ヨッフムのブルックナーが好きなワケ

 

 ちなみにタイトルは川柳になってます。

 

 オイゲン・ヨッフム。朝比奈隆に「5番の最後で金管を増やすと賑やかでいいぞ」と吹き込んだ張本人にして、国際ブルックナー協会の会長も務めたブルックナーの大家です。

 

 ぼくはヨッフムに思い入れがありまして、十代のときは自分の自転車に「ヨッフム号」と名付けて街を走り回っていました。それというのも、初めて買ったブルックナーのCDがヨッフム指揮・ドレスデン国立管弦楽団の8番だったからです。


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 当時、実家の近所のCDショップにはこれとカラヤン指揮ウィーン・フィルのものがありましたが、宇野功芳がサードチョイスくらいに推していたのでヨッフムを買いました。アダージョに27分もかけているのにCD1枚に収まっているところも、中学生のお小遣い事情には優しかった。

 

 で、聴きはじめたものの、ご多分にもれず最初のうちはブルックナーの音楽がさっぱり分かりません。なんか盛り上がっては静まりかえり……の繰り返し。息をするように転調していく感覚も古典派ばかり聴いていたぼくにはずいぶん不安定なものに聞こえて、なんだこれは、どこがいいんだ、と思いながらも、これだけ多くの演奏家や愛好家が大傑作だと言うんだからきっと何かあるのだろう、と、毎日のように部屋で流し続けていました。そしたら。

 

 ある日のこと、その日もだらだら寝そべりながら聴いていたんですが、第1楽章展開部の第2主題あたりで突然、行ったこともないヨーロッパアルプスの風景が眼前に広がって、冷涼な風が部屋の中を吹き抜けていったんです。今でもはっきり覚えています。あの瞬間、ぼくはブルックナーが理解(わか)りました。だからブルックナーの全交響曲の中でこの部分がいちばん好きです。

 

 こんなにも劇的な音楽でありながら、人間の喜怒哀楽の要素がない。ただただ神様と、神様がつくった大自然、大宇宙への畏敬の念が、こんなすごい音楽を生んでいる。なんでこんなものが書けるんだと思いました。まことに偉大で特異な才能というほかないです。

 

 なので、ぼくにとってブルックナーを聴くことは、作曲家の信仰心をとおして森羅万象の音、大宇宙の響きを聴くことです。だからかなのか、仏教的な宇宙観とも共鳴するものがあります。

 

 ヨッフムのブルックナーに戻りましょう。この盤、ハッキリ言って問題が多いです。まず録音のレンジが極端で、最弱音は聞こえず、最強音は大きすぎる。とくにアダージョ山場での金管の強奏は不自然なくらい音量がデカく、毎回ここだけボリュームを絞ってます。もしかすると5番のように人数を増やしているかもですが。

 

 渋くほの暗く重心の低い弦楽器群の響きや、幽玄とした木管の音色は、これが天下のシュターツカペレ・ドレスデン、いぶし銀のサウンドかと思わされます。アダージョ前半なんて絶美の音楽なんですけど、トランペットは酔っぱらっとるんかと思うくらいテンションがおかしいし、なによりヨッフムの指揮ですよ。テンポの激変、破壊的な強奏など数々の恣意的表現は、一般的にブルックナー演奏でやってはいけない、やらないほうがいいとされることをほとんどやってます。ジャケット写真の好好爺からは想像できない暴れっぷりで始末に負えない。おじいちゃんそろそろ丸くなってください。

 

 なのに、ですよ。それらを差し引いても、この演奏はまったくもってすばらしい。金管のまずさなどまるで気にならないくらい、大自然の音、大宇宙の音が鳴っている。深い森の木々のざわめきのような、あるいは高原の冷たい空気の肌触りのような弦楽器。そびえ立つ峻険な雪山と金管の咆哮。雲間から差し込む木管楽器。大地の鳴動や大瀑布を思わせるティンパニの轟音。どれもこれもブルックナーでしかない。本質をワシづかみにしているとはこういうことなんでしょう。第1楽章のクライマックス、弦とティンパニがいっしょになって天から落ちてくる音を聴いてぜひ戦慄してください。ここに指揮者とオーケストラのおそるべき本気があります。

 

