コロナから復活した96歳認知症の父。電話攻撃に辟易していると、父は「久美子多忙 TELしないこと」とメモしていた
2025年1月18日(土)10時0分 婦人公論.jp
イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、96歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。
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前回〈96歳認知症の父、六花亭で誕生日を祝われて喜ぶ。その後、コロナに感染して発熱、待合室で失禁をしてしまい…〉はこちら
父、再び奇跡の復活
2024年9月の半ば頃、父はコロナに感染して熱が出た。病院から老人ホームに連れて帰ったが、5日間家族の面会は禁止だという。熱で朦朧とした状態でトイレに行くと転倒の危険があるため、父は紙パンツをはくことになった。意外にも、父は「いやだ」とは言わなかったとホームの担当者から電話で報告を受けた。
翌日から私は父の携帯に電話して様子を聞くことにした。
「パパ、おはよう。熱はどう?」
「おはよう。今朝は熱が下がって、平熱だった。お医者さんが出してくれた薬、すごく効いて、早く治ってよかった」
父の予想外に元気な声に驚いた。96歳という年齢から考えて、コロナ罹患をきっかけに寝たきりになるのではと、私はある程度覚悟していた。遅かれ早かれ、そうなる日はくるはずだ。
ところが、父はいつもと変わらぬ口調で言う。
「おなかすいたな」
「え? 今、9時だよ。朝ご飯は食べたんでしょう?」
「あぁ。5日間は食堂に行けないから、俺の分はお盆に載せて持ってきてくれるけど、一人だと食欲がわかなくて少し残した」
黙って昼を待てばいいのにと思ったが、食欲が出てきたのは回復の兆しだから嬉しい。差し入れてほしいものを聞いてみた。
「何か食べたいものはある?」
「あんぱん」
「じゃあ受付の人に渡しておくね」
仕事が忙しい時期に重なり、毎日行くのは無理だったが、5日間で届けたものは、チョコレート、ぬか漬け、納豆、かりんとう。最後に届けに行った時に受付の人から報告があった。
「明日の朝から食堂でお食事してもらえますよ。デイサービスは明後日から再開です」
コロナから奇跡の復活だ。軽くてすんだことがありがたかった。
面会解禁日、父はバースデーソングを口ずさんだ
毎週水曜日に私はラジオ番組のパーソナリティーをしていて、午後からゲストと打ち合わせをして本番に臨む。次週のミーティングをして帰宅する頃は、父は食堂で夕食をとる時間に当たるので、老人ホームには寄らない。しかし、5日ぶりだし、その日は私の誕生日だから行きたかった。
現役時代父は広告代理店に勤めるサラリーマンだった。担当していた企業のひとつに札幌中心部の老舗ホテルがあった。そこに営業に行った日は、ケーキショップで売っている洋菓子をお土産に買ってきてくれた。
イメージ(写真提供:Photo AC)
父も元気になったことだし、私はそのホテルのショートケーキを買って持って行くことにした。
夜、6時半。ホームの父の居室をノックすると、父の足音が聞こえてきた。私の顔を見て、父は言った。
「今日は来られない日じゃなかったか?」
「うん、でもね、私の誕生日なの。一緒にケーキを食べようと思ってね」
部屋に籠っていたせいか、心なしか父の背中が丸くなっている。ベッドに腰掛けた父の顔を見たら、肌が少し乾燥しているように見えた。
「お風呂に入れなかったから、熱いタオルで顔を拭いてあげようか?」
「そうだな」
父は私にされるままに目を閉じて、気持ち良さそうな顔をした。
「洗面台にぬるま湯を溜めたから、手は石けんをつけて自分で洗ってくれる?」
父が石けんを泡立てている間に、私は居室内のトイレをチェックした。紙パンツの袋が便座の横に置いてあるのだが、数枚しか減っていない。
「パパ、もう紙パンツ使っていないの?」
手を洗い終えてベッドに戻った父は当然のように言う。
「あぁ、俺はちびらないから、紙パンツははかない」
「へぇー、偉いね」
なぜか父は急に不機嫌な声になった。
「いちいち褒めるほどのことではない!」
ホームに入る前、どうでもいいことで父と随分言い合いをして、私はエネルギーを使い果たした。こういう時は話題を変えるのが一番だ。
「ケーキ食べようよ」
箱を見て父は気付いたらしい。
「俺が担当していたホテルのケーキか?」
うなずく私に、父は思い出を語り出した。当時の支配人が立派な人だったとか、中華のレストランのザーサイがおいしかったとか。昔のことを生き生き話す父の頬は、赤みを帯びてきて、コロナで寝ていた期間に失った精気を取り戻したように見えた。
紙皿にショートケーキを載せて渡すと、父は「ハッピバースデーツーユー」と口ずさんでくれた。それから一口ケーキを食べて言った。
