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“スラム団地”で育った多国籍HIPHOPグループが伝えたい「差別や貧困のリアル」暴力や犯罪に明け暮れた過去を経て

在留外国人数が過去最高を記録するなか、SNSでは問題行動が目に余る一部の不良外国人を敵視する声も溢れる。果たして、共生の道はあるのか? 今回、日本で必死に生きる彼らの自宅に突撃。虐げられた魂の叫びに耳を傾けた。 今回は、静岡県磐田市にかつて存在した“スラム街”と呼ばれた団地で育ったHIPHOPグループ・GREEN KIDSにインタビュー。彼らが生まれ育った街でじっくり話を聞いてきた。
突撃ルポ[不良外国人の自宅]

「当時の団地は本当にめちゃくちゃ。ガキのとき、大人から“お前ら金出せ!”って逆さまにされたこともありましたね(笑)」

ACHA(28歳)

国籍:ペルー 日本滞在:26年 静岡県磐田市の東新町を拠点に活動するGREEN KIDSのリーダー。幼い頃は貧困や差別へのやり場のない怒りから「近所の自宅に空き瓶を放り投げて回った」こともあるという

“スラム”団地で育ち多国籍グループを率いる

突撃ルポ[不良外国人の自宅]

中央がACHA、左からBARCO、CRAZY-K、Swag-A、Flight-A、Swag-A(メンバーのDJPIGは当日欠席)。子供のころから東新町団地を溜まり場に育つ

静岡県磐田市には、かつて“スラム街”と呼ばれた団地がある。JR磐田駅から車で10分ほど。田畑が広がる先にあるのが、古びた5階建ての住居棟が並ぶ東新町団地だ。 1990年代、入管法が改正され日系3世までの定住資格が認められた。大手メーカーらが工場拠点を構える磐田市にも仕事を求め、南米から出稼ぎ労働者が来日。東新町団地も最盛期には8割が外国人の住む“コロニー”だった。 突撃ルポ[不良外国人の自宅]そんな団地で育った日系二世の多国籍HIPHOPグループ・GREEN KIDS。日本語にこだわった歌詞は差別や貧困、疎外感からくる怒り、暴力や犯罪に明け暮れた過去の日常について描かれている。 待ち合わせに現れた日系ペルー人のリーダー・ACHA(28歳)。見た目は強面だが、「今日はよろしくお願いします」と丁寧に挨拶された。 「老朽化で住民が減ったせいもあって、今は綺麗とよく言われます。俺らが小学生の頃はゴミだらけで、喧嘩や警察沙汰も絶えなかった。それがスラムって呼ばれていた所以かもしれないですね(笑)」 狭い階段を上がって2階に上がると彼の自宅だ。ベランダには洗濯物が揺れていて生活感が溢れる。家賃1万8200円の2DKの県営団地に、彼と母親と姪っ子と甥っ子の4人で暮らす。リビングに通されると、すでにGREEN KIDSのメンバーたちが酒盛りを始めていた。

貧困や差別との闘いだった学生時代

突撃ルポ[不良外国人の自宅]

6畳ほどのリビングにみんなで肩を寄せ合って飲む。団地を出て行ったメンバーの家でBBQをすることもあるとか

ACHAは福岡で生まれ、2歳の頃に両親が仕事を求めて磐田に移住。学生時代は貧困や差別との闘いだった。 「クラスや近所で何か問題が起こると俺のせいにされる。担任には『外人なんだから学校卒業したら行く先ないぞ』って言われて。今でもそいつの顔と名前は忘れていない」 両親は時給750円の非正規社員で家族を支えた。今も必要最低限の物しかない部屋は、決して余裕のある生活でないことをうかがわせる。 ACHAも高校には行かずに働いたが、懸命に仕事をしても変わらない現状を知った。貧困から抜け出す手段として、万引きや暴行、大麻売買にも手を出した。大半のメンバーに逮捕歴がある。
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「差別はなくならない。俺らのリアルを誰かに伝えたい」
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