 ドレスデンとの全集はマニア受けがよくなく、ヨッフムならベルリン・フィル他と録音した旧全集に限る、と昔から言われたりします。でもぼくにとってこのCDは今でもベストオブ8番、ベストオブブルックナーです。世間の評価がどうであろうと、自分の心の中にある宝物は何にも代えがたいもので、大切にしていきたい。9番もいいですよ。

 

インターネットはウソだらけ

 

 今から22年前の2002年の2月22日以降、ぼくはインターネットを信用しなくなった。

 

 この日、当時隆盛を極めていた匿名掲示板2ちゃんねるで「全国同時吉野家オフ会」が企画された。その内容は、2ちゃんねるの日である2月22日の22時22分に、各地の吉野家に各自で入店のうえ「大盛りねぎだくギョク」を注文、馴れ合うことなく殺伐とそれを食したのち退店する、という、オフ会というよりはフラッシュモブに近いような、個人参加型のイベントであった。

 

 ぼくは大いにテンションが上がった。ほんとうのこと、面白いことはインターネットの中にしかない。そのネットの力が現実を動かす瞬間に参加できるのだと。祭りだ。時代の目撃者に俺はなる。22時、そのとき住んでいたアパートから最寄りの吉野家へと自転車を走らせた。

 

 22時15分、とどこおりなく吉野家京都駅八条口店に到着してみると、とくに混雑した様子もなく、5、6人のおっさんや学生が無表情で牛丼を食べたり注文を待ちつつ携帯をいじるなどしており、7分後に祭りが始まるとは到底思えない通常の様子であった。本当にこれからここへ2ちゃんねらーが殺到してくるのだろうか。くるだろう。なんせ2ちゃんであれだけ盛り上がっているのだから。もう間もなく、あと数分で群衆がサザエさんのエンディングばりに大挙して店内へと押しかけ、むせかえるような熱気の中で全員が「大盛りねぎだくギョク」を注文し、殺伐とそれを食べて帰っていく、圧巻の光景が展開されるはずである。胸の高鳴りをおさえつつ人波を避けるため少し早めに入店し、22時22分を待った。

 

 しかし。ここでぼくが日和ってしまった。想定外だった。注文を取りにきた店員さんに「大盛りねぎだくギョク」と言わねばならないところ、突然、なんというか、ネットミームを現実に持ちこむとき特有の気恥ずかしさというか、「クリスマス中止のお知らせ」をリアルで言ってしまうような寒い感覚というか、そういった感情が瞬時に湧いてきて赤面しそうになり、あろうことか「並、つゆだく……」としか言えなかったのである。自分がいちばんびっくりした。

 

 ふ、不甲斐ない……と頭を抱えながら、いや、俺はダメだったが、そろそろ戦士たちが来るはずだ。インターネットの同士、2ちゃんねるの勇者たちがやって来るんだ。そして殺伐とした空気の中「大盛りねぎだくギョク」の注文が飛び交うんだ! 祭りが始まるんだ……! ついに店内の時計が22時22分を指した。もちろん戦士も勇者も来ることはなく、「大盛りねぎだくギョク」を注文する者も誰もおらず、おっさんと学生が無表情で紅生姜を牛丼に乗せて食うだけの時間が静かに流れていった。ぼくは追加のコールスローサラダを食べ、そそくさと店をあとにした。

 

 この日以来、インターネットは信用していない。今も昔もインターネットはUSODARAKEだ。

 

健康のためにぶんぶん回す

 

 ジム通いを始めた。

 

 人はジムなどに行きはじめると殊更にそれを周囲に言って回りたくなるもの。というか、もう言いたくて言いたくてウズウズしてしまう。俺は健康に気をつかって自分への投資を惜しまず常に鍛錬を怠らない意識高い系の人間なのですよ、あなた方とは違って、と言外にアピールしたい中年のさもしい自己顕示欲があるからである。

 

 なので、ふと会った人に「最近どないしてまんねや」と振られたとたん「いやぁ〜ジムに通ったりなんかしてまして」と食い気味に返したうえ、聞かれてもいない料金体系や設備面やマシンの効能、やっぱ健康は大事にしていきたいもんすね、など大ウザな熱弁を振るい、不興を買うこととなる。

 

 そんな嫌な中年になってまでジム通いを始めた理由は主にふたつある。まず今年の初め、自宅から徒歩数分の場所に24時間営業のフィットネスジムがオープンした。実は前々からジム通いの願望は薄々あったのだが車で数十分とかバスや電車で何駅も行かなければならない立地ばかりで、そんな遠いところへ入会したところで意志薄弱なぼくに続くわけはないのである。

