働く女性を足元から支えているパンプス。高いヒールは履く人を美しく引き立てる半面、相性が合わないときは痛みや出血、さらには足の変形まで引き起こす“凶器”に一変します。靴メーカー勤務などを経て、痛い靴をなくすために起業した松本久美社長へのインタビュー第2回は、フィッティングサロン経営から見えてくる靴と心身の関係、さらに“痛い靴ゼロ”に向けた松本社長ならではの戦略がテーマです。(《上》編はこちら)
【プロフィール】
松本 久美(まつもと・くみ)
1977年大阪市生まれ。大阪モード学園ファッションデザイン学科卒業後、地場の靴メーカーに就職。デザインや生産管理などに通算13年間携わる。この間に勤務先が4回倒産するなど不安定だった業界に限界を感じてIT企業の営業職に転じ、その後知人らの起業に触発されて「靴」をテーマにした事業での独立を決意する。大手企業による起業支援プログラムに選ばれた2015年、東京で「株式会社シンデレラ」を設立して代表取締役に。「シンデレラシューズ」の名称でフィッティングサロンを開くかたわら、ITの活用で靴と人のマッチングを効率化するサービスの開発を進めている。
美しさと危うさ。高いヒールは“諸刃の剣”
-ヒールの高いパンプスを履いて仕事をしている女性の多くが、つらい痛みに悩んでいるというお話を前回うかがいました。それほど大変なら無理に履かなくてもよい気がしますが、そもそも女性はなぜ、ヒールの高い靴を履くのでしょうか。
なかなか説明が難しいところです。確かにヒールの高い靴はラクではないし、ずっと履き続けるのは体にも悪いです。ヒールの高さが7㎝ある、かなり履きづらいタイプのパンプスを仕事で常用している私も、休日出かけるときはほとんどスニーカーです。
ただ「たとえ痛くても、ヒールのある靴を履きたい」とこだわる女性の気持ちにも、きちんと理由があります。靴のヒールによって、履く人の気分と印象は、かなり大きく変わるのです。
ヒールがない、ぺたんこの靴を履いている女性は、周囲にリラックスした印象を与えます。ですから仕事のときは失礼がないように、ヒールのない靴を避けている人も多いと思います。男性がネクタイを締めるべきか気にする場面に近いかもしれません。欧州では最近、オフィスの女性にヒールのある靴を義務づけても許されるかどうかという論争もありました。
ヒールがある靴を選んだ場合も、ヒールの高さがどの程度かによって、見た目はまた全然違ってきます。単純にヒールのぶんだけ背が高くなるのはもちろんですが、例えばヒールが7cm以上のパンプスは、ほぼつま先立ちに近い姿勢になります。ふくらはぎは上に押し上げられ、腰から背中のラインは大きく反り、肩はしっかり開くようになる。こうなると、全身の重心が上がってスタイルがよく見えるだけでなく、腰が反ったことによって体の曲線が強調されるので、とても女性らしい印象になるのです。
あとは、外国のモデルや女優で、ふくらはぎの横に深い縦筋が入っている方がいますよね。これは「前脛骨筋(ぜんけいこつきん)」や「ヒラメ筋」などという、高いヒールの靴を履くと発達する筋肉によってそう見えるのです。「かっこいい」と憧れる女性もいますが、ここまでくると相当無理な姿勢を重ねているので、キレイに履くためには筋トレや、履いた後の足のマッサージといった日々のケアも大切になってきます。
-高いヒールは、歩きやすさや健康と引き換えに、全身の美しさを引き立てるのですね。
そうですね。デザインより履きやすさを優先したコンフォートシューズも出回っていますが、若い女性が重視するのはファッション性ですから、歩けなくなるくらいのトラブルでも起きない限り、そうしたラクな靴には見向きもしません。靴のフィッティングにしても、見た目には直接関係しないので、合わない靴を履き続けて足が変形し、どうにもならなくなった人がようやく関心を持つといった状況が長く続いてきました。
なので、私は女性に興味を持ってもらえるように、ファッションの切り口からフィッティングを提供しています。お気に入りの一足で自信が持てたり、高いヒールで気合いが入ったりといった、メンタル面での靴の効果は、決して小さくありません。だからこそ、おしゃれな靴を思いきり履いてもらいたいのですが、そのとき足にかかる負担は最小限に留めたい。多くの人がぶかぶかの靴を、しかも血を流しながら履いているという現在の悲惨な状況から、少しでもよくしていきたいのです。
これからの靴の買い方とは
-会社を設立した2015年に発表した「バーチャルシューフィッティング」は、スマホアプリで足の写真を撮るとぴったりの靴が紹介されるというアイデアが注目されました。国内外の通販企業も開発を発表するなど、ITを利用した靴のマッチングサービスが注目されるなか、バーチャルシューフィッティングの開発状況はいかがですか。
足と靴を採寸したデータから「ぴったり度」を割り出すプログラムの完成に向けて、現在も実測データの収集を続けているところです。近いうちに、ネットでぴったりの靴が購入できるサービスをスタートさせます。開発を進めていく中で初めて分かったことも多く、詳細はまだ明かせませんが、当初発表したコンセプトとは少し異なったものになる予定です。
通販企業の動きにも注目しています。「購入前に試し履きできない」というハンデがある靴のネット通販は現在、送料無料で靴の返品に応じるといった大きな負担を強いられています。こうした返品をなくすため、靴とのマッチングをオンラインのサービスで提供しようと考えるのは自然な流れですが、靴づくりとフィッティングを経験してきた私の考えでは、そう簡単にはいかないように思います。
-それはなぜですか?
