立ち飲みおでん屋の恋【王子駅 ・平澤かまぼこ】/カツセマサヒコ
ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイがスタート。願いは今日も「すこしドラマになってくれ」
お金が全てではない。でも、お金があったらもう少し変わった世界が見られたのかもしれない。
そうぼんやり考えていたのは、今ひとりで飲み始めたばかりの立ち飲み屋「平澤かまぼこ」が、東京都北区にある「渋沢史料館」からほど近くにあるからだ。
2024年に日本の紙幣が新しくなって、一万円札には渋沢栄一が印刷された。その栄誉に便乗するように、渋沢史料館がある飛鳥山公園には「祝・お札掲載!」みたいなのぼり旗が無限に立てられて、たまたまそこを通った私の目には、渋沢栄一と一万円札の存在が嫌というほど刻み込まれてしまったのだった。
一万円もあれば、今飲んでいる「平澤かまぼこ」なら3、4日は楽しめる。ハイボールが400円だし、名物であるおでんは、大根や玉子が100円から売られている。
狭いカウンターの向こうで、若い女性店員が忙しそうにドリンクを作っている。私の左隣にいるおじさんは、相手が若い女性というだけで偉そうな口調で蘊蓄を吐き、恋人の有無を聞き、横柄な態度で注文をした。
「ガールズバーじゃないんだぞ」と啖呵を切ってもよかったが、取っ組み合いの喧嘩になったらこっちが100パーセント負ける自信があるし、怪我もしたくないので、私は黙ってハイボールを飲み干す。
この店のおでんは、入り口にある実物を見ながら注文することができる。私は幸せそうに出汁に浸かっているおでんを上から眺めるのが好きだ。
昔、「おでんの好きな具が一緒」という理由だけで人を好きになったことがある。二人ともはんぺんが一番好きで、そんな人はなかなかいないよね、と安易に意気投合したのだけれど、それ以外は全く相性が合わず、付き合う前に疎遠になった。あまりに軽率で、危うい過去だったことを思い出す。
そして危ういといえば、今、私の右隣にいる男女も、さっきからどうにも危うい。
学生時代の友人だろうか。久しぶりに地元で会った二人はテンションが高く見えるが、明らかに男性が女性を口説こうとしていて、そして女性はその男に露骨に興味がなさそうである。
「そうそう、もう海外出張ばっかりでさ、旦那も私に呆れてて。あ、でも、最近ね、チャッピーがさ、あ、私、ChatGPTのことチャッピーって呼んでるんだけど。ねえChatGPT使ったことある? あれ本当に優秀なのね。これなら社員雇わなくていいかもとか思っちゃって。うん、そんな感じ。とにかく忙しくてさ。今日もバタバタでごめんね? あ、そっちは? 最近何してるの?」
マシンガンのように言葉を紡ぐ女性に対し、男は「まあ、いろいろかな」とだけ返した。
「まだこっちにいんの?」
「ああ、地元で、いろいろ」
「ふーん、そっか」
久しぶりに会った女が、海外を飛び回り、ChatGPTをチャッピーと名付け、しれっと既婚アピールしたこと。久しぶりに会った男が、どうやら地元から一歩も出ず、部屋着からわずか五センチ延長しただけのような服で現れたこと。その二人の久しぶりの再会が、すぐにでも解散できそうなこの立ち飲み屋であること。
どれをとってもなんだか悲しくて、急におでんがしょっぱく感じられた。再びハイボールを口に含み、二人の様子を覗き見る。すると、困っている男の顔の雰囲気が、どことなく渋沢栄一に似ている気がしてきた。頭の中で、さっきの考えがまた巡る。
お金が全てではない。でも、お金があったらもう少し変わった世界が見られたのかもしれない。
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」
立ち飲みおでん屋の恋【王子駅 ・平澤かまぼこ】

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