 

 しかし今回は通りを挟んでほぼ目の前にできてしまった。ここで続かなければたとえお隣にできたところで続かないだろう。しかもオープン初月特典として、なんと月間パスが95%オフだという。支払いは百数十円、これは入らぬ手はない、とりあえず1ヶ月だけお試しにとすぐにアプリをダウンロード、入会手続きを済ませた。

 

 が。季節は過ぎて6月初め。結局その月間パスは一度も使われることなく有効期限をとうに終えていた。人間やはり、意志を持ってある程度の金額を投資しそれを回収するというプロセスが大事なのであって、百数十円では回収のモチベーションにならない。まあムダになっちゃったけど、セブンのコーヒー1杯ぶんだしな、いっか、で終わっちゃうんである。

 

 遅い梅雨入りを待ちながら、ぼくはジムに入会したことなどすっかり忘れていた。忘れていたのだが、ある日エッチな動画を鑑賞しようとDMMのアプリを開こうとしたらその横にジムのアプリがあることに気づき、ひさしぶりに開いてみたところ、なんとびっくり、会員チケットが「有効」になっている。今月だけじゃなく遡って5月4月3月ずっと有効、すなわちその間ずっと正規の月間パス料金が引き落とされていた。

 

 なるほどこれは「初回のみ驚きの◯%引き!! でもそのあと何もしないと正規料金に自動更新だよ」の、通信販売などにあるあるなシステムだったのだ。これはもちろん約款をちゃんと読んでなかったぼくが悪い。しかし3千いくらの正規料金を3ヶ月もただ払いっぱなしだったというのはどうにも業腹だ。

 

 ならば今からでもこの3ヶ月ぶん、使い倒すしかない! と汗ふきのタオルも持たず入場のために必要なスマホだけを手に取り件のジムに突撃、使い方もよく分からぬ数々のトレーニングマシンをむやみやたらに動かし続け、ランニングマシンで見栄を張って10キロ走破した結果、その後2日間、経験したことのないような筋肉痛で寝込むこととなったのであった。

 

 ジム通い、もうひとつの理由は、シンプルに加齢による身体のたるみを自覚してきたからである。

 

 とくに5月。起きて朝ドラを見て、落語を聞いて、NHK-FMの『ひるのいこい』で和み、15時半から大相撲夏場所の中継を18時の結びまでがっつり観戦、場合によっては明るいうちからお酒までしっかり飲むなど年金受給者のような生活を続けたところ、一気に体重が4キロも増加してしまった。えらいもんである。

 

 風呂場の鏡に映るだらしない己の肉体を見て、このままではまずい、ムキムキマッチョになりたいとは思わないが、もう少し絞る必要があるのではないか、と考えていた矢先、上記のアプリ問題が発覚、矢も楯もたまらずジムに飛び込んだ次第というわけなのだった。

 

 通い始めてみて、飽き性のぼくが三日坊主にもならず継続している。ジムは、ひとりでできるのがいい。とことん、自分とだけ戦っていればいいのである。マナーさえ守っていれば誰かに気をつかうこともない。自分ひとりの世界に没頭できる。登山も、似たところがあるのかもしれない。

 

 だいたい後半はランニングマシンで30分から40分走って終わりにするのだが、この30分というのが本当に長い。YouTubeで動画を見てると30分など一瞬なのに、走っている30分はとてつもなく長く感じる。周囲の方々を見ているとワイヤレスのイヤホンをして走っている人が多い。きっと隣のお姉さんもレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンやパブリック・エネミーを聴いてテンションを上げているのだろう。しかしぼくはこういうとき音楽だとかえって時間の経過を意識してしまってダメだ。ならば落語ならと、かねてより友人より借り受けた古今亭志ん朝全集の『愛宕山』や『三枚起請』ならちょうど40分くらいで終わるのだが耳の形がよくないのかどうもイヤホンをつけて走るってのがしっくりこない。

 

 なので、ただただ走ることになる。外を走っているわけではないから風景に思念が引っ張られることがない。10分、15分を過ぎてだんだん息が上がってくるころになると、過去のいろんなことがランダムに頭に浮かんでくる。仕事で腹の立ったこと。よくなかった恋愛のこと。苦手だった人のこと。どういうわけかネガティブな要素が多い。

