思索の源泉としての音楽

仕事場でLPレコードが聴けるようになり、久し振りに森有正「思索の源泉としての音楽」をかけてみた。学生時代に聴いた感動が、鮮やかに甦る。

最初に、コラール前奏曲「人よ、汝の大いなる罪を嘆け」BWV622が弾かれる。いつ聴いても心打たれる名曲だ。この原曲はマタイ受難曲第1部の終曲にも使われている。私が日常的に聴くバッハはピアノが多くオルガンは少ないが、たまにはオルガンも良いものだ。

その後、森有正自身が色々と話す肉声が聞こえてくる。その内容も、含蓄に富んだものだ。彼の著作にしばしば出てくる「経験」という言葉の具体的な中身が、音楽を学ぶという行為を通じて現れてくる有様が生き生きと語られていて、深い感動を覚える。ここでは、人生と思索と音楽は同じ根で繋がっている、というより、結局同じ営みであることが示されている。

吉田秀和の言葉だが、彼は、人間が過去から承けたものを自分の働きで自分のものにする仕事を「経験」と呼んだ。それは個人が他人(つまり人類)の経験を自分のものにすると言うことと同時に、自分の経験を進んで他人の前に提出するのを恐れないことでもあり、そうなければならぬと主張しているが、このことは個人の好悪をこえた真実なのだ。「社会性」という言葉の本質的な意味は、ここにある。「社会性」とは、根本的に、他者とどのように繋がるか、と言う意味であるから。大きなカギになるのは「言語」であるが、人間のコミュニケーション手段は言語だけではない。文化・学問・教育・交流といった人間的な活動は、全部それらに繋がる。

私がこのようなブログを書き綴るのも、単なる自己表現・自己顕示ではなく、自分が学び得て消化し自分のものとした内容(考え、感想その他)を、今度は他人に披露して、客観的評価に耐えうるものかどうかを試すためである。この、他人の評価に身をさらす、と言うのは案外辛いものである。今流行の、SNSにアップして「いいね」を稼ぐ行為は、少し違う気がする。あれは、単なる承認欲求に過ぎないから。

柄谷行人が一時期思索の中心としていた「他者」との関係論も、結局のところ、こうした他人との経験の共有が可能かどうか、あるいはそれは如何にして可能になるかと言った問題に還元されるように思える。そのように考えることで、彼の高度に抽象的な言説にも具体的な実質が感じられてくる。

このLPに納められているコラール前奏曲は、上述の1)BWV622「人よ、汝の大いなる罪を嘆け」、2)BWV737「天にましますわれらの父よ」、3)BWV680「われらみな唯一の神を信ず」、4)BWV599「来たれ、異教徒の救い主よ」、5)BWV625「キリストは死の縄目につながれたり」、6)BWV632「主イエス・キリストよ、われらをかえりみたまえ」、7)BWV735「われ汝らに別れを告げん、汝悪しき偽りの世よ」、8)BWV656「汚れなき神の子羊よ」の8曲である。いずれも、素人ばなれした立派な演奏だ。森が如何にバッハ演奏に傾倒したかが良く分かる。彼の専門はフランス文学・哲学だったのだが。

森有正は、辻邦生と並んで学生時代にずいぶん愛読したものだった。ただし、辻作品はその大半を大いに愉しんで読んだのに対し、森の文章は難解で、何を言っているのか正確に理解していたとは言い難い。辻が敬愛して止まず、エッセイなどの中でしばしば言及するので、何となく身近に感じ理解していたような気がしていただけだ。森がこのレコードで述べている内容を、曲がりなりにも実感をもって受け止められるようになったのは、恐らく中年以後だと思う。だから、家にある森有正の本を再読したら、また得るものも大いにあると思う。現代では、森有正辻邦生福永武彦らと並んで「忘れられた作家」の一人に数えられるのかも知れないが、埋もれさせるには惜しい存在だ。実際、NHK「100分de名著」には、上記の3人や吉村昭中村真一郎らが取り上げられた例はないと思う。せめてこのブログで取り上げて、後世に語り伝えたい。それだけの価値は必ずある。

森有正は、私から見て、とても不思議な人だった。東大仏文科助教授の職を投げ打って渡仏し、生活に苦労しながら非常に沢山読み、書き、博士論文の構想なども公開していながら、死後にはその博士論文原稿は見つからなかった。しかし後から振り返れば、彼にとって博士論文などは問題でなく、毎日をどう生きてきたか、その経験の積み重ねがどうであったかの方が重要であっただろう。彼の最後の著作が「遠ざかるノートル・ダム」と言う題であることも、私の胸を打つ。この本を手にした直後に彼の訃報を聞いたせいもある。1976年の秋、大学3年の10月、私にとって非常に孤独な時期のことだった(その頃、誰とも交流がなかった)。ああ、とうとう森有正も死んでしまったか・・と思ったのを覚えている。彼は60代半ばで、まだまだ若かったのに。

