「想像の100倍寒かった」関東から「盛岡」に移住した30代男性の後悔。「娯楽がパチンコか飲み屋しかないのも辛い」
都市部で生まれ育った土地で働いたのち、地方に生活拠点を移すことを一般的にIターンと呼ぶ。都会の喧騒を離れることができ、土地が安く、家が建てやすいなどのメリットがあるが、結局都市部に戻るケースも増えていると聞く。中山史郎さん(仮名・30代)も、その1人だ。
中山さんは神奈川県出身。20代を地元で過ごし、30歳になったことをきっかけに岩手県盛岡市に移住した。
「私はシステムエンジニアとして都内の会社で約8年勤務しました。納期に追われる仕事が嫌になり、転職を考えるようになりました。離婚したこともあり、生活環境を変えたいという思いから、かねてから考えていた地方暮らしを決意しました」
あえて盛岡を選んだ理由を、中山さんは以下のように説明する。
「得意先が盛岡にあり、たびたび出張で来ていたんです。盛岡冷麺の味が好きでしたし、空気も美味しかった。盛岡駅周辺はそこまで『ド田舎』という感じでもなく、環境が良いと感じました。得意先が採用してくれるということもあり、思い切って移住することにしました」
ただ、待っていた生活は、思い描いていたものとは、かなり異なっていたという。
「盛岡市内は路線バスが充実している印象だったので、車を買わなくても良いかなと思っていました。ところがやっぱりバスだけでは行動範囲が極端に狭くて、不便さを感じました。電車のダイヤも1時間に1本から4本程度で。結局車を買うことにしたのですが、もともと運転が好きではないし、雪道の運転に悪戦苦闘。『こんなはずではない』という気持ちが少し芽生えました」
「引っ越し当初は、ほぼ毎日盛岡冷麺を食べていて、それでも飽きませんでした。盛岡市内の店を食べ歩くうちに、なんだか飽きてしまって。じゃじゃ麺など、ほかの食べ物も美味しいとは思うのですが、やっぱりずっと盛岡にいると慣れてしまうんですよね。神奈川が恋しくなると言うか、家系ラーメンとかサンマーメンが食べたいとか、そういう感情が出てきました」
そして、冬の寒さにも苦しむことになる。
「想像の100倍寒かった。私は、そこまで寒くはないだろうと勝手に思っていたのですが、冬は寒いというより痛い。氷点下になることもしょっちゅうで、北の厳しさを感じた。職場の同僚たちは、冗談まじりではありますが、『0℃以上は寒いとは言わない』と言うんです。『ここまで寒いと思わなかった』と話すと、『盛岡は本州で1番寒い』と教えられました。盛岡に来たことを後悔した瞬間でした」
神奈川から盛岡へ移住
美味しいと思っていたごはんも、毎日食べると飽きた
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複数媒体で執筆中のサラリーマンライター。ファミレスでも美味しい鰻を出すライターを目指している。得意分野は社会、スポーツ、将棋など
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