 

 しかし30分を過ぎ終わりが見えてくると、今度は怒りの感情のようなものが湧いてきて、あの野郎俺にあんな仕事させやがってほんと、覚えてやがれこんちくしょうめ、となぜか江戸弁になったあたりでランニングは終わる。終わればデトックス効果なのか、足はふらふらだが妙に気持ちはスッキリしている。俺は走り始める前よりは、間違いなく健康になっているのだから。帰ったらすぐシャワーを浴びて、冷えた缶ビールを飲もう。

 

 中年がジムに通う理由が分かった気がする。

 

 

 

遠すぎた一億五千万キロ

 

 過日。新幹線で東京へ向かう車中、あまりに良い天気だったため、スマホも見ずに飽きることなく空と景色をずっと眺めていたのだが、ふと、この速度であの太陽まで行ったらどのくらいの時間がかかるのだろうか、と思った。

 

 計算は簡単で、地球から太陽までの距離=1天文単位は約1億5000万キロメートル。新幹線の速度は時速300キロとしよう。1億5000万を300で割ると50万。つまり所要時間は50万時間である。50万時間を日に直すと約2万800日。2万800日を年に直すと約57年。答えが出ました。新幹線の速度で地球から太陽までは57年かかります。

 

 え、57年?

 

 ぼくは今45歳ですが、ぼくが生まれてからずっと、遠い遠い記憶の幼稚園、小学校中学高校、その後大人になってからの長い長い時間をこの猛烈な速度でノンストップで走り続けて、まだ全然到着できてない?? 太陽、遠すぎません???

 

 電卓は嘘をつかないし、太陽までの距離も子供のころから知っていたけれども、それでもこのスピードだったらなんとなく、まあ数ヶ月から長くて数年で着くんじゃない、と思わせるパワーが、新幹線の座席から伝わる轟音にはあった。だから、あらためて計算してみた答え=57年は衝撃すぎた。アンドロメダ銀河まで250万光年と言われてもスケールが大きすぎてどのくらい遠いのかまるでピンとこないが、いま自分が新幹線の車窓から見ている電柱や家やビルがひゅんひゅん後方へすっ飛んでいくこの速度はおそらく日常生活で体感できる最速のもの(飛行機は高高度なのでさほどスピード感がない)で、これで不眠不休で走って57年というのは、「実感」として遠すぎる。毎日見えているあの太陽が、そんなに遠かったなんて。

 

 思い起こされるのは若き日の恋。君はぼくにとっての太陽だった。あと少し、ほんの少しだけ手を伸ばせばもう君に届くような気がしていたのに、それはぼくの思い込みにすぎず、君とぼくとの間には1億5000万キロよりもっともっと遠い、はなから届くはずのない距離があったのだね…… だね…… だね……

 

 と著しく余計なことを考えてしまったのでぼくはさっさと電卓アプリを閉じ、現実に戻るべく東海道新幹線弁当の封を開け、ペットボトルの静岡茶をぐいと飲んだのであった。新幹線は小田原駅を時刻どおりに通過していた。

このアンダンテは寂しすぎるから……

 

 モーツァルトのピアノソナタK.545。誰もが知ってる有名な第一楽章アレグロに続く、第二楽章アンダンテがとてもとても好きだ。

 このアンダンテは、人生である。右手のメロディも一見明るく、左手はドソミソドソミソ。練習曲のような平明さに見えながら、モーツァルト晩年の作品だけあって、とてつもなく深い音楽であり、最初の1音から人生の終わりに秋の空を見上げるような寂寥感が漂う。ピアノ初級者でも弾けるシンプルな音符で、なぜこんな音楽が書けるのだろうか(なので、本当は初級者に弾きこなせる曲では到底ない)。

 あまりにも美しく、あまりにも寂しい。ゆえにぼくはフリードリヒ・グルダの演奏を聴く。楽譜どおり弾くと寂しくてたまらないこのアンダンテに、グルダは得意の自在な変奏と装飾音を加え、まさに夢心地の境地を音にして聴かせてくれるのです。

 人生は短く、儚いものかもしれないが、だからこそ、今の愛おしい瞬間を大切に生きなければいけない。グルダのこの演奏は、そう語りかけてくれているように感じる。相変わらずイカすぜおっさん。

結婚前夜、俺はずっとナンバーガールを聴いていた

 