しかし、今の私より若くして亡くなったこの人の著作目録を眺めると、とても充実した人生だったんだなあ、との思いを強くする。こんなにも沢山、優れた文章を書いたのだから。

今日もあれこれと

1)トランプが無茶苦茶なことを言い出して、何が本気か分からんとTV解説者は言うが、田中宇氏の見立てでは、かなりの深謀遠慮があるようだ(https://tanakanews.com/250108america.htm)。キーワードは「多極化」で、トランプが目指すのはそこだと。要するに中露を中心とするBRICS等の非米系が強くなり、欧米覇権が自滅することを目指す。米国大統領としては矛盾しているように見えるが、国際大資本は欧米覇権にしばられずに自由に商売したいので多極化を目指す。トランプはその手先と言える。国際政治は、大きく見てこの覇権主義(軍産が中心)と多極派のせめぎ合いだった。これまでは米国一強の覇権主義が主流だったが、次第に多極派が優勢になりつつあるのが今の姿だ。トランプも、表向き覇権主義のように見せかけて実は覇権放棄屋なのだ。日本のマスコミはその点をなぜか絶対に言わない。外交問題のプロならば、当然理解しているべきなのに。

ウクライナ戦争も、欧州に戦費負担を強要して自滅させるための米国の策だったと田中氏は言う。それは欧州を対米自立させるために必要だった。日本や欧州は、以前からトランプが自立しろと言ってもすがりついてきたから。だから、欧州が対米自立すればウクライナ戦争は終わる。実際、その気配はある。フランスもドイツも、戦争継続が難しくなっているから。いずれNATOは立ちゆかなくなる。この点は中露のお望み通り。

今回トランプが言い出したグリーンランド・カナダ・パナマ運河の併合話は、要するに北米大陸の北から南まで完全に米国の支配下に置くというものだ。世界全体の覇権を放棄する代わり、自分の領域=北米大陸=米州だけは死守するという態度。これは侵略的な帝国主義と言うよりも、自国優先の昔のモンロー主義に近い。むろん、身勝手な論理だが。

これに断固反対なのが英国。なぜなら英国は裏で米国を操って覇権主義の恩恵を得ていたからだ。EUを離脱しても何とかやれていたのはそのためだ。しかし、米国が世界覇権を放棄して「米州主義」に転じると、英国は単なる「貧乏な沖の小島」に成り下がる。だから英国系はトランプを嫌い、多極化や覇権放棄を徹底無視している。こんな風に見ると、色々と構図がはっきり見えてくる。

こうしてみると、トランプが日本にもかなり冷たく当たることは容易に予想できる。自立しろと言ってくるのだから、対米自立のチャンスだ。しかし、戦後80年間、徹底的に対米従属一辺倒でやって来た日本の支配層(大資本、官僚組織その他)が、このチャンスを活かせるかなあ・・?千載一遇のチャンスなのに。

2)ブログ「世に倦む日々」(https://note.com/yoniumuhibi)は、前回触れたように私の愛読する一つであるが、12月22日版の渡辺恒雄論と1月7日のNHK大河ドラマ「べらぼう」論は、特に秀逸だと思った。

渡辺恒雄論に関しては、私も彼に抱いていた違和感を見事にえぐり出してくれて、痛快でさえあった。問題点は二つあり、一点目は靖国問題についての渡辺の主張と態度だ。彼は陸軍二等兵として応召され、軍隊で理不尽なリンチ暴力を受けた被害体験が忘れられず、靖国神社軍国主義への批判の舌鋒が鋭かった。それで、総理大臣の靖国参拝にも強硬に反対する立場であった。しかし安倍政権以後はその態度を一変させ、安倍首相が靖国参拝することを批判しなかった。この矛盾を、生前の渡辺恒雄は説明していない。

二点目は新自由主義への態度である。かつて渡辺は竹中平蔵を厳しく批判していた。つまり新自由主義を猛然と批判していたのだ。これは、かつて彼が共産党にいたこともあり、資本主義の矛盾には敏感だったことを考えれば、特に不思議ではない(彼はその後共産党を離れ、以後一貫して反共的だったけれども)。渡辺の場合これも靖国問題と同様、安倍政権以後は新自由主義批判は影を潜め、安倍路線を賛美したまま過ぎて行った。

