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VRにもゲームにも興味のない僕が、生活に支障をきたすほどハマったOculus Questの何がすごいのかを具体的に説明する


VR空間のモノを掴み、振り回し、殴り、投げ、避け、飛び退った人が、息を切らし、汗だくで、次のような趣旨のことを言った:

Oculus Questは単に素晴らしいVRゲームマシーンというだけじゃない。健康にもダイエットにもいい「VRスポーツジム」だ。
これほどの装置がたった5万円で買えるなんて、信じられない。

この認識は間違いではない。
しかし、この説明は、この装置の面白さの核心を、1/10も伝えてはいない

たとえば、Tilt Brushは「3次元空間に絵を描くアプリ」と説明されるが、この説明は誤解を招く。
絵を描いているというより、むしろ、粘土や彫刻でモノを作っている感覚の方が近い。

ただ、粘土や彫刻という比喩も、量子を波や粒に例えて説明するようなもので、誤解を招く説明だ。
量子が、我々が日常的に知っているいかなるものにも全く似ていないのと同様に、Tilt Brushは、お絵かきにも粘土にも彫刻にも似ていない。
それは、我々が日常的に知っているいかなるものにも似ていないので、比喩によって説明するのが、そもそも不可能なのだ。

まず、粘土と違って、何十メートルもの巨大建造物を簡単に作れる。
世界全体を小さく縮小した上で、自分の身長の高さの塔を立てて、世界全体の縮尺を元に戻してやるだけで、はるかに見上げるような塔が出来上がる。

しかも、自分が立っている位置を、前後左右だけでなく、上下方向にも自在に変えられる。
だから、塔を立てたら、その塔のてっぺんまで自分が上昇し、そこからさらに塔を積み重ねることができる。これを繰り返せば、いくらでも塔を高くできるので、はるか上空に霞む、とてつもない高さの塔を建てることができる。

逆に、塔を下に伸ばしていくこともできる。高所恐怖症の人には耐えられないほどの、はるかな地の底まで続く塔を作れる。
暴走したネットがリアル空間を作り変えてしまったBLAME!みたいな空間だって作れるのだ。
もちろん、グランドキャニオンの底を覗いているような地形を作り出すことだってできる。
下を覗き込むと、本当に、足がすくむ。

また、粘土や彫刻と違って、重力というものがない。
だから、天空に浮かぶ城だって簡単に作れる。

また、作ったモノを掴んで、簡単に、回転、移動、拡大縮小ができる。
真っ赤な鳥居のコピペを繰り返して、彼方まで続く鳥居のトンネルを作ることだってできる。
千と千尋の神隠しに出てくるような建物を、コピペを繰り返して高く積み上げていくことだってできる。
その部屋の中に入り込み、備品、人物、神様、怪物、ふすまの絵を精密に描くこともできる。

「コピペ、移動、回転、拡大、縮小なんて、お絵かきソフトは普通にあるよね。それを3次元にしただけでは?」と思う人もいるだろう。
私も最初は、そう思っていた。
しかし、実際にやってみると、感覚的に、全然別物なのだ。
「画用紙に落書きをして遊ぶ」のと「森のなかで、ダンボールとか材木とかベニヤ板とかロープとかで秘密基地を作って遊ぶ」くらい違う。
画用紙に自分の理想の家を描いたところで、実際にその中に入って、自在に動き回ったり、家の中の、屋根の隙間から、星空を眺めたりはできない。
人間は、3次元空間の生き物なので、2次元世界に入って動き回ることなどできないからだ。
しかし、我々3次元生物は、VRの3次元摩天楼の一室の中に入って、そこから外を眺めることができる。
暖炉で焚き火が赤々と燃える部屋から、はるか下界の町並みを眺めることができるのだ。
もちろん、その町並みは、自分で作ったものだ。
このアプリの面白さの核心は、あの「秘密基地づくり」と同じものなのだ。

その意味で、これは、お絵かきソフトというより、秘密基地作成アプリなのだ。

また、燃える炎、流れる水、点滅するネオン管、ふわふわと浮かぶ雲、舞い落ちる雪、揺れる電気、またたく星などの動き続ける材質を描く「筆」もあるので、川や湖はもちろん、ラピュタから地上に落ちていく滝なんかも作れる。

ダイヤモンドという「筆」を使えば、窓や温室はもちろん、水晶の宮殿だって作れる。
木や葉っぱや草を作るのに適した「筆」もある。

諸星大二郎が描くような、不気味でグロテスクな生き物も、どんどん作れる。

「要は、シムシティのように、単に世界を創造できるだけでしょ」、と思われる方もいるだろうが、問題は、生まれてくる、その世界の異様さだ。
それは、現実世界に似ても似つかないばかりか、自分が知る、いかなる小説・マンガ・アニメ・映画のファンタジー世界とも異なる、とてつもなく異様なものなのだ。