 信じられないかもしれないが、ナンバーガールが最初に解散したとき、俺はまだ25歳だった。

 

 現在は45歳の夜更かしができないおっさんで、飲み会も17時集合の20時解散。「ねむらずに朝がきて ふらつきながら帰る」ことなど到底不可能なお年頃になってしまいました。

 

 25歳の俺と45歳の俺と、もちろん色々と違うが何がいちばん違うかというと、25歳の俺は独身だったが45歳の俺は結婚をしている。俺は思い出します。結婚する前の数週間、まもなく妻となる女性を助手席に乗せながら、俺は車の中でずっとナンバーガールを聞いていた。それも青春ギターポップの叙情色濃いファーストやセカンドではなく、最後のスタジオアルバムでありもっとも異形の作品『NUM-HEAVYMETALLIC』ばかり流していた。

 

 気の毒なのは妻である。まもなく夫になろうという人の運転で出発するとカーオーディオから再生一番「気をつけぇーー!!!」と奇怪な男の蛮声が響きわたり、奇怪なギターサウンドに乗せて奇怪なボーカルが「鉄の小太鼓どんしゃん鳴らし 鎖の三味線 春の声」など奇怪な歌を歌い上げる。もっと結婚ムードを盛り上げるディズニーの主題歌とか、なんかいい感じの洋楽ナンバーとかそういうのが流れてくるのかと思えば、春猫音頭だの無常節だの、私はいったい何を聞かされているのか、どういう気持ちで聞いていればいいのかと、妻は無表情のまま訝っていたに違いない。

 

 おそらく、あれは俺なりのマリッジブルーだった。25歳、若さとエネルギーを持て余し、得恋も失恋もいまだ知らなかった孤独と懊悩まっただ中の時代。その青春の記憶と分かちがたく結びついた『NUM-HEAVYMETALLIC』というアルバム。結婚という人生の一大転機を前に、束の間、あのころのomoideが懐かしくなったのかもしれない。そんな気がする。なればこそ、その青春、25歳の俺を供養するための念仏は『NUM-HEAVYMETALLIC』でなければならなかった。

 

 ギターによる焦燥音楽。断層を超えてしまった俺に、当時と同じ感覚でナンバーガールを聞くことはもうできないのかもしれない。そんな聞き手の思いを知ってか知らずか、2019年に再結成したナンバーガールは2022年冬、再び解散した。また20年後くらいに再々結成して、俺のいちばん好きな『ミニグラマー』を聞かせてくれたら嬉しいと思う。

 

 ちなみに妻とのドライブ中にはZAZEN BOYSもときどき流していますが、「パンツ!! パンツ!!」と叫ぶボーカルに妻は笑いながらヘンな歌とは言ってくれず、無表情で聞いています。

宮本浩次『縦横無尽』ツアーに行ってきた話

 

 宮本浩次の歌はすばらしい。

 

 椎名林檎をして「日本を代表する銘器」と言わしめる宮本浩次の声。強く太く、繊細で伸びやかで、なによりも、澄みわたった秋の空のような透明感をたたえるあの声。この透明感こそ、宮本浩次の歌を唯一無二たらしめる大きな要素だと、ぼくは思う。

 

 宮本浩次は嘘がつけない・嘘が歌えない男である。その不器用なまでの実直さゆえ、ときに軋轢を生んで騒動になってしまうことがあっても、それこそが彼が信頼できる表現者である証であると、ぼくは思う。

 

 だから宮本浩次は、エレファントカシマシとしてのデビューから現在のソロ活動に至るまで、もうずっと、あきれてしまうほど「たったひとつのこと」だけを歌っている。レコード会社を移籍しても、プロデューサーが入っても、打ち込みを多用しても、いかなる装飾を施そうとも隠せない圧倒的な歌の才能と存在感があり、その一点において驚くほどブレがない。宮本浩次の歌はいつもど真ん中で宮本浩次の歌である。

 

 ソロデビュー以来、スカパラ、椎名林檎、横山健らとのコラボを次々と成功させ、さらに『ハレルヤ』『冬の花』『夜明けのうた』といった国宝級の名曲を休むことなく繰り出す底知れぬ才能でソロ最初のアルバム『宮本、独歩。』を世に問い、女性ボーカル曲をカバーした2枚目のアルバム『ROMANCE』では、それまで宮本浩次を知らなかった世代にもその凄味のある歌唱力を知らしめた。ぼくの実家の父親(演歌しか聴かない)が、テレビに出ていた宮本さんを指して「こいつ、歌うまいねん」と感心していたほどだ。

