機動戦士ガンダム!水星の魔女!第六話までの振り返り総集編!今からでも追いつける!これまでのガンダムを知らなくても楽しめる!特番が放送された。
機動戦士ガンダム 水星の魔女はTwitterのファンアートの盛り上がりなどを見るとかなり人気があるようだ。厄介な富野ファンの僕としてはGのレコンギスタの放送当時(まあ8年も前なんだが)よりも好評なのが悔しい。
もちろん、一人のアニメファンとしてはガンダムの名前を使ったアニメがクソ、というよりは人気が出るくらい面白い、という現状の方がよいとは思う。
それはそれとして、やはりGのレコンギスタはわかりにくいわかりにくいと多くの人に言われていたのに対して、水星の魔女は非常に支持されている。
しかし、個人的には水星の魔女も現時点ではかなりよくわからない気がする。世界観の謎とか。ちょっと個人的に整理してみた。
- 第六話時点で水星の魔女のわからない点
・場所
まず、舞台になるあの学校がどこにあるのかがわからない。なんか小惑星に付随したリング状の人工重力を発生させる小型スペースコロニーなんだろうけど。その小惑星がどこにあるのかわからない。水星まで人間が進出している未来の話なので、地球圏(従来のガンダム作品の主な舞台になった地球と月の範囲)なのか、別の惑星の周囲を回っている衛星なのか、人工惑星なのか。地球からどれくらい離れているのか、よくわからない。
一応、ミオリネがダブスタクソおやじに直談判しに来たので、大人たちの評議会が別の小惑星、ということは考えにくいが、(まあ3D立体映像という可能性もあるけど)。
それならば、じゃあ、なんで複数の企業のトップ連中が学園がある、という以外には特に特色もなさそうな小惑星に集っているのか?というのがよくわからない。
数百もの多くの企業が覇権争いをしている世界観で、学園の生徒もその企業のバックアップを受けて学園に送り込まれている、という設定は面白い。
でも、企業の業態は様々なので、経営者が生徒に付き添って学園のある小惑星にいる必要はあまり感じない。
なので、やはり立体映像なのかとも思うが、プロスペラ・マーキュリーが義手を投げつけたり、強化人士に関係する女性が仮面ママや4人女社長と会議室以外で面会しているので、物理的に体があの小惑星にある可能性の方が高い。
(まあ、他の経営者は別の場所にいて、会議の時だけ立体映像を出している人と、実際に学園のある小惑星にいる人と、事情によって異なっているのかもしれない。仮面ママがスレッタと電話越しでしか会話しないというのは微妙に叙述トリックっぽいけど)
・世界
スペーシアンとアーシアンが対立しているというのは分かる。ただ、場所の問題から、やはり地球での揉め事は物語の舞台である学園にはあまり影響していないように見える。
また、モビルスーツの開発とその運用者の育成にかなり企業が力を入れているのだが、モビルスーツは軍事兵器なわけで。決闘の道具ではないわけで。
しかし、モビルスーツを使った本格的な戦争がいまいちどの程度行われているのかがまだわからない。デモを鎮圧する、という程度に対してはオーバーキルすぎるし。
学園はモビルスーツ専門学校なので、モビルスーツ中心になっているのは分かるけど、世界全体にとってモビルスーツやガンド・フォーマットがどの程度影響力があるのかがよくわからない。
国家間の戦争ではなく、企業の競争が中心のテーマらしいのだけど。では、MS開発評議会に参加しているベネリットグループ の他にも競合他社があるのか?
競合他社があるのか、そもそもMSを必要とする戦争が起きているのか?起きているとしてその場所は?
国家間戦争がないとしても、戦争の兵器開発に(人命を軽視するほど)熱心ではあるので、ではそれが実際に使われる場所、戦場はどのようなものなのか?
・水星の意味
水星ではパーメット鉱石という劇中架空の鉱石が取れたらしいけど、地球の月で採掘できるようになったので水星はさびれて、過酷な環境で過疎化しているらしい。
パーメット鉱石しか特産品がなく、それが他の安全な環境で採掘できるなら、別に水星を町おこしする必要はないのでは?