自分の精神から生み出されていく、世界の異様さ、異質さ、豊穣さに、ただただ圧倒される。自分の知らない不気味な自分が立ち上がってくる
自分の精神の奥底には、これほど豊穣な異形が膨大に眠っていたのかと、ただただ驚き呆れ感嘆するのだ。
しかも、やればやるほど、その異形の世界が、ますます豊穣になっていくので、飽きるどころか、ますます夢中になっていく。

そうして出来上がっていく世界は何にも似ていないのだが、あえて一番似ているものを挙げるとすれば、魔法少女まどか☆マギカの「魔女」である

これは、お絵かきソフトでも粘土でも彫刻でも秘密基地でもシムシティでもなく、心の中の魔女を解き放つアプリなのだ。

このアプリで自分の世界の創造を始めてから、仕事をしているときも、家事をしているときも、常に、自分の頭の一部を、その世界が占めるようになってしまった。自分が蝶になった夢を見ているのか、蝶が自分になった夢を見ているのか、そんな感覚になる。精神の一部が魔女に喰われてしまったのかもしれない。


Oculus Questの機能は、これだけではない。
たとえば、少年時代を過ごした、建て替えをする前の実家の、あの部屋に、もう一度行ってみたいと思ったことはないだろうか。
引っ越しする前の、思い出がいっぱいつまったマンションは?
いまは伐採されて住宅地になってしまった、子供のときによく遊んだ林や田んぼは?

全天球カメラで撮影しておけば、その願いが叶う。

実際、全天球写真をOculus Questで見ると、まるでその空間にテレポートしたような感覚になる。
この臨場感がすごいのだ。
前後左右上下、どこを見回しても、その場の情景なので、ほんとに、その場所にいるような感覚になる。

私の場合は、RICOHのTHITA Z1というコンパクトな全天球カメラを使っている。

手に収まるサイズなので、気軽に持ち歩ける。

手で持って撮影すると、自分とカメラの距離が近すぎるので、自分が大きく写りすぎる。
これを避けるには、自撮り棒の先端に全天球カメラを取り付け、これを頭の上に掲げて撮影する。
僕は、以下の自撮り棒を使っている。

これも手に収まるサイズだ。

ちょっと値段が高目だが、その分、とても小型で携帯性は抜群だ。
撮影するときは、これを、特殊警棒のように伸ばして撮影する。

これをやり始めてから、私の、カメラに関する感覚が変わった。
以前はスマホか一眼レフで写真を撮ることが多かったのだが、全天球カメラを買ってからは、全天球カメラの使用頻度が一番大きくなった。
実家に帰省したときなど、失われそうな空間を見たら、部屋の中だろうが、外だろうが、トイレだろうが、風呂場だろうが、ベランダだろうが、屋根の上だろうが、とりあえず、全天球カメラで撮影しておく。他のどのカメラよりも優先して、全天球カメラで撮影するのだ。
空間を保存するために。
さまざまなアングルから撮る必要がないから、実に気楽に、簡単に撮れる。

Oculus Questへのデータ転送は、Dropbox経由で行うので、かなり快適にできる。いちいちPCに接続したりする必要はなく、Dropboxに入れておけば、それをVR空間でブラウズして、ほしい全天球画像をダウンロードできるのだ。


Oculus Questで全天球写真を見る方法はもう一つある。
GoogleのWanderというアプリを使うのだ。
これは、要は、GoogleストリートビューをOculus Questで見るためのアプリだ。
これを使えば、世界中のさまざまな場所に「テレポート」できる。

このアプリで、世界中をさまよっているうちに、その土地の雰囲気が、なんとなく分かってくる。
アフリカの土埃舞う道の両脇に、錆びたトタン屋根のバラックが並んでいて、そのバラックの中から、現地の人が、けだるげにこちらを見ている。白目がものすごく白くて、それが肌の黒さとコントラストをなしている。
タイの山奥では、急な坂道の両側を、最近立てたばかりのチープでカラフルな家と、崩れかけた古い藁葺の屋根が混在している。急速な経済成長が肌で感じられる。牛がなにか食べている。
南極、氷河、砂漠、サバンナ、果てしなく続くサボテン、峡谷、むせ返る中東のマーケット、あらゆる場所にテレポートしまくっていると、「世界」とはどんなところか、肌感覚で、なんとなくつかめてくるような気がするのだ。

