイレの水洗の注意書きも日本語で書いてあって、私は日本人だから分かるが、大部分の利用者は分からなくてどうするんだと思いましたが、そんな注意書き誰も見ないので関係ないか?
とにかく、昔のノイバイ空港の光景や、座席No等をマジックで手書きで書いていたベトナム航空の搭乗券等、もう今はすっかり昔の話になりましたね。

  



5年前の2010年にハノイに行った時に、余ったベトナム・ドンを今回再び持って行き、念のため使えるかどうか聞いたところ、なんと使えないとのこと。Souvenir(お土産)と言われたのだが、イマイチよく分からなかったのだが、どうもこのことを言っていたらしい。そもそも1997-2001年当時は、最高額紙幣50,000ドン札だったが、今や100,000ドンや200,000ドンは勿論500,000ドン札もあり、正直頭が混乱してしまった。
http://www.pitt.jp/others/news-vndon.php

  

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2014/11/24

ハノイでの生活(4)



当時よく飲みに行きました。もちろん楽しみで飲みに行ったということもあったのですが、やはり仕事の延長という要素が強かったようです。仕事はお互いに外国語である英語で意思疎通を図っていて、しかも会社の清算という微妙な仕事をしていたので、どうしてもお互いにストレスが溜まってしまいます。特に日本人は私ひとりだったので、会社で日本語を喋って発散することも出来ずに、ホテルでNHKの衛星放送を見ながら、気がつくとテレビに向かってブツブツと日本語を喋っていたことがありました。

仕事の延長で飲みに行くのは、日本でも若いころお酒を飲みながら上司の面白くもない仕事の話を聞いていたこともありましたが、ハノイではかなり微妙な問題を外国語である英語でやるので、どうしてもお互いに言い足りないことがあり、また、ベトナム人も日本人も共通しているのが(人によるかもしれませんが)、アルコールが入ると言葉が滑らかになるということがあります。昼間どうしても理解できなかったことが、夜アルコールを飲みながら話すとよく理解できて、そういうことを言いたかったのか、ということが何度もありました。ということで私は日本では仕事の延長で飲みに行くのは嫌なのですが、ハノイでは積極的に活用していました。

第1回目の1997年から1998年のハノイ駐在の時はカラオケ好きの日本人の社長が居て、合弁会社設立後も自由を拘束されていて、アフター5もなかなか自分の意思で行動出来なかったのですが、この時は日本人は私ひとりで、そういう意味では自由といえば自由だったということもありました。

ただ、若い人たちは相変わらず夜学等で忙しくてなかなか時間が取れずに、夜飲みに行くのは殆どベトナム人の社長や経理部長に限られていました。特に経理部長は合弁会社設立時の経理部長が私が居ない間に退職してホーチミンの外資系の会社に転職したため、新たにベトナム側の親会社であるVCBから派遣されてきた人物で、年齢も当時私が40歳代後半で彼が40歳ぐらいだったと思いますが、男性の中では私に年が一番近く、お互いにお酒が好きで、朴訥とした英語の喋り方をする等の共通点があり、本当によく飲みに連れて行ってもらいました。彼が連れて行ってくれたのは外国人だけではまず行けない様なローカルな飲み屋で、そういう意味でも非常に貴重な体験をしたと思います。カラオケにもよく行き、ハノイのカラオケは黙っていると若いホステスさんが付くのですが、そういうことは一切断って、ひたすら歌うことに集中していました。ローカルのカラオケだったのでベトナム語の曲が中心で私はもっぱら聞く方だったと思いますが?彼がよく連れて行ってくれたカラオケは、おそらく中心部のやや南にある比較的大きな湖(池)の畔だったと思いますが?

ただ一度驚いたことがあって、彼が突然喋り出したのが、自分は親元のVCBから合弁会社のベトナム人の社長の行動を逐一報告するように言われている。具体的にはVCBの社長室に自分の同期がいて、彼には定期的にベトナム人の社長の行動を逐一報告しているとのことでした。日本人の私から見ると若干スパイ行為みたいな感じがして嫌だったのですが、そういう話は他でも聞いたことがあり、ベトナムでは決して珍しくはなかったのかもしれません? 内心そんなことを日本人の私に言うなよとも思ったのですが、会社の清算も近く、私を信用してくれたんだなと思っています。

そういえば急に思い出しましたが、合弁会社設立時の経理部長が、住んでいたホーチミンからハノイに帰省していて(友人の結婚式だったかな?)会社に姿を見せて会ったことがありました。




  

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