ヒトラー政権は普通選挙で誕生した。大衆社会はなぜナチスを支持したのか?
衆議院選挙が10日公示されました。与野党が互いの政策を大衆迎合のポピュリズムと揶揄する場面も出るなど、政権を決める選挙戦では、その行方を握るのは、わたしたち有権者と呼ばれる一般大衆です。 しかし、大衆とは、そもそも何者なのでしょうか。そして大衆心理とはどのようなものを指すのか。 帝京大学文学部、大浦宏邦教授が「大衆心理からみる現代社会」をわかりやすく説明します。1回目は、普通選挙が実施されるようになった大衆社会の幕開け期にドイツで起こったナチス・ヒトラーの台頭とそれを支持した人々のパーソナリティの特徴を取り上げます。 ----------
最近は社会が不安定になっているなあと思わせる出来事が増えています。イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ大統領の当選、フランスのマクロン大統領を支持する政党の躍進などは記憶に新しいところです。 こうした出来事の背後には大衆心理の動きがあることが予想されます。ここでは大衆心理を切り口として、現代社会のさまざまな問題を見ていくことにしましょう。
1 ナチスの台頭と大衆心理
大衆心理が注目されるようになった一つのきっかけは、ナチスによる政権の奪取でした。1919年、わずか24名で結成されたナチスは13年後の総選挙で第1党になり、1933年にはヒトラーが首相に指名されて政権の座につきます。ヒトラーは独裁者のイメージが強いのですが、政権の奪取自体は大衆の支持を得て選挙を通じて実現したのでした。なぜ、ナチスは多くの人々に支持されたのでしょうか。この問題意識が大衆社会を研究する原動力となってきました。 大衆という言葉は、もともとは仏教の用語で、指導者である導師に従う大勢のお坊さんを意味しました。仏教用語としては「ダイシュ」と読みます。これが転じて指導者に従う一般の人々を示す用語になりました。大衆というのはある意味、「その他大勢」だったのですね。ところが、20世紀になって普通選挙がはじまると、政治家は大衆の支持を獲得しないと、その地位を保つことができなくなりました。こうなると、「その他大勢」だった大衆が社会の主役を演じるようになります。このような社会が大衆社会です。 イギリスでは1918年、日本では1925年に男子の普通選挙が始まりました。ドイツでは1919年に女性も含めた普通選挙が開始されます。ナチスの台頭は、大衆社会の幕開けと同時期に起こった現象だったのです。 当時のドイツは1914年から1918年までの第一次世界大戦に敗れた直後でした。大戦の終盤にはロシア革命がおこり、ソ連が誕生しています。ドイツでも戦争末期に革命が起きて皇帝が退位し、ワイマール共和国が発足しています。1919年にはベルサイユで講和会議が行われ、ドイツは1320億金マルクという、当時の国家予算の20年から40年分とも言われる巨額の賠償を飲まされました。こうして民主化はしたものの、経済的には多くの人が苦しんでいる時期に、ナチスが勢力を伸ばし始めます。 ナチスはドレクスラーという電車の修理工がつくった政党です。やがて演説のうまいアドルフ・ヒトラーが党首の座につき、指導者の地位を確立します。ドイツが第一次世界大戦に敗れたのは、ユダヤ人や共産主義者が革命を起こしてドイツ軍を後ろから撃ったためだと訴え、<民族の敵>の排斥を主張しました。ヒトラーの演説で最も盛り上がったのは、この「背後からの一撃」伝説や、ユダヤ人商人が大もうけしてドイツ人が苦しんでいるという「ユダヤ人の陰謀」を非難したくだりだったといいます。 ヒトラーはユダヤ人の脅威に対して、今こそドイツ人が団結してドイツの栄光と繁栄を取り戻さなければならないと叫びました。ユダヤ人の脅威とドイツ人の団結。これが、ヒトラーが繰り返し、繰り返し訴えた内容です。特に1929年のアメリカの大恐慌がドイツに波及して、600万人の失業者が街にあふれるようになると、多くの人々がヒトラーの主張に引き付けられていきました。こうして、ナチスは1930年の総選挙で第2党に躍進し、1932年には第1党に躍り出てヒトラーの首相指名が実現していったのです。 このとき、どのような人たちがナチスを支持したのでしょうか。資本家や軍人といった、当時の支配層が支持層だったわけではありません。彼らは第一次大戦前の帝国党の流れを汲む政党を支持していました。工場の労働者や農民たちもナチスの主な支持基盤ではありませんでした。もちろんナチスに投票した人もいましたが、どちらかというと彼らは共産党を支持していました。1932年の総選挙で共産党は第2党になっています。 ナチスを主に支持していたのは、自営業の方やサラリーマン、役人、給料の高い熟練労働者といった中産階級の人たちでした。なぜ、中産階級の人たちがナチスを支持したのでしょうか。エーリッヒ・フロムという社会心理学者がこの謎に挑んでいます。彼は、当時の中産階級の人たちにインタビュー調査を重ね、その結果を『自由からの逃走』という本にまとめました。