トラぺジウムが人生に残る大傑作だった
なにか作品を見ても、「これは自分にとって関係のないことだな」と思ってしまう。ファンタジー、SF、お仕事もの……この世のあらゆるエンターテインメントは、人を気持ちよくさせるための娯楽装置として作られている。
だけど、そんな気持ちのいい作品を見るたび、心のどこかで「人生そんな上手くいかねーよ」と思ってしまう。だから、ずっと心のどこかで、なにもかもが「他人事」な気がしていた。あの主人公も、あの作品も、なにもかも自分にとっては無関係の出来事だった。
でも、『トラぺジウム』を見た時、あまりそう思えなかった。
この映画、端的に言うと「アイドルに焦がれて焦がれ続けた主人公が、なにもかも計算づくでアイドルグループを結成するものの、結局上手くいかず解散する」という内容になっている。極論を言うと、「アイドルを目指して志半ばで大失敗する映画」である。まぁ、とんでもない内容だと思う。
でも、この「上手くいかず解散する」ところに、心を掴まれてしまった。
ずっとどこかで、自分はこれを求めていた。なにもかもが無関係に思えていたけど、「人生が上手くいかない」ところを見せられて、「やっぱりそうだよね」と思えた。だから、『トラぺジウム』は他人事な気がしなかった。
私は、こんな私が好きになれなかった。
成功を重ねていく作品を見ると、「やっぱり人生上向きになっちゃうんだ?」と思ってしまう。『ゆるキャン△』を見ていても、たまに「私の前で楽しそうにするな」と思ってしまう。『ガールズバンドクライ』ですら、「結局仲間とか作り始めるんだね」と、心のどこかで憎しみが湧いてくる。
別に作品そのものは嫌だと思ってない。むしろ好き。でも、絶対に心のどこかで、上向きになっている何かを憎んでしまう。嫌ってしまう。
こんなの、絶対おかしい。
だから私は私の感性が嫌い。
でも、『トラぺジウム』はちょっと違った。
その気持ちがあんまり湧かなかった。
人生、結局上向きになんてならない。楽しい時間なんて、いつまでも続かない。「一生の友達」なんて、そんなのどこにもいるわけがない。
そんなことを描き始めた『トラぺジウム』を見た時、「こんなことを描いちゃっていいんだ」と思った。それが、私は何よりも嬉しかった。初めて「仲間」を見つけた気持ちになった。
だけど、もうひとつ作品に求めていることがある。
それは、「救いのないオチは嫌だ」ってこと。
人生そんなに上手くいくわけない。
楽しい時間なんて、どうせすぐ終わる。
友達なんて、なにかあったらすぐ消える。
でも、救いのない人生なんて、それはそれで辛すぎる。
夢が終わっても、何も幸せがなくても、どこかに「救い」はあってほしい。というか、そこまでの人生は無駄になってほしくない。
だから、「なにか残るもの」だけは絶対にあってほしい。
ただ生を浪費して終わるなんて、許せない。
上手くいかない人生にも、どこかに幸せがあってほしい。終わってしまった楽しい時間も、思い返した時に心のよりどころになってほしい。いなくなってしまった友達も、思い出の中では永遠であってほしい。
私はめちゃくちゃ傲慢な観客だと思う。
「人生を幸せに描く作品」を心のどこかで嫌っている割に、その一方で「だけど救いのある人生であってほしい」と思ってしまう。
『トラぺジウム』は、「解散してしまった4人のアイドルに、なにが残されていたのか」を描いた作品だと思った。結局、4人のうち3人はアイドルとは全く違う道に進み始める。だけどその3人に、「アイドルとして活動していた頃の記憶」はずっと残っている。
「人生は上手くいかない」。
「あの楽しい時間は終わったけど、それでも人生は続いている」。
「すべてが終わってしまったとしても、夢を諦めない人間もいる」。
この物語が、なによりも美しく見えた。
自分がずっと求めてたものが、ここにあった気がした。
生き続ける限り、人生は終わらない。
終わってほしいと思っても終わらない。
終わってほしくないと思っても、あっさり終わる。
そんな中で、みんな嫌でも生きていかなきゃいけない。
そして積み上げていった時間が、軌跡が、いつしか輝いて見える。
エンドロールが終わった時、私は泣いていた。
人生に残る傑作を見たかもしれない。
自分がもしなにかを作る時があるなら、この映画みたいな話を作りたい。辛い時、この映画をもう一度見たい。幸せな時、この映画を見返して嫌な気持ちになりたい。よくこんな映画作ろうと思ったな。
『トラぺジウム』は、人生のしょうもなさを描いている。
『トラぺジウム』は、消えてなくならないものを描いている。
『トラぺジウム』は、それでも何かを諦められない人の姿を描いている。
全然、気持ちのいい映画じゃない。
むしろ気分が悪い。すごく、泥臭い映画だと思う。
カッコよさなんて、欠片もない。かなり、ダサい映画だと思う。
だから、人生に残る大傑作でした。