はじめに
一休禅師といえば、とんち話で有名なアニメ「一休さん」を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、実在の一休宗純は、室町時代の禅僧であり、鋭い社会風刺とユーモアを込めた和歌を数多く残した歌人でもありました。
本記事では、一休禅師の和歌の中から特に痛快なものをいくつか紹介し、その背景や解釈を通して、型破りな禅僧・一休宗純の真実に迫ります。
1. 釈迦への痛烈な皮肉
一休禅師は、仏教の開祖である釈迦に対してさえ、痛烈な皮肉を込めた和歌を詠んでいます。
釈迦といふいたずらものが世にいでて おほくの人をまよはするかな
「仏法なんてものは、鍋の剃り跡や、石の髭、絵に描いた竹が擦れ合う音のようなものだ。」
解説
この歌は、一休さんが蜷川新右衛門という人から「仏法とは何か」と尋ねられ作った歌のようです。仏教を、鍋の月代、石の髭、絵の竹の音のように実際に存在しないものに捉えてはいけない。つまり、真の仏法は、言葉や概念を超えたところにあり、体験を通してのみ理解できるということを示唆しているのでしょう。
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なべのさかやき(鍋の月代)
鍋の底にある、剃り跡のような模様。さかやきは月代(男性の頭の剃り上げた部分)。 -
石の髭(いしのひげ)
石に生えている髭。
3. 死を悟りの境地として捉える
一休禅師は、死を恐れるどころか、悟りの境地へと至る道として捉えていました。
雪の降る日引導せられし時、鍬の先抜けけるに詠める
三界のくは抜け果てて今こそは 浄土の道にゆきぞかかれる
訳
この和歌は、一休宗純が「雪の降る日に引導(法要や葬儀で死者を成仏へと導く儀式)を受けた際、鍬(くは)の先が抜けたこと」に対して詠んだもの。
「この世(三界)の束縛がすべて取り払われ、今こそ私は浄土への道を進むことができるのだ」
解説
この歌には、一休の「生死を超えた悟り」の境地が表現されています。彼は、死や世俗の苦しみにとらわれることなく、すべての執着が消えたことで、浄土への道に進むことができると達観しているのです。また、雪の降るという情景は、浄化や無垢といった象徴的な意味を持ち、一休の死生観や禅の思想を色濃く反映しています。
• 「三界(さんがい)」とは、仏教でいう「欲界・色界・無色界」の三つの世界を指し、迷いや執着に満ちた現世を象徴します。
• 「くは抜け果てて」とは、鍬の先が抜けたことを、煩悩や執着が断ち切れたことにたとえています。前文の鍬の先が抜けたというのは、葬儀の時、墓穴を掘る際に掘っていた鍬の先がぬけたことで、それにかけています。
• 「今こそは浄土の道にゆきぞかかれる」は、現世の執着を捨てたことで、ようやく浄土への道を歩むことができるという意味です。
4. 念仏の真意を問う
一休禅師は、浄土宗の教えである念仏についても、独自の解釈を示しています。
京都の百万返(百万遍)(注2)で一休さんがお話ししているところにある人が供物を持ってきて、次の歌を詠んだそうです。
一念弥陀仏(いちねんみだぶつ) 即滅無量罪(そくめつむりょうざい)増て(まして)百万返(ひゃくまんべん)をや
訳
「ひとたび心から阿弥陀仏を念じれば、すぐに全ての罪は消滅する。ましてや、百万回も念仏を唱えたなら、どれほどの功徳があることか。」
説明
この言葉は、阿弥陀仏への信仰が持つ絶大な功徳を強調したものです。仏教、特に浄土宗や浄土真宗では、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることで、どんなに多くの罪も滅し、極楽浄土へ往生できるとされています。
• 「一念弥陀仏」とは、ただ一度でも心を込めて阿弥陀仏の名を唱えることです
• 「即滅無量罪」は、その瞬間に無限の罪が消え去ることを意味します。
• 「増て百万返をや」は、さらに何百万回も唱えれば、より大きな功徳が得られるということです。
その後、一休さんが、次の和歌を詠んだそうです。
成仏(じょうぶつ)は一念弥陀(いちねんみだ)と 聞物(ききもの)を 百万返(ひゃくまんべん)はむやくなりけり
訳
「成仏するには『一心に阿弥陀仏(を信じること)』と聞いているのに、百万回も念仏を聞かされるとありがたみが薄れてしまう」
解説
一休は、真に阿弥陀仏を信じ、救いを求める心から念仏を唱えることこそが重要であり、形式的に百万遍唱えても意味がない、ということを示唆しています。また、盲目的に教えに従うのではなく、自ら深く考えることの大切さも示唆しているかもしれません。
• 「一念弥陀」 とは、たった一度でも心から阿弥陀仏を念じれば救われるという意味です。これは浄土宗や浄土真宗の教えにも通じる考え方で、「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることで往生が叶うとされています。
• 「百万返はむやくなりけり」 では、念仏を形式的に何度も繰り返すとありがたみがなくなる。
今日の一句
心をばひっくり返しおどろかし 真理をしめす一休の知恵
注1
一休宗純研究ノート(3)ー一休水鏡から一休咄へ(上)ー飯塚大展
注2
京都の百万遍という地名は、知恩寺(ちおんじ)で行われた「百万遍念仏」に由来します。知恩寺は、浄土宗の開祖・法然上人の弟子である源智上人が創建したお寺です。鎌倉時代、疫病が流行した際に、源智上人は人々のために百万遍念仏を唱えました。百万遍念仏とは、「南無阿弥陀仏」を百万回唱えることです。源智上人は、百万遍念仏を唱えることで疫病が収まったとされ、人々は大変感謝し、その功績を称えて、寺の周辺を「百万遍」と呼ぶようになったと言われています。