「利益相反」が生じている、つまり靴を数多く売ることと、足に合わない靴をマッチングで弾くことが矛盾しているからです。売上目標がある中で、やればやるほど提案の選択肢が減っていくマッチングを両立させるのは相当難しいはずです。高級ブランドの店員が、取り扱う靴について基本的な知識さえ教わらない(上編参照)のと似た問題です。
足の形や、靴の内部の形状を3次元でスキャンする技術は既にあるので、技術的にはいずれ、足と靴との間で高精度のマッチングが可能になると思います。でも、こうした技術をそのまま応用するとビジネスは成り立たないでしょう。というのも、足のサイズは同じ人の左右でも微妙に異なりますが、既製靴は左右対称に同じサイズで作っていますから、本当に厳しい基準でマッチングをすれば「あらゆる既製靴が、誰の足にも合わない」という結果になるからです。
マッチングの“合格ライン”を少し下げることも考えられますが、それだけでは買う人の信頼を失いかねませんから、例えば「フィッティングで微調整を受けられるオプション」などが用意されるのかもしれません。
「木型」から靴業界を変える
-痛い靴をなくすため、靴のフィッティングやマッチング以外の事業も計画しているそうですね。
はい。かなり先になりそうですが、靴メーカー向けに資材を販売したいと考えています。特に、靴のフォルムを形づくるときに使う「木型」と呼ばれるパーツを、さまざまなサイズで提供できるようにしたいです。
(写真)靴を形作るベースになる「木型」。もともとは木製だが、量産靴の生産では「プラスチック製の木型」を使うことが多い(写真提供:株式会社シンデレラ)
-なぜ木型なのですか。
木型は靴のかたちを決める土台になるもので、履き心地を研究したノウハウが詰まっています。そのため、木型のメーカーが社内で受け継ぐ“企業秘密”のようになっていて、シーズンごとに靴のデザインが変わっても、使う木型はそのままということがよくあります。
木型を新たに起こしてパンプスをつくるには、ヒールや底材といったパーツもそれに合わせて全部変えなくてはなりません。こうした変更には現在、非常に手間と費用がかかっていて、それを回収するために新しい木型を数百台用意し、数千足単位で靴を量産しています。決して大きな市場が見込めない特殊サイズの靴も量産しなくてはならない現状で、手がけられるのは「小さいサイズ」「幅狭」などに特化した専門メーカーだけ。なので、こうしたサイズの人は靴選びの選択肢がかなり限られてしまっています。
シンデレラシューズは、フィッティングサービスで得られた足の測定データを持っています。データをもとに、さまざまな特殊サイズに対応した資材を準備しておき、わずかな数量から木型を買えるようにすれば、現在大手の下請けをしているような小さい靴メーカーが自社製品として特殊サイズを手がける後押しができます。多様なサイズの靴が市場に出回れば、「痛い靴」で悩む人も減らせると考えているのです。
-これもユニークな発想ですね。思いついたきっかけは何ですか。
靴業界からいったん離れ、IT業界で営業職をしていたときの経験がベースになっています。無料で使うことができ、改造も自由にできる「オープンソース」のソフトウエアを初めて知って「なんて太っ腹なんだ」と感動したんですよ(笑)。多くの開発者が加わるので、ひな形や追加機能がたくさんそろっていたのも便利で、情報をオープンにする仕組みの大切さを実感しました。それを靴の世界にも応用したいと考えたんです。
-もともとはデザイナーで、現在はすっかり経営者。今もデザインはしているのですか?
いいえ。よほど余裕ができたら再び始めるかもしれませんが、今はフィッティングで多くの方の足に直接触れることや、広い視点で経営を考えることのほうが楽しいですね。
5年前の自分自身でさえ、こういう形で仕事をすることになるとはまったく予想していませんでした。興味は変わっていくものです。足と靴のマッチングは、いろんな人がチャレンジしてもなかなかうまくいかないだけあって難しいことばかり。けれどもそこが面白くてのめり込むところで「絶対にこうだろう」という思い込みと正反対の事実が、現場で明らかになることもあります。どれだけ潜んでいるのかさえ分からない足と靴の謎を、今は少しずつ解き進めているような心境です。
《下》に続く
撮影協力:31VENTURES Clipニホンバシ
WRITING/PHOTO:相馬大輔