月影

日々の雑感

既成概念をぶち壊す!一休禅師の型破りな和歌の世界

はじめに

一休禅師といえば、とんち話で有名なアニメ「一休さん」を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、実在の一休宗純は、室町時代の禅僧であり、鋭い社会風刺とユーモアを込めた和歌を数多く残した歌人でもありました。

本記事では、一休禅師の和歌の中から特に痛快なものをいくつか紹介し、その背景や解釈を通して、型破りな禅僧・一休宗純の真実に迫ります。

1. 釈迦への痛烈な皮肉

一休禅師は、仏教の開祖である釈迦に対してさえ、痛烈な皮肉を込めた和歌を詠んでいます。

釈迦といふいたずらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな


「釈迦といういたずら者が世に現れ、多くの人々を惑わせていることだなあ。」

解説
この句はとても面白いですね。これに関連して一休さんは以下のようなことを言っています(注1)。

「釈迦一代の経典は、すべて人間を傷つけるためのものである。ああ、憎らしい釈迦よ。 色々と嘘をつきおった。」

「釈迦が出山の時、『一仏成道、観見法界。草木国土、悉皆成仏』と言った。草木さえ仏になるのだから、人間は言うまでもなく仏になる。釈迦も阿弥陀も仏だと言った。釈迦に嘘をつかれたと歌ったり踊ったりするのも仏の教えだ。柳は緑、花は紅色、ああ面白い春の景色だなあ。ああ面白い春の景色だなあ。」

「人間は、永遠に迷いの身に住していると分かれば、また、歌ったり踊ったりすることも仏の教えである。」

これは、人生の苦しみや迷いから解放されるためには、仏道修行だけでなく、芸術や娯楽を楽しむことも大切であるという、一休禅師らしい自由な発想を示しています。

 

2. 仏法の本質を問う

一休禅師は、仏法の本質についても鋭く問いかけています。

仏法はなべのさかやき石の髭 絵にかく竹のともずれの声

「仏法なんてものは、鍋の剃り跡や、石の髭、絵に描いた竹が擦れ合う音のようなものだ。」

解説

この歌は、一休さん蜷川新右衛門という人から「仏法とは何か」と尋ねられ作った歌のようです。仏教を、鍋の月代、石の髭、絵の竹の音のように実際に存在しないものに捉えてはいけない。つまり、真の仏法は、言葉や概念を超えたところにあり、体験を通してのみ理解できるということを示唆しているのでしょう。

  • なべのさかやき(鍋の月代)
    鍋の底にある、剃り跡のような模様。さかやきは月代(男性の頭の剃り上げた部分)。

  • 石の髭(いしのひげ)
    石に生えている髭。

3. 死を悟りの境地として捉える

一休禅師は、死を恐れるどころか、悟りの境地へと至る道として捉えていました。

雪の降る日引導せられし時、鍬の先抜けけるに詠める
三界のくは抜け果てて今こそは 浄土の道にゆきぞかかれる

この和歌は、一休宗純が「雪の降る日に引導(法要や葬儀で死者を成仏へと導く儀式)を受けた際、鍬(くは)の先が抜けたこと」に対して詠んだもの。

「この世(三界)の束縛がすべて取り払われ、今こそ私は浄土への道を進むことができるのだ」

解説

この歌には、一休の「生死を超えた悟り」の境地が表現されています。彼は、死や世俗の苦しみにとらわれることなく、すべての執着が消えたことで、浄土への道に進むことができると達観しているのです。また、雪の降るという情景は、浄化や無垢といった象徴的な意味を持ち、一休の死生観や禅の思想を色濃く反映しています。

• 「三界(さんがい)」とは、仏教でいう「欲界・色界・無色界」の三つの世界を指し、迷いや執着に満ちた現世を象徴します。

• 「くは抜け果てて」とは、鍬の先が抜けたことを、煩悩や執着が断ち切れたことにたとえています。前文の鍬の先が抜けたというのは、葬儀の時、墓穴を掘る際に掘っていた鍬の先がぬけたことで、それにかけています。

