9等身美女・斎藤恭代が告白!「MVPになったらボーナス」グラビア撮影会のギャラ事情
いまや週末ともなれば、全国各地で開催されているグラビアアイドルの撮影会。大手撮影会ともなれば曜日に関係なく毎日開催され、10人程度のモデルを目当てに、毎回50~60人ほどが参加している。それに伴い、急増しているのが、普段は会社員だが、土日祝日には「作品撮り」と称して、コスプレイヤーやモデルを撮影する“カメコ”と呼ばれる人たちだ。
撮影会ブームに伴い、市民権を得たとはいえ、趣味者が集まるイベントゆえにクローズドな雰囲気が漂うのも事実。カメコたちによるトラブルも後を絶たない。そこで、今回は撮影会をきっかけにグラビア活動をスタートさせた、元ミス・アース日本代表の斎藤恭代にインタビュー。知られざる撮影会の内情を聞いた。
――斎藤さんが撮影会に出演するようになったのはいつ頃からですか?
斎藤恭代(以下、斎藤)「元々、福岡の久留米で『いちご姫』というアイドル活動をしていたのですが、その活動の一環で出たのが最初でした。やっぱり歌って踊ってるだけだと生活をするのが精一杯でした」
――いわゆる“アイドルの特典会”の一環が始まりだったんですね。
斎藤「定員10人のこじんまりとした撮影会でしたね。親身になって推してくれるファンの方たちばかりだったので、開催すると毎回誰かは来てくれました。常連のファンや新規のファンの方と触れ合いながら楽しく撮影会を開催できました」
――アイドルは誰かに見られるお仕事ですけど、カメラを向けられることについてはいかがでしたか?
斎藤「私はモデルになりたいという夢が幼い頃からあったので、『撮影会は練習する場になる!』と思って参加してました。当時は広告はもちろん、グラビアで撮影される機会なんてなかったので……。いつかのためにポージングや、表情の見せ方を研究してましたね。私のような考えでやってるのはきっと珍しいと思います(笑)」
――夢を持って参加されていたんですね。その後も斎藤さんは「ミス・アース」の日本代表になって東京へ進出する訳ですが……。
斎藤「『ミス・アース』に選ばれて東京に出てきてから『FUSION』というアイドルグループを作って活動していたんですけど、紆余曲折あって解散してしまったんですね。でも、生活をしていかなければならないので、『東京』『撮影会』と検索して、一番上に出てきた大手撮影会に連絡して『出演させてください!』と直談判したんですね。何もない自分にできることはこれしかなかったので。その後、書類審査、面接を経て合格をいただきました!」
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斎藤恭代
アイドル時代の活動の一環でスタート
ミス・アース代表として東京進出
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