しかしまあ、この手の話が出るとき、スルリといきずらい点があります。それはどうしても「性欲」がからむところです。
それを汚いと言ってはいけない。けれどプラトニックな感情論だけですますこともまた難しい。そういえば「セイバーマリオネット」もあっけらかんとしてましたが、あれセクサドール出てましたね。「イノセンス」にもセクサロイドが出てきています。
一方的に奪い取る形の「性」、あるのかないのか分からない「自我」と「人格」、ロボットの「権利」。これを現実的な「問題」というには、あまりにもまだ科学的な溝が深すぎますが、これらを考えること自体がなんとも興味深いじゃないですか。うん、結論は出ないのは分かってるんです。人間の意識が、作られたものに対してどう感情を働かせるかが面白いんです。
(略)
どんなに頑張っても、結局は真似事の域を抜け出せません。ならば、感情…特に恋愛感情なんて意味があるんだろうか?
(略)
人間側の感覚とロボット側の感覚が触れ合い、お互いの好き嫌いを決めるとしたら、やはり外見だけではなくて、触れ合った時間と経験が重要になります。
この人は○○だから好き。この人は○○だから嫌い。
人間も数多くの経験を重ねてきて、その人を好きになるかどうかの基準も生まれてくるとするならば。ロボットだって同じ流れで、計算ではない、正誤で決め付けられない感情が生まれる可能性があるかもしれない。
その経験の一つとしてセックスが描かれていきます。それも感情です。
が、それが本能的に受け入れられるかどうかは別なのを描いているのがこの作品のすごいところ。
(略)
海野先生もあとがきで書いていますが、実在したならばどんなにリアルでも…いやリアルであればあるほど違和感のある存在になってしまうのがロボットです。
これをロボット工学では「不気味の谷現象」と呼びます。
(略)↓※欄
この問題は国際結婚ととてもよく似た感触があると思います。
最近の日本ではかなり薄らいでいますが、たいていの社会では異民族との結婚は想像だにつかないことで、愛し合っていても・相手がどんな好人物であっても親族だけでなく周囲の人間から嫌悪され、忌むべきものとされていました。
別に明文化されたタブーだったわけではなく、自然に異民族・異人種との結婚は忌避されたわけです。まあ、更に言えばそれ以前に異人種そのものの存在を嫌悪する風潮があったわけですが。
その一因はハーフが生まれてしまうこと、異民族の配偶者によって社会の純粋性が失われてしまうことへの恐怖があったのでしょうが、もっと単純な理由は「そんなこと今までなかったから」でしょう。
なにしろ最近では日本でも国際結婚は全く珍しいことではなくなり、周囲の心配はむしろ文化的な差異による軋轢の方に移っています。黒人差別の激しかった米南部でも(徐々にですが)黒人と白人との住み分けが減っています。
要は「慣れ」なんだと思います。相手を「自分と同じ」と思える比率、にかかっているのだと思います。
ですから、yumaさんの感情は特に歪んだものでは無いと思います。奴隷を使っている時代の市民が「奴隷のくせに歯向かうなよ」と思うのは(良い悪いは別として)自然なことで、ロボットが”人間に奉仕すべきもの”である時代の人間として「ロボットのくせに」と思うのは自然なことだと思います。