「あのホテルの味がする」
ケーキの向こうに、若くて颯爽と仕事をしていた父の姿を見た気がした。
父のハイテンションに私は疲れる
翌日の夕方ホームに行くと、父は1週間ぶりにデイサービスに行き、お風呂にも入ってすっきりした様子だった。大相撲秋場所をやっているから、テレビ観戦が暇つぶしになるし、プロ野球は優勝戦線真っただ中で、寝るまで楽しい時間が続く。
父の新聞のテレビ欄に、見たいテレビに〇をつけてあるのを発見すると、チェックする能力と気力が失われていないことにほっとする。
「パパ、最近すごくしっかりしているね」
褒めたつもりだったのに、父は気を悪くしたらしい。
「俺は昔からしっかりしている」
子育てなら褒めて育てるほうが能力を伸ばすと言われているが、気まぐれな年寄りは扱い辛い。認知症になってから短期記憶が弱くなっているのに、父はそれを自覚していない。例えばこんなふうだ。
私が「昨日のケーキ、おいしかったね」というと、一瞬遠くを見る目をして戸惑った顔をしてから、取り繕う。
「男は過去を振り返らない。昨日のことは忘れた」
昨日私はせっかく高級なケーキを買ってきたのに、忘れられたのはなんとなく寂しい。
「ハッピバースデーツーユーって歌ってくれて、一緒に食べたでしょ」
「え? おまえ誕生日だったのか?」
「そうだよ」
「いくつになったんだ?」
「68歳」
「あと2年で古希か。俺も歳を取るわけだ……」
ユーモアと認知症の取り繕い症状が入り乱れ、私は父の本当の姿がわからなくなり、最近対応にすごく疲れを感じている。
電話魔の症状が始まった
大相撲秋場所が終わり、プロ野球のシーズンが終わると、父はたちまち私への依存度が高くなってきた。できる限り老人ホームに行って、一日平均1時間半位話し相手をしているのだが、仕事で行けないと、頻繁に電話がかかってくる。
人は誰でも無視されるのが一番辛いと私は思っているので、なるべく電話をとる。イラッとした時は深呼吸してから、できるだけ優しい声で話す。
「どうしたの?」
「どうもしない。暇だからかけた。おまえも暇だから電話に出たんじゃないのか?」
父にそう言われると、カッとしてしまう。
「あのね、私は暇ではありません。今も原稿を書いていました。締め切りで、時間に追われているんです!」
「じゃあ切るわ」
私が構ってくれないことにいじけた父は、ブツッと電話を切った。
1時間後、また父から電話がかかってきた。今度こそ冷静に受け答えしようと、私は淡々としゃべった。
イメージ(写真提供:Photo AC)
「何かあったの?」
「いや、何もすることないからかけた」
「私は仕事をしているんだよ。それでも、96歳の親から電話がかかってきたら、何かあったのではないかと気になって電話に出てしまうでしょ」
父は絶妙な切り返しをしてきた。
「バカだな。心臓か脳が急に悪くなったら電話できないだろう。電話するのは元気な証拠だ」
ああ言えばこう言う父に怒りが爆発した。
「パパ、今日は、今の電話で10回目だよ! 用事がないなら電話しないで!」
父は悲しそうな声で言った。
「そんなに迷惑なら、もうしない」
親に冷たくした後味の悪さが、一日中私の胸に残った。
メモを見て悲しくなった
翌日は、仕事の時間を調整して3時のおやつを持ってホームに行った。トイレの手すりにトランクスが1枚かかっているのを見つけ、私は父に訊ねた。
「あ、濡れちゃった?」
「そうかもしれないけど忘れた」
バケツに酸素系の漂白剤を入れて除菌してから、洗濯物籠にいれなければならない。少しずつ粗相の回数が増えているのは、年齢的に仕方ないことだ。別に責めているわけではないのに、父は負けじと言い返す。
「この歳までオムツを使わず、自分で歩いてトイレに行って、俺は子ども孝行な親だ。一人しかいない親に文句を言うな」
文句を言っているのではなく、トランクスを濡らしたかどうか聞いただけだ。変に頭の回転がいいところがある父は、このように切り返してくる。家で世話をしなくなって随分介護は軽減されているのに、心にうまく寄り添ってあげられなくて苦しくなる。
父の携帯の履歴を見た。発信も着信も私の名前が並んでいる。横で父が携帯の画面を見て言った。
「友達はみんな亡くなった。電話できるのはおまえだけだ。履歴を全部削除してくれ。履歴が残っているとそれを押してかけてしまうから」
切ない気持ちを抑えて、私は淡々と通話履歴を削除し、ベッドサイドのテーブルの上に携帯を置いた。その時、テーブルにあるメモに目をやって、書かれていた言葉に胸が詰まった。
「久美子多忙 TELしないこと」
(つづく)
【漫画版オーマイ・ダッド!父がだんだん壊れていく】第一話はこちら
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