東大哲学科を出て、晩年にもカントを読んでいたとされるが、しかし、彼の教養や学識は世のため人のためになったのかと言えば、首肯はできない。石原慎太郎法華経を愛読していたとされるが、だとすると彼の女性蔑視や弱者への非情さは、法華経の精神と全く相反するものだ。つまり彼らの学識・教養は、どうやら使い方を間違えていたとしか言いようがない。その対極にあるソクラテスを見れば明らかだと、ブログ主は言う。

知を愛するソクラテスは権力と富を求めず、ただ誠実に真理を探究し、冤罪に抗弁せず「悪法も法なり」と言い残して毒杯を仰いで死に就いた。ソクラテスは、知識する目的は精神を善にするため、善をなしてポリスに貢献するためだと言っている。ごく単純で真っ当な思想だ。ややこしい「脱構築」だの何だの、小難しい屁理屈はここにはない。

このソクラテスの基準に照らせば、渡辺恒雄の知はフェイクであり、その知性は失格で、その勉強は無意味で無価値だとブログ主は言う。たぶん、その通りだ。

私としては、彼を反面教師として、勉強して知性を磨く修行を無駄遣いしないように心掛けたい。哲学を学び考えを深めることは必要だが、十分ではない。社会に活かさないと。

もう一つの1月7日論説「べらぼう」論は、NHKが吉原という江戸幕府公認の遊郭=売春街を舞台としている点を問題視している。これは私も前回、吉原を題材とするのは大胆だと指摘しておいたが。

この版では、売春防止法の精神と公共放送NHKコンプライアンスが相反するのではないかと言う議論を展開している。30年前なら、多分この企画は実現しなかっただろうから。むろん「野暮なことは言いっこなし」との言い分もあり得る。しかし、今の日本は売春天国になり、インバンド需要の幾らかは、それを目的とする入国である。新自由主義的立場で言えば、東京や大阪の立ちんぼは観光客を惹きつける目玉商品であり、必須の観光資源ですらある。そのためかどうか、警察も本気で取り締まりをしない。

さらに、現代フェミニズム理論では、自己決定での売春は一般労働者の労働と同じで、サービス提供の正当な従業あるいは個人事業であるから、不当視すべきでなく経済行為として社会的地位と法的権利を認めるべきとの主張がなされる。普通に考えて暴論と言うべきだと思うが、今の「脱構築」的論理では不思議でないらしい。

しかし、誰が好き好んで自分の身体を見ず知らずの男に任せるだろうか?売春する女は、殆どの場合、他に手早く稼ぐ手段がないからそれを選ぶので、他に同額程度稼げるのなら決して選択しない手段のはずだ。上記の「フェミニズム理論」とやらは、その現実を無視して屁理屈を並べているだけだ。実際には性病感染と妊娠のリスクがあり、性暴力の危険もある。ストリップダンサーなら裸をさらすだけだが、売春は実際に身の危険を伴う。

このブログに書かれているように、一人たりとも女性が売春などしなくて済む時代の到来を目指すべきである。少なくとも建前としては、吉原遊郭街での出来事を綺麗事として描くことは、公共放送NHKに相応しくないと私も思う。

今日もあれこれと

1)田中宇ニュース1月2日版「地球温暖化問題は超間抜け」(https://tanakanews.com/250102ondan.htm)は力作。彼はこれまで長年にわたり温暖化関連記事を相当数書いてきたが、今回の記事は、温暖化問題の総まとめ的な感じ。私の知る範囲で田中宇氏は、日本人ジャーナリストで恐らく最も早くから温暖化問題を正確に理解し批判してきた人だ。97年の京都議定書の段階ですでに問題点を指摘していた。私はその頃、この件に関して全くの無知だったのに(私が温暖化問題の欺瞞に気づいたのは、その約10年後である)。

私自身は、彼の考え方・見方のすべてに賛成と言うわけではないが、情報収集と分析能力の点で、彼から学ぶことは多い。

特に、今回の記事の終わりに書いてあることが印象的だ。曰く「温暖化問題(やコロナやウクライナや経済指標や金融の話)は、世の中のほぼ全員の方が間違っている。それだけに、逆に、間違いを指摘する人の方が馬鹿者扱いされる。 時間をかけて丁寧に分析しても、努力に見合う社会からの評価を得ることは、全くない。だが、これら分野がなぜインチキな構造を持っているのかを深く考えることは非常に重要だ。 社会そのものがインチキな存在になっているのだから、評価や反応もインチキだ。気にする方が馬鹿である。良い分析をするほど誹謗される、ともいえる。」