・ガンダム・エアリアルとクローン技術
強化人士が使い捨ての人体カートリッジだったり、ガンダムエアリアルの自我が元々は人間のものではないかとか、プロローグとスレッタの年齢が合わないなど、使い捨てのクローンが多用されているのではないか?という疑惑があるが、それもはっきりしていない。
また、パーメットなんたらで人体拡張すると、なぜ機械のモビルスーツが観測したデータがパイロットに逆流するのかがわからない。他のガンダムの人、確かに強化人間とか一部の繊細なニュータイプは神経が悪くなっていたけど。しかし、それは感受性の強さによって戦場の人の死ぬ感情とかを感じてしまうかんじで、モビルスーツというロボットを操作しているだけで体調が悪くなるほどデータが逆流するということはなかった。
まあ、水星の魔女はそういうことが起こる世界観なのだ、というとそれまでなのだが。元々が義肢の技術というガンドアームがなんで体を悪くするのか、仕組みが分からない。
あと、ビットや無線アームが特に噴射剤を多用しなくても、空力的に揚力を得る形でなくても、有重力区画でぷかぷか浮いているのも何故かわからない。(一応遠心重力なのでその遠心重力の回転と関係ない浮遊物は浮けると言えば浮けるのだが、その場合、回転している地面と同じ速度で吹っ飛ぶはず)
- 水星の魔女はGレコよりもわからないのでは?
Gのレコンギスタもわからない、わからないと言われていたが、第六話の時点では少なくともエネルギーを独占しているキャピタル・タワーに反抗してエネルギーを奪いに来るアメリア帝国と、それと大陸間戦争をしているゴンドワンというのはわかっていた。
差別の問題としても、水星の魔女はスペーシアンとアーシアンが対立している、という程度で実際にどのように対立しているのかはわからない。G-レコはクンタラが大昔に差別されていた階級で、現在は中央のキャピタル・テリトリィと産業革命を果たした諸外国が軋轢を起こしている、というのはわかっていた。
水星の魔女の第六話もメインキャラクターの悲劇が描かれたが、G-レコの第六話も悲劇だった。
キャピタル・タワーが宇宙から来るフォトン・バッテリーの受け渡しのためのインフラで大切ということは分かっていたし、その場所が南米の赤道直下であるということもわかっていた。水星の魔女は舞台の場所が分からない。
G-レコは大昔に人類は絶滅しかけたので技術発展がタブーになっているけど、最近は新兵器開発が熱心ということもわかっていた。アメリア帝国とゴンドワンはエネルギーを奪い合うため、キャピタル・アーミィはそのような紛争に対して中央政府とエネルギーインフラ施設の防衛としての自衛力を高めるためにモビルスーツを使う。
水星の魔女は大昔にドローン戦争があったらしい。それはそれとして、学生を競わせたりモビルスーツ開発評議会に開発企業の重役が参加したり熱心に新兵器を作っている割に、それをどのような戦争に使いたいのかがわからない。
- 水星の魔女は何が分からないのかわからない
まあ、分割2クールなので今後は展開が変わって、今のところ分からない部分も恐らく説明されるであろう。
なので、狡い言い方をしてしまうと、水星の魔女は「わからなくていい部分は描いていない。描いていないので、わからなくても当然」というわけで、わからない部分が何なのかを伏せて”視聴者に向けて”描いている。
Gのレコンギスタは「劇中で分からない部分の断片も単語や雰囲気として作中世界には当然存在するという風に描いている。断片的に描いているのにわからないので、わからない部分が引っ掛かる」というわけで、わからない部分の断片から劇中でカメラに写っている部分以外もあると視聴者に匂わせて、”作中の人物にとっては当然のように”描いている。
これは富野由悠季監督の悪い癖なのかもしれないが、劇中で注目されるように描いているもの以外にも外の社会とか組織があると匂わせてしまうところがある。機動戦士Vガンダムで第8話くらいからシュラク隊という舞台が登場するが、その部隊と合流するということの匂わせは序盤でセリフだけで描写されていた。まあ、前フリと言えば前フリなのだが、その前フリを忘れたころに本体が登場するので。