• 「今こそは浄土の道にゆきぞかかれる」は、現世の執着を捨てたことで、ようやく浄土への道を歩むことができるという意味です。

 

4. 念仏の真意を問う

一休禅師は、浄土宗の教えである念仏についても、独自の解釈を示しています。

京都の百万返(百万遍)(注2)で一休さんがお話ししているところにある人が供物を持ってきて、次の歌を詠んだそうです。

一念弥陀仏(いちねんみだぶつ) 即滅無量罪(そくめつむりょうざい)増て(まして)百万返(ひゃくまんべん)をや

「ひとたび心から阿弥陀仏を念じれば、すぐに全ての罪は消滅する。ましてや、百万回も念仏を唱えたなら、どれほどの功徳があることか。」

説明

この言葉は、阿弥陀仏への信仰が持つ絶大な功徳を強調したものです。仏教、特に浄土宗や浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることで、どんなに多くの罪も滅し、極楽浄土へ往生できるとされています。

• 「一念弥陀仏」とは、ただ一度でも心を込めて阿弥陀仏の名を唱えることです

• 「即滅無量罪」は、その瞬間に無限の罪が消え去ることを意味します。

• 「増て百万返をや」は、さらに何百万回も唱えれば、より大きな功徳が得られるということです。

 

その後、一休さんが、次の和歌を詠んだそうです。

成仏(じょうぶつ)は一念弥陀(いちねんみだ)と 聞物(ききもの)を 百万返(ひゃくまんべん)はむやくなりけり

「成仏するには『一心に阿弥陀仏(を信じること)』と聞いているのに、百万回も念仏を聞かされるとありがたみが薄れてしまう」

解説

一休は、真に阿弥陀仏を信じ、救いを求める心から念仏を唱えることこそが重要であり、形式的に百万遍唱えても意味がない、ということを示唆しています。また、盲目的に教えに従うのではなく、自ら深く考えることの大切さも示唆しているかもしれません。

• 「一念弥陀」 とは、たった一度でも心から阿弥陀仏を念じれば救われるという意味です。これは浄土宗や浄土真宗の教えにも通じる考え方で、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることで往生が叶うとされています。

• 「百万返はむやくなりけり」 では、念仏を形式的に何度も繰り返すとありがたみがなくなる。

 

一休

今日の一句

心をばひっくり返しおどろかし 真理をしめす一休の知恵

注1

一休宗純研究ノート(3)ー一休水鏡から一休咄へ(上)ー飯塚大展

注2

京都の百万遍という地名は、知恩寺(ちおんじ)で行われた「百万遍念仏」に由来します。知恩寺は、浄土宗の開祖・法然上人の弟子である源智上人が創建したお寺です。鎌倉時代、疫病が流行した際に、源智上人は人々のために百万遍念仏を唱えました。百万遍念仏とは、「南無阿弥陀仏」を百万回唱えることです。源智上人は、百万遍念仏を唱えることで疫病が収まったとされ、人々は大変感謝し、その功績を称えて、寺の周辺を「百万遍」と呼ぶようになったと言われています。

 

 

 

 

西行と月:若き感情と晩年の悟りを詠む

西行は月に関する歌を二百首以上書いおり、重要なテーマです。若い頃は、月の美しさを賛美しそれを自身の心に投影してるようです。晩年には、月で仏教的な悟りや無常感を表しました。最初の句は若い頃のもので他の二つは晩年の句です。

嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな

百人一首 西行法師(86番)

千載和歌集』(巻第十一・哀傷歌)(題知らず。ただし、契りて後の思ひを詠めるか)

