長谷川貞夫さんの「書いておきたい事」
定例会にはおそらく代表の僕の次の出席率を誇り、Code for Nerimaの最高齢メンバー(御年85才!練馬区在住)でもあり、全盲のイノベーター「長谷川貞夫さん」。メンバーにはおなじみの存在です。
長谷川さんがFacebookで「書いておきたい事」と言うタイトルで長文を投稿されました。「これ、Code for Nerimaのnoteに転記してもいいですか?」とお尋ねしたところ「ぜひ!」ということで今回掲載します。長文で①〜⑥までありますが、まさにこれは視覚障害者の「読書」に関するアクセシビリティの歴史そのものです。
「書いておきたい事」なんてタイトルですが、もちろん長谷川さんはお元気です。
長谷川さん、「私もいつどうなるか分かりません。記憶があるうちに書きたいなぁと思いました。昔の事は良く覚えていますが、もう今の事はすぐに忘れてしまいます。」と。まだまだこれから面白くなります。
長谷川さんがCode for Nerimaの定例会を毎月楽しみにしてくださっているのはうちにとっても誇りです。
以下、お読みください。ここからの転記もご自由にお使いください。
①昔の回想思い出
視覚障害者は歩行と文字の読み書きが不自由です。
歩行については誰かに手引きをされて歩きました。読み書きのうちの読みについては一人あるいは数人は本を読んで貰ったと思います。
ところが読みについては録音する方法をとり入れれば、後で聞き返したり遠く離れた人に送ったり、時間が過ぎても何度でも聞ける事になります。
この朗読を録音し、全国に広める事は視覚障害福祉において画期的な事でした。
以下、それらについて具体的に進めます。
②初めての録音朗読
私が昭和31年の頃、東京教育大学(筑波大学)の教員養成の学生で寮にいました。
寮に織田栄子さんと仰る方が朗読奉仕に来ていました。ある時、織田さんの朗読を初めて入手した赤井ATIという真空管式録音機に録音しました。
織田さんが便利な機械があるのですね、と感心しました。そこで私はこのテープを沢山録音して盲人の為の録音テープライブラリーを作りたいのですとお伝えしました。
織田さんは女子学習院の同窓生にお伝えし、朗読者も増え、昭和32年に中央区銀座4丁目の教文館ビル5階の国際キリスト教奉仕団という事務所に日本で初めての盲人の為の録音テープライブラリーが発足しました。
③思い出回想
テープライブラリーが発足した時の貸し出し図書には、『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』内村鑑三
『心理学における力学説』『挽歌』原田康子
『それから』夏目漱石などでした。
テープは全国の盲学校や、盲人施設に送られました。利用者はあっという間に増えました。
付属盲学校では、1台の録音機を囲み20人くらいの寮生が録音機における朗読を受けていました。
④日本点字図書館本間一夫先生、加藤善徳先生、橋本ミチさんの付属盲学校寮での、録音朗読の見学
この時、読書会で読んでいた本は『条件反射』という犬が食事のたびにベルの音を聞いていると次にベルの音だけで、胃液が出るようになるという原理の発見の内容でした。
この読書会を見学した、本間一夫先生は全力をあげて日本点字図書館で、テープライブラリーを始める為の資金確保の運動を行い、ついに翌年昭和33年9月に日本点字図書館のテープライブラリーの発足を宣言しました。
この時に出来ていた本は単行本では、開高健の作品1冊と雑誌は文藝春秋9月号でした。日点は、この文藝春秋9月号を全国の盲学校に送りました。
これが日本点字図書館のテープライブラリー発足が全国に知られたキッカケでした。
一方、中央区銀座4丁目教文館ビル5階の国際キリスト教奉仕団で発足した、盲人の為のテープライブラリーは日本点字図書館と無駄な競争をする必要は無いと考え、蔵書内容をキリスト教関係の本に限り、また図書館を西早稲田にある日本キリスト教会館に移しました。
⑤織田栄子さんの事
女子学習院の皆様に朗読奉仕を誘い、テープライブラリー発足で大きな役割を果たしました。
織田さんは、織田幹雄氏夫人でした。
織田幹雄氏は、オリンピックアムステルダム大会で三段跳において金メダルを取った有名な方です。今でも織田幹雄陸上競技場が早稲田大学所沢キャンパスにあります。
⑥視覚障害者が初めて朗読の為に録音した赤井ATIについて
私が東京教育大学(筑波大学)寮生の頃、私より4歳年下の盲学校の生徒木内君がいました。
木内君は、兄弟が秋葉原で購入した赤井ATIの組み立てキットで作られた真空管式録音機を持っていました。
私はその録音機を6000円で購入しました。今なら約20万円くらいでしょうか。
この録音機は幅約30センチ、奥行き25センチ、高さ約15センチでした。上面が3センチくらいの蓋になっていてそれを開けると二本のオープン磁気テープがセット出来るようになっていました。テープは8ミリです。これを両側からから挟む円形のプラスチックは約5ミリありました。このテープを左右のテープ回転軸に落としてテープを録音ヘッドに通すと音が再生されたりボタンを押すと録音出来ました。
7インチというテープで片面30分でした。
私のテープライブラリーを成り立たせるアイデアは、放送局で不要となったテープを利用する事でした。
放送局としては、文化放送社長が大変好意を持ち、毎月20本ずつテープライブラリーに寄贈してくれました。
テープが増えたのはこの寄贈のお陰でした。私の他にも録音機を使った視覚障害者はあるでしょうが、積極的に図書館開設運動をした人は私以外には無いと思います。