好き嫌いはあっても、どちらが優れているのかというわけでもない、作劇方法だが。
水星の魔女はわからない部分は分からなくても構わないように作ってあって、わからない部分はそれを描く必要が出るまでは、タッチしない。なので、何が分からないのかわからないようにしている。わからない部分があるという引っ掛かりを減らしている。また、仮面のキャラクターやクローンなど興味を引く謎の部分も、割と早期に正解を描写してわからないもやもやを減らしている。
スペースコロニーで大量に水を散布したら排水とか循環系がバグって大変なことになるとか、野焼きをしたら大変なことになるというSF要素や舞台の外での影響は、水星の魔女では「本筋とは関係ないので考えなくてもいい」という雰囲気。
富野由悠季監督の場合は視聴者が分からない単語であっても、作中の人物にとってわかっていることは言わせる。ただ、Gのレコンギスタはテレビ版でそれがかなり受けなかったのを自覚したので、劇場版ではかなりそこを手直ししてわからない部分を減らしている。
Gレコ第3話でベルリがウンコするシーンも、テレビ版ではクリム・ニックがトイレを使うシーンと合わせて「察してくれ」という感じで直接ウンコは描写していなかったが劇場版では「下痢っぽい」「トイレ音楽」とセリフで言わせてわかりやすくしている。視聴者が能動的に察する労力を減らしている。
そういうわけで、視聴者が能動的に察する努力が求められるGレコテレビ版はある程度ストレスのある作品だったのかもしれない。
文学などを読んで、わからない部分があると馬鹿にされていると感じる、という若者が多いとネットニュースで見た。まあ、インテリ嫌悪は昔からあるわけだが。
まあ、わからない部分を未知の興味へのワクワクと取るか、夾雑物と感じるかは人それぞれだが。
それをいったら、デカいロボットがどういう理屈で体を支えているのかっていう時点でリアルロボット物などは成立しないのだが。
まあ、水星の魔女は説明が丁寧だよね。関節に電磁粒子が張り付いて動きにくくなったってモニター越しで見て解説してくれる人とか。いや、そんなすぐにわからんやろ…。
とにかく、わからないことで生じる視聴者のいらだちを減らしている。また、わからないままでいいことはほとんど存在しないように描いている。
そもそも水星の魔女っていう割に水星の生活の描写って前日譚小説でしか描かれていないしな。アニメで描かれるのだろうか…。
それでもスレッタの年齢とか21年前の復讐とかエアリアルの自我とか、「非人道的なことがあるのでは?」という匂わせは水星の魔女ではある。それはハッキリと描かないが。
逆にはっきりと描かないことで、Twitterなど視聴者同士のトークで「こんな裏設定があるのでは?」と憶測で盛り上がるようになっているようだ。
- 水星の魔女はキャラクターより視聴者が上
Gのレコンギスタは主人公のベルリがサイコパスとか言われた。なぜなら、主人公のベルリは自分が天才であることと上流階級であることを自覚していて、友人のノレドにもメガファウナがニック・スペースであることを言わないで上流階級であるグシオン・スルガン総監と母のウィルミット・ゼナム運行長官が同席する場まで伏せていたりする。
そういう奴なので、ベルリのような才能と地位に恵まれている人のことは分からないと視聴者はひがんでしまうようだ。そういう例はTwitterやら感想ブログやオタク同士の会話で散見した。
あと、テレビ版のベルリ・ゼナムは他にもかなりストレスや怒りを言葉に出さないで溜めるタイプなので、僕は彼がどのようにストレスをためていったのかを考察するのにビームライフルの一発ごとに批評して4年かかった。
まあ、よく考えてみたら当然と言えば当然なのだが、その作品世界について、その作品世界の中で生きているキャラクターの方が視聴者よりも詳しいはず。なので視聴者が知らない単語も普通に劇中の人物は言うのが自然ではある。
しかし、僕のような虚構の中で生きているような無職のオタクはともかく、たいていの人は現実の中で現実に軸足を置いて生きている。なので、現実の自分よりアニメキャラクターを下に見る方が自然だ。