 

 そして満を持して昨年10月にリリースされたソロ3枚目のアルバム『縦横無尽』。これがまた、ここへきてキャリア最高傑作を更新していると言わざるを得ない作品であった。「自信がある。聴いてくれ」のコピーは伊達ではない。

 

 1曲目『光の世界』で意外なほど静かに優しく幕を開けるこのアルバムは、初期スマッシング・パンプキンズを彷彿させる硬質サウンドの2曲目『stranger』で一気にボルテージを上げ、階段を一歩ずつ踏みしめながら上っていくようなBメロがたまらなく感動的な『この道の先で』、歌謡曲とロックミュージックの魂が融合した『浮世小路のblues』、多幸感あふれる月夜の散歩ソング『十六夜の月』と、これまた重文指定級の名曲が畳みかけるように投下され、柏原芳恵のカバー『春なのに』でようやく一息、後半も新機軸に満ちた意欲的な楽曲がテンションとクオリティを保ったまま続き、ラストの『P.S. I love you』まで一気に駆け抜ける。ぼくが千鳥ノブならアルバムの中盤でもう「ちょっと待てぃ!」ボタンを押して「お前はとんでもないもんを作ったど」と言いたいレベルである。いやー、どの曲もいいけど『stranger』本当にかっこいいすよね。

 

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 前置きがたいへん長くなったが、そんな宮本さんの縦横無尽47都道府県ツアー@三重に行ってきた。ちょっと前までは一年に一度はエレファントカシマシのコンサートに行っていたのに、遡ってみるとなんと2017年3月の大阪城ホール以来、5年ぶりに聴く宮本さんの生歌である。コロナ禍があったとはいえ、こんなに日が経っていたとは思わなかった。

 

 ライブは最高だった。どの曲が良かったとか語る気にならないくらい、良かった。宮本さんはほとんどギターを持たず、ずっとハンドマイクで歌っていた。そうだこれでいい。宮本浩次はハンドマイクが圧倒的にかっこいい。

 

 生でステージを見てやっと気づいたことがあって、エレファントカシマシのときは宮本さんがボーカルもとりつつバンドのアンサンブル全体を監修・主導しなければならないが、このツアーでは本邦指折りの手練の面々がギター、ベース、ドラムを務め、司令塔・小林武史がそれを統括することで、宮本浩次が歌だけに集中できる環境がととのえられているのだ。凄腕の演奏陣が宮本浩次という才能に全てを捧げ、宮本さんは最高の歌唱でそれに応える。そういうことだったのか! なんという贅沢な……。

 

 「ゆこう ゆこう 大人の本気で さあ立ち上がろう」

 「愛って何だかわかった日が きっと新たな誕生日」

(『P.S. I love you』)

 

 こんな歌詞を照れなく真っ直ぐに歌う55歳の宮本さんと、それがすっと胸に落ちてくる45歳のぼくがいる。あれもこれも手に入れたかった青春時代ではもうない。でも流れ流れて漂う今も捨てたもんじゃない。大人の旅路は着の身着のままがいい。本当にそうですよね。

 

 宮本さんがソロデビューすると聞いたとき、ぼくは実のところ少しだけ抵抗を覚えたものである。え、今さらソロ? と。しかし宮本浩次ソロのコンサートを見終えて今、めちゃくちゃ好きなエレファントカシマシのことを少しだけ忘れそうになっていた。いや忘れてないけど、それくらいすごいものを見せられて今でも余韻が抜けない。

 

 開演直前、1階16列の席から後ろを振り返ると、キャパ1900の三重県文化会館大ホールが3階まで満席になっているのが見えた。みんな普段の日常ではどこにいらっしゃるのか分からないが、二十代の若者から六十七十とお見受けするシニアまで、こんなにも多くの老若男女が宮本浩次の歌を必要とし、今ここに集まっている。ぼくはそれだけで、もう胸がいっぱいになってしまうくらいうれしかったのである。

 

 ステージから何度も頭を下げる宮本さんに、今更だけど感謝してるのは俺の方だぜ……と言いたかったのは、きっとぼくだけではない。

 

 浮世小路の俺たちには、真実のあなたの歌が必要だ。

 