この指摘は、全く正しい。私の書くことも、社会の大勢には理解されたり受け入れられることは少ないだろうけれど、そんなことは気にする必要がないと教えてくれる記述だ。

実は、私がお金を払って読んでいるメルマガは、この田中ニュースと天木直人メルマガだけである。他は植草一秀氏のも含めて全部無料で見ている。

あと、ブログでは時々「世に倦む日々」を。しばしば鋭い記事を載せるので。

12月22日の渡辺恒雄論(https://note.com/yoniumuhibi/n/n834fa86837d0)などは見事だと思うが、時々、違和感を感じる記事もある。

彼は温暖化問題に理解が浅いのと、音楽・文学作品などの好みが私と違うのが主原因だ。

例えば私は藤井風を全く評価しないが、彼は絶賛する。しかし、あれには共感できない。

また司馬遼太郎を私はあまり読まず(英雄豪傑礼賛を好まないから)、同じ幕末~明治期ものなら吉村昭を好むが、彼は司馬作品が好きなのだ。

空海密教への考察でも、司馬よりも松本清張の方が私は共感できる。清張の「密教の水源をみる」は、とても面白かったし。

しかし大筋において「世に倦む日々」は貴重な存在だと敬意を抱いている。誰も言わない自分の意見をキチンと表明する点で。このブログでも田中宇ニュースは出てくるから、彼も読んでいるんだろう。

2)新しい大河ドラマ「べらぼう」を見たが、まあまあの出来。「光る君」とは全然違うテイストなのが良い。テンポよく展開する運びが心地良い。役者も芸達者が揃っている。吉原の遊女を主役の一人にするとは大胆。もうしばらくは見てみるかな。

3)秋田駅前で二日連続不審物騒ぎとか。空のスーツケースごときで大騒ぎするからこんなことになる。この手の不審物で本物だったためしは少ない。本気で爆発物を仕掛けるなら、そんなに簡単に人目につく置き方するはずがないし、そもそも秋田駅前で爆発させて何の得がある?この頃、変に敏感になってすぐ「不審物~!」って騒ぐ奴が多過ぎるんでは?不審物というなら、本物のクマの方がずっと危ないわ。

4)昨日飛んだ北朝鮮極超音速ミサイルは、音速の12倍の速度で飛ぶらしい。一般的なライフルの弾速は秒速600~1000m、音速の2倍を越える速さで、ジェット戦闘機とほぼ同じ。しかしこのミサイルはその6倍もの速さだから、とんでもないわけだ。実際に飛んできたら、撃ち落とすのは至難の業に違いない。固体燃料式なので即刻打ち出せるというし。日本では、その固体燃料ロケットの実験は、官民で連続で失敗していると言うのに。

元々、米欧や日本で配備しているイージス艦などを使ったミサイル防衛システムは、うまく迎撃できるか確認出来ないまま配備されているらしい(との批判的な報告書が米政府会計検査院から出ている。もう12年も前の話だ)。実際、南太平洋から打ち上げられた仮想敵ミサイルを米西海岸から打ち上げるミサイルで迎撃する実験が2回行われたが、いずれも失敗している。その後、迎撃システムが劇的に改善されたとの報道は見ていない。どうやら、ミサイル迎撃システムが役立たず状態である事実は変わっていないようだ。

日本の防衛省も「ミサイル防衛の意義は、実際の命中率の高さと別に、ミサイル防衛システムが日本に配備されている現実が国民に安心感を与えることにある」と表明し、間接的に、命中率が低いことを認めている。命中率が低いことが国民にばれると、国民に与えていた安心感が消し飛んでしまうので、日本のマスコミは米国産の自国のミサイル防衛システムの命中率が低いことを報じない(この情報も、田中宇ニュースによる)。

なぜミサイル迎撃が難しいかと言えば、一つは検知してから撃つまでの時間が短く、正確に軌道を予測するのが難しいのに、最近のミサイルは不規則軌道を飛ぶことがあり、また今回のように恐ろしく速いと、当てること自体が難しいからだ。さらには、目くらましの偽物をばら撒くケースが多々あり、これだと本物に当たる確率はさらに下がる。だから、ミサイルを矛、迎撃システムを盾としたとき、矛が盾を簡単に突き破るケースが多くなってしまう。この困難は、システム開発の当初から予測されていたが、実際に予測通り克服されていないことになる。多くの国民は依然として何も知らないままだが。

