ちなみにタイトルは川柳になってます。
オイゲン・ヨッフム。朝比奈隆に「5番の最後で金管を増やすと賑やかでいいぞ」と吹き込んだ張本人にして、国際ブルックナー協会の会長も務めたブルックナーの大家です。
ぼくはヨッフムに思い入れがありまして、十代のときは自分の自転車に「ヨッフム号」と名付けて街を走り回っていました。それというのも、初めて買ったブルックナーのCDがヨッフム指揮・ドレスデン国立管弦楽団の8番だったからです。
当時、実家の近所のCDショップにはこれとカラヤン指揮ウィーン・フィルのものがありましたが、宇野功芳がサードチョイスくらいに推していたのでヨッフムを買いました。アダージョに27分もかけているのにCD1枚に収まっているところも、中学生のお小遣い事情には優しかった。
で、聴きはじめたものの、ご多分にもれず最初のうちはブルックナーの音楽がさっぱり分かりません。なんか盛り上がっては静まりかえり……の繰り返し。息をするように転調していく感覚も古典派ばかり聴いていたぼくにはずいぶん不安定なものに聞こえて、なんだこれは、どこがいいんだ、と思いながらも、これだけ多くの演奏家や愛好家が大傑作だと言うんだからきっと何かあるのだろう、と、毎日のように部屋で流し続けていました。そしたら。
ある日のこと、その日もだらだら寝そべりながら聴いていたんですが、第1楽章展開部の第2主題あたりで突然、行ったこともないヨーロッパアルプスの風景が眼前に広がって、冷涼な風が部屋の中を吹き抜けていったんです。今でもはっきり覚えています。あの瞬間、ぼくはブルックナーが理解(わか)りました。だからブルックナーの全交響曲の中でこの部分がいちばん好きです。
こんなにも劇的な音楽でありながら、人間の喜怒哀楽の要素がない。ただただ神様と、神様がつくった大自然、大宇宙への畏敬の念が、こんなすごい音楽を生んでいる。なんでこんなものが書けるんだと思いました。まことに偉大で特異な才能というほかないです。
なので、ぼくにとってブルックナーを聴くことは、作曲家の信仰心をとおして森羅万象の音、大宇宙の響きを聴くことです。だからかなのか、仏教的な宇宙観とも共鳴するものがあります。
ヨッフムのブルックナーに戻りましょう。この盤、ハッキリ言って問題が多いです。まず録音のレンジが極端で、最弱音は聞こえず、最強音は大きすぎる。とくにアダージョ山場での金管の強奏は不自然なくらい音量がデカく、毎回ここだけボリュームを絞ってます。もしかすると5番のように人数を増やしているかもですが。
渋くほの暗く重心の低い弦楽器群の響きや、幽玄とした木管の音色は、これが天下のシュターツカペレ・ドレスデン、いぶし銀のサウンドかと思わされます。アダージョ前半なんて絶美の音楽なんですけど、トランペットは酔っぱらっとるんかと思うくらいテンションがおかしいし、なによりヨッフムの指揮ですよ。テンポの激変、破壊的な強奏など数々の恣意的表現は、一般的にブルックナー演奏でやってはいけない、やらないほうがいいとされることをほとんどやってます。ジャケット写真の好好爺からは想像できない暴れっぷりで始末に負えない。おじいちゃんそろそろ丸くなってください。
なのに、ですよ。それらを差し引いても、この演奏はまったくもってすばらしい。金管のまずさなどまるで気にならないくらい、大自然の音、大宇宙の音が鳴っている。深い森の木々のざわめきのような、あるいは高原の冷たい空気の肌触りのような弦楽器。そびえ立つ峻険な雪山と金管の咆哮。雲間から差し込む木管楽器。大地の鳴動や大瀑布を思わせるティンパニの轟音。どれもこれもブルックナーでしかない。本質をワシづかみにしているとはこういうことなんでしょう。第1楽章のクライマックス、弦とティンパニがいっしょになって天から落ちてくる音を聴いてぜひ戦慄してください。ここに指揮者とオーケストラのおそるべき本気があります。
ドレスデンとの全集はマニア受けがよくなく、ヨッフムならベルリン・フィル他と録音した旧全集に限る、と昔から言われたりします。でもぼくにとってこのCDは今でもベストオブ8番、ベストオブブルックナーです。世間の評価がどうであろうと、自分の心の中にある宝物は何にも代えがたいもので、大切にしていきたい。9番もいいですよ。