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 P.S. 小林武史さんが思ってたよりデカくてびびった

今年買ってよかったもの

 

 趣味は銭湯とピアノとインターネットで、ときどき宮地さんがテレビに出ると喜ぶ人生を送っており消費行動をあまりやらないのですが、それでも今年はわりに色々とものを買った気がする。

 

・ニトリのLEDランタンf:id:nijinosakimade:20211231231915j:image

 寝るときは真っ暗が好きなので、夜トイレに行くときこれがあると非常に便利。明るさは三段階に調節できて間接照明としても有能。ジジイになると蛍光灯の明かりがきつく感じることがあるため、21時以降はテレビとこのランタンを灯しておくとちょうどいい感じの落ち着きになる。

 

・リカーマウンテンのおつまみセレクションこつぶピー

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 常備すべきお菓子シリーズ。とくにこつぶピーが良い。ウイスキーのお供にも最高。視界に入るとつい食べてしまうゆえ、間食の域を超えてお夕飯に影響するのが難点といえば難点。

 

・ニンテンドースイッチf:id:nijinosakimade:20211231232038j:image

 ずっと欲しいと思いつつ品薄で手に入らなかったのが近所のエディオンでひょっこり売っていたので無事入手。最新のゲームは全くやらずに初代F-ZEROとアーケードアーカイブスのスターフォースばかりやってる。

 

・セシールのブーツカットジーンズf:id:nijinosakimade:20211231232051j:image

 ブーツカットジーンズとかいう絶滅危惧種なものを愛好していて、2000年代初頭からずっとユニクロの『ビンテージブーツカットジーンズ』を履いていた。ユニクロが生産をやめてしまってからは新品が手に入らず、持っているぶんを大事に使ってきたのだが、元々が女物で股上がとても浅いのに加えて洗濯のたび少しずつ縮むことにより徐々に圧迫されてゆく金玉収納スペースに非常な危機感を覚えていた折、配偶者が見ていたセシールの通販カタログにブーツカットジーンズを発見、注文してみたところこれは俺のために作られたのかと思うほどしっくりきてしまい、毎年のように買い足して同じものを10本以上持っている。

 なので今年「も」買ってよかったもの。セシールがこれの生産を止めてしまったら本当に危機。

 

・クロックスのサンダルf:id:nijinosakimade:20211231232105j:image

 なんとなく、ウェイ系御用達アイテムのように思えて手を出さずにいた。いざ使ってみるとまあ便利なこと。

 人間工学的にもよく考えて設計されており、とにかく履きやすく、脱げにくい。多少の駆け足でもビクともしない。履き心地がほぼ靴。洗うのもラクですぐ乾く。

 廉価な類似品も流通していますが、おそらくクロックスのこの絶妙なフィット感は達成できていないんじゃないかと思う。これを買ってからスニーカーの出番が激減しました。

 

 以上、オシャレという概念が終わっているためオフの日は1年じゅう上記ブーツカットと白シャツしか着ないのですが、来年は自分に合う白シャツを色々探してみようと思います。みなさま良いお年を。

 

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おまけ……

今年買ってよくなかったもの

・H-N○XT(U-NE○Tのアダルト動画定額見放題サービス)

 エッチな動画もサブスクの時代やと登録してみたものの、気に入ったら一年中そればかりの習性につき5万本見放題のメリットがまったく活かせず、大人の事情(?)でブラウザからしかログインできない仕様も地味に面倒で、これで月額2千いくらは慈善団体に寄付したほうがええんとちゃいますかと我ながら思うに至り、解約。

 

常に正しい音に行く

 

 藤井聡太九段が竜王タイトル戦で勝利したときのAIによる悪手率分析が全4局のうち第2局〜第4局で驚異の0.0%だったらしい。無数に存在する「次の一手」の可能性の中から、常に最善手を見つけ出して打っているのだ。

 

 「まるで神様に電話して聞いたとしか思えない」。こう語ったのは大指揮者のレナード・バーンスタインである。これは藤井君の将棋ではなく、ベートーヴェンの音楽について言っている。

 

 バーンスタインいわく、

 「メロディ、ハーモニー、オーケーストレーション、ベートーヴェンはそのどれに並外れているわけではない」

 「(第7交響曲の第2楽章をピアノで弾きながら)メロディは『ミーミミミーミーミーミミミー』。ハーモニーは『Am-E-E7-Am』。子供でも書ける」

 