種子島西方の馬毛島にも事実上のミサイル基地が置かれようとしているが、本物のミサイルが飛んできたら迎撃などできず、ひとたまりもない可能性が高いわけだ。

こうしてみると、攻撃ミサイル開発と迎撃システム開発のイタチごっこを続けていても、結局は攻撃側が勝つ確率が高くなり、最終的には「先制攻撃必勝論」が勝って戦争に突き進む結果に終わる。攻撃された相手も黙っていないから、こちらも無傷とは行かず、結局は共倒れに終わることになる。だから、この種の競争は最終的に破滅で終わるしかない。それを避けたければ、武器開発競争から降りなければならない。先に戦争放棄の宣言をして、武器開発から「一抜けた」と宣言するのである。それしか、生き残る途はない。

今日もあれこれと

年が明けた。今日は正月二日だが、いつものように仕事場へ。貴重な木曜日なので無駄遣いは出来ない。

去年は元日から地震、翌日は航空機事故と続いて正月気分はすっ飛んでしまったが、今年は今のところ国内は平穏。しかし韓国はどうなるやら。大統領に逮捕状が出たらしいし。

米国もトランプ政権が出来たら、どう変わるか良く分からない。中露もトランプの動きを注視するだろう。トランプはカナダを本気で併合したがっているとの話も聞くが、実現するとは思えない。カナダ国民が一致して反対するだろう。元々、カナダは米国と隣接しているが一線を画する態度を貫いてきた。これは建国当時から変わらない。カナダ外務省の建物はピアソン・ビル、カナダ最大の国際空港もトロント・ピアソン国際空港と名付けられている。そのピアソンとは、かつて、米国の北爆に反対する演説をして米国ジョンソン大統領に文字通り「つるし上げられた」首相だ。彼に見習って、歴代カナダ首相たちは「米国に毅然とものを言う伝統」を持ち続けている。なんと立派な態度であることか。どこかの腰抜け国の歴代首相たちに、ピアソンの爪の垢でも煎じて飲ませたい。

一方、中東はおそらく、戦火が下火になる方向に向かう。残念だがイスラエルの完勝だ。アサドの消えたシリアはイスラエルの子分みたいだし、いずれトランプらの仲介でサウジその他のアラブ勢とイスラエルの和解が進むはず(中露も後押しする)。イスラエルは常に国家存亡の危機に立たされていたが、どうやら安定化の道筋を見出した。ガザやその他で無茶苦茶な非人道的行為を繰り返した末に。あれは人類の歴史の汚点だ。ナチスの蛮行に匹敵するような。

今後は英国やEUなど欧州勢がどうなるかが見もの。ドイツもフランスも政権崩壊し、EUの屋台骨が揺らいでいる。ウクライナ支援が重荷になっているので、これを振り切れるかどうか?ショルツやフォンデアライエンらでは無理かもな。EU上層部にもう少し有能な指導者が出ないと。EUは一度分裂し、富裕国と貧乏国の二手に分かれるかも知れない。しかし、フランス・ドイツ・イタリアらが「富裕組」に入れるかどうかも現状では定かではない。特にドイツ経済の先行きが心配だ。早く脱炭素など止めれば良いのに。あれは単に経済の「重し」であるに過ぎない。エネルギーを損ばかりしているから。これまで経済成長できた国は全部、安いエネルギーを豊富に使えたから成長できたのだ。

今、泉房穂「日本が滅びる前に 明石モデルがひらく国家の未来」を読んでいるが、実に良い本だ。すべての市長・地方自治体長が読んで見習う方が良い。特に地方都市の人口減少・衰退化対策として、見習うべき点が多い。出来ることはたくさんある。前例にしばられなければ。

・・と、ここまで1月2日午前中に書いて昼食休憩にしたのだが、その後の体調が優れないためそのまま自宅静養になってしまった。風邪が腹に来るいつもの症状で下痢が止まらず、体重も減ってしまった。翌朝は微熱があったのでいつもと違うベッドで透析を受け、(細菌の)感染指数は低いのでウイルス性の腸炎だろうとの見立てだった。感染指数が高いと感染性胃腸炎の心配があった。これは2年前に敗血症まで進んで緊急入院したときの状況と同じになる。あの時は吐いたり痙攣したりでビックリするような症状が急に現れたが、今回、それはなかった。土曜から回復傾向で、身体のだるさも大分取れた。体重も回復気味だし。

