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ベンツGクラスはいつから港区アイテムに?かつては「坂道も登れないジープ」

Gクラスが「憧れのアイテム」になった変遷

2001年に内装が変更された世代のGクラス

 クルマ好きの腕時計投資家、斉藤由貴生です。  腕時計や高級車の世界には、多くの人が憧れるアイテムというのが存在します。現在、腕時計であればノーチラス、クルマであればメルセデス・ベンツのGクラスがそれに当たるかと思います。  しかし、実はそれら、昔から「憧れアイテム」というキャラクターではありませんでした。むしろ、どちらもかつては「人気がない」といった存在感だったといえます。今日では考えられないですが、ノーチラスもGクラスも、かつては「変な選択」とすら考えられていた時期があったのです。  ということで、今回はGクラスを中心に、いつから「憧れアイテム」になったのかをお伝えしたいと思います。

90年代のGクラス像

 私が記憶している最も古いGクラスの評判は、1995年頃の軽井沢。当時、小学生だった私は、夏に軽井沢の別荘に滞在していたのですが、あまりにも暇なので、別荘の管理事務所によく遊びに行っていました。  その管理事務所は、小学生にもフレンドリーで、いろいろな話(どんな有名人が別荘地内にいるとかまで含め)をしてくれたのですが、ふと話題がGクラスの話になったことがあったのです。  その際、Gクラスの評判はどうだったかというと、『別荘の土地を見に来たお客さんが、ベンツのジープ(当時はGクラスしかない)に乗ってきたんだけど、坂登らなかった!あんなのよく買うなぁ』というもの。当時、日本でラインナップされていたGクラスは、2.3リッターか3リッターモデルだったのですが、どちらも非力な旧世代のエンジンだったため、おそらく坂を登らなかったという話は大げさではなかったといえます。  そしてそういったGクラスへの良くない評判は、他の人々からも聞くことが多かったのです。それら感想の趣旨をざっくりいうと「ジープに乗るならベンツじゃなくても良い」というものでした。  90年代のGクラスは、“色物ベンツ”的な印象があったのか、かつてのVクラスが「ミニバン買うならベンツの必要がない」などと言われたのと同じようなとらわれ方をしていたといえます。
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メーカー側も代替を本気で検討
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1986年生まれ。日本初の腕時計投資家として、「腕時計投資新聞」で執筆。母方の祖父はチャコット創業者、父は医者という裕福な家庭に生まれるが幼少期に両親が離婚。中学1年生の頃より、企業のホームページ作成業務を個人で請負い収入を得る。それを元手に高級腕時計を購入。その頃、買った値段より高く売る腕時計投資を考案し、時計の売買で資金を増やしていく。高校卒業後は就職、5年間の社会人経験を経てから筑波大学情報学群情報メディア創成学類に入学。お金を使わず贅沢する「ドケチ快適」のプロ。腕時計は買った値段より高く売却、ロールスロイスは実質10万円で購入。著書に『腕時計投資のすすめ』(イカロス出版)と『もう新品は買うな!』がある

もう新品は買うな!もう新品は買うな!

もう大量消費、大量生産で無駄遣いをするのはやめよう


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