三年で漫画家は辞めようと思ってた。
漫画家のかっぴーです。「左ききのエレン」を描いてます。
私は2015年に、noteに漫画を投稿した事をきっかけに漫画家になりました。
美大を卒業し、広告業界に。2015年は30歳になった年で、二社目の会社に転職して一年程のタイミング。広告クリエイターとして、これから一旗上げてやろうと息巻いてきた時期です。そんな中、プライベートで描いた漫画「フェイスブックポリス」がそこそこバズったお陰で、社内や取引先でちょっとだけチヤホヤされました。当初は「脱サラして漫画家に」なんて1ミリも思わず「これを名刺がわりに、本業の仕事に活かそう」と思っていました。
そんな中、サントリーさんから「PR漫画を描いて欲しい」と、勤めていた会社を通してお話を頂きました。本業に活かしたい私にとっては「広告マンガもいける広告クリエイター」という状況は、まさに理想的な展開でした。今では当たり前というか、むしろ下火かも知れませんが「広告にTwitterで人気の漫画家を使う」という企画が盛り上がり始めた頃でした。私は、そんな「SNS漫画ブーム」に乗って、以降もたくさん企業の漫画を描かせて頂きました。
ギャラは案件毎に違いますが、1話で20から30万円が多かったと記憶してます。私はいち会社員として受けていたので漫画のギャラは会社に入り、私は変わらず月収を頂く形でした。当時の月収が40くらいだったので「月に2本以上描くなら、会社を辞めて直接受けた方が儲かるな…」と、頭をよぎった事もありましたが、それでも脱サラする気にはなれませんでした。理由は2つありました。
ひとつは、自信の根拠が無かったからです。絵は皆さんがご存知の通り下手くそだし、あるあるギャグ漫画がたまたまプチヒットしただけで、漫画家として修行してきた訳でも無い自分が、本業にできる訳が無いと。当時は「よくポンポンネタが出るよね」と言ってもらえましたが、ハッキリ言って早々に枯渇すると自分で思っていました。「ギャグは10年描き続けると気が狂う」とは有名なギャグ漫画家さんの言葉ですが、本当にそうなんだと思います。
そしてもうひとつは、SNSで広めるPR漫画はバブルで、長くて3年しかもたないと思っていたからです。PR漫画に期待して脱サラなんてしてしまったら地獄が待ってるぞと。
最初の漫画がバズって少しあと、「おしゃ家ソムリエおしゃ子」というインテリアギャグ漫画を書き始めました。原稿料は1話5000円くらいでした(1ページでは無い。)が、またそこそこバズりました。おしゃ子は、今週TVドラマシーズン2始まります!
おしゃ子も、会社を通して受けるPR漫画も、本業が落ち着いた夜中に、会社のコピー用紙を拝借してフリクションボールペンで描いていました。フリクションボールペンで描く理由は「消せるから」と言ってましたが、本当の事を言うと実際に消した事は2回くらいしかありません。それくらい絵に対してこだわりがありませんでした。あの頃はとにかく楽しかったし、チヤホヤされたし、いい思い出になると思ってました。数年後に「昔、バズった事あるんだよね」と飲み会でネタにしようと、それくらいの気持ちでした。
そんな日々が続く中で、少しづつフォロワーが増えてきて「今なら、ギャグじゃなくても読んでもらえるかも知れない」と欲が出たんです。
私がギャグ漫画でネタにしていた男達は、みんなそこそこ高給だけどプライドばかり高くていけすかないキャラが多かったのですが、その大半が自分の投影でした。つまり自虐です。あんな漫画を描いてるくらいだから、さぞオシャレなんだろうとか、さぞSNSの使い方が上手なんだろうと言われる事もありましたが、真逆です。自虐だからこそ、理想が描けたんです。ダメな自分をどこかでは分かっていて、引いた所から睨んで見張ってる何者かがいるんです。私のダメなところをツッコんでやろうと待ってる何者かが。それが「SNSポリス」であったり「おしゃ家ソムリエおしゃ子」でした。