「月が私に『嘆きなさい』と言ってもの思いにふけらせるわけではない。それでも、あたかも月のせいで嘆いているかのように流れる私の涙よ。」

解釈

西行が、月を見てるうちに出家前の誰かとの約束や関係を思い出して感傷的になって涙が出てきた状況のようです。この短歌は、月を背景にした感情の吐露を詠んだものです。月が原因で感傷的になるわけではないが、月の静かな光景に心が動かされ、自分の悲しみがより強く意識される様子を描いています。

•  「嘆けとて月やはものを思はする」

月が直接的に「嘆きなさい」と命じたり、もの思いに誘ったりするわけではないと述べています。月そのものには感情がないため、あくまで嘆きは自分自身の心から湧き出ているものだとしています。

• 「かこち顔なる」

「かこつ」とは、嘆きや不満を訴えるという意味です。ここでは、「かこち顔なる」として、自分の涙がまるで月に責任を押し付けているように見える、と表現しています。自分の悲しみを月のせいにしているかのような姿に、自嘲するような感情が込められています。

嘆けとて月やはものを思はする

闇はれて心の空にすむ月は西の山辺や近くなるらん         

新古今和歌集 釈教歌) (観心をよみ侍りける、自分の心を見た)

「心の暗闇が晴れて、私の心の空に澄んだ月が輝いている。この月は、西の山の辺りに近づいているのだろうか。」

解釈

この歌は、月を自分の心の状態と結びつけて詠んだものです。

• 「闇はれて」

これは、心の中の悩みや迷い、苦しみが晴れ悟りの境地を指しています。まるで曇った空が晴れるように、心が澄んでいく様子を描いています。

• 「心の空にすむ月」

澄み渡る心の中に輝く月は、心の平静や悟りの境地の象徴です。西行は、月をよく詠んでいますが、それは美しさだけでなく、仏教の悟りの象徴として描かれています。

• 「西の山辺や近くなるらん」

西の山に沈もうとしている月を想像しています。ここで「西」は平安時代の終わり頃では、仏教的な浄土をも連想させる言葉です。その月が西へ近づいていく情景は、静かに人生の終わりや悟りの境地に向かっていることを暗示しているとも解釈されます。

西へ行く月をやよそにおもふらん心にいらぬ人のためには

山家集

「西へ向かう月を、自分には関係ないと思っているのだろうか。この世で西(極楽浄土)に対する信仰心を持つことができない人のためには、どうすることもできないのだ。」

解釈

この和歌は、西行が信仰する浄土思想、特に『無量寿経』の「易往而無人(往きやすくして人無し)」という教えを背景に詠んだものです。この教えは、極楽浄土への道は誰にでも開かれているが、実際にそれを目指そうとする人は少ないという仏教的な嘆きを示しています。

 歌の中で「西へ行く月」は、浄土の象徴です。西行は、この月をただ眺めるだけで心に留めず、他人事のように見ている人々を嘆いています。そして、「心にいらぬ人のためには」と続けることで、信仰心や浄土への想いを持たない人に対しては、助けようがない無力さや悲しみを表現しています。

• 「月をやよそに」は、仏教的象徴である月(浄土の光)を意識せず、ただの自然現象として流してしまう人々の態度を指しています。「よそ」は自分に関係ない意味。

• 「心にいらぬ」は、信仰心を持たず、極楽浄土への願いを抱かないことを意味します。「心にいらぬ」は、もともとは納得できないの意味。

• 浄土へ至る道は「易行道」と呼ばれ、修行の難しい「難行道」と対照的に、阿弥陀仏の救いを信じることで容易に到達できるとされますが、それでも「往きやすくして人無し」と言われるように、信仰の心を持つ人が少ない現実への嘆きが込められています。

今日の一句

浄土は自力でいけぬところなり阿弥陀を頼むただ一心に

 

 