もちろん、いくらVR空間でテレポートできると行っても、実際に旅行で行った方が楽しい、と思う方も多いと思う。
たしかに、今はそうなのだが、将来的にもそうだと言い切れるかは、だんだん怪しくなってくる気がしている。
Googleストリートビューには、ユーザが全天球写真をアップロードする機能がある。
その中には、煮えたぎる溶岩の近くなどの立入禁止区域、サンゴ礁の上を熱帯魚の泳ぐ海中、険しい山々の間の上空など、物理的に行くのに、かなりハードルが高い場所にまで「テレポート」できる。
Googleストリートビューは、画像データのダウンロードに時間がかかるし、解像度もそれほど高くないが、10年、20年もすれば、目では画素が見えないほど高解像度の画像を、超高速に、サクサク見れるようになるのではないだろうか。
しかも、ドローンによって撮影された全天球写真がどんどん増えていくので、空中にも、どんどんテレポートできるようになる。
私は、けっこうたくさんの国をバックパッキングしたが、楽しいことばかりではなかった。時差ボケはきついし、役人にワイロを強要されたり、危険な目にあったり、現地の不衛生な食べ物で胃腸炎になって七転八倒したことも何度もある。
もちろん、若いうちはそれも楽しいが、年をとってくると、だんだん無理が効かなくなってきて、現地人の中に紛れ込んで、現地の安宿を泊まり歩くような無茶な旅は、だんだんきつくなる。
そうなると、超安全、超高速、超格安に、リアルの旅では行けないところまで自在にテレポートしまくれる、VRの旅の相対的優位性が上がってくるのではないか。


最後に、「VRスポーツジム」について補足しておく。
これが「VRスポーツジム」であることは、たしかにその通りなのだが、重要なのは、それが、「キャズムを超える原動力となる」という点だ。

たしかにVRゲームは熱中してしまうほど面白いが、忙しいビジネスパーソンが、毎日1時間もゲームなどをやっている暇はない。
もしやったとしたら、時間を無駄にしてしまった罪悪感に苛まれ、「俺、こんなことをやってる場合じゃないんだけどな」「もうちょっとだけやりたいけど、あれも、これもやらなきゃならないから」と思って、あまり楽しめないのではないだろうか。

ところが、従来のVRゲームと異なり、Oculus Questなら、ジムでエアロバイクやトレッドミルをやっているのと遜色ない運動量のゲームができる。
毎日1時間ゲームに費やしているようでは、その人の将来はヤバイかもしれないが、毎日1時間、ジムでトレーニングしているのと同じ運動量のVRゲームをするなら、健康状態が良くなり、集中力が上がって、仕事や生活の質も上がるのではないだろうか。

どうしてこんな、激しい運動を伴うゲームが可能になったのかというと、Oculus Questは、従来の廉価版VR装置が抱えていた、2つの問題を解決したからだ。
従来の廉価版VR装置は、次の2つの問題のうち、いずれかを抱えているものがほとんどだった。

(1)HMDで360度空間を見回すことはできるが、体の位置の移動が、VR空間内での移動に反映されない。
このため、突進してくる物体や敵を、横っ飛びに避けるというようなことができない。また、VR彫像の周りをぐるぐる歩き回りながら、彫像を作っていくようなこともできなかった。

(2)PCやゲーム機に有線でつながっている。
このため、激しく動き回るようなゲームは、ケーブルが邪魔するので、難しかった。

これら2つの問題を解決したOculus Questでは、VR空間を自在に動き回る、激しい運動ができるのだ。
たとえば、3次元空間にある遮蔽物の後ろに隠れながら、落ちている瓶や、ボールや、斧を掴んで、敵に向かって投げる、などができる。
もちろん、飛んでくる立方体を、左右にジャンプしながら、ビームサーベルでぶった切りまくることもできる。

このため、たとえばBeat SABERのハードモードを選ぶと、ものすごい運動量になり、ヘトヘトになるし、内臓脂肪も減る、というわけだ。

この、「人生を無駄にしている感がない」というのは、とても重要で、これがあるのとないのとでは、一般ユーザへの訴求力が全然違う。
一時期、タイピング練習用ゲームソフトがものすごい売上をあげていたが、あれと同じ原理だ。「タイピングスキルを身につける」という実利的メリットがあるので、罪悪感なしに、思う存分、ゲームを楽しめるのだ。

このため、Oculus Questは、キャズムを超えて、一般ユーザに爆発的に普及するポテンシャルを持っているのではないかと思う。
あまりゲームに興味のないユーザにまで、爆発的に広がっていくのではないだろうか。

これだけとんでもないVRマシンがたった5万円とは、にわかには信じがたいほどである。
実に、いい時代になったものである。

著者(ふろむだ)のツイッターはこちら

※この文章は、面白文章力クラブのみなさんにレビューしていただいて、できあがりました。


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