それで2日から今日5日まで仕事場には来なかったわけだが、その間、主に使っているメールアカウントが停止しているらしく、1通も届いていない。他のメールソフトでは届いているので、パソコンやルーターの問題ではなく、メールサーバーのシステム障害だと推測する。旧職場からもらった永代アドレスで愛用しているのだが、時々障害が起きる。明日から通常業務が始まるから、早急に復旧する必要があるはずだ。仕事初めとともにメール量が一気に増えるから。

現役の大学教員・職員は、今週から共通テストの諸準備に追われるはずだ。あれは神経を使う業務で、一つ間違うと全国に影響が及ぶので、関係者はピリピリしている。特に試験問題が漏洩したら一大事。だから1枚たりとも不足があってはならない。問題を作るときにも苦労するが、無事に使われるまでにも一苦労だ。しかし使用後は何の価値もなくなりゴミ箱に捨てられる。片や答案用紙は、試験前はただの紙片だが、試験後は貴重品扱いとなる。まあ当たり前なんだが、この価値の転換ぶりは、実は驚くべき劇的変化と言える。現役教員にとっては、退屈で詰まらん割りには、万一ミスでもしたらマスコミが大喜びで囃し立てる損な仕事だ。無事にやり終えて当たり前、誰も褒めてくれないのに、失敗したら目も当てられない仕事だ。受験生の時には、試験官が羨ましくてならなかったものだが。

今日もあれこれと

今日は大晦日だが、自分にとってはいつもの火曜日、仕事場で好き放題に過ごせる嬉しい日だ。元日の明日も透析だし、普段の日常生活が変わりなく続く。今日などはむしろ、12月中の諸行事や締切仕事が全部終わって、やれやれという解放感の方が強い。まあせめて、カレンダーでも掛け替えて、気分を一新しよう。

マンションの駐車場に停まっている車がいつもより多い感じ。年末年始だから、もっと出払っているかと思ったが、案外出かけてない印象だ。世の中は移動ラッシュだが。

昨日30日に喪中ハガキが届いて、身内の方がさぞ急に亡くなったのかと思ったら3月だと書いてあったので二度ビックリ。このハガキ、全く無駄だよなあ。30日着じゃ、賀状出す人は大抵出し終えているから。世の中には変わった人もいるものだ。

今年を振り返ると、賀状にも書いたが、そこそこ活発に活動できたと思う。2月には久し振りに国際学会で発表し、その様子がYouTubeにも載った。6月には分担執筆の本が出来上がり、7月にその出版記念会で話し、その様子もYouTubeに載った。見る人はあまり多くないと思うが、インターネットに顔と名前が露出してしまった。まだ私の知名度は低いからあまり心配していないが、顔が売れすぎるのは考えもの。SNSはまだ当分やる気はない。政治活動でもやるのならSNSは必須アイテムだが、隠居老人にはあまり必要ない。

放送大学の集中講義は2回やったが来年度は年1回になるらしい。まあ、その方が気楽で良いかも。今回の講義を終えて、また改善したい点が種々見えてきた。次も大改造するつもり。

ネット系執筆では、今年は「アゴラ」に書く回数は減り、「オルタ広場」には不可解な対応をされて絶縁し、「ISF」と言う新しい活動の場にも出会えた。そこで新たな知り合いとお近づきになり、意見交換等が出来るようになったことは収穫だった。ただ、自分だけの本は書けなかったので、25年はその実現に努力しようと思う。書いたものは後に残るから。

心臓内血流状態の精密検査を2回やって2回とも良好だったから、安心はしないが、しばらくは普通に暮らせそうだ。70過ぎて、身体の自由度は落ちているが頭だけはしっかりしていることが救いだな。・・とか言って慢心してるとボケるから要注意だが。

植草一秀「知られざる真実」の12月30日版「苛政と酷税に耐え忍ぶ日本国民」(http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2024/12/post-f7471e.html)は圧倒的な説得力で読ませる内容だった。その記事によれば、1995年の名目GDPを100としたとき、2023年のGDPはどれだけになったか?米国は358、中国は何と2416になった。欧州各国も200を越えている。ところが日本だけは76。28年間で、成長どころかGDPは3/4に減ってしまったのだ。その間一人当り賃金は16.7%下がっている。一般会計国税収入は、96年から2023年までに20兆円増加している。そのうち17兆円が消費税の増大による。その間、所得税法人税はむしろ減っているのだ。実際、89年から2023年までの税収推移を見ると、消費税で509兆円取りながら、その間に法人の税負担は319兆円減った。しかも同じ時期に個人の所得税と住民負担税も286兆円減った。むろん、その大部分は富裕層の所得税である。つまり、一般庶民からは消費税の形で税金を強制的にむしり取りながら、大企業と富裕層には大きな「バラマキ」を実施していたのと同じだ。これが、90年代からの新自由主義的政策の結果だ。多くの国民は、この事実を知らない。何も知らないまま、富をむしり取られているわけだ。何というお人好しであることか。