なんだか、私は漫画を描きながら小さな懺悔をしている気分でした。自虐をしながら、笑いに変えながら、ちょっとづつまともな人間になりたいな、という懺悔。その自虐と懺悔を、本当に人生まるごと対象にやってみようと考えたのが「左ききのエレン」という漫画でした。
これも最初の読切はnoteでしたが、親媒体のcakesの賞を頂いて連載が決まり、今でも続いています。そして、エレンの物語が頭の中に浮かんだ時に、脱サラしようと思いました。
「よく成功すると思えましたね、勇敢ですね」と言われますが、さっきも書いたように3年くらいはPR漫画で食っていけると思っていたんです。3年はバブルが続くだろうし、その間にエレンを描き終えたら、またサラリーマンに戻ろうと思っていました。33歳、まだ戻れる。だから会社名は「株式会社なつやすみ」にしました。cakesで連載が始まった最初の原稿料は(人気に比例する仕組みなので)月5万円くらいでした。
それでも、PR漫画で生活する金は稼ぎました。その金でエレン劇中に出てくる絵画をアーティストさんに描いて頂いたり(友達割ですが…)とにかく「左ききのエレンを描くために脱サラしたんだ、これが終われば戻るんだ。」と思っていました。
独立が2016年の春で、2018年秋に少年ジャンプ+でリメイク版「左ききのエレン」が連載スタートしました。あと半年で、当初考えていた3年が経つ頃です。年末、第1巻が発売して、全然売れませんでした。1巻が重版しなければ打ち切りになる世界ですが、編集部が「絶対人気になるから」と信じてくれて、時間をくれました。その頃の集英社の集まりは、肩身が狭い気持ちで、申し訳なかった。
それから一年ほど経って1巻がやっと重版になり、テレビドラマ化もして頂いて現在は110万部。それでも業界的には大ヒットとは呼べませんけど、漫画を続けても許されるラインにはなったと受け取っています。
ジャンプラの連載が始まる頃に、PR漫画の本数を大幅に減らして「連載漫画」に注力できるようになりました。やっと、連載で食っていけるようになったんです。第一部がcakesで完結した月は、原稿料がちょうどサラリーマン時代の月収ほどでした。
少しづつ、本当に少しづつですが「漫画家と名乗っても許されるのでは」と思えるようになって、ジャンプラ版エレンも最終章に突入する事ができました。ジャンプラの歴代作品の中で最長の連載だそうで、ここまで描かせて頂けて本当に有り難いと思ってます。1巻が売れなかった瞬間に打切りにされても文句言えなかったのに。信じてくれて、本当に感謝してます。
まえに、ある場所で「読んでくれる人達が、私を漫画家にしてくれた」と書きました。本当にそうだと思っています。3年で会社員に戻る覚悟ではじめた株式会社なつやすみは6周年。今年は株式会社アントレースという広告業もやる会社を立ち上げました。広告という仕事は、今でも大好きなので漫画家として続けていきたいです。単なるPR漫画ブームではなく、商品開発から売る所まで自社でできるような会社を目指してます。
また悪癖で長文を書いてしまいましたが、読んでくださってありがとうございます。あなたのような方のお陰で、私は漫画を描いて生きていく事ができています。本当にありがとうございます。
本日、週刊スピリッツで「15分の少女たち-アイドルのつくりかた-」という連載がはじまります。1年以上打合せと取材を繰り返した渾身の作品です。もう電子版では読めると思うので、是非読んでください。そして、感想を聞かせて下さい。
電子書籍じゃなくても、そろそろコンビニに並ぶと思うので、もし良かったら今日コンビニ寄る時に読んでみて下さい。
これからも自分が面白いと思える漫画を描き続けますので、どうぞお付き合いください。よろしくお願いします!