【解説】日本はなぜ「弱者男性」を生み出したのか
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注目のコメント
この記事で取り上げた伊藤昌亮教授の「曖昧な弱者」論、とても興味深いので、ぜひ読んでみてください。
女性活躍のように、「属性で括ることができて、これまで(男性より)差別されてきた人たち」は、その分かりやすさから救いの手を差し伸べやすい。一方、ここでいう弱者男性のように、属性で括れない曖昧な存在を救うのは難しい...... 。まさにご指摘の通りだなと。
社会のマジョリティだった男性の中で、いわゆる「勝ち組」とは違う生き方を強いられた弱者は、どこに希望を見いだせばいいのか。この問いへの答えが、取材をした2人の社会学者ともに「特効薬のようなものはない」というものだったことからも、根深い問題なのだと思わされます。
変化の渦中にいるときは、「変わっていること」に気づかない。私自身が40代で、この記事で取り上げた社会構造の変化を体感してきたからこそ、その恐ろしさを再認識しつつ、次の世代になるべく負の遺産を残さないような議論ができればいいなと思いました。なんというか全般的に
「それってあなたの感想ですよね」感がハンパないです。
自分の仮説ありきで、それに整合するデータを見つけては
喜んでそうな感じの意見で、途中で読むのやめました。
ネットみたいな限定された情報を室内でぬくぬく見てるんじゃなくて、
フィールドワークで地道に情報収集してほしい所ですが、
そういうのコスパ悪いから嫌なんでしょうか。
日本の文系学者はなんでコレ系が多いんだろう。
ファクトフルネスを100回ぐらい読んでほしいです。そもそも受験中心のインプット型教育が、「コミュ力や非モテ問題」に大きく影響していると思います。
欧米では、アウトプット型教育が多く、学生達自ら意見を言ったり、グループワーク、健全なディベートだったりと、自ら自然とアウトプットするという教育環境により、コミュ力を高め、自分をどう表現するかの経験量が、日本よりはるかに多く機会があります。
教育自体を変えていくのは、容易ではないと思いますが、一人ひとりの個性が輝く社会が、明るい未来につながりますね。私も弱者男性の一人ですが、弱者男性にはかつての女性たちのように手を差しのべるべき存在ではないと思いますよ。
手を差しのべて、「あなたの為だから、頑張って恋人見つけて、結婚して子供作ろう?」とか言うんですかね?笑
もしそうならば、バッカじゃねえの笑って思ってしまう。
結婚とか家庭を作ったりとかって、究極は「自分のため」だけじゃ成立しないでしょ?
大事な人のため、大好きな人のため、回りの大切な人のため、そういうのが無ければする意味が無いですよ。
社会からの補助があるとか、ノウハウを教育するとか、そういう問題とは全然違うんですよ。
今のような社会になってしまったのは、そういう「自分以外の大事な人」っていうのが全然見つからなくなってしまったし、分からなくなってしまっているからじゃないでしょうか?
本当に様々なモノ・価値観が自由になりすぎて、自分にとっても周りがどうでも良いものになり、周りにとっても自分がどうでも良いものになった。
そこからどう考え直したらいいかって思考にならないと、それより表層的な、金がどうのとかファッション知識がどうのとかのやり方だけじゃ、ちっとも何も良くならないと思います。
何か凄い考え方が甘いし子供っぽすぎるかもしれないですが
だから施しとかはもうホント、いらないです。
情けない気持ちになるだけ。アメリカに象徴されるような単なる経済的格差拡大とは異なる、日本独自の背景がある、と受け取りました。ただ「曖昧な弱者」と言っているだけあって、その主張の論拠やデータもやや曖昧に感じます。
データにもとづいて示されているのは、男性の生涯未婚率が、女性以上に大きく上がり続けているということのみ。それだけでいけば、幸せの基準や尺度が変わってきたということも大きいポイントであるようにも感じます。
90年代にPACS制度=民事連帯規約を導入して婚外子を認めるようになったフランスでは、婚外子の比率が5割近く(スウェーデンでは6割近く)まであがって出生率も大幅に上昇。日本も、雇用だけでなく、福祉の制度や家族・婚姻の考え方について、思い切った改革を検討してみるべきなのかもしれませんね「アニメ美少女」は個人的に何が良いのかサッパリ分からないのですが、昔ながらの女性像が投影され一定数の中で「神格化」したものと捉えると、なるほどと思います。
こうやって1本のストーリーとして見ると、「失われた30年」は経済だけでなく、人としての“尊厳”や“心の向け先”まで影響を及ぼした。
末尾にある伊藤教授の「差別」と「排除」との違い(下記引用部)を読むと、イスラエル問題級に複雑で根深い問題を認識させられます。
※「さよなら、おっさん」を掲げた某媒体と当時の編集長は猛省すべきではないかと思います。
■記事引用
何度か述べた「差別」と「排除」の違いで言うと、差別は属性の問題なので、誰を救うかという解消に向けたアクションを起こしやすい。
一方、社会的に排除されてきた人たちを救う運動は、属性ではくくれないからこそ起こりにくいのです。これが、曖昧な弱者問題で最大の課題でしょう。
彼らが承認を得られる機会や、自己肯定感を高められる場を、どこにどう作るか。今は、日本はこの問題で課題先進国になり得るとしか言えません。
追記
某PROが欧米と比べて日本のインプット型教育に問題がある旨をコメントされています。私の兄の息子は今まさにNYの公立中高に通っていますが、日本よりインプット型ですよ。メチャクチャ大変そうです。私自身もそれを聞いて驚きました。