一休宗純と上杉謙信、二人の心に共通する仏教の教え

一休さん蓮如に誘われて「宗祖親鸞聖人の二百回忌」に出席しました。その際に、詠まれたものが以下の和歌です。「末世相応のこゝろを」と題されてます。 

 襟巻のあたたかそうな黒坊主 こやつが法は天下一なり

暖かそうな襟巻きをした黒衣の僧侶。この人の説く教えは、まさに天下一だ。

解説

一休宗純がこの後に親鸞の絵図を蓮如から贈られました。また、浄土真宗にも造詣が深かったようです。ただ、禅宗から離れたわけだはありません。この短歌は一休特有のユーモアを交えながらも、親鸞浄土真宗への好意的な評価を表現していると解釈できます。一休の心の奥底には、親鸞の教えに対する尊敬や共感があったと考えられます。

前書きのところ。「末世(まっせ)」は仏教用語で、仏法が衰退し、道徳が乱れる時代を指します。「相応のこころ」は、その末世において自分の行動や心構えをどう持つべきか、という問いかけや姿勢を示している可能性があります。

1. 「襟巻のあたたかそうな黒坊主」

• 「あたたかそう」という表現には、見た目だけではなく、その存在や教えが持つ「ぬくもり」を表しているとも解釈できます。

親鸞の教えは、多くの人々に救いと安心感を与えるものであり、その慈悲深さを象徴していると捉えられます。

親鸞は追放以降僧侶ではなくなっていました。そこで、僧侶としての清貧や修行の厳しさがなく安楽な暮らしをしている姿への皮肉が込められているかもしれません。

2. 「こやつが法は天下一なり」

親鸞の説いた浄土真宗の教えが、末法の世においていかに人々に合った教えであるかを一休なりに認めています。

• 一休特有の軽妙な言葉遣い(「こやつ」など)が含まれていますが、そこに皮肉は薄く、むしろ敬意を込めた親しみが感じられます。

3. 蓮如との関係

• 一休と蓮如にはいくつかのエピソードが残っています。一休は、禅宗浄土真宗という異なる宗派の教えにあまりこだわらなかったようです。自分にとって真理であるものを選び取ったようです。

 

 極楽も地獄も先は有明の月の心に懸かる雲なし

上杉謙信(脚注)の辞世の句

現代語訳

極楽も地獄も、その先のことは有明の月のように、澄みきった心には何の迷いも曇りもない。

解釈

この和歌には、上杉謙信の澄み渡った精神性と仏教的な悟りが表れています。

「極楽」や「地獄」というのは、生死や善悪の結末を象徴していますが、謙信はそれにとらわれることなく、自らの「心」が清らかであれば何も恐れることはない、という確信を持っています。

有明の月」は、夜明け前の澄んだ空に浮かぶ月を意味し、純粋で曇りのない心を象徴しています。この月に「懸かる雲なし」と続けることで、謙信は自らの心が迷いや煩悩によって曇らない状態、つまり完全に悟りきった境地にあることを表現しています。

仏教的には、極楽も地獄も人の心の在り方によって決まるものであり、心が清浄であればどちらにも縛られず、自由であるという考え方がこの和歌に込められています。

 

今日の一句

真言は仏と一体喜びで念仏もまた機法一体

 

脚注

上杉謙信(1530-1578)は、戦国時代の武将で越後国(現在の新潟県)の守護代長尾家に生まれますが、後に上杉家の養子となり「上杉謙信」と名乗る。名将として名高く、「軍神」「越後の龍」と称される。関東管領として北条氏、武田信玄などと戦い、「川中島の戦い」での活躍が有名。

 上杉謙信は、若くして禅宗の教えに触れ、後に毘沙門天を深く信仰するようになりました。「毘沙門天の化身」と称され、自らの旗印に毘沙門天を掲げ、戦の前には祈りを捧げることもしています。浄土宗の保護を行いました。晩年には真言宗の教えに帰依したようです。

 

極楽浄土はどこにある?一休と蓮如の短歌に学ぶ仏教の本質

一休宗純が詠んだ短歌や言葉には、仏教の教義や僧侶たちのあり方に対する鋭いユーモアと批判精神が込められています。一休は、形式的な信仰や表面的な修行にとらわれず、仏教の本質を問い直すことで、その真髄を探求しようとしました。阿弥陀経に関する一休と蓮如は問答を短歌で行っています。