なるほど、植草氏が政府や富裕層から蛇蝎のごとく嫌われるのも無理はない。彼は実に正しい事実を指摘しているから。泉房穂氏の本に書かれていたことに通底する、政治経済的構造が、見えてくる。24年は、これらの新しい真実に気づき目覚めることが出来た点で、収穫の多い年だったと総括しよう。

国際情勢を見ても、韓国・中東・米国・ウクライナなど、注目すべき国・地域は多い。しかも情勢は刻一刻変わる。情報収集と分析は欠かせない。これからも勉強の日々は続く。

今日もあれこれと

1)川崎重工と海自が架空取引を繰り返して裏金を作っていた件、新聞記事だと川重が子会社に対して自腹を切って裏金を作らせたように見えるが、実情は大きく違う。裏金の原資は税金だから。防衛省が潜水艦の修理費として川重に支払った金だ。2023年までの6年間で架空取引の総額は計17億円だったとある。つまり、国(防衛省)が川重に架空の発注をして金を払い、それを川重が裏金化して海自の官僚たちに食事や物品提供などの形でキックバックしていたのと同じだ。むろん一部は川重側も使っただろうけど。支払った防衛省側は、それが「架空取引だとは知らなかった」とでも言いたいのか?そんな言い訳が通用するなら、大半の汚職は免責されてしまう。通常、物品を発注したら納品されて、その時に見積り・納品・請求の三書がセットで届くものだ。それを会計担当に回して支払いがなされる。これが普通の手続き。架空取引だと実物がなくて、書類だけ存在することになる。発注側が納品確認しないなんてあり得ない。

だからこの件は典型的な贈収賄だし、税金の私的流用=業務上横領でもある。しかも何十年も続いてきた「前例踏襲の組織風土」として引き継がれてきたそうだ。完全な組織的犯罪。なぜこれが大騒ぎにならないのか、不思議だ。

マスコミはもっと追及しなければならないのに。こんなのを見逃すようじゃ世も末だな。新聞記事だと川重が架空取引をしていたと書いてあるが、その取引相手は海自だと明確に書かないから分かりにくくなる。本質は税金のつまみ食いだ。特捜部が動いて摘発すべき案件。国防に関わる事項なので、踏み込めないとでも?ふざけんな、と言いたい。

しかも、新聞記事だと防衛省が「返金を求める」とあるから笑わせる。自分らが裏金作りのために支出したお金を、バレたから返せってか?まるで自分達は被害者だとでも言いたいのか?これまた、人をバカにした話だ。

折から、泉房穂「わが恩師 石井絋基が見破った官僚国家日本の闇」という本を読み終えたばかりだったので、その感が強い。この本は、すべての日本人が読むべき本だ。これを読んで国民の意識が変われば日本も変わる、と思えるほどだ。今の日本は官僚機構に支配されているが、その官僚を支配しているのは米国だから、結局は対米自立して官僚支配を脱しないと、国民はいつまでも富をむしり取られる一方になってしまう。そのカラクリを、キチンと示した本だ。この本については後でまた書く。

2)大谷夫妻に第一子が生まれるとの速報が入り、急に盛り上がっている。でもなあ、お腹の中にいるうちからマスコミ等に大注目される子供って、幸せなのかな・・?ちょっと気の毒なような気もする。親が偉すぎる弊害だろう。もし男の子だと「大谷二世」として特別扱いされるだろう。実名を挙げて申し訳ないが、長嶋一茂みたいにならないことを願いたい。一茂は、偉すぎる父親の重圧を常に受けながら育ち、野球選手としては父親に遠く及ばないことを現場で思い知らされる。実際、すぐに現役引退に追い込まれた。その後、彼は芸能界に転進して自分の世界を切り開けたから良かったが、彼の中では偉大な父親の背中が、常にのしかかっていたに違いない。大谷は長嶋茂雄以上の大選手だから、彼の子供に対する好奇の目は、格段に強いに決まっている。この子をどう守るか、大谷夫妻は神経を使うことになるだろう。その意味では、第一子は女の子の方が無難かも知れない。一姫二太郎と言うし、総じて、女の子の方が丈夫で育てやすいから。