 では何がすごいのかと言うと、

 

 「次の音が必ず正しい音(right next note)に行く。すべてが不確定な中で、常に正しい音がきている。こんな作曲家は他にいない。モーツァルトにもできないことだ」

 

 そしてその「正しい音」ゆえに形式(form)が完璧となり、ベートーヴェンの音楽においては形式こそが全てである、と言う。

 

 「まるで次の音をどうすべきか、天国の神様に聞いたとしか思えない。彼が自らを追いつめ、苦闘した成果なのだろう」

 

 将棋の話で言えばベートーヴェンの悪手率も0.0%であり、最初の音から最後の音まで常に最善手が選ばれていることになる。なるほど興味ぶかい。そういえばこの人の音楽は一聴すると特になんということはないのだが、あとからじわじわすごさが分かってきた体験が何度もある。

 

 もちろんベートーヴェンの部屋に神様への直通電話などなかったはずなので、ああでもないこうでもないと気が狂いそうなくらいの推敲の積み重ねを繰り返し彼は「正しい音」を探し続けたのである。日常を生きていると悩ましいこともまあそれなりに多々あるけれども、ベートーヴェンの苦闘に比べればまだ全然たいしたことはないな、と思う今日このごろであった。

 

 ※ぼくが見たのはもちろん日本語字幕つきでしたが……

けっきょく南極宮地さん

 

 さる9月16日深夜、わたくしの推しである宮地眞理子さんがMBSラジオの生放送番組『あどりぶラヂオ』でパーソナリティを担当されました。100分間、CMなしで曲を挟みつつ宮地さんが喋りっぱなしという、ファンにとって空前の贅沢コンテンツでした。

 

 あらためて考えてみると、彼女が主たる生業としているリポーターという職業の性質上、宮地さんが自身のパーソナルな部分について語る機会というのは、意外なほど無かったわけです。住人十色やミステリーハンターとしてのロケでも、宮地さんの仕事はあくまで取材対象を立てることであり、「私が私が」を出すことではない。宮地さんもそのあたりを非常にわきまえておられて、著書である『地球のふしぎを歩こう』も、おおむねそのスタンスで執筆されています。

 

 でもファンとしては、宮地さんが今ハマっていることとか、こんなおいしいものを食べたとか、面白い映画を見たとか、時々はそういうエピソードも発信してほしいなという欲求はやっぱりあるわけです。

 

 あの『さんま御殿』にゲストとして出演したときですら、男女の話がテーマであったにもかかわらず(オンエアされた部分を見る限り)明石家さんまが投げてくる針をうまーくかわし、私生活を匂わせるようなトークはほぼ回避していました。もっとも、宮地さんのような人が男女問わずモテないわけはないので、彼女が生々しい恋愛話を一切しないのは我々ファンの心情に配慮したサービスであり優しさだとぼくは勝手に思っていますが。

 

 なので、珍しく宮地さんの口から近況や趣味嗜好が聞けた今回のラジオはものすごく満足度が高かった。冒頭、「近況なんですが、私、今年の5月で、なんと……」と溜めが入ったときはドキッとして、もしや「人妻になりました」か!? と、いっしゅん心の準備も決めましたが、違いました。5月から通信制の大学に通い始めたとのこと。いや、もし結婚報告だったらそれはもちろんめでたい話なんですけども。

 

 前半は学校での勉強内容とボイストレーニングと大好きなお酒の話題がひとしきり、番組後半はミステリーハンターの本分として今まで訪れた海外での体験談いろいろ。とくに南極ロケでアルゼンチンの調査隊に同行した際、めちゃくちゃモテた(いわく「空前絶後のモテ期」)話は、笑ってはいけないけど笑ってしまったのですが、『地球のふしぎを歩こう』にも書かれていない面白エピソードなので、ここで詳細を書くのはやめておきます。いつかまた別の機会で宮地さんが語ってくれるでしょう。

 

 番組で読まれたお便りにもありましたが、宮地さんの声はとても落ち着くし、トークも上手だし、深夜に聞いてるとこのまま夜が明けないといいのにと思うくらいいつまでも聞いていられます。定期的にラジオにも出てくれたらうれしいな。

 

 ※これを書いている途中に知ったのですが『あどりぶラヂオ』はなんと今日で最終回らしい。