まずは、つぎの一休の短歌

 極楽は十万億土と説くなれば 足腰立たぬ婆は行けまじ

極楽は十万億土も離れたところにあると言うが、足腰が不自由な年老いた女性(婆、ばば)はそこまで行くことができないだろう。

解説

この短歌は、浄土教の中心的な教典である『阿弥陀経』を風刺しています。この経典では、極楽浄土が十万億土という遥か彼方に存在すると説かれていますが、一休はそれを字義通りに受け止めたうえで、「足腰が弱くなって立ち上がることさえできない老人には到底行けない」と皮肉を込めています。

1. 仏教教義への疑問

• 一休は「極楽がそんな遠くにあるなら、誰もそこに行けない」と指摘し、教義の現実離れに疑問を投げかけています。特に、弱者や高齢者といった、現実的に力の及ばない人々を引き合いに出すことで、教えの普遍性や平等性を問い直しています。

2. 比喩としての「足腰立たぬ婆」

• 老人は単なる肉体的な弱さの象徴ではなく、人間が抱える煩悩や無力さをも表しています。一休は「煩悩にとらわれた凡人が果たして救われるのか」という根本的な疑問を込めています。

3. 浄土教の非現実性への皮肉

浄土教では、念仏を唱えれば救われると説きますが、一休はその簡易さや距離感に疑問を呈し、「本当にそれで救いが得られるのか?」と批判しています。

4. 心中の極楽

• 一休はしばしば「悟り」や「真理」は遠くに求めるものではなく、自分の内面に見出すべきだと説きました。この短歌も、「極楽とは彼方にあるものではなく、自分自身の心の中にこそある」というメッセージを含んでいる可能性があります。阿弥陀仏の極楽浄土があるのかという疑問を提示しています。

 

一方、蓮如は一休の批判に応えるように、この短歌を詠みました。

 極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声

極楽浄土は十万億土(じゅうまんおくど)も離れた場所だと説かれているが、阿弥陀仏の名を唱える(南無阿弥陀仏と念仏する)だけで、そこに至る近道がある。

解説

1. 念仏による救い

蓮如は「極楽が十万億土の彼方にあろうとも、南無阿弥陀仏と唱えるだけで近道が開ける」と説き、浄土教の核心である阿弥陀仏への信仰を強調しています。ここには、信仰次第で距離を超える救いが得られるという希望があります。自分では行けないので阿弥陀仏の力(弥陀弘誓の船、願船)により運ばれる他力の救済です。さらに、念仏すると悟りも開けます。

2. 誰でも救われる普遍性

• 念仏は年齢や能力、肉体的な制約に関係なく、誰もが行える行為です。蓮如は「南無阿弥陀仏」という簡単な行(ぎょう)を通じて、老人も含めたすべての人に平等な救いが開かれていることを強調しました。

3. 一休への応答

• 一休が現実的な視点から浄土教の教えを批判したのに対し、蓮如はその信仰の力で「距離」を克服できると応じています。さらに、阿弥陀仏の極楽浄土はあるのだという立場を示しています。

まとめ

一休と蓮如の短歌は、それぞれ異なる角度(他力と自力)から仏教や浄土教の教義に光を当てています。一休は仏教の形式化や非現実性を批判し、悟りや極楽を心の中に見出すべきだと説きました。一方、蓮如阿弥陀仏への信仰と念仏による救済を強調し、すべての人に開かれた平等な救いを説きました。この二つの視点は、仏教の多様性や深みを示しつつ、現代の私たちにも信仰や悟りについて再考を促しています。どちらも魅力的な考え方ですし、どの道を進むかは個人の好みによるでしょう。

 

