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少年ジャンプにハマれなかった僕が感じる、男社会の「生きづらさ」

週刊少年ジャンプが来年、創刊50周年を迎えるらしい。この間、名作と呼ばれる作品が数多く連載されてきた。特に発行部数が最も多かった90年代には、ドラゴンボールとスラムダンクが高い人気を集め、それに続くようにワンピースの連載が始まった。これらの作品は、20~30代の元少年たちにとって、ある種の共通体験ともいえる地位を確立している。

それゆえに、この世代の日常会話では、3つの作品を読んだことを前提にしたやりとりが行われている。例えば、「あいつら二人の関係は悟空とフリーザみたいだ」とか、「おれはスラダンなら流川が好きかな」「おれは断然三井だわ」といった語り。ジャンプを持ち込むことで、物事をうまく言い当てたり、コミュニケーションを円滑に進めたりしているのだ。

しかし僕は20代後半の男性であるにも関わらず、こうした会話を大きな「壁」だと感じている。ドラゴンボールやスラムダンクはテレビアニメ版を含めて一度も触れたことがないし、ワンピースは大学生のころ友人に単行本を借りたものの、すぐに読むのをやめてしまった。ジャンプ作品に通底する「熱さ」や「友情」みたいなものが、おそらく苦手なのだ。だから、ジャンプ的な会話に全くついていけない。自分は、当たり前の教養を知らない、または当然楽しめるであろうものを楽しめない、社会的な欠陥を抱えた人間なのかもしれないと、やや大げさに思う。ジャンプ的会話に出くわすと、読んでいないことを隠そうと、ぎこちない笑みを浮かべることしかできないのだ。

これはれっきとした「生きづらさ」ではあるのだが、そうした会話がもたらすメリットは大きいようだし、何より誰かを傷つけているわけでもないので、どこかに改善を求めることもできない。ただじっと、そういう場に遭遇しないよう息をひそめているしかない。今後、下の世代がたくさん社会に進出してくると、ジャンプ的会話の問題がジェネレーションギャップという形で顕在化することはあるかもしれない。ただ、いまの20~30代は、60になっても70になっても、ジャンプ的会話をし続けているように思えてならない。ジャンプの発行部数が200万部を切り、ピーク時の3分の1以下になったというニュースを最近聞いた。だが、その黄金時代に作られた壁は、明日も僕にぎこちない笑みを強いるだろう。

pic:DocChewbacca / Frickr



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