なので、視聴者がわからないことをアニメキャラクターの方が分かっているのはイラっとする。のかもしれない。
ガンダムは自分たちの世代のものではない、とガンプラ工場を見学しに来た現代の学生に言われたのが水星の魔女の制作人に大きな影響を与えたらしいが、やはりガンダムは昔から蓄積してきた宇宙世紀の情報とか古参オタクのうっとうしい知識マウントがあるので、「知らないことがあると馬鹿にされていると感じる」人にとっては敷居の高いものになっているのだろう。
かといって、ガンダム以外の完全新作も割と売れなかったりしているので、企業判断としてはガンダムブランドで下駄を履かせたコンテンツを作りたい。
そういうわけで、水星の魔女は情報の開示度合いとしてはGのレコンギスタと同程度によくわからない世界なのだが、わからないことを意識させない作りになっている。と、言える。
また、ダブスタクソ親父とかのキャッチーなセリフ回しや、今回の総集編でグエル役の阿座上洋平さんが「ツンデレ」とか「親父に少なくとも二度もぶたれた」とか「ガンダム史上最速3連敗」など、富野由悠季監督ならやらないだろうなっていうバラエティー番組的なノリのナレーションを入れて、キャラクターが明確に視聴者より下位の記号的存在としてわかりやすくタグ付けしやすくしている。
(まあ富野監督もザブングルグラフィティとかは割とふざけてたけど)
なので、キャラクターは現実の視聴者にとってはおもちゃにできてファンアートとかでネタにしやすい下位の存在で、真面目に考察しなくても楽しめる。
- 行動が分かりやすいかどうか
Gレコのベルリ・ゼナムは自分が抱えている衝動とかストレスをあんまり言葉にしないタイプだったし、その割に上流階級としての責任感とかは滅茶苦茶強いので、ほとんどの人が平民である現代日本の視聴者にはよくわからないサイコパスみたいなやつ、みたいに思われていた。
劇場版では削られたけど、ベルリはザンクト・ポルトの前でアサルトパックの狙撃をしてカウンターをされることを覚悟していて、しかし、自分が狙われずにモビルスーツの乱戦を引き起こしてしまったので、上流階級の戦士として、非常に責任を感じて傷ついたけど、そういうのはかなり視聴者の僕が推理しないとわからない心情だった。(なので、劇場版ではアサルトパックはびっくりするほど登場が削られている)
やはり昔のオタクはアニメキャラや冒険物語に出てくる英雄は自分よりも偉いと思っていたかもしれないけど、キャラクタービジネスが一般化している現代では、キャラクターは見下せる存在である方が一般的な人から見ると丁度いい。
野球選手とか俳優も普通の人よりも才能があって努力しているけど、一般的な人から呼び捨てで噂話のネタにされて消費されるじゃん。そういう感じ。
そういうわけでアニメキャラクターは現実の人間よりも下位であるほうが見てる人は安心するので、スレッタは強いパイロットでもおどおどした態度だったり、他の人もわかりやすいキャラ付けがされていて、行動の理由もわかりやすい。
そして、最近はポリコレとかが流行っているので、「間違うこと」が非常に嫌われている世相である。なので、ベルリ・ゼナムやカーヒル・セイントやデレンセン・サマターやマスクやクリム・ニックが利己的な殺人をしたり、間違って殺人をしたり、現代人とは違う感覚の殺人をすることや、他の登場人物にその行動が間違っていると言われて意見がまとまらないのは視聴者からすると「わかりにくい」。
その点、スレッタ・マーキュリーは性格が分かりやすい。やりたいことリストとかも親近感がわく、ティーンエイジャーらしいものだ。
それで、スレッタ・マーキュリーが親の復讐の道具にされている、ということも本人はまたしても何も知らないけど、視聴者にはわかっている。なので武器をふるっても親に利用されている「わかりやすくかわいそうな子」として免罪される。ベルリ・ゼナムは自分でも自分のやったことが正しいか間違っているのか迷うし周りからも怒られたりする。