今日の一句

冬路に車走らせ風光を探すたびごと心満たされ

一休と蓮如 - 慈悲をめぐる和歌の対話

室町時代、京都では二人の高名な僧侶が活躍していました。禅宗一休宗純と、浄土真宗蓮如です。この二人は異なる宗派に属しながらも交流があり、和歌を通じて深い思索の対話を行っていたことが知られています。

特に興味深いのは、阿弥陀仏の慈悲についての二人の和歌の応酬です。まず一休は次のような和歌を詠みました。

 阿弥陀にはまことの慈悲はなかりけり たのむ衆生のみぞ助ける

阿弥陀仏には本当の慈悲はないのだ。ただ、阿弥陀仏を信じて頼る人だけを助ける。」

解釈

この短歌は、阿弥陀仏がすべての人を無条件で救うという教えに対して疑問を投げかけています。一休は、阿弥陀仏の慈悲が「限定的」ではないかと皮肉を込めて述べています。つまり、「阿弥陀仏の慈悲が本物であるなら、信じるかどうかに関わらず、すべての人を平等に救うべきではないか?」という批判です。私も以前同じようなことを思っていました。

「まことの慈悲」とは何かを問うています。本当の慈悲であれば、条件をつけることなく、すべての衆生を救済するものではないだろうか、という問題提起です。

「たのむ衆生のみぞ助ける」は、浄土宗や浄土真宗の教えで阿弥陀仏への信仰(たのむ心)が救済の条件とされることを指しています。一休は、こうした条件が慈悲の本質と矛盾するのではないかと考えた可能性があります。

 禅宗では「自力」を重んじ、自らの座禅などの修行や悟りによって解脱を目指します。一休は、「他力本願」に頼る信仰に対して、禅の立場から疑問を呈したのでしょう。

これに対して蓮如は、次のように応えています。

 阿弥陀にはへだつる心なけれども 蓋ある水に月は宿らじ

阿弥陀仏には、私たちと隔てるような心はないけれども、心に蓋(ふた)をしたままでは、その慈悲(光)が映ることはない。」

解釈

この短歌は、阿弥陀仏の無条件の慈悲と、それを受け入れる人間の心の状態について語っています。蓮如の歌は二つの重要な点を示しています。第一に、阿弥陀仏には人々を差別したり遠ざけたりする心が一切なく、誰にでも等しく慈悲を注ぐという点です。第二に、その慈悲を受け取れないのは、私たち自身の心の問題だという指摘です。

「蓋ある水に 月は宿らじ」の部分では、阿弥陀仏の慈悲が誰にでも届くにもかかわらず、それを受け取れないのは、私たち自身の心に問題があることを示しています。桶の水に月は映るけれど、桶に蓋をしてると月は映ることができません。ここで「蓋」とは、傲慢や疑い、執着、無明(無知)など、心を閉ざすものを象徴しています。このような心の状態では、阿弥陀仏の慈悲の光(月)が映ることはない、という比喩です。

この返歌の背景には、法然上人の有名な歌があります。

 月影の至らぬ里はなけれども 眺める人の心にぞ住む

「月の光が届かない里などどこにもありません。 ただ、その月を見る人の心の中に(月が)宿るのです」

 「月」は阿弥陀仏の慈悲を象徴しており、その慈悲は平等にすべての人に注がれているが、慈悲を受け取れるかどうかは、人の心の在り方によって決まります。

【人物紹介】

一休宗純(1394年~1481年)

  • 京都で誕生。後小松天皇の子という説がある
  • 6歳で安国寺に入門、周建の名を受ける
  • 17歳で謙翁宗為に師事するが、師の死後に自殺未遂を経験
  • その後、大徳寺の華叟宗曇に師事し、道号「一休」を授かる
  • 1420年、カラスの声をきっかけに大悟
  • 1474年、後土御門天皇の勅命で大徳寺住持となる
  • 晩年は京田辺市酬恩庵で過ごし、87歳で入寂

蓮如(1415年~1499年)

この二人の高僧による和歌の応酬は、仏教における「慈悲」の本質について、異なる立場から深く考察した貴重な対話といえるでしょう。

 