今日もあれこれと

1)今朝の朝日新聞ののちゃん」はナベツネ追悼版だと見た。毎年クリスマスイブにはナベツネそっくりのサンタが出てくるので今年もその点は同じだが、追悼していることは一見して分かる。さらばナベツネ・・と。むろん漫画らしく、ちゃんと笑わせてくれるけど。今さらながら思うが、いしいひさいちは実に絵が上手い。デフォルメしているのに、モデルはナベツネだとすぐ分かる。元は「ワンマンマン」という近所の我が儘ジジイで出ていたが。漫画家ではあとやくみつるも実に上手い。特に石破とか岸田の描き方は秀逸。

2)ホンダと日産の合併話、どの新聞TVも「問題あり、前途多難」と伝えているが、実際そうだと思う。カルロス・ゴーンが指摘している点は、正にその通りなので、日産は台湾の鴻海に買収された方が良かったかも。日鉄がUSスティールを買収するのを米国政府やトランプが反対したように、日産が台湾企業に買われるのを日本政府の経産省が阻止した形だが、買収を進めた方がビジネス的には正しいこともある。ホンダと日産では、社風の違いが大きいし。ホリエモンも指摘しているが、日産と言う会社は社内の人事抗争=権力闘争が昔から激しかった会社なので、そのゴタゴタが合併後まで残ると、却ってアダになりかねない。三菱も、単なるお荷物にならないために何をすべきか、良く考えるべき時期だろう。ルノーとの関係もあるし話は複雑で、今後どうなるやら。

自動車会社では、残るスズキ・スバルらの弱小組がこれから生き残り戦略をどうするか見もの。ホンダはスバルと組んだ方が面白いクルマができそうなんだけど。

3)M1グランプリの録画を早回しで見たが、大半ツマランかった。二連覇した令和ロマンって、何が面白いのか、私には分からない。身のこなしや語りの巧さ・スキルは高いと思うけど、クスッと笑わせる要素が乏しい。もっとも、初期の王者中川家サンドウィッチマンノンスタイルらと比べて、2010年の笑い飯以後は碌なのがいないから仕方がない。最近のお笑いは、ただ騒がしいものが多く、奇抜さだけを狙っているので面白くない。中川家ノンスタイルたちは、いつも同じことをしているようでも、つい噴き出してしまうような芸がある。人を笑わせるというのも結構大変だ。落語家なども腕の差が大きいけど。

4)世の中はクリスマスイブだって大騒ぎだが、うちはほぼ関係ない。キリスト教徒でもないのに、バカみたい。もっとも孫たちもツリーを飾ってプレゼントが来るのを心待ちにしているから、親は大変だが。

それでも今日のお昼はちょっと贅沢をして、少し高いイタリアレストランに行ってきた。私はカルボナーラを、配偶者はイカスミリゾットを頼んだが、どちらもとても美味だった。初めて行った店だったが、今後は贔屓にしよう。日常的に通うには少し高いけど。

カルボナーラは単純そうに見えるが、美味しく食べさせるには技の要る料理だ。私は相当数のカルボナーラを食しているが、満足ゆくものに出会った回数は少ない。今回のは濃厚なクリームの味が心地良かった。パスタは、もう少し細めの方が私は好きだが。

それ以上に美味かったのはリゾットの方。海鮮系のダシ、旨味がギュッと詰め込まれた感じで、一口で「こりゃ美味いわ・・」と唸ってしまった。こちらは他の料理より330円プラスだと言うが、この美味さでは文句は出ない。

5)この土日、集中講義を済ませて、あとは授業リポートを採点すれば終了。最後まで聴いてくれたのは12人しかいなかったので、採点も簡単だ。昔の現役時代、試験の採点ほど嫌な仕事はなくて、こんな難行したくないと思っていたので、定年になって一番嬉しかったことは、試験採点せずに済むことだったくらいだ。

あとは明後日、早起きして県環境部の現地調査の仕事を終えたら今年の仕事はおしまい。年賀状も、昨夜のうちに裏面を完成して印刷も済んだので、今晩宛名印刷を済ませたら完了だ。何とか、25日には投函できそうで嬉しい。年賀状にも個人ブログは月に11編ずつ載せている、と書いたのでそれを厳守せねば。

もっとも、こんな日記的なものだけでなく、読んだ本や国際情勢などに関する突っ込んだ考察を書き留めておかないと、このブログの価値は下がると自分では思う。今日メールで届いたISF通信42号には、韓国問題やトランプについての議論など、中身の濃い論考がたっぷり詰め込まれていた。これらを読んであれこれ考えよう。