水星の魔女は割と初期からキャラクターをプラモデルやグッズにして、ロボットだけでなくキャラクターのかわいさも売っていく感じだが。そういうかわいいキャラクターを愛でるときに、キャラクターの善悪がハッキリしていないと、売れない。
Gのレコンギスタの劇場版が完結した後にファンアートが増えたのも、ちゃんと公式でカップルが成立したから、安心してネタにできるようになったのだと思う。
不確定なことは不安なのだ。
そういうわけで、水星の魔女のメインの学生キャラクターはかわいく、愛嬌があり、憎めないし、悪いことは毒親に騙されているせいだって責任をかわいくなくて商品グッズにならない大人に押し付けることができるし、わかりやすい。
※追記
また、戦闘面でもGのレコンギスタは複数の陣営の複数のモビルスーツの部隊が混戦することが序盤から多いけど、水星の魔女は一対一の決闘形式なので分かりやすい。
戦術的にも。
また、主人公のベルリ・ゼナムは所属やいる場所や母船などと、セルフイメージが一話ごとに変化しているけど、水星の魔女のスレッタは転校して地球寮に入った、くらいの変化しかない。ベルリ・ゼナムはキャピタル・ガードに誇りを持っているけど、キャピタル・アーミィという軍事組織には反対しているのと、アイーダさんへの罪悪感からアメリア軍海賊部隊に協力してしまったり、その割にアメリア軍の内部情報を盗み撮りしようとしたり、帰属意識が弱い。組織の下にいる自分、ではなく、その時の状況で行動する自分という感じ。なので、キャラクターがどの陣営なのか、どれが善でどれが悪の組織なのかというわかりやすさはない。(最終回でベルリがラスボス探しをするけど、ほとんど無意味だったり、そういうところがある。)
Gレコのキャラクターはみんな自分の所属する組織がいいと思っているし、他の組織を利用するけど、利害関係が一致した時は協力したりもする。
そういう点ではあんまりGレコはガンダムじゃないというか、ジオンか連邦か、という所属に振り回される戦記物とは違う。
水星の魔女はメインキャラクターがどの会社の所属なのかっていうのがモビルスーツのデザインの段階から固定されていて、タグ付けしやすい。
あと、Gレコの大人は悪い奴もいればいい奴もいるし、いい奴が蛮行をすることもあるし、悪そうなベッカーがあれはあれで彼なりに国防に殉じる気持ちがあったとか、単純に悪役とか裏切り者とか判別しにくい。
エラン4号をアレした御三家の女ボスは見た目からして悪そうで異常っぽい。
- わからなくてもいいのだ
そもそもロボットがどういう駆動系で動いているのかとか重心バランスがどうのこうのとか、実際の重機とかと比べて考えるオタクはほとんどいない。(まあ、模型とかで油圧シリンダーをモビルスーツに付ける系のやつもあるけど、油圧ってそんなにスピードでないしな…)
なので、別にわからなくてもいい。
というか、問題はわからないことがひっかかるか、ひっかからないかであって、わかっているかわかっていないかではない。
Gのレコンギスタも水星の魔女も、第6話の段階では作中のSF設定の情報や作品世界の情勢の開示度合いは同じくらい良くわからないと思うのだが。
結論を言うと、Gのレコンギスタは「わからないということがわかるのでモヤモヤする」のに対して、水星の魔女は「わからない部分は描写が伏せられているか、わからなくても支障がないし、わかりやすく強調されたネタで十分楽しめる」というタイプで、描写の手法が違うんだな。ということです。
まあ、富野監督は世の中のわからないことを若者に引っ掛けていろんなことに興味を持ってほしいと思っているけど、キャラクター商売をするなら作中以外のことを忘れさせる方が作劇としてはスタンダードなのかも。
というと、まあ、老害オタクが富野上げ水星下げをしているようにも思われそうだけど。
何が言いたいのかというと、Gのレコンギスタだけが分かりにくいんじゃなくて、水星の魔女も結構よくわかんない話だと、僕は思っている。ということです。
でも、わからないポイントを置くか、隠すかで評判はかなり変わるんだなあって。
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