今日の一句

春近し新天地ゆめ部屋を掃く思い出こもり手は止まりつつ

 

「念仏の道を開いた龍樹菩薩—親鸞の讃歌に学ぶ信仰の本質」

親鸞の龍樹讃の(三)は以下のようです。

本師龍樹菩薩は
  大乗無上の法をとき
  歓喜地を証してぞ
  ひとえに念仏すすめける 

本師龍樹菩薩は、大乗仏教の最高の教えを説き、歓喜地(菩薩の十地の第一段階)を悟られ、ただひたすら念仏を勧められた。

解釈

この詩は、龍樹菩薩(本師=阿弥陀仏の教えを広めた師)の功績とその教えを簡潔に述べています。

「本師」という言葉は、親鸞が龍樹菩薩を尊敬し、自らの師として崇めていたことを示します。

「大乗无上の法」は、大乗仏教の中でも最も高い教え、すなわち悟りに至る普遍的な道を指します。龍樹菩薩はこの教えを体系化し、人々に広めたことが称賛されています。

歓喜地」は、菩薩の修行の十段階(十地)の第一段階で、悟りの一歩目に立ったことを指します。龍樹菩薩がその境地に達したことを強調することで、彼の修行と悟りの深さが示されています。

「ひとえに念仏すゝめける」は、龍樹菩薩は、阿弥陀仏を信じ、念仏(阿弥陀仏の名を唱えること)を強く勧めました。この行為は、彼の教えが「他力本願」に基づき、多くの人々が救いを得られる実践的な方法を重視していたことを示しています。

 

龍樹讃(四)

龍樹大士よにいでて

  難易ふたつのみちをとき

  流転輪回のわれらおば

  弘誓のふねにのせたまふ

訳 

龍樹大士が世に現れて、(往生の道について)難行(なんぎょう)と易行(いぎょう)という二つの道を説き、輪廻(りんね)の中を迷い続ける私たちを、阿弥陀仏誓願の船に乗せて救ってくださった。

解釈 

この詩は、龍樹菩薩(龍樹大士)の功績を称えつつ、浄土教における救済の教えを簡潔に表現しています。各部分の解釈は以下の通りです:

「龍樹大士よにいでゝ」は、龍樹菩薩がこの世に現れ、仏教の教えを広めたことを指します。

「難易ふたつのみち」とは、悟りを目指すための方法として「難行道」と「易行道」を説いたことを指します。 この項は、『十住毘婆沙論』「易行品」によります。

   - 難行道とは、自力で修行を積み、悟りを目指す厳しい道のこと。 

   - 易行道とは、阿弥陀仏に帰依し、念仏によって他力本願で悟りを得る道のこと。 

   龍樹菩薩は、易行道として念仏を勧め、浄土教の教えの基礎を築きました。

「流転輪回」は、生死を繰り返す迷いの世界(輪廻)を表します。悟りを得られず、苦しみの中をさまよう私たちを指しています。

「弘誓のふね」は、阿弥陀仏が立てた救済の誓願(弘願)を象徴します。この船に乗るとは、阿弥陀仏の慈悲に身をゆだね、浄土への往生を目指すことを意味します。龍樹菩薩は、迷いの中にいる人々をこの船に導いたと述べています。

 

今日の一句

大雪にあらためて見る行き末を備えの重さ深く知りつつ

心に響く法然上人の和歌 - 救いの確かさを詠む

法然上人(1133-1212)は、難解な仏教の教えを庶民にも分かりやすく伝えるため、和歌という親しみやすい形式を活用されました。今回は、特に自然描写を通じて浄土思想を表現した代表的な和歌を紹介します。

草も木も 枯れたる野辺に ただひとり 松のみ残る 弥陀の本願


「すべての草や木が枯れてしまった冬の野原に、ただ一本だけ松が青々と残っているように、阿弥陀の本願(救いの誓い)だけが私たちを救ってくれる」

解説: この和歌には以下のような深い意味が込められています:

  1. 松の象徴性: 冬でも枯れない松の常緑性を、決して変わることのない阿弥陀仏の本願(四十八願、特に第十八願の「念仏往生の誓い」)になぞらえています。
  2. 仏教思想: 法然上人が提唱した専修念仏の教えが表現されています。他の修行や実践(枯れた草木)ではなく、ただ阿弥陀仏の本願(常緑の松)だけを頼りとする浄土宗の核心的な考えが示されています。これは当時の仏教界で重視された戒律や密教的修行との対比を示しています。
  3. 自然と教えの融合: 厳冬の風景を通じて、複雑な仏教思想を誰にでも分かりやすく表現することに成功しています。特に、人々が実際に目にする冬の風景を用いることで、教えを直感的に理解できるようにしています。
  4. 救いの確実性: どんな困難な状況(冬の荒野)でも、阿弥陀仏の本願(松)は揺るがず、必ず衆生を救済するという確信が表現されています。この「救い」とは、具体的には念仏を称える者が極楽浄土に往生できるという約束を指します。

 

阿弥陀仏に そむる心の 色にいでば 秋の梢の たぐひならまし

阿弥陀仏への信心が染み渡る心が外に現れるならば、秋の木々の梢(こずえ)のように美しく色づくことでしょう」

解説

  1. 信仰の深まり: 「そむる」と、阿弥陀仏への信心が心の深くまで染み渡っていく様子を表現しています。これは法然上人が説いた深い信仰(深信)の状態を指します。
  2. 内面の現れ: 深い信仰心が自然と外面に表れ出る、という信仰者としての理想的な状態を詠んでいます。これは単なる形式的な信仰ではなく、内面からの変容を重視する法然上人の考えを反映しています。
  3. 秋の景色との調和: 秋の木々が徐々に深く美しく紅葉して行くように、仏への信心も時間をかけて人を内側から美しく染め上げるという類比が巧みに表現されています。
  4. 法然上人の願い: 浄土宗の開祖として、阿弥陀仏への信心が深く染み渡った理想的な信仰の在り方を示しています。この和歌は特に、専修念仏を始めたばかりの人々への導きとして詠まれたと考えられています。

われはただ ほとけにいつか あふひぐさ
こころのつまに かけぬ日ぞなき

訳:
「私はただ仏(阿弥陀仏)にいつか会う日のことを、二葉葵のように、心の端に掛けて思わない日はありません。」

解説: この和歌には以下のような深い意味が込められています:

  1. 葵草の象徴: 葵(あふひ)は「逢ひ」(会う)と掛けられています。また、葵草は神聖な植物としての二葉葵を指します。二葉葵は、平安時代から京都の葵祭賀茂祭)で行列の参列者の衣冠や乗り物に掛けて飾られます。これは、心に仏のことを思わない日はないとの意味です。法然上人はこの当時の人々に馴染み深い習俗を巧みに取り入れています。
  2. 切なる願い: 「いつか」という言葉には、阿弥陀仏との対面(来迎)を心から待ち望む切実な思いが込められています。これは臨終時の来迎を願う浄土信仰の核心を表現しています。
  3. 信仰の日常性: 「心のつま」(心の隅々)という表現は、信仰が生活の細部にまで行き渡っている状態を示しています。「かけぬ日ぞなき」(欠かさない日々)という表現から、揺るぎない信仰心と継続的な信仰実践の大切さが強調されています。

この三首の和歌は、いずれも法然上人が晩年に近い時期に詠まれたとされ、専修念仏の教えを確立された後の円熟した信仰観が表現されています。特に自然の情景を通じて浄土教の深い教えを伝える手法は、多くの人々の心に響き、後世に大きな影響を与えました。

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葵祭の動画です。

今日の一句

暗闇に寂しさ募り一人きり 南無阿